U-331 単語


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ユーサンサンイチ

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U-331とは、第二次世界大戦中にドイツ海軍が建造したVIICUボートの1隻である。1941年3月31日工。地中海戦艦バーラムを撃沈した艦として有名。戦果は2隻撃沈(4万235トン)、1隻撃破(372トン)。1942年11月17日航空攻撃により沈没

概要

地中海においてクイーンエリザベス戦艦バーラムを撃沈した武勲艦。この大戦果は地中海における成功の一つに数えられる。バーラムクイーンエリザベス一の喪失艦となった上、イギリス海軍が失った最大の軍艦。3万トン以上の戦闘艦を撃沈したのはU-331のみである。戦死者の数も客ラコニアに次ぐ第2位(868名)、戦闘艦に限れば第1位になってしまう。

しかしそれ以外の戦果はど振るわず、7回の戦闘のうち4回が戦果しの有り様だった。多くの資料では戦艦バーラムと軍隊輸送リードトン(+巻き添えで上陸用舟艇24隻)撃沈、1隻撃破としているが、Uボートアーカイブや一部の資料では更に2隻、1隻撃破の計4隻撃沈、2隻撃破と記述している。通商破壊以外にも機雷の敷設や破壊工作員の上陸、発電所の撃など各種任務に従事し、戦果を残した。しかしU-331の最期はかなり悲惨で、降の意思を示していたにも関わらず不幸な偶然により抗戦の意思があると見なされ、そのまま沈められてしまう。乗組員も半数以上の32名が死亡、助かったのは17名だけだった。

艦長のティーゼンハウゼン中尉は乗組員から慕われており、U-331の士気は旺盛だった。しかし先任士官のキュー中尉は効率性重視のいじめまがいな事を押し付けたため艦長とは対照的に嫌われた。彼が異動になって、後任のネールス・フリードリヒカール中尉が着任した時には乗組員一同喜んだとか。

U-47に続いて戦艦を狩った海の狼

1939年9月23日にエムデンのノルトゼーヴェルケに発注1940年1月26日、ヤード番号203の仮称を与えられて起工、同年11月29日装員長としてハンスディードリッヒ・フライヘル・フォン・ティーゼンハウゼン中尉が着任し、12月10日に進、そして1941年3月31日工した。初代艦長もティーゼンハウゼン中尉となり、訓練部隊の第1潜隊群に編入された。

4月1日から3日までエムデンでテストを実施した後、キールに回航されて4月5日から15日にかけてテストに従事。4月16日と17日はロンネで水中聴音の試験を行った。続いて4月18日から24日までダンツィヒテストを行い、4月26日ヘラ半島で機雷敷設訓練するが、線方向探知機が故障してしまったため、ダンツィヒのホルム造所で修理4月29日デンマークのプッツィガー・ディープケで射撃訓練をし、5月17日から25日までゴーテンハーフェンで第27潜隊群と戦術演習5月28日から6月25日までエムデンのノルトゼーヴェルケ造所で残工事を行い、出渠後はキール6月28日から30日まで艦の消磁を行う。

1941年

1941年7月2日キールを出港し、最初の戦闘を始める。スカゲラ峡を抜けた後、ノルウェー南西を通過イギリス軍が封鎖しているフェロー諸島アイスランド間を突破して狩り場の北大西洋に出る。

7月20日午前9時航空偵察により判明した敵団を捕捉するための隊に参加。7月24日、U-79、U-126、U-68、U-561、U-562、U-564、U-202とともに線を形成する。7月27日午前2時57分、団を追跡していたU-68が護衛の敵駆逐艦によって撃沈されるも、午前7時40分にU-331はU-126とともに敵輸送団を発見して報告。翌28日、U-561とU-331が発した位置情報が離れていた事から団が分散した可性が浮上するが、航空偵察の結果、U-561が正しい報告と判明した。7月29日午前2時、U-331は再度敵団を発見。確認のため航空機が送られ、今度は正しいと認められた。その後、洋上で別のUボートと会同し、物々交換を実施。しかし、この時に接触事故を起こして第5潜タンクを破損してしまい、帰路に就かなければならなくなった。同日中にU-331は帰投の旨を報告。隊から離脱して帰路に就いたが、どうにもフランスまで帰れそうにないため、7月31日中立スペインカディスでの燃料補給を部に要請した。

8月1日枢軸中立スペインカディスへ寄港。ドイツ補給艦タリアがU-331の右舷50mに接近し、送管を伸ばしてきた。だがタリアは2本の送管を持っていなかったため、僅かな燃料しか補給できなかった。翌2日午前2時40分に再びタリアが接近。今度は2本の送管を用意していたが、送開始から僅か10分で破裂。所定量の燃料を得られず、U-331は港に留まらざるを得なくなる。それでも何とか同日中に出発し、リスボンでの通商破壊を命じられて狩りを再開。

8月11日14時Fw200コンドルからの情報に従って敵団の推定航路へ移動。U-94が発見した敵団の攻撃要請を受けた。翌12日午前1時ジブラルタルに向かう敵団を発見して追跡開始。ところが視界不良に阻まれて午前4時10分に接触を失ってしまった。8月13日午前1時15分、イタリア潜水艦が敵団発見の報を出し、その位置情報に基づいてU-331も敵団を発見している。この日にU-109ともども帰投命を受けて追跡から離脱。フランス方面へ向かった。8月19日ロリアンへ入港する。

地中海へ

北アフリカ戦線ロンメル軍団支援するため、ヒトラー総統Uボート地中海進出を示。U-331はU-75、U-79、U-371、U-559とともにクーベン戦闘団を編制。地中海に進出するUボートの第一を務めた。

9月24日地中海進出を命じられてロリアンを出港。敵に見つからないよう慎重に潜航と浮上を繰り返しながらビスケー湾を突破し、ポルトガルスペインの沿に沿って南下。9月28日イギリス軍の牙であるジブラルタル海峡へ突入。敵の封鎖を掻い潜るため均以上の潜航を行ったが、その際に掛かった圧により魚雷に変調をきたし、必要以上に魚雷が沈降してしまう弊に見舞われた。翌29日深夜水上航行で突破し、地中海に進出。敵哨戒機を避けるためメッシーナ峡まで回してサラミスへと向かう。中の10月10日午前4時2分、シディバラにてU-331は3隻の上陸用舟艇を発見。雷撃を仕掛けたが命中せず、浮上して撃を仕掛ける。上陸舟艇も反撃し、銃撃戦に発展。TLC-18は撃で僅かに損傷し、マルサマトルへ引き返さざるを得なくなった。U-331はが損傷して機員2名が負傷。後に1名が死亡した。10月11日サラミスに入港。10月15日に第23潜隊群へ転属した。

11月12日19時オペラオン・ハイ作戦に協力すべくサラミスを出撃。艦内には陸軍特殊部隊ブランデンブルク師団7名が便乗していた。クレタ島西方を南下し、向かう先は地中海艦隊の本拠地アレクサンドリアエジプト首都カイロがある北アフリカ11月16日、敵に気付かれる事エル・アラメイン西方2.4kmの地点に到達。この地点に上陸させる予定だったが、荒に阻まれて1日延期。海底に沈降して回復するのを待った。翌17日ラスギベイサとラスエルシャギクの間で浮上。ゴムボートに破壊工作員7名と連絡役のU-331のヴォルフガング・エベル線手を移乗させ、上陸。警備のイギリス兵2名をナイフで殺し、線路の爆破に成功。後は引き揚げるだけだったが、信号弾が濡れて使用不能になっており、を点けて合いで待つU-331との連絡手段を失ってしまう。数時間後、線路を爆破されてやってきたイギリス軍に捕まり、捕虜になってしまった。11月18日未明まで帰りを待っていたU-331だったが、明けとともに収容を断念。西方へ移動し、ロンメル軍団イギリス軍が闘を演じているサルーム方面に向かった。線路の爆破に成功した事で北アフリカイギリス軍はクルセーダー作戦を開始したものの補給が滞り、上輸送路に頼らざるを得なくなった。U-331は敵の補給線を断つべく遊するが、敵団はから厳重に護衛されており、間は浮上する事すらわなかった。苦労するU-331の前に意外な大物が姿を現した。

11月25日午前8時、U-331はかすかな推進音を探知した。その推進音は徐々に近づいてきていた。ティーゼンハウゼン艦長は潜望を上げて周囲を確認し、安全を確認してから浮上。その直後に哨戒機が現れ、潜航を強いられる。午後に再び浮上するも、再び哨戒機が出現したため潜航。同時に聴音手が北東方向に推進音を捉えた。敵機が去った後、浮上して北東に舳先を向ける。すると東方に複数のマストが確認され、急速潜航。潜望を上げてみると、クイーンエリザベス戦艦クイーンエリザベスバーラムヴァリアントの順で単縦組を組み、8隻の駆逐艦が護衛するイギリス戦艦部隊が確認された。直ちに雷撃体勢を整え、16時了。護衛の駆逐艦2隻をやり過ごし、大胆にも形の内部へ侵入。息を殺しながら戦艦の左舷側に移動する。16時18分、駆逐艦ジャーヴィスは潜水艦らしきものを探知。その正体こそU-331であったが、ソナーの誤作動と片付けられてしまい、U-331を排除する機会を失った。戦艦群はUボートを警してジグザグ運動を取っており、雷撃をやりづらくしていた。それでもU-331は正確に狙いを定め、彼距離が375mになった時に発射の号が下された。16時29分にシディバラ北方で4本の魚雷を発射。その直後、背後からヴァリアントが急速接近。驚いたティーゼンハウゼン艦長は潜航を命じたが、間に合わずU-331の艦ヴァリアントの艦底が接触。巨体に吹っ飛ばされ、水上に艦の一部と潜望を露呈してしまった。Uボートに存在に気づいたヴァリアントは対用のポンポンでU-331を射撃してきたが、幸い距離が近すぎて命中せず。

一方、U-331が放った魚雷4本のうち3本がバーラムに向かい、回避する間もなくバーラム(3万1100トン)の左舷に直撃。1本の巨大な柱が立った。僅か4分で左へ転覆し、弾薬庫への引火で大爆発が生じて861名の乗組員が死亡バーラム爆発する様子はジョンターナーというカメラマンの手で撮されており、現在でも見る事が出来る。面にバーラム生存者が漂っていたため爆雷攻撃が封じられ、U-331は護衛艦艇から攻撃を受ける事く離脱に成功した。しかしティーゼンハウゼン艦長は撃沈を確信できず、1本の魚雷クイーンエリザベス級を雷撃したとだけ報告した。11月28日ドイツラジオ放送は速この報告を放送。イギリス海軍は士気の低下を防ぐためバーラムの喪失をせたが、ドイツ軍には筒抜けだった。12月3日サラミスへ帰投。ヨーゼフ・ゲッペルス宣伝相はバーラム撃沈を積極的に宣伝し、ティーゼンハウゼン艦長を英雄祭り上げた。サラミスからベルリンに飛び、12月7日に一級十字章を授与された。12月16日、艦長は宣伝省のラジオ放送に出演してバーラム撃沈の詳細を語った。

1942年

1942年1月1日ティーゼンハウゼン艦長は大尉に昇格。1月14日サラミスを出撃。シディバラニからトブルクにかけての域を遊する。しかし潜航した時に浅い海底の泥に突き刺さってしまい、身動きが取れなくなるハプニングが発生。やむなく信管を外した上で魚雷を投棄し、潤滑放出して何とか浮上に成功。しかし戦うための武器を失くしてしまったので々に帰投する羽になり、手ぶらで2月21日サラミス帰投。戦果を挙げる事はわなかった。この戦闘中、イギリス海軍省がせていたバーラムの喪失を正式発表したため、入港後すぐにティーゼンハウゼン艦長へ騎士十字章が授与された。修理のためラ・スペツィア回航を命じられ、パトラスを経由して同地に向かう。中、漂流中のイタリア軍パイロット5名を発見・救助している。2月28日、ラ・スペツィアに入港して整備。艦長以下乗組員は上陸して休暇を楽しんだ。

4月4日、ラ・スペツィアを出港。4月6日メッシーナへ寄港し、イタリア海軍向けの食糧と病人を揚陸。同日中に出発し、自由フランスに奪取されたシリアベイルートに向かった。クレタ島合いを航行中に哨戒機に発見され、投弾を受けるも急速潜航でやり過ごす。4月8日ベイルートに到着。敵めてしたが、帆船くらいしか見つからなかった。4月9日午前6時、大帆船を発見したが位置の露呈を恐れて手出しはしなかった。夕刻、西方で巨大な火柱が上がるのを撃。U-81が敵タンカーを沈めた時の炎だった。4月10日明、港口に向けて魚雷1本を発射し、ノルウェーライダーサーゲン(3944トン)を炎上させたが沈没には至らなかった。同日、港を出る敵に向けて雷撃を行ったが、こちらは命中しなかった。4月14日18時45分から20時9分まで、ベイルートでTMC機雷の敷設作業を実施。4月16日未明、燃料を運んでいる疑いのある小(帆船とも)2隻を8.8cmにより撃沈。4月17日キプロスベイルートの間で帆船を拿捕し、乗組員の脱出を見届けてから撃沈した。その際に乗組員の1人が小を切断して負傷。ベイルート内の発電所を撃した後、4月19日サラミスへ帰投。パロウキア埠頭に投錨して負傷者を降ろし、新たにボールド欺瞞装置を搭載した。この中で第29潜隊群へ転属している。

5月9日サラミスを出港。東地中海に向かった。5月19日午前10時、通信傍受により敵団の存在を探知。付近を捜索した結果、14時イギリスの輸送団を発見。しかし敵の警備が厳しく、日中手出し出来なかった。り強く機会を待ち、5月20日未明に雷撃を行って輸送イセオン(4216トン)を撃沈した。しかし雷撃により位置を喧伝する形となってしまい、U-331は敵駆逐艦から爆雷攻撃を受ける。狙いが正確だった事もあり、第5潜タンクを破損する大損を受ける。ここで新装備のボールド欺瞞装置を使い、撃沈したと思わせて難を逃れた。午前8時に何とか浮上、損傷箇所の調をしたところ作戦行動に耐えられない事が判明。水上航行で帰路につき、5月21日メッシーナへ戻った。メッシーナにはイタリア海軍の簡易的な施設しかかったため、応急修理と燃料補給だけ受けた。

5月25日17時メッシーナを出撃。この時、峡の南方までイタリア駆逐艦が護衛してくれた。マルサマトル方面に向かい、遊する。6月4日夕刻、3隻の戦車揚陸艇を発見。3本の魚雷を発射し、2回の爆発音を聴音したが命中せず。この辺りの域は浅いため潜航が出来ず、長居は禁物だった。トブルク攻防戦の化に伴って敵機が多く飛来するようになり、満月の時期でもあったため敵に発見されやすかった。更にディーゼルエンジンが不調を訴えるようになった事からティーゼンハウゼン艦長は作戦の中止を決断。6月13日、手ぶらでメッシーナに帰投。2日後にラ・スペツィアまで回航され、本格的な修理を受ける。乗組員には臨時休暇が認められ、デュッセルドルフで羽を伸ばした。修理ついでに20mm連装機関2門と12.7mmを装備。対力を高めた。

8月2日イギリス軍の大団がジブラルタルを出港。孤立状態のマルタへ向かっているとされた。8月5日、U-73やイタリア潜水艦5隻とともにラ・スペツィアを出撃して迎撃に向かう。ところが8月8日、バレアレス南方ロッキーハドソンに発見され、3発の投弾を受ける。ティーゼンハウゼン艦長は強化された対力を試そうと潜航せずに立ち向かったが、逆に機掃射で先任士官を含む4名が負傷してしまう。更に赤痢患者まで発生し、ティーゼンハウゼン艦長は作戦を断念。僅か5日でラ・スペツィアに戻る羽になる。負傷者を上陸させるとともに、給油が横付けして燃料補給。8月10日、U-73が空母イーグルを撃沈したとの快報が届き、刺を受けた艦長は出港準備を急がせ、8月12日に再出発。しかし敵の団はマルタに到達してしまい、獲物に出会えないまま9月19日に帰投した。宣伝省はティーゼンハウゼン艦長にドイツ内の講義ツアーを行おうとしていたが、実現しなかった。

11月7日午前11時、ラ・スペツィアを出港。元々は15日に出港する予定だったが、アメリカ軍が北アフリカに上陸する兆が見られたため、繰り上げられた。コルシカの北を通過して南下、アルジェ方面に向かった。その翌日、懸念どおりアメリカ軍モロッコに上陸したとの急報が飛び込んできた。デーニッツ提督ケープベルデジブラルタルの近隣にいる全Uボートモロッコへ向かうよう示を飛ばし、U-331も現場に急行する。11月9日、潜望深度で航行しながらマタロウの東の湾に接近。湾内で静止中の駆逐艦1隻と1万5000トン級の兵員輸送艦を発見し、14時4分に米軍輸送艦リードトン(9135トン)に向けて4本の魚雷を発射。リードトンドイツ空軍機から2回攻撃を受けて中破しており、対潜が疎かになっていたためU-331の存在に気付いていなかった。間もなく右舷側に2本が命中、被雷から10分後に艦は放棄され、15時15分に右へ転覆。上陸用舟艇24隻もろとも沈没した。同日、浮上中に敵空母2隻を発見したが、ジグザグ運動を取っていた事から攻撃出来なかった。その後、駆逐艦に護衛されてジブラルタルに向かっている敵輸送団も発見したが、高速のため取り逃がした。

11月11日アルジェで揚陸作業中の連合船舶に攻撃を仕掛けたが、敵駆逐艦から爆雷投射を受けて急速潜航。その際に海底に接触してしまい、前方潜を損傷する。ティーゼンハウゼン艦長は帰投及び修理を要請したが、部より作戦の続行を命じられる。11月13日午前11時ベルリンからの命受信の的で潜望深度まで浮上。潜望を上げてみると敵駆逐艦の姿が見受けられた。程なくして駆逐艦から爆雷投下を受けて全ての深度計を破損。満身創痍の艦体に打って6~7時間の潜航に耐え、どうにか虎口を脱した。11月15日、敵駆逐艦1隻と遭遇。

最期

1942年11月17日正午アルジェリアで浮上した直後に3機のロッキード・ハドソンを発見。潜航を試みようとしたが、4発の命中弾を受けて大破。ディーゼルエンジン1基とバッテリーが破損した。ジグザグ運動しながら敵機から逃れようとするも更に4発の投弾を受け、深度計とコンパスを破壊される。ティーゼンハウゼン艦長は人的被害を最小限に抑えるために乗組員を甲へ集めたが、ハドソンからの機掃射で数名がに投げ出され、8.8cm単装機を破損。残った甲抵抗したが、ティーゼンハウゼン艦長は降を決意。い旗を掲げた。ハドソンは降の意思がある事を基地へ報告し、正確な位置が駆逐艦ウィルトン転送された。満身創痍のU-331は体を引きずって陸まで行こうとするも、一番近い陸まで約12里もあり、またU-331の艦首は陥スクリュー水上に出ている状態だったため前進が困難だった。自沈に備えて機密文書を破棄する一方、上を旋回するウォーラス飛行艇から「駆逐艦が救助に向かっている」との発信号を受けた。しかしU-331側はメッセージを理解できず「アルジェ」という単語くらいしか聞き取れなかったため、旗を振り続けた。艦尾がどんどんへと持ち上がっていき、陸へ辿り着く希望が薄まっていく。

やがてF4Fグラマン20機が上に飛来。この時、艦長の命しに何者かがディーゼルエンジンを再始動させ、い煙が立ち昇った。これを脱出の意思と見たグラマンは機掃射を浴びせ、艦に立っていた多くの乗組員を殺。生き残った者はへ飛び込んだ。更に現場へ到着した第820戦隊ソードフィッシュが雷撃を仕掛けてきた。ティーゼンハウゼン艦長は負傷した体に打ってを握り、何とか回避しようとしたが、魚雷はU-331に命中。視界が晴れるとU-331の姿はくなっていた。異説では情報伝達の不備で「降の意思がある」との報告が伝わっておらず、旗を掲げているにも関わらず攻撃を加えて撃沈してしまったとしている。その後、攻撃したパイロットは軍法会議に掛けられた。乗員32名が死亡し、面を漂う生存者17名は駆逐艦ウィルストンに救助された。

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