ムトト 単語


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ムトト

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ムトト(Mtoto)とは、1983年生まれのイギリス競走馬種牡馬である。
同い年の巨*ダンシングブレーヴに匹敵するとも謳われた末脚を武器に、やはり同い年の凱旋門賞*トニービン最大のライバルとして立ちはだかった遅咲きの名

な勝
1987年:エクリプスステークス(G1)、プリンスオブウェールズステークス(G2)、ブリガディアジェラードステークス(G3)
1988年:エクリプスステークス(G1)、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス(G1)、プリンスオブウェールズステークス(G2)、セレクトステークス(G3)

血統背景他

ブランドフォード系ではメジャーな分枝の一つであったブレニム系の末裔で、日本だと*ウインドインハーヘアとしてもう数え切れないの中にあるバステッドは7戦1勝と競走成績は庸ながら牝系としては活気溢れるラインに属したアマザー、12歳時に日本輸入され、朝日杯3歳S勝ちのミホランザンやリキタイコーを出すなど活躍した快速マイラー・*ミンシオという血統。
1歳時にセリで購入され、ハムダン殿下やモハメド殿下の末に当たるアーメド殿下の持ちとして走ることとなった。取引額は11万ギニーなのでそんなに高いではなかった。
彼が生まれた年に開業したアレック・スチュワート師に預託され、騎手は厩舎の戦であったマイケルロバーツ騎手となった。
ロバーツ騎手は後に日本で短期免許を取得し、アドマイヤコジーン朝日杯3歳Sを制覇して短期免許取得外国人騎手初のG1勝ちを収めたため、日本でも知名度はまあまああるかもしれない。

ちなみに名のムトトはどこの言葉かパッとわかりにくいが、スワヒリ語子供を表す単数形とのこと。Childとかそういうアレ

難しい子。

1985年、2歳の8月デビューするが勝ちにきっちり3馬身ちぎられてパッとしない3着。2戦に向けての調教中に骨折してしばらく休みとなった。
どうもこの頃のムトトは生来の頑固さからくる難しさ故にうまくいかないことが多かったらしい。しかしスチュワート師は才に惚れ込み、スタッフと地調教していった。
3歳になった1986年5月同期の*ダンシングブレーヴ2000ギニーをバッサリした頃に未勝利戦で復帰するが2着。3戦未勝利戦を勝ち上がってようやく初勝利を決める。同じ頃*ダンシングブレーヴはとてつもない末脚を爆発させながら*シャーラスタニを捕まえきれず、スターキー騎手がめちゃくちゃバッシングされていた。

それはともかくとして、気を良くした営はロイヤルアスコット開催名物・旧称アスコットダービーキングエドワード7世Sに出走するが世の中そんな甘くなく5着。場は10f近辺の距離ステークス戦とハンデ戦を戦い連続2着。
ちきれないのは距離が長いと見たか、当時まだチャンピオンズデーがなく単独開催であったマイルG2、翌年からG1クイーンエリザベス2世Sに出走。4着に敗れ休養となった。
休養中に*ダンシングブレーヴ、*シャーラスタニベーリングらこの世代のクラシックを牽引した役はみんな引退してしまった。

強い子。

4歳の始動戦は5月ブリガディアジェラードS。前年のセントレジャー*ムーンマッドネス、前年のジャパンカップで3歳ながらジュピターアイランドと延々叩き合いを繰り広げミホシンザン帳の外に追いやった*アレミロードらをまとめて負かし初重賞を飾る。
営の慢と彼のバイオリズムの高まりがバチッと合ったのか、ロイヤルアスコット開催の中距離決戦・当時G2プリンスオブウェールズSでも勝で重賞連勝を飾る。
ここまで10F戦で連勝したため、続くターゲットG1エクリプスSに定めた。しかしここのメンツは今までとべてもダンチのメンバーであり、ダービー逃げ切った戦車リファレンスポイント鉄の女トリプティク快速天才少女ミリラムらがった。
ここまで連勝中とは言え重賞2勝では4番人気理からぬ話。しかし最後方からじわじわポジションを上げていくと直線では末脚が爆発ハナを切り続け人の野を駆け抜けんとしたリファレンスポイントに並びかけると叩き合いに持ち込み、ゴール前で差し切ってG1初制覇を達成した。
リファレンスポイントトリプティク(3着)を打ち破ったことで、全世界にムトトここにありを示したのであった。

かしこの後馬場を嫌ってキングジョージスクラッチしたあたりで運が向かなくなってきたのか、脚力の強いの宿である裂蹄を発症しなかなか体調が整わず、次のレース宿命のライバルイタリア王者*トニービンとの初邂逅となった凱旋門賞
リファレンスポイントと彼をひたすら突き回したシャラニヤが作り出したハイペースは追込の彼には有利かと思われたが、トランポリノの跳ね狂うかのごとき末脚にはついていけず4着。*トニービン(2着)との初対戦は敗北で終わった。
その後チャンピオンSに出走するが、裂蹄が悪化していたのか久々レースでとんでもないハイペースを走ったのがいけなかったか8着と惨敗。チャンピオンS連覇を達成したトリプティクには全く届かなかった。

汝、神童の末脚を見よ

5歳になっても現役続行。始動戦はグッドウッド競馬場リステッド競走であったが、なんと出走全コースを間違うという事が発生しレースとなってしまう。せっかく先頭で駆け抜けたのに……。
グッドウッド競馬場知ってる人ならああありゃ間違うわってなる形状なので仕方なかったかもしれないが……知らない人はググってみると察しが付くと思う。
とはいえしっかりいてレース勘は養えたのでプリンスオブウェールズSへ。しっかり連覇を達成しこれまた連覇を懸けてエクリプスSに挑む。メンバーは前年より薄くはなったがいつもの丈夫なおばちゃん(牝6)ミエスクを前年ディアヌ賞で破っているインディアンスキマーらがった。
直線で一気におばちゃんトリプティクインディアンスキマーを置き去りにして驀進するが、軽く見られた*シェイディハイツりに遭い抜くのに難渋する。しかし最終的には差し切って連覇達成。
エクリプスS1968年まで5歳以上出走不可というしいレースであったため、4歳初勝利からの連覇は初であった。

その後は前年スクラッチしたキングジョージへ。プリンセスオブウェールズSを15馬身ぶっちぎってやってきた3歳・ハイクレアの直系にしてノーザンダンサー末期傑作の1頭と名高いアンフワイン(1番人気)、イタリアでは最絶対の存在となった*トニービン(3番人気)といったあたりを2番人気として迎え撃つ。
アンフワイン逃げを見つつ強気に先行するのを後に、*トニービンと追込体勢で待機。*トニービンが先に群に突っ込んだのを見て仕掛け、外をぶん回した。
普通であればロスが大きいが、この当時の充実していた彼にとっては大した障害にもならず、持ち前ので勝ちきろうとしたアンフワイン群を突破して来た*トニービンを一で置き去りにして突き抜け快勝。稍重馬場も関係なしであった。
このあまりにも鮮な末脚に、ロバーツ騎手も「発力は*ダンシングブレーヴに劣ってないね」と絶賛したという。
凱旋門賞に照準を定め、*ダンシングブレーヴも使ったステップ、セレクトSへ。いつものように最後方から一で抜き去る戦法で圧勝し凱旋門賞へ。
いつものとっても丈夫なこの歳限りで引退のおばちゃん(牝6)、頓挫があってイタリア重賞から連闘でやって来ざるを得なかった*トニービンキングジョージ2着から直行のアンフワインらの他、当年の英愛ダービーカヤージ、オークスヨークシャーオークスを勝ったディミヌエンド他総勢24頭が集った。
ここまでの頭数のったレースは初であり、追込としても数が多い場合不利を食らいやすいこともあり若干不安要素とはなっただろうか。
流石に24頭もいるのに最後方はまずいということでいつもより前に取るが、中でポジションを上げることは出来ずフォルスストレートを過ぎる辺りでも前が壁になりつつという状況であった。
いた隙間も先んじて*トニービンが飛び込み、彼はその後ろを通って追撃という形になってしまった。群を抜けると先頭掛けて弾丸のごとく突っ込むが、*トニービンの後を拝して群を抜けたロスが最後までき、イタリア久々の戴冠をもたらしたライバルをクビ差だけ差し切ることは出来なかった。
これにはロバーツ騎手批判が相次いだが、ラストのキレは*ダンシングブレーヴ並と言っても過言ではない爆発的なもので、ムトト自身の評価には何ら傷つくことはなかった。
この凱旋門賞限りで引退種牡馬入りとなった。最終成績は17戦8勝1レース

種牡馬入り後

ブレニム系の命運を背負って種牡馬入り。アベレージこそ低いが、時折大物を出すポジションで活躍。英ダービーシャーミット(1993年産)やアスコットゴールドカップ勝ちのステイヤー・セレリック(1992年産)のようなイメージ通りの産駒から、2歳G1の6f戦・チェヴァリーパークSを勝った*シリアスアティテュード(2006年産)のようなスピードを出すなど長きに渡って活躍した。2011年、28歳のときに死亡
結局ブレニム系の存続という点では一のG1勝利だったシャーミットがボリンエリック(セントレジャー)を出して気を吐いたが続かなかったこともあり、あまり寄与することは出来なかったと評価できるだろうか。
日本との関わりでいうと今だと前述の*シリアスアティテュードが社台ファームによって輸入されたので、彼女を通してムトトの血が伝わっていきそうである。
しかし現状繁殖入り確定しているのはサプルマインド(ディープインパクト)くらいであり、春天2着となった出世頭スティッフェリオ(ステイゴールド)は乗とやや先行き不透明となっている。

血統表

Busted
1963 鹿毛
Crepello
1954 栗毛
Donatello Blenheim
Delleana
Crepuscule Mieuxce
Red Sunset
Sans le Sou
1957 鹿毛
*ヴィミー Wild Risk
Mimi
Martial Loan Court Martial
Loan
Amazer
1967 鹿毛
FNo.1-k
*ミンシオ
1957 鹿毛
Relic War Relic
Bridal Colors
Merise Le Pacha
Miraflore
Alzara
1961 栗毛
Alycidon Donatello
Aurora
Zabara Persian Gulf
Samovar
競走馬の4代血統表

クロスDonatello 3×4(18.75)

主な産駒

関連動画

トニビ…もとい*トニービンとの

余談

ウイニングポストでは作品にもよるが、登場する場合史実通り*ダンシングブレーヴ引退した1987年以降、SP75とは思えない*ダンシングブレーヴ級の理不尽極まる末脚で欧州無双することが多く、動向に相当悩まされる一頭である。
成長遅め成長力持続なので*ダンシングブレーヴのいないレース力でちょっと落ちる*シャーラスタニベーリングも3歳の場あたりから成長次第では食ってることすらある。まさに9シリーズでいただいた「神童」の二つ名の通りの活躍をする。
以降の対抗のはずのトニービンがSP73かつ晩成でエディットで成長いじらないと引退5歳までに育つことが皆無トリプティクもSP72でまあまあなサブパラとちょっと強い扱い、リファレンスポイントもSP76ではあるが、差し追込の方が強いバランスの作品ではあっさり食われたりもあるし一年しかいないのでライバルらしいライバルがいない。

9 2021以降の登場作品だと大舞台+根幹距離+直一気という追込とめちゃくちゃ強いシナジーのある特性を持つので放っておくと連勝し続けて9シリーズシステムである闘志がモリモリ増えて手がつけられなくなっていくので半端なでは対抗は困難
欧州G1は短距離戦と長距離戦以外1600、2000、2400の根幹距離に固まっているので、1600~2400に適正のあるムトトは根幹距離以外まず出て来ないので根幹距離特性の弱点である非根幹出走デバフが発揮されないため延々勝ち続けて世界最強に君臨することもザラこれがスペなら宝塚有馬で非根幹持ちのグラスにギャフンと言わされるのだが。
上限ぎりぎりの距離、2400だとだとスタミナ不足で伸びが鈍るのだが、追込のためそのペナルティ々踏み倒すんだからたまらない。これが逃げなら残り100くらいでバッタリ止まるんですが……。
馬場適性がガッガチ欧州寄り…ということもなくが軽い芝得意なマンノウォー系なので香港くらいなら小デバフで済むし、ドバイは得意なのでこの辺のき巣稼ぎも難しい。ドバイターフなら非根幹距離なのでなんとかなるかもしれないが、世界最強決定戦がこのの得意な距離馬場で開催の場合とっても難儀する。
下手すると軽い芝のBCターフジャパンカップでもぶち抜かれたりするけどな!

9 2022では欧州牧場期開設することで自己保有も出来るが、よっぽど好きとかバステッド系繁栄プレイでもないとあんまり価値がない。この理由もあるのでなおのこと世界最強決定戦に勝たれると困るのがいただけない。
とはいえ根性D+なのでレース展開次第では群に捕まったりすることもある。よってマニカトエクセラーべるとまだ対抗はしやすい。この2頭はスキがなさすぎるともいう。なんだい?あのサブパラは……。

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