|
タイ国有鉄道(การรถไฟ
タイ国内では一般的に「タイの鉄道(≒タイ国鉄)」を意味する「ロー・フォー・トー(ร.ฟ.ท)」と言われる(ex.タイ国内に保存されているC56のタンク部分の文字)
概要
1891年にラーマ5世の勅命により、建設を開始した。当初はバンコクからナコーン・ラチャシーマーまでであり、その管理もシャム王国国有鉄道局が管理をした。日本で言うならば戦前における鉄道省に相当する組織であった。その後に徐々に範囲を広げて、戦後の1951年に「仏暦2494年タイ国有鉄道法」の成立をもって、タイ国鉄が成立した。
東北方面2路線、北部方面1路線、東部方面1路線、南部地方1路線をメインに各支線、マハーチャイ線・メークロン線を含めた総延長は4,041キロで、これはJR西日本の在来線より300キロ程短い。全線非電化で線路幅はいわゆるメーターゲージと言われる1,000mmである。北でラオスと、南でマレーシアと国境を接しているので、それぞれの国を結ぶ国際列車が運行されている。他にも運行主体こそタイ国鉄ではないが、オリエント急行の運行も行われており、バンコクからタイ各地を巡ったり、マレー半島を貫いてシンガポールまで行く列車が存在する。
運行される列車は特急・急行・快速・普通と日本と似たようなものの他に、「近郊」と言われるバンコクから比較的短距離を結ぶ種別が存在する。近郊は普通種別では通過するような非常に小規模な駅にも停車する種別で日本で例えれば普通が常磐線中距離電車とすれば、近郊は常磐線各駅停車のようなものである。
ダイヤはいわゆる一昔前の汽車ダイヤのようなものであり、長距離輸送がメインのダイヤ体系となっている。このため、遅延がしばしば発生する。
バンコクを離れると地方都市間の発着列車もあり、非常にバラエティに富んでいる。等級は1等車・2等車・3等車があり、3等車以外には座席車・寝台車がある。また2等車はエアコンの有無がある(価格差あり)
車両は客車がメインであるが、快速や特急の中にはディーゼルカーが使われる事もある。
これらの他にスワンナプーム国際空港からタイ中心街のパヤータイ駅を結ぶエアポートレールリンクもここの管轄である。
JR九州と協力関係を結んでおり、安全・定時運行のためのシステム構築や観光列車導入、駅ビル開発などでの支援を受ける一方で、タイ国内での外食事業展開や観光客誘致などでJR九州を支援している。
運賃体系
運賃体系は寝台特急の場合、運賃+種別料金+エアコン料金+ベッド料金が合算となる。設備や種別、エアコンの有無などで変化が出る。3等車オンリーの各駅停車であれば、運賃だけで乗車が出来る。
例1:バンコク発チェンマイ行き寝台特急13号利用で2等寝台下段利用の場合
2等運賃(281バーツ)+特急13号の特急運賃(190バーツ)+2等エアコン料金(170バーツ)+JR‐WESTベッド料金(240バーツ)=881バーツ
例2:バンコク発チェンマイ行きスプリンター利用の場合
2等運賃(281バーツ)+特急料金(160バーツ)+2等エアコン料金(160バーツ)=611バーツ
なおスプリンターはモノクラスであり、2等車扱いとなっている。また、特急料金も別個となっている。
なお、各駅停車など一部列車の3等車においてはタイ国民無料の制度が取られている。いずれにしても廉価な体系なので、これがタイ国鉄近代化の足かせとなってしまっている。
ちなみに日本でよくある乗り継ぎ乗車は(一応)不可能である。これは各駅停車で3等車であっても列車が指定されている為である。
車両
本線上を走る列車はメインの客車とそれをけん引するディーゼル機関車、ディーゼルカーがあり、電車は後述するダークレッドラインやエアポートレールリンク以外では存在しない。
車内設備は価格による格差が大きく、3等車と1等車とでは天国と地獄と言うぐらいに大きく差が出てきている。また、エアコンの有無も重要なポイントとなってくる点も注目したい。
3等車の場合は車種にもよるがほとんどが固定クロスシートであるものの、板張りかビニールである。整備不良が多く、椅子が外れるといった事がある。また、掃除が行きとどいていないのかゴミも見受けられる。近郊列車を中心にロングシートを採用している場合がある。また、オーストラリアよりの車両は転換クロスシートとなっている。3等車は急行以下の種別においてみられる。
2等車から寝台が登場する。シートもリクライニングシートとなる。生地は手入れの手間からかビニールが多いが、JR西日本の新幹線で使用されたモケットも見られる。このクラスではエアコンなしとありが選べるが、エアコンありの場合は非常に強力なクーラーとなっており、毛布を羽織らないと風邪をひいてしまうほどである。寝台は日本と同じように下段が割高となっている。かつてはエアコンなしもあったが現在では全車両エアコン付きに統一されたようだ。すべての種別で見られるが、スプリンターは2等車のみのモノクラスとなっている。
1等車は特急や一部の急行で見られる。個室寝台であり、車内設備は日本の物と何ら劣る所はない。ここまで来るとさすがに掃除は行きとどいている。基本的に日本でいえばシングルツインの様な感じであり、一人で使う場合は一部屋分の料金となってまた別料金になってしまう点に注意されたし。基本的には東急車輛製や大宇製のステンレス車両であるが、チェンマイ路線にはオロネ25が連結される事が多い。大体、バンコク方の端の方に連結される。
なお、ステンレス寝台の場合には各々の車両に発電機が積まれているので若干騒音が耳につく。
食堂車は特急や急行に見られる。在来車両ベースであり、屋根が低くなっているのが特徴である。さながら北斗星に連結されるスシ24の如くである。車内は青や赤のネオンと大音量の音楽が流されており、高級レストランの如き日本の食堂車とは全くの対極にある。主にパッタイと言ったタイ料理が多い。なお、座席まで運んでくれるサービスもある。
トイレは基本的にトルコ式と言われる和式トイレに似た、金隠しのないタイプである。ステンレス寝台やJR-WESTには洋式が存在する。特徴的なのはウォシュレットであり、ホースのようなもので尻を洗浄する。どんな車両であってもウォシュレットは付いているが、基本的に糞尿は垂れ流しであり、下手に線路際にいようものなら場合によってはくそみそにまみれる可能性もないわけではない。
喫煙に関しては全車両禁煙であり、喫煙車両の連結はされていないのだが、実際は3等車を中心に車両の端やドア付近で旅客が喫煙している姿が見受けられる。なお、食堂車では喫煙が可能である。ちなみに鉄道車両内で喫煙した場合は2000バーツ(日本円で6000円)の罰金が科せられる。
機関車
客車を引っ張る機関車はアメリカのGE製、日本の日立製、最大勢力のフランス・アルストム製がメインである。これらはすべて電気式ディーゼル機関車であり、液体式は入換用や地方以外ではほとんど見られない。面白いのは日立製の機関車であり、AW-2型の汽笛を装備している為、さながら日本にいるかの如くの錯覚を覚える。中にはAW-5型装備の物もある。なお、一部機関車は老朽化が進んでいるため、置き換えの為に2015年より中国南車製の機関車が導入されている。
なお、蒸気機関車も在籍しているが、日本のように石炭ではなく重油や薪で走行する。現在では完全に主力からは外れており、もっぱら記念行事などでの稼働がメインである。タイ国鉄を走る蒸気機関車はすべて日本製でミカド型(D51と同じ配置)とパシフィック型(C55と同じ配置)と言われるテンダー式機関車の他にも日本でもおなじみのC56が存在している。なお、重連の際は日本の用に前向きではなく、背中あわせに連結される。なお、かつてはC58も存在しており、761~764の4両が在籍していたが、日本ではローカル線向けとして作られた機関車であってもタイ国鉄では大型に類してたため、本線に出る事が出来ず、入れ替え用途でしか使い道が存在していなかったようである。グーグルでも検索して出てくる写真は本当にごく少数で1枚程度、それも横からの写真である。除煙板がなく、タンクも薪をくべられるように改良はされているものの、動輪の形状や煙突の前にある給水温め装置などC58の特徴がよくわかる。
C56
「C56」も参照されたし。
日本でも「ポニー」の愛称でおなじみのC56は第二次世界大戦中に泰緬鉄道向けに「出征」し、戦後はタイ国鉄の主力として活躍した。現地の事情に合わせて細かい部分で改良が施されていた。また、日本製以外にも迷工場ことタイ・マッカサン工場でノックダウン生産された車両も存在する。日本仕様からタイ仕様にする当たっては以下の改造を行われた。
- 車輪を1067mmゲージから1000mmゲージへ改造
- 連結器を自動連結器からT字式連結器へ交換
- 除煙板の撤去
- 車両限界の関係上、キャブの形状を変更(機関銃を設置する説もあり)
- タンク車の柵のかさ上げや一部切り取り。
戦後は700形に改番され、カウキャッチャーの取り付けや塗装の変更、連結器の再交換などが行われた。その後、徐々にディーゼル機関車が台頭してくると、その数を減らしてきた。
そのうち、C5644は大井川鉄道に譲渡され、C5631は靖国神社に保存されている。特に靖国神社に保存されているC56は塗装こそ日本風であるが、あちこちにタイ時代の面影を色濃く残しており、当時をしのぶ事が出来る。
現在もタイ国内で動態保存車が2両(713ことC5613、715ことC5617)存在し、静態保存車もタイ国内各地に存在する。一部は日本時代の車番となっている。
ディーゼルカーについて
現地において、ディーゼルカーはรถดีเซลราง(ロットディーセラーン)と呼ばれている。絶対数で言えば客車にはかなわず、絶対数が少ないのでよほどのことがない限りは事故廃車が出ず、都度修理をしている。
エンジンは特急用・普通列車用ともにカミンズ製(NTA-855型)である。
普通列車用
普通列車用は現役車両は全て日本製であり、地域間の輸送といった比較的短距離を結ぶ運用が多いが、実態としてはバンコクからノーンカーイを結ぶような夜行長距離に使用されるケースも少なくない。
なお、近年は東北地方を中心に駅の近代化が進んでいる関係でドアステップを埋めている車両が増えている。
RHN形
現在、タイ国鉄で使用されるディーゼルカーとしては最古参であり、昭和46年に登場している。RHNの由来は鉄道車両であること&製造工場である日立製作所と日本車両製造(Railcar・Hitachi・Nipponsharyo)から来ている。
2両で1編成を組成し、エンジンを2基搭載した車両(1000番台)とエンジンなしの制御車(10番台)を基本としている。言ってみればかつて和田岬線にあったキハ35+キクハ35の如きである。車体のデザインはキハ20そっくりであるが、一部車両についてはドア配置が真ん中に著しく偏っている車両がある。これは元々、運転台直後に荷物室が設置されていた(キハニ相当)名残である。
運用は東北地方の地域輸送がメインであるが、まれにバンコクに顔を出す。またTHN形と互換性があり、これらの車両と併結して運用されることもみられる。この他、ノーンカーイより先、ラオスのタナレーン駅を結ぶ国際列車に使用される。
既に製造から50年以上経過しており、老朽化著しいのだが、ディーゼルカー自体の絶対数が少ないことなどから廃車が進んでおらず、既存車両の更新でしのいでいる状態である。更新内容としては内装以外にも骨組みを残して腐食などで劣化した外板を張り替えるといった具合に国鉄72系の全金属車のような手の込んだものとなっている。
THN形・NKF形・ATR形
RHN形の増備用として、THN形は1983年に登場している。THN形もNKF形も設計自体に大差はなく、製造工場の東急車両・日立製作所・日本車両(Tokyu・Hitachi・Nipponsharyo)/日本車両もしくは新潟鐵工・近畿車両もしくは川崎重工・富士重工(NipponsharyoあるいはNiigata・KinkisharyoあるいはKawasaki・Fujiheavyindustries)の頭文字に由来する。
車体は東急7000系とよく似たステンレス車体となっており、ドアが両開きとなっている。エンジンはJRでおなじみのDMF14系列の原型であるNTA855系となっている。全車両にエンジンが搭載されており、台車も従来のバネサスから東急電鉄の車両に採用されているエアサスのTS型台車が採用されている。
運用はタイ国鉄全管内で運用されているのだが、設計上は短距離が想定されているにもかかわらずノーンカーイ~バンコクという長距離運用にも供される。このため、長距離運用にあっては居住性に関しては非常に難ありである。
近年では運転台周りの部品確保などの面から運転台撤去されている車両が出ている他、登場から40年近いために更新工事を施工されている。
ATR形は上記車両に連結される中間車両で形式はAircondisioner・Tokyu・Railcarの頭文字が由来となる。エアコン付き2等車であり、日本では「キロ○○」に相当する車両となっている。車内はリクライニングシートとなっており、エアコンも完備されている。車両の端の一か所は発電設備があるのでその部分は機器室となっている。
キハ58系(全車引退済み)
1997年から導入が始まり、数年にわたり数十両が譲渡された。JR西日本において廃車になった車両であり、導入当初数年はエアコン付き2等車ディーゼルカーとして運用されていたが、導入の段階で既に30年近く経過した老朽車両であったことや、右側運転台のタイ国鉄ではタブレット扱いに難があったこと、タイ国鉄標準のエンジンであるカミンズではなくDMH17系であったことから故障発生が多発、メンテナンスも滞ったためにエンジンを下ろされて、客車化された。それでも特に天地方向に大きすぎたので運用できる路線に制限が出たためにこれも早々と断念。
完全な客車化を目指すも工事途中で断念した車両も発生し、残存車両はことごとく休車となり、解体される車両も発生している。
この為、現在本線上で運用されているキハ58は事業用として控車として数両残っているのみであるが、解体されたキハ58のうち、キロ28の台枠が14系の廃車発生品の台車と新造車体に発電機と組み合わされて客車の電源車としてデビューしたという噂がある。
東北地区で使用されていた
キハ40(近日登場予定)
キハ40系20両がタイ国鉄に譲渡されるとのことで、現地報道によると3両編成を組み、エアコン3等車として運用される計画となっている(なお、エアコン付きは現地では2等車から)
青と赤のツートンカラーとなるとのことで、当面はアユタヤやチャチューンサオ付近といった近郊列車に起用される模様。
特急用
特急用はイギリス製と韓国製が存在している。メインは韓国製で、イギリス製はもっぱら近距離特急を担当する。どちらも普通列車用や客車よりも長く23~24mとなっている。
1980年代中盤以降、長距離バスに加えて勃興しつつあった航空機に抗するために登場、そのシェアに大きく食い込めなかったものの、一定の成功を収めた。
ASR型
1991年に登場したASR型はイギリスBREL社製で、イギリス国鉄158形ディーゼルカーをベースにタイ国鉄向けに再設計したものである。
ASRの由来は「Aircondisioner Sprinter Railcar」と思われる。愛称は158形と同じ「スプリンター(สปรินเตอร์)」である。
オリジナルとの違いは…
上記の通りであるが、基本的な設計は踏襲しており、また登場時の塗装はイギリス国鉄のものと同一であった。
全20両が導入されたのだが、手が込んだ設計で整備性が悪く、故障が頻発したので後述のADR型にディーゼル特急のメインを譲ることになった。
ADR型
1995年に登場したこの車両は一定の成果を収めて本数増加に対応する為と高コストかつ故障頻発のASR型の代替を目的に韓国の大宇重工業にて80両が製造された。
ADR型の由来は「Aircondisioner Daewoo Railcar」と思われる。
車体はステンレス製で全長は24mと非常に大きなものとなった。床下機器類は台車含めてASR型のものと概ね同一となっている。なお、80両のうち、付随車はのちに客車改造を受けて寝台車として活動している。なお、同じ大宇製でデザインがほぼ同じ客車も存在しているが、台車に違いがある。
キハ183
JR北海道を2017年に廃車になった車両のうち、17両は陣屋町駅にて約4年近く発送待ちの状態となっていた。あまりに長い事留置状態であったので先行きが心配されたが、2021年に発送、現地に到着後にまずは4両が改造に着手となった。
2022年6月に4両(キハ183-208+キハ182-29+キハ182+22+キハ183-219)が竣工した。これらの車両は日本時代に合わせたスタイルを堅持しており、日本語表記も極力再現されているのがポイントである。主な改造点として
- 軌間を1000mmゲージに改軌
- 車両限界に合わせて運転台上の前照灯の撤去
- 鉄製の前面飾り帯の箇所に増設灯設置。当初は片側2灯であったが、著しく外見に変化が伴う為か完成時は小型の灯火片側1灯となった。
- 先頭車の前面に形式と車両番号が左右に表記された(これはタイのディーゼルカーには普遍に見られるものである)
上記の改造点はあるものの、原形を留めており、とりわけJR北海道のラベンダー色を踏襲しているのは特筆される。
現状では主に観光列車として使用されているが、評判はおおむね良好のようだ。
客車
タイの旅客列車のメインは客車であるが、製造から大分年月を経過してるものも多く、老朽化や陳腐化が見え隠れする。20mが多く、またイギリスの影響を受けてか、車両妻面は多くの車両で黄色い警戒塗装となっている。車両限界は日本と比べて高さが低く、日本からの譲渡車両と比べるとその差が際立つ。メインは日本製の旧型客車そっくりのものや10系客車ベースのものであるが、近年は日本製に加えて現代製・大宇製といった韓国勢の車両が多い。なお、タイ国内製も存在する。旧来からの客車の置き換えの為に20年ぶりぐらいに中国製ではあるが新車による客車導入が始まっている。
また、タイ国鉄所有ではないがオリエント急行に使用される車両も譲渡車である。この車両は元々、ニュージーランド国鉄が運用していた寝台列車のシルバースター(Silver Star)型客車であり、日本製である。戦前製の老朽化の進んでいた旧型客車置き換えの為に1971年に導入された客車であり1979年まで寝台列車として使用されたが、航空機との競合に敗れた事やおそらく断熱材にアスベストが使用されていた事から運用に組合が反発した結果、10年程度休車となった。その後に1990年にオリエント・エクスプレス・ホテルズ社に譲渡され、オリエント急行用に改造された。同じ形でディーゼル車のシルバーファーン用の車両が使われている説も一時流れた。現在、タイ国内の他にもマレーシアやシンガポールを走っているが、2014年7月に脱線をしてしまった。これまで細かい脱線は下の動画にもあるようにあるにはあったが、数両程度はかなり傾いてしまっている。幸いに乗客に死者は出なかった。
オーストラリア製客車
1995年にオーストラリア・クイーンズランド鉄道よりSX型客車を購入し近郊列車へ投入した。1961年にバッド社のライセンスを得てコモンウェルス社が製造した客車であり、当時のクイーンズランド鉄道が電化された際に電車への転用を容易にする為の改造があらかじめ施されていた。計画自体はかなり時代が下ってからになった為、電車化されることなく1990年代まで活躍した。入線に際しては日本と同じ狭軌をメーターゲージへ変更した上で、車端部に新規の手動のドアを設置。従前のドアは高さが合わない為に固定化された。また、車掌台のあった部分は窓がステンレスで塞がれた。近年はシートが交換されてプラスチック製となった。また、塗装が湘南色に似たものとなった。
12系客車
2000年に12系がキハ58に続いて導入された。当初はエアコン付2等車で使用されていたが、キハ58と同じように車両限界が大きかった事やエアコン不調の為に近郊列車に供された上にエアコンなし3等車へ格下げとなった。その後、ブルートレイン24系導入に際して、移設の為に発電機が外されている。近年は一部の車両がジョイフルトレインへの改造や車椅子用車両として再改造を施されている。その際に冷房がタイ国内製の物に交換されて再び冷房車となったものが存在する。
中国製客車
ステンレス車体で雑多な車両が組み合わさったこれまでのタイ国鉄の車両とは一線を画す統一された編成となっている。全長も比較的直線の多い路線柄、24mと大型の車体となっている。
14系・24系客車
14系・24系客車は2004年と2008年にJR西日本、2016年にJR北海道からそれぞれ譲渡された。
ブルートレイン
我々にとってもっとも親しみのある譲渡車による列車と言えば、ブルートレインがそのまま走っている事である。JR西日本より寝台特急廃止時に余剰となった24系・14系客車が2004年と2008年に譲渡され、現地でも「ブルートレイン」で通じる程である(もしくは「JR-WEST」)
なお、当初は本当にブルートレインそのままの塗装であったが、最近では紫色に変更されている。紫と言う色は高貴な色と言う意味もある。そこ、「やくも」とか言わない。
当初は14系座席車も使用されていたが、あまり稼働率が高くなく用途に困ったタイ国鉄がジョイフルトレインへの改造の種車に供された。
なお、近年12系より発電機を移設する工事が行われた。言ってみればスハネフ14系100番台をタイで行ったようなものであるが、日本ではあさかぜ用として在籍していたオハネフ25形300番台に発電機が取り付けられ、前面に排気管が取り付けられている。同じ改造は他の24系にも施されている。
なお、2度ほど大きな事故にあっており、一度目は入れ替え中に他の客車に衝突、連結面が滅茶苦茶となった。二度目は脱線・転覆し、車両が大破した。
老朽化が進んでチェンマイ方面の定期列車は中国製の新型車に置き換わったが、臨時や増結には今でもブルートレインが併結されており、またこの際に国鉄急行色に似た塗装に変更されている。
はまなす編成
2016年に北海道新幹線開業に伴って廃止となったはまなす用の14系座席車10両が譲渡されることとなった。タイに到着当初はその用途に思いあぐねていた節も見られたが、2023年から改造が始まり、「ROYAL BLOSSOM」というジョイフルトレインとしてデビューした。塗装変更と内装を改造したほか…
発電機が撤去されたので電源車の連結が必須となっている。なお、現地の鉄道ファンからは同じ14系であってもJR西日本からのものとははっきり区別されているようであだ名は「HAMANASU」となっている。
迷工場で行こう
ニコニコ的にちょっと注目したいのはタイ国鉄車両の整備・改造を行うのがこのマッカサン車両工場である。バンコク中心部よりやや東にに位置するラチャティーウィー区に存在するタイ国鉄最大の車両工場で、タイに上陸したブルートレインや12系、キハ58もここで現地仕様化の改造を受けた。過去には10系ベースの客車やC56のノックダウン製造していた事もあり、タイの苗穂工場ともいえる驚異の技術力に定評がある。
名物路線
タイの名物路線と言えば、ナニコレ珍百景などのテレビでたびたび取り上げられているメークローン線が有名であろう。ここでは便宜上、ウォンウィエンヤイ駅からマハーチャイ駅をマハーチャイ線、バーンレーム駅からメークローン駅をメークローン線と表記する(本来はこの2路線合わせてメークローン線と言う)
一般的には「市場の中を走る列車」で知られるが、マハーチャイ線・メークローン線は他のタイ国鉄の路線とは隔絶されており、フワランポーン駅から直接はいけない。これは元々は私鉄であり、そもそもの成り立ちが異なっていた為である。また、かつては一部区間では電化もされていた。整備もマハーチャイ線部分では終点マハーチャイ駅構内に車両工場があるが、メークローン線の場合、整備工場は存在せず、バーンレーム駅に列車1両をジャッキアップできる程度の機械があるのみである。また、マハーチャイ線は交換施設が存在するが、メークローン線は交換設備が存在しないので1路線に1編成しか物理的に走行できない。かつては交換施設が存在し、バーンレーム駅も現在は線路が1本だけであるが複数編成おけるスペースが存在したと思われる錆ついた線路が存在する。なお、どちらにもATSはないので係員の手旗まかせである。
行き方としてはバンコク中心部からの場合、BTSシーロム線に乗って、ウォンウィエンヤイ駅で降り、徒歩15分程度歩いて国鉄ウォンウィエンヤイ駅に向かう。そこからマハーチャイ線で終点マハーチャイ駅までの10バーツの切符を買って、終点のマハーチャイ駅で降りる。この駅は駅構内が市場となっており、メークローン駅ほどでないにしろ、なかなか非現実的な光景である。ここまでは1時間に1本~2本と割合本数があったり、バンコクまでの路線バスがあるので行きやすいが、この先が問題である。
駅を降りて5分ほど右へ歩くと、バスターミナルと共に船着場があるのでそこから3バーツの渡し舟に乗って対岸へ行くと、市場の中に出るのでそこを抜け切って、また右へひたすら行って学校を通りすごした後にバーンレーム駅が見える。大体15分ほどである。ここは1日4本しか走っておらず、メークローン方面への最終は16:40発である。1本のり過ごすと3時間待ちになってしまうのである。なお、とても駅とは思えないほどに周りと溶け込んでいるので、場所を見落とさないようにするのが重要である。10バーツの運賃を払い、1時間ほどでメークローン駅に到着する。途中、湿地帯を走るので草ぼうぼうの中を走るが、風景の変化があまり大きくないのでかなり単調な風景である。駅構内進入直前、市場を走る列車はそれだけでも非常に興味深いものであるが、駅から降りて出発する場面を見るのもまた一興である。
このように行くも帰るも非常に難儀するわけであるが、手っ取り早くいける方法もある。もし、メークローン市場だけを狙い撃ちするのであれば、モーチット2にあるミニバスターミナルからロットゥーというワゴンバスでメークローン行きに乗れば、1時間ちょっとで現地に行く事ができる。
なお、メークロン線は車両数が限られているので、車両点検をする為に全線運休になっている事もある。前述した通り、バーンレーム駅構内にジャッキアップの機械がある為、線をふさいでしまう事になる為でもある。
キハ58の墓場
日本の鉄道ファンとしては一つおさえておいた方がいい路線がある。東本線のサッタヒープ支線である。こちらは平日のみ1日1往復という乗り鉄泣かせの路線であるが、それだけではなく終点のバーン・プルータールワン駅にはキハ58が多数留置されているところである。キハ58は客車化に際して完全に運転台機器を撤去したが、おそらく営業運転に供されることなく改造が途中で中断され、改造途中の車体のみが留置されているのである。車体だけではなく、取り外した部品が周囲に転がっている。なお、筆者が訪れた際にはアスベストと思われる物体があったので、その周囲の部品にはむやみに触らない方がよろしいかと思われる。
乗車に当たってはフワランポーン駅を早朝6:55に出るので、朝に強くないと少々しんどいかもしれない。なお、終点までは約4時間半なので水などをもっておくといいだろう。バーンプルータールワン駅発は13時頃であり、フワランポーン戻りは18時ごろとまるまる1日を要する。これまた手軽に行くにはロットゥーという手もあるが、行き帰りでかわるがわる風景を見ながら行くのも旅の醍醐味であろう。というかバーン・プルタールワン駅からバンコクに帰る際はロットゥー乗り場が駅の近くになく、また観光客もほとんど訪れないような所なので、ロットゥーを使う場合は念入りに最新の情報を収集することを強くお勧めする。
なお、ネット上には東北本線のケンコーイ駅付近にも廃車同然のキハ58の写真があげられており、こちらもキハ58の墓場と言えるかもしれない。
貨物輸送
貨物輸送も例にもれず、自動車に押されてシェアは2割程度となっている。近年は天然ガスの価格※が低くなっていることからトラックの燃転が進み、貨物トラックの輸送コストが相対的に下がってさらに鉄道輸送は苦境となっている。
とはいえ、大量・高速輸送ができるメリットは大きく、また短絡線を使って東北地方から輻輳の多いバンコク周辺を回ることなくタイ最大の港であるレムチャバン港へ直接向かう事が出来る事や、港自体に直結している路線が多いのでタイ国鉄は貨物輸送に近年力を入れている。今後も複線化を推し進めるなど、貨物には攻めの姿勢となっている。
※参考までに2012年6月6日現在、ガソリンがリッター約40バーツ(日本円で大体120円)に対して、ディーゼルがリッター約29バーツ(日本円で大体90円)、天然ガスはリッター換算で約10バーツ(日本円で30円)
現状と問題点
タイ国内では飛行機と長距離バスとの競合が激しいが、結果はお話にならないとは言いすぎにしても、大変に厳しいものである。
飛行機と比べた場合、価格では勝るものの定時性の面や長距離移動ゆえ所要時間がネックとなっている。バスと比べた場合、時間的に差がなくとも運行本数もさることながら、価格やサービス面で不利となっている。
しかし、低所得者層や地方からの出稼ぎ労働者にとっては一番安価な移動手段(バンコク~チェンマイで鉄道の最安値は221バーツ、バスが600~800バーツ、飛行機の最安値がだいたい1700バーツ)の為、貴重な足となっている。なお、3等車に限ってはタイ国民は一部列車の運賃が無料の政策がかつて採られていた。
前述した通り、他の交通機関と比べてもデメリットが目立ち、メリットと言えば価格の安さなので設備投資が難しいのが正直なところである。さらに前述した運賃無料の政策も重くのしかかっている。無論、値上げの動きはあるのだが、利用者の反発が大きいので立ち消えとなっている。
目視レベルで歪みが見える心もとないヘナヘナの線路に老朽化著しい車両と壊れやすい座席、ATS未設置など日本の基準から比べたらお粗末と言わざるを得ないのが正直なところである。ちなみにマハーチャイ線・メークロン線は信号さえない。また、たびたび脱線が発生しており、中に横転や乗務員の殉職を伴うものもあったりで車両の事故廃車もたびたび発生している。
近郊列車にしても並行するバスの本数が多い事や旧態依然とした長距離主体のダイヤなどから、今ひとつ移動手段の主力になりえないのが正直なところである。さらに現在の基準からみればおおよそ非効率的な人員体系や労働組合によるストライキの頻発など、高コスト体質になっている。無論、民営化の話は何度も出ているが、大体立ち消えの状況である。
利用者が選挙の票田となる地方出身者や低所得者層が多い事から、度々政争の具に使われる。かつての3等車の無料運賃制度もまさにそうである。
エアポートレールリンク
バンコクの玄関口であるスワンナプーム国際空港からバンコク中心街のパヤータイ駅までを結ぶこの路線はタイ国鉄の管轄であるが、直轄ではなく傘下の組織が運営を行っている。日本でいえば第二種鉄道事業者・第三種鉄道事業者のような関係である。ほぼ全線をタイ国鉄の東本線と並走しており、その扱いも東本線の一部(日本で言う所の複々線扱い)というものである。
急行(SA Express)と普通(SA City Line)の2種類の種別があり、急行はマッカサン駅・パヤータイ駅発着があり、各々終点までノンストップで運転となる。料金は共に150バーツである。普通はパヤ―タイ駅までを結び、15バーツから1駅ごとに5バーツ加算され、終点までは45バーツである。乗車券はバンコク・メトロと同じくトークン式であり、距離に応じて購入する。また急行は紙製も存在する。改札に入る際はタッチして、出場する場合はトークンを改札に投入する。改札は急行と普通とで分かれている為、普通のホームから急行のホームに行く事もその逆も出来ない。
途中駅に退避線があるので、各駅停車は後続の急行列車の通過待ちをする事が出来る。マッカサン駅にはチェックインカウンターを備えたシティ・ターミナル的な設備が存在している。また、地下鉄と乗り換えが出来るが、若干歩く。終点のパヤ―タイ駅ではBTSとの乗り換えが可能となっている。
路線は1435mmの標準軌で交流25000Vとなっている。車両はドイツシーメンス社製の汎用車両「デジロ」が採用されている。車体の色で種別が分けられ、赤が急行で青が普通である。車内も差別化されており、急行用はクロスシートに荷物おきが設置されているが、普通用はロングシートである。急行は4両編成で組成されているが、スワンナプーム空港方の1両は荷物車になっている。普通列車は3両編成である。急行は最高時速は160km/hであり、スワンナプーム空港からパヤ―タイ駅まで20分もかからずに到着できる。
BTSのような高架鉄道であり、渋滞と無縁であること、エアコン付きの車両である事や全線にわたってバンコク都市圏内である事から各駅停車を中心に利用者が増えており、沿線も住宅が増えてきている。このため、急行列車の需要が少なくなったので急行運行は廃止となった。
都市鉄道
タイ国鉄はかねてよりホープウェル計画に代表されるように鉄道の近代化を計画をしていたのだが、政府の内情やアジア通貨危機の影響で遅々として進まず、旧態依然とした鉄道運営を強いられていた。その中でも計画はゆっくりながらも進行していき、マスタープランを立案ののちに2021年にダークレッドラインを開業するに至った。
大きな特徴は先に開業したダークレッドライン(ランシット~クルンテープ・アピワット)について、日本企業が多く関わっている点である。車両も東武50000系で採用されているA-Trainを採用している。
これを足掛かりにバンコク近郊の都市圏を結ぶ鉄道路線の拡充が計画されている。
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
- 6
- 0pt