ジェイソン・モーガンとは、アメリカの歴史学者であり、日本史の研究者。
概要
アメリカ合衆国の歴史学者で、主に日本史を研究している。日本に留学したことがきっかけで、母国で教わっていた日本は悪の侵略国だという歴史が偽りであったことを知り、反日・反米に凝り固まったリベラリストたちが牛耳っているアメリカ歴史学会に公然と反旗を翻した。
それがきっかけでアメリカの歴史研究界から追放され、そのため現在は日本の大学で外国語学部助教授として教鞭をとりながら研究を続けており、アメリカのリベラル派が母国や日本に及ぼしている悪影響を世間に伝える活動に従事している。
経歴
生い立ち
1977年。アメリカ南部のルイジアナ州ニューオリンズ出身。父方の先祖はモーガンという姓からイギリスのウェールズから移り住んだ一族と本人は推測しており、父方の曾祖母はフランスからの移民で、母方の祖父はアメリカ生まれだが彼の両親や兄はスペイン生まれで、祖父はドイツ系女性と結婚しており、典型的な移民の一族としている。総じてローマ・カトリックの信者であり、彼も同様である。
高校卒業後にテネシー大学のチャタヌーガ校に進学し、様々な専攻を試したが落ち着かず、ちょうどその頃に日本語の授業のポスターを目にして受講を決め、日本語の先生の教え方が良かったことと、授業で親しくなった日本人留学生の家にホームステイさせてもらうなど、幸運にも恵まれて上達していったという。彼曰く、アメリカで歴史を教える教授たちはことごとく反日主義者で、教えられる学生たちもそれを信じ込んでおり、そうしてリベラル派になることが一番楽な道で、ジェイソン博士も当時はそんな多くのアメリカ人と同じくリベラルな思想を持っていた。
リベラル派への欺瞞
しかし、1998年のモニカ・ルインスキーとクリントン大統領のスキャンダル事件をきっかけにリベラル派に欺瞞を抱くようになり、2001年に名古屋外国語大学に留学し、留学プログラムを終えて名古屋大学で研究生として生活を始めた際に、中国系アメリカ人のアイリス・チャンが書いた『ザ・レイプ・オブ・南京』を読み、同書への様々な批評をいくつか読むにつれて、かつて元海兵の祖父が語っていた日本人像や、近所に住んでいて親しかった夫婦の日本人女性の奥さんから受けた日本のイメージ、そして日本に来て日本人と毎日接して感じていた“日本人らしさ”からあまりにもかけ離れていることから、「何かおかしい」と感じ始める。
これがきっかけとなり、帰国後に専攻を歴史に変え、アジアに関する歴史の授業を全て制覇。そうして新たな視点で歴史を学び始めた彼に見えてきたのは、アメリカ歴史学会の異常さであり、教授の殆どが「反日」「反米」で、歴史学会に参加している者の大半が母国であるはずのアメリカを嫌い、アメリカが弱体化するほど喜ぶ一方、第二次大戦でアメリカが日本に対して大型爆弾や核を投下し無差別大量殺戮したことは賞賛するという矛盾した歴史観もち、それに異説を唱えようとすると学会でのポジションを奪われ、大学で教えることも不可能にされてしまうなど徹底的に排除されてしまうという現状であった。
米歴史学会への反発
その後、中国留学やハワイ大学大学院を経て、「学会では真実を学ぶのが無理だ」と悟り、卒業後は韓国の静かな村で言語を教えながら独学で日本史を勉強し、日本留学時の感覚を思い出して日本に戻ることを決意、翻訳会社で働きながら研究を続け、法律資料を翻訳したのがきっかけで東京裁判(極東国際軍事裁判)ついて調べはじめ、日本の無罪を訴えたラダ・ビノード・パール判事の陳述書を読み、「彼の語る論旨は過激でもクレイジーでもない。むしろ西欧の法概念や知識に基づいた正しい判断なのではないかと」感じたという。
2014年、産経新聞がロサンゼルス市やその近郊の公立高校で使用されている歴史教科書に「旧日本軍が慰安婦を強制連行したとする史実と異なる記述がある」と報じたことで、外務省が調査したところ慰安婦と日本海呼称の問題で重大な事実誤認や、日本側の立場と相容れない記述が見つかり、是正を申し入れたが、アメリカの歴史学会や教科書の執筆者がこれに反発し、日本側の歴史家有志との論争に発展。
その際に当時ウィスコンシン大学博士課程であったジェイソン博士は、纏め上げた自分の考えをアメリカ歴史学会の一人で長年慰安婦問題で日本を糾弾してきたコネティカット大学教授のアレクシス・ダデン女史が代表を務める学会の機関紙に投稿し、他のサイトにも発表。その内容は、学会側の証拠不十分な点や偏った視点・主張、横暴を具体的な根拠に基づいて批判したものであり、反日を基調とするアメリカの歴史学会に反論したのである。以降、彼は学会から異端のレッテルを貼られ、アメリカ国内における就職が妨げられることとなった。
日本で活動再開
そこで再び日本へ戻り翻訳や講演活動に従事し、フルブライト・プログラムで早稲田大学法務研究科で研究を続け、2015年4月に一般社団法人『日本戦略研究フォーラム』の定例シンポジウム「『歴史戦』をどう闘うか」に登壇し、「ナチス・ドイツと日本帝国は同類か -東京裁判史観が偏向する所似-」と題し日本語で講演を行い、欧米社会で定説となっている偏向した歴史認識について糺した。
翌年にはウイスコンシン大学で博士号を取得し、日本戦略研究フォーラムの研究員を経て、2017年4月から麗澤大学の助教授を務めながら研究と講演を続けている。近年は作家としても活動をはじめており、2016年にワニブックス(PLUS新書)から出版した『アメリカはなぜ日本を見下すのか? -間違いだらけの「対日歴史観」を正す-』がヒットし、2018年に続編の『リベラルに支配されたアメリカの末路 -日本人愛国者への警告-』が出版されシリーズ化された。
日本観
彼が日本に関心を持ったきっかけは、父方の祖父から聞かされていた話であり、祖父は第二次大戦においてアメリカ海軍の志願兵で、空母プリンストンとボノム・リシャールに乗って日本軍と戦い、終戦後は1年ほど日本に滞在した経験あるという。彼の書斎には歴史の本がズラリと並んでいて、その祖父から
日本兵の戦いぶりを目の当たりにしたが、劣勢に追い込まれ、もはや勝つ見込みが無いにも関わらず、絶対に諦めずに立ち向かい続ける姿に称賛の念を覚えた。もし自分が日本の側だったなら、やはり同じように戦っていた。
という話をよく聞かされ、同時に祖父は
と固く信じていたという。
また、「日本は普通の国ではない。特別な国だ」とも語り、戦争が終わり日本に上陸することになった際、あれだけ激しく戦った相手であるから待ち伏せして米兵を狙ってくるのではと警戒していたが、横須賀に上陸すると日本の人々は思いやりで歓迎してくれたことを話し、
もし逆の立場だったら、果たして自分たちにそんなことができただろうか。そんなことはあり得ない。
と語っていたという。 また、通っていた学校では世界恐慌からアメリカを救い、戦争を勝利に導いたヒーローと教えられていた、当時の合衆国大統領であるフランクリン・ルーズベルトを許せない存在だとして
と語り、そもそも世界恐慌が10年も続いたのは、ルーズベルトがその責任を前大統領であるハーバート・フーヴァーに押し付け、アメリカを社会主義国家にするため首都ワシントンを赤化させようと画策したのが原因で、それにより伝統的なアメリカが崩壊していったと主張していたという。この祖父から聞かされた日本観や戦後のアメリカの歪みについての話は、後の彼に大きな影響を与えた。
評価
歴史学者としてはまだ若いが、優れた新鋭の学者としてケント・ギルバート氏やヘンリー・S・ストークス氏などの日本をよく知る親日・知日家の著名人たちからも高く評価されている。
J・モーガン氏は、「歴史捏造」と「反日プロパガンダ」のアメリカ歴史学会に公然と反旗を翻した。私は彼の勇気に心から拍手を送りたい。
私は待ちに待っていた。ついに米国人の「正しい歴史認識を持つ歴史学者」が現れた!彼の主張を全面的に支持する。日本は胸を張って「憲法改正」にむかうべきである。
※ジェイソン・モーガン著『日本国憲法は日本人の恥である』(悟空出版)より
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関連項目
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