上級国民(じょうきゅうこくみん)とは
一般国民と対をなす、日本国民の身分を表す概念のひとつである。
概要
上級国民という言葉は、一般国民に対してそれ以外の(特別な)国民がいるかのような発言を受けて、それを皮肉るために生まれた単語(ネットスラング)である。東京オリンピックエンブレム騒動を発端とし、主に2ちゃんねるの嫌儲板を中心として発祥した。
広義・一般に特権階級[1]と呼ばれる場合もあり、単純に極悪人として描かれる場合も多い。
当初は(デザインに精通している)専門家側の上から目線の言葉を皮肉るために用いられたが、その後は上級国民という言葉の連想から、政治家や役人、資産家などのセレブリティ層を批判的な意味合いにて指し示すようにも用いられるようになった。
さすがに「特権階級の人は何をやっても無罪ですよ」…なんて法律はないものの、多額の献金などで自分たちが有利になるよう法律を変えてしまう「レントシーキング」(項目参照)は実在する。法律を変えれば「合法」なため、卑怯な搾取も堂々と行う事が可能、というわけである。(多重下請けや派遣元など、ピンハネ中抜きだけでも相当額になる)報酬の一種として多額の報酬と退職金の待つ天下りも行う。
もちろん歳費(給与)含め毎年約4000万円以上貰っているが、黒塗りの高級車の送迎付き、涼しい部屋で居眠りとヤジ、税金の無駄遣いばっかりで(自分の利益や票にならない事は)仕事しない人は実在する。(→国会議員)
日本では「政治とお金の話をするのは恥ずかしいこと」とされているのは
そういった人達が注目されては困るから…なのかもしれない。(皆様の判断にお任せします)
実際に単語が生まれ、広まった詳しい経緯については以下の項目を参照。
2015年に広まった経緯
この言葉は2015年9月1日以後にネット上で急速に広まった言葉であり、それ以前の使用例は非常に少ない。この項では、広まった経緯について解説する。
まず、背景としては2020年東京オリンピックエンブレムに関する騒動がある。2015年7月、多数の応募作品の中からデザイナーの佐野研二郎によるエンブレム案が採用されることが発表された。しかしその後このエンブレム案について、海外の劇場ロゴで先行する類似したデザインが使用されていたことが判明し、盗用ではないのかという疑惑が持ち上がった。
その騒動の中で、佐野(あるいは氏の事務所の他のデザイナー)による過去のデザイン等について、他者の写真や作品からの無断流用・トレースがあったことが判明し、佐野もそれを認めた。その影響から、佐野がこのエンブレム案でも無断流用をしたのではないかと疑う人々が増え、佐野やこのエンブレム案を採用した五輪組織委員会への批判・バッシングも激しくなっていた。
ただし五輪エンブレム案自体については、佐野は盗用を否定していた。そのため佐野のエンブレム案がそのまま使用されていく可能性も残されており、使用を継続するのか、あるいは中止するのか、五輪組織委員会の判断に注目が集まっていた。
そんな中、2015年9月1日に五輪組織委員会はこのエンブレム案の採用を中止することを決定し、その件について記者会見を開いた。その会見では五輪組織委員会の事務総長の武藤敏郎がこの判断に至るまでの経緯の説明を行ったが、その中で、(エンブレム応募作品の審査にあたった審査委員長の永井一正の意見を紹介する、という形で)「一般の国民の方々」「一般国民」という言葉が使用されていた。この言葉が使用されるまでの文脈を示す意味で、やや長くなるがその言葉を含む発言内容を引用する。
(「佐野氏は模倣を否定しており、エンブレムは自分のオリジナルであると主張している」という内容を伝えた後に)
永井審査委員長はですね、私はこれについて、「どういう風にお考えになりますか?」と伺ったところ、
『デザイン界の理解としてはですね、そのように佐野さんの9分割されたデザインの基本、それはピリオドとは全く違うものであるので、違うものと十分認識できるものであって、佐野さんの言う通り、これは佐野さんのオリジナルなものとして認識されると、自分は思います』
と。
『デザイン界としては、そういう理解であります』
と、ということでありましたが、同時にですね、
『ここまで色々な形で問題となった時に、一般の国民の方々が、今のような説明で本当に納得されるかどうかということについては、現状、問題があるかもしれません』
と。これは永井さん自身のお話でありました。
『残念ながら、自分のこのような説明、それから佐野さんの説明は、専門家の間では十分分かり合えるんだけれども、一般国民にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね』
という話が、ありました。(ニュースサイト「THE PAGE」によってYoutubeに投稿された動画「東京五輪エンブレム問題で組織委員会が会見」より、武藤敏郎事務総長の発言内容を一部抜粋して書き下し。言いよどみ、繰り返しは省いた。)
以上のようにこの発言の文脈では、「一般の国民」「一般国民」と対比されていたのは、「デザイン界」「(永井一正審査委員長のような、デザインの)専門家」であったことがわかる。即ちこの会見において、「一般国民」とは「デザイナーではない人たち」「デザインの専門家ではない人たち」、つまり「非専門家」という意味合いであった。
逆に言えば、本来の意味ではどれだけの金持ちだろうが権力者だろうが、デザインに精通していなければ「一般国民」に含まれるとも言えるだろう。
この会見の後、インターネット掲示板「2ちゃんねる」のニューススレッドやインターネット上のまとめサイトの中には、この「一般国民」と言う表現を「上から目線」であるといった論調で批判的に要約して伝えたものが多数あった。その中では「一般国民」の対比として「上級国民」という表現が使用されていた。その結果、本記事のタイトル「上級国民」という言葉がネット上で急速に広まったのである。
なおこの言葉が広まるにつれて、「一般国民」が「デザインの専門家」と対比させた「非専門家」を指す表現であったという元々の意味合いについては割と薄まってしまったようで、「上級国民」という言葉は「デザイナー」「専門家」ではなく、「特権階級」「上流階級」を指して使われることも多いようだ(ただし本来の成り立ちからすれば厳密には誤用である)。
2019年に広まった経緯
新元号令和まで残すところ約10日余りとなった、2019年4月19日正午過ぎ、東京池袋にて87歳の高齢ドライバーが運転する乗用車が暴走。87歳の運転手含む10人が怪我、2人の母子が死亡する惨事となった。
事故を起こした運転手が元高級官僚であったことが判明し、凄惨な事故のわりに逮捕されなかったこと、事故に対するマスコミの報道のありかたなどが問題になり、この事件を機にネット上では「上級国民」の言葉が再び広まることになる。
詳細については個別記事「池袋高齢者ドライバー暴走事故」「飯塚幸三」の記事を参照。
2019年4月以降、ウィキペディアにおいては「上級国民」の項目は消され、新規には作成できない状態になっている。[2]また、アンサイクロペディアの「上級国民」の記事(外部リンク)もやるきがなさげである。
では逆に上級国民が被害者になると?
1979年、当時はそのような言葉はないもののある地元の名士の病院長が強盗殺人事件の被害者となったが、1988年4月15日に加害者両名に死刑判決が確定するという異例の判決が下った。これ以降も集団による残虐な殺人事件はいくつか起きているが、加害者2名以上に死刑判決が確定した事例は2022年現在までなく、忖度があったのではと勘ぐってしまう。
上級国民と見なされる人々
メディアへの露出が多い人を中心に、以下の人物・団体が上級国民と見なされる場合が多い。
等 |
その他、親の七光りで恩恵を受ける家族・関係者等も含む。(→世襲議員家の一覧)
逆にあまり放送はされないが、特定の身分・民族・出身・関係者になりすますことで企業や行政等に不当なクレームや物品購入、利益誘導を要求する悪い意味で鋼メンタルな連中もいる。大抵は本人か後ろに上記の連中がいるため表立って報道・批判されない。
金持ち=全員上級国民ではないものの、多額の献金をしていたり天下りを受け入れている大企業・組織団体など、各種問題追及や報道が無いor甘い、その企業に有利な法律になっている[3]といった理由から同様の批判を受ける場合もある。
関連動画
関連項目
脚注
- *特権階級は上級国民とは異なり、辞書に記載されている場合もある。(2023年12月現在)
- *「上級国民」というスラングがWikipediaから消されてしまうと話題に 2019.4.24
- *前述のレントシーキングがまさにこれ。
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