武藤嘉紀(Yoshinori Muto, 1992年7月15日 - )とは、日本のサッカー選手である。
J1リーグのヴィッセル神戸所属。元サッカー日本代表。
概要
東京都世田谷区出身。50m5.9秒という俊足を武器としたドリブル突破と決定力が持ち味のFWであり、足元の技術力に加えてフィジカルの強さを兼ね備えている。1992年生まれのいわゆる「プラチナ世代」の一人であり、同い年の宇佐美貴史とはライバルとして何かと比較されてきた。
FC東京のアカデミーを経て慶応義塾大学に一般入試で入学した「文武両道」のプレイヤー。在学中にFC東京とプロ契約を交わし、プロ1年目で13得点をマークするなど華やかなデビューを飾る。2015年にはブンデスリーガの1.FSVマインツに移籍。怪我に苦しんだこともあったが、2017-18シーズンには公式戦二桁得点を記録するなど活躍。その後、プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドやラ・リーガのSDエイバルでプレーするが、出場機会に恵まれなかった。
2021年よりヴィッセル神戸に移籍すると、大迫勇也と共に攻撃陣の柱として活躍。2023年のJ1リーグ優勝に貢献し、リーグ連覇を果たした2024年にはJリーグ最優秀選手賞に選ばれている。
日本代表にはハビエル・アギーレ監督時代の2014年にデビューするが、怪我の影響もあって思ったような活躍はできず。2018 FIFAワールドカップのメンバーにも選出されたが、目立った活躍は見せられなかった。
経歴
生い立ち
1992年7月15日、姉二人、弟二人の5人姉弟の真ん中として誕生。3歳でバディスポーツ幼児園に入園後、4歳でバディサッカークラブに入部し、本格的にサッカーを始める。小学校の6年間は同クラブで活躍し、6年生の時にはキャプテンを務める。また、小学校4年時よりFC東京のスクールへも通い、2005年に中学校進学時からFC東京U-15に在籍。2007年のU-15高円宮杯で全国大会得点ランキング2位に輝いている。
2008年よりU-18に昇格。この時期にはサイドバックとしてプレーした経験もあるが、3年生になると攻撃的MFとしてプレー。トップチームに2種登録されるほど期待され、トップチーム昇格の打診も受けていたが、「今、プロの世界に飛び込んでもやっていけない」という判断のもと、大学進学を選択。
2011年に慶應義塾大学経済学部へ入学。関東大学1部リーグでのプレーし、1年生の頃から7試合6ゴールとゴールを量産するも、左膝半月板損傷の重傷を負っている。2012年にFC東京の特別指定選手に選ばれており、2013年7月にはJリーグデビューを果たした。
FC東京
2013年12月に大学在学中ながらもFC東京とプロ契約を結び、2014シーズンの開幕戦ではスタメンに選ばれる。以降も活躍が続き、2トップの一角や左ウイングでプレー。プロ1年目ながらも33試合13得点を記録。Jリーグベストイレブンにも選出された。プロ1年目でのベストイレブン選出は新人では小野伸二、中澤佑二に次いで15年ぶり史上3人目の快挙だった。
海外移籍を希望しながらもクラブから慰留され、2015年もFC東京に残留。開幕戦から得点を重ね、3月度の月間MVPを受賞。J1第15節の松本山雅FC戦で同シーズン通算10得点目を決め、デビューから2年連続での二桁得点は城彰二以来となるJリーグ史上2人目の快挙を成し遂げる。
マインツ
2015年5月30日、ドイツ・ブンデスリーガの1.FSVマインツ05への移籍が決定。同年にマインツからレスターへ移籍した岡崎慎司の後釜としての加入となった。与えられたポジションも岡崎が務めていた1トップとなり、第3節ハノーファー戦では移籍後初ゴールを含む2得点1アシストを記録。この活躍で1トップの定位置を掴むと、第11節アウクスブルク戦で自身プロになって初のハットトリックを達成。スピードと前線からの献身的な守備でチームでの信頼を得るが、2016年2月6日の第20節ハノーファー戦で右膝外側側副靱帯を部分断裂し離脱。3月下旬に練習に復帰するも、練習中に別箇所の右膝同靭帯を損傷し、そのままシーズン終了となる。
2016-17シーズンは開幕戦のボルシア・ドルトムント戦で途中出場ながらもゴールを決め、復活をアピール。しかし、このシーズンも怪我に泣かされることになり、19試合5得点にとどまる。
2017-18シーズンは、これまでのような大きな怪我は無く、コンスタントに活躍。前線の柱として信頼を得る。この年のマインツは残留争いに巻き込まれ、厳しい戦いが続いていたが、武藤はチームトップとなるリーグ戦8ゴールをマーク。公式戦全体では二桁得点に到達しており、5月5日の第33節ボルシア・ドルトムント戦では残留を決める得点を決めて勝利に貢献。チームにとって救世主となる。
ニューカッスル
2018年7月27日、イングランド・プレミアリーグに所属するニューカッスル・ユナイテッドへの完全移籍が発表される。トッテナム・ホットスパーFCとの開幕戦で途中出場してリーグデビューを飾ると、10月6日のマンチェスター・ユナイテッド戦での初ゴールを境にスタメンの座を掴み取る。しかし、11月3日の試合で左足のふくらはぎを負傷。1ヵ月間の離脱ののち、復帰してからしばらくはベンチが続き、さらに2019年1月にAFCアジアカップ参加のためチームを離脱したことで居場所がなくなってしまう。結局プレミアリーグ1年目は17試合1得点と不本意な成績に終わる。
2019-20シーズンは新監督のスティーブ・ブルースから開幕前に構想外であることを伝えられ、チームから干された状態となる。冬に移籍を希望するも、FWに怪我人が出たことで残留。しかし、結局はほんとど出番は与えられずリーグ戦は8試合のみの出場、カラバオカップでの1ゴールのみに終わる。
エイバル
2020-21シーズンも構想外の状態は変わらず、2020年9月16日にスペイン ラ・リーガ所属のSDエイバルに1年間の期限付きで移籍。乾貴士とチームメイトになる。第11節のレアル・ベティス戦でラ・リーガ初ゴールを決めブンデスリーガ、プレミアリーグ、ラ・リーガのヨーロッパ3リーグでゴールを奪った初の日本人になる。しかし、チーム事情もあってサイドやトップ下などで起用され、ポジションが固定されず、自分の長所が出せないまま出場機会が減ってしまう。シーズン終盤は負傷のため試合に出場できないことも多く、最終的にチームは最下位に沈みセグンダ・ディビシオン降格が決定。2021年5月26日、エイバルとのレンタル契約終了が発表される。
ヴィッセル神戸
2021年8月7日、J1リーグのヴィッセル神戸への完全移籍が発表される。第25節の鹿島アントラーズ戦で移籍後初出場からいきなりアシストで結果を残すと、9月24日、第30節の清水エスパルス戦で移籍後初ゴールを決める。その後も3試合連続ゴールを決めるなど最終的にはリーグ戦14試合5得点7アシストを記録。期待通りの活躍で神戸のJ1最高順位となるリーグ3位に貢献。
2022年は3月2日の横浜F・マリノス戦の接触プレーで左膝を負傷し離脱。復帰後は大迫勇也が離脱していたこともあり1トップを務める機会が多かった。その後も故障を繰り返し、チームの低迷もあって不本意なシーズンとなる。
2023年は前年とは打って変わって良好なコンディションを維持したままシーズンに入り、大迫と共にJリーグでは一段階上のレベルのプレーで神戸の躍進を牽引。ロングボールを多用し、ダイレクトに前に運ぶスタイルに移行したチームの中で右ウイングを主戦場とし、攻撃のみならず前線からの守備でも貢献。さらにこれまで泣かされてきた怪我もなく、リーグ戦全34試合に出場。しかも、出場時間はアタッカー陣の中で最長。最終的に10ゴール10アシストと大車輪の働きを見せ、神戸のJ1リーグ初優勝に貢献。大迫、山口蛍、酒井高徳と共に自身プロ1年目以来2度目となるJリーグベストイレブンに選出される。
2024年は怪我で開幕には間に合わなかったものの、3月30日の北海道コンサドーレ札幌戦でシーズン初ゴールを含む2ゴールの活躍を見せる。4月20日の第9節湘南ベルマーレ戦では試合中に肋骨を折りながらもフル出場を続け、試合終了間際には劇的な決勝ゴールを決めている。定位置となった右ウイングで攻撃のみならず守備でも貢献し、リーグ4位のスプリント回数を記録。負ければ首位陥落の可能性もあった11月30日の第37節柏レイソル戦では大迫のPK失敗で嫌な空気が漂う中、試合終了直前に執念の同点ゴールを決め、チームを救う。12月8日の最終節湘南戦でも貴重な追加点を決め、神戸のリーグ連覇に貢献。連覇が決まった瞬間、ピッチ上で歓喜の涙を流す姿を見せた。優勝争いが佳境となった11月と12月に2か月連続でリーグ月間最優秀選手に選ばれるなど、大事な場面で力を発揮。この年の活躍が認められ、2年連続のリーグベストイレブン選手と共にJリーグ年間最優秀選手賞にも選出。リーグ戦は開幕戦に欠場した以外の全37試合に出場し、13ゴール9アシストと数字のうえでもキャリアハイのシーズンとなった。
日本代表
ハビエル・アギーレ監督時代の2014年9月に日本代表初招集を受け、9月5日のウルグアイ戦で代表デビュー。代表2試合目となった9月8日のベネズエラ戦ではハーフウェーライン付近からドリブルで仕掛けそのままシュートを打ち、初ゴールを記録した。
そのまま代表に定着すると、2015年1月のAFCアジアカップ2015にも出場。大会では3トップの全ポジションで起用され、スーパーサブの役割を担う。しかし準々決勝のUAE戦では決定的なシュートを外すなど精彩を欠き、チームは敗退。
その後も代表には呼ばれていたが、怪我の影響もあって目立った結果を残すことができず、定位置を掴むには至らなかった。
2018年6月には2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会のメンバーに選ばれる。本大会ではターンオーバーを採用した第3戦のポーランド戦で2トップの一角として出場したが、結果を残すことはできず、この試合のみの出場となった。
2019年1月のAFCアジアカップ2019で半年ぶりに代表に復帰。グループリーグ第3戦のウズベキスタン戦では3年3か月ぶりとなる代表3ゴール目を決める。大会後は所属クラブで出場機会を失っていたこともあり、代表から遠ざかってしまう。
2022年1月のウズベキスタン代表戦で3年ぶりA代表に選出されたが、試合は中止となり、同年7月のEAFF E-1サッカー選手権2022に出場する日本代表に選出されたが、怪我のため辞退。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2012 | FC東京 | J1リーグ | 0 | 0 | |
2013 | FC東京 | J1リーグ | 1 | 0 | |
2014 | FC東京 | J1リーグ | 33 | 13 | |
2015 | FC東京 | J1リーグ | 17 | 10 | |
2015-16 | マインツ | ブンデスリーガ | 20 | 7 | |
2016-17 | マインツ | ブンデスリーガ | 19 | 5 | |
2017-18 | マインツ | ブンデスリーガ | 27 | 8 | |
2018-19 | ニューカッスル | プレミアリーグ | 17 | 1 | |
2019-20 | ニューカッスル | プレミアリーグ | 8 | 0 | |
2020-21 | ニューカッスル | プレミアリーグ | - | - | |
エイバル(loan) | ラ・リーガ | 26 | 1 | ||
2021 | ヴィッセル神戸 | J1リーグ | 14 | 5 | |
2022 | ヴィッセル神戸 | J1リーグ | 26 | 6 | |
2023 | ヴィッセル神戸 | J1リーグ | 34 | 10 | |
2024 | ヴィッセル神戸 | J1リーグ | 37 | 13 |
個人タイトル
人物・エピソード
- 元々前線であればどのポジションもこなしていたが、若い頃はセンターフォワードがメインでベテランになってからは右ウイングがメインとなっている。
- FC東京時代のチャントは、プロレスラー・武藤敬司の登場曲「HOLD OUT」が原曲。
- 2015年7月3日、慶應義塾大学で同級生だった客室乗務員と結婚。2016年4月には娘が誕生している。
- 本人はアメリカ生まれ東京育ちであるが濃い顔立ちから沖縄出身と間違われることがある。FC東京在籍時のチームメイトであった森重真人からは武井壮に似ていると言われた。
- 座右の銘には「強烈な努力」。
- 目標とする選手はウルグアイ代表のルイス・スアレス。
関連動画
関連項目
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