武藤嘉紀単語

69件
ムトウヨシノリ
5.3千文字の記事
  • 0
  • 0pt
掲示板へ

武藤嘉紀Yoshinori Muto, 1992年7月15日 - )とは、日本サッカー選手である。
J1リーグヴィッセル神戸所属。元サッカー日本代表

179cm72kg。ポジションはFW。利き足は右足。

概要

東京都世田谷区出身。50m5.9という俊足を武器としたドリブル突破と決定力が持ち味のFWであり、足元の技術力に加えてフィジカルの強さを兼ね備えている。1992年生まれのいわゆる「プラチナ世代」の一人であり、同い年の宇佐美貴史とはライバルとして何かと較されてきた。

FC東京アカデミーを経て慶応義塾大学に一般入試入学した「文武両」のプレイヤー。在学中にFC東京プロ契約を交わし、プロ1年で13得点マークするなどやかなデビューを飾る。2015年にはブンデスリーガの1.FSVマインツに移籍。怪に苦しんだこともあったが、2017-18シーズンには公式戦二桁得点記録するなど活躍。その後、プレミアリーグニューカッスル・ユナイテッドラ・リーガSDエイバルプレーするが、出場機会に恵まれなかった。

2021年よりヴィッセル神戸に移籍すると、大迫勇也と共に攻撃の柱として活躍。2023年J1リーグ優勝に貢献し、リーグ連覇を果たした2024年にはJリーグ最優秀選手賞に選ばれている。

日本代表にはハビエル・アギーレ監督時代の2014年デビューするが、怪もあって思ったような活躍はできず。2018 FIFAワールドカップメンバーにも選出されたが、立った活躍は見せられなかった。

経歴

生い立ち

1992年7月15日二人、二人の5人姉弟ん中として誕生。3歳でバディスポーツ幼児園に入園後、4歳でバディサッカークラブに入部し、本格的にサッカーを始める。小学校の6年間は同クラブで活躍し、6年生の時にはキャプテンを務める。また、小学校4年時よりFC東京スクールへも通い、2005年中学校進学時からFC東京U-15に在籍。2007年U-15高円宮杯で全大会得点ランキング2位いている。

2008年よりU-18に昇格。この時期にはサイドバックとしてプレーした経験もあるが、3年生になると攻撃的MFとしてプレートップチームに2種登録されるほど期待され、トップチーム昇格の打診も受けていたが、「今、プロ世界に飛び込んでもやっていけない」という判断のもと、大学進学を選択。

2011年慶應義塾大学経済学部入学関東大学1部リーグでのプレーし、1年生の頃から7試合6ゴールゴールを量産するも、左膝半月損傷の重傷を負っている。2012年FC東京の特別定選手に選ばれており、2013年7月にはJリーグデビューを果たした。

FC東京

2013年12月大学在学中ながらもFC東京プロ契約を結び、2014シーズンの開幕戦ではスタメンに選ばれる。以降も活躍が続き、2トップの一や左ウイングプレープロ1年ながらも33試合13得点記録Jリーグベストイレブンにも選出された。プロ1年でのベストイレブン選出は新人では小野伸二中澤佑二に次いで15年ぶり史上3人の快挙だった。

海外移籍を希望しながらもクラブから慰留され、2015年FC東京に残留。開幕戦から得点を重ね、3月度のMVPを受賞。J1第15節の松本山雅FC戦で同シーズン通算10得点を決め、デビューから2年連続での二桁得点二以来となるJリーグ史上2人の快挙を成し遂げる。

マインツ

2015年5月30日ドイツブンデスリーガの1.FSVマインツ05への移籍が決定。同年にマインツからレスターへ移籍した岡崎慎司の後釜としての加入となった。与えられたポジション岡崎が務めていた1トップとなり、第3節ハノーファー戦では移籍後初ゴールを含む2得点1アシスト記録。この活躍で1トップ定位置を掴むと、第11節アウクスブルク戦で自身プロになって初のハットトリックを達成。スピード前線からの献身的な守備でチームでの信頼を得るが、2016年2月6日の第20節ハノーファー戦で右膝外側側副靱帯を部分断裂し離脱。3月下旬に練習に復帰するも、練習中に別箇所の右膝同靭帯を損傷し、そのままシーズン終了となる。

2016-17シーズンは開幕戦のボルシア・ドルトムント戦で途中出場ながらもゴールを決め、復活アピール。しかし、このシーズンも怪に泣かされることになり、19試合5得点にとどまる。

2017-18シーズンは、これまでのような大きな怪く、コンスタントに活躍。前線の柱として信頼を得る。この年のマインツは残留争いに巻き込まれ、厳しい戦いが続いていたが、武藤チームトップとなるリーグ戦8ゴールマーク公式戦全体では二桁得点に到達しており、5月5日の第33節ボルシア・ドルトムント戦では残留を決める得点を決めて勝利に貢献。チームにとって救世主となる。

ニューカッスル

2018年7月27日イングランドプレミアリーグに所属するニューカッスル・ユナイテッドへの全移籍が発表される。トッテナム・ホットスパーFCとの開幕戦で途中出場してリーグデビューを飾ると、10月6日マンチェスター・ユナイテッド戦での初ゴールにスタメンの座を掴み取る。しかし、11月3日の試合で左足のふくらはぎを負傷。1ヵ間の離脱ののち、復帰してからしばらくはベンチが続き、さらに2019年1月AFCアジアカップ参加のためチームを離脱したことで居場所がなくなってしまう。結局プレミアリーグ1年は17試合1得点と不本意な成績に終わる。

2019-20シーズンは新監督スティーブブルースから開幕前に構想外であることを伝えられ、チームから干された状態となる。に移籍を希望するも、FWに怪人が出たことで残留。しかし、結局はほんとど出番は与えられずリーグ戦は8試合のみの出場、カラバカップでの1ゴールのみに終わる。

エイバル

2020-21シーズンも構想外の状態は変わらず、2020年9月16日スペイン ラ・リーガ所属のSDエイバルに1年間の期限付きで移籍。乾貴士チームメイトになる。第11節のレアル・ベティス戦でラ・リーガゴールを決めブンデスリーガプレミアリーグラ・リーガヨーロッパ3リーグゴールを奪った初の日本人になる。しかし、チーム事情もあってサイドトップ下などで起用され、ポジションが固定されず、自分の長所が出せないまま出場機会が減ってしまう。シーズン終盤は負傷のため試合に出場できないことも多く、最終的にチームは最下位に沈みセグンダ・ディビシオン降格が決定。2021年5月26日エイバルとのレンタル契約終了が発表される。

ヴィッセル神戸

2021年8月7日J1リーグヴィッセル神戸への全移籍が発表される。第25節の鹿島アントラーズ戦で移籍後初出場からいきなりアシストで結果を残すと、9月24日、第30節の清水エスパルス戦で移籍後初ゴールを決める。その後も3試合連続ゴールを決めるなど最終的にはリーグ戦14試合5得点7アシスト記録。期待通りの活躍で神戸J1高順位となるリーグ3位に貢献。

2022年3月2日横浜F・マリノス戦の接触プレーで左膝を負傷し離脱。復帰後は大迫勇也が離脱していたこともあり1トップを務める機会が多かった。その後も故障を繰り返し、チームの低迷もあって不本意なシーズンとなる。

2023年は前年とは打って変わって良好なコンディションを維持したままシーズンに入り、大迫と共にJリーグでは一段階上のレベルプレー神戸の躍進を牽引。ロングボールを多用し、ダイレクトに前に運ぶスタイルに移行したチームの中で右ウイング戦場とし、攻撃のみならず前線からの守備でも貢献。さらにこれまで泣かされてきた怪もなく、リーグ戦全34試合に出場。しかも、出場時間はアタッカーの中で最長。最終的に10ゴール10アシスト大車輪の働きを見せ、神戸J1リーグ優勝に貢献。大迫、山口蛍酒井高徳と共に自身プロ1年以来2度となるJリーグベストイレブンに選出される。

2024年は怪で開幕には間に合わなかったものの、3月30日北海道コンサドーレ札幌戦でシーズンゴールを含む2ゴールの活躍を見せる。4月20日の第9節湘南ベルマーレ戦では試合中にを折りながらもフル出場を続け、試合終了間際には劇的な決勝ゴールを決めている。定位置となった右ウイングで攻撃のみならず守備でも貢献し、リーグ4位のスプリント回数を記録。負ければ首位陥落の可性もあった11月30日の第37節柏レイソル戦では大迫のPK失敗で嫌な空気が漂う中、試合終了直前に執念の同点ゴールを決め、チームを救う。12月8日の最終節湘南戦でも重な追加点を決め、神戸リーグ連覇に貢献。連覇が決まった間、ピッチ上で歓喜のを流す姿を見せた。優勝争いが佳となった11月12月に2か連続でリーグ最優秀選手に選ばれるなど、大事な場面で力を発揮。この年の活躍が認められ、2年連続のリーグベストイレブン選手と共にJリーグ年間最優秀選手賞にも選出。リーグ戦は開幕戦に欠場した以外の全37試合に出場し、13ゴール9アシスト数字のうえでもキャリアハイのシーズンとなった。

日本代表

ハビエル・アギーレ監督時代の2014年9月日本代表初招集を受け、9月5日ウルグアイ戦で代表デビュー。代表2試合となった9月8日ベネズエラ戦ではハーフウェーライン付近からドリブルで仕掛けそのままシュートを打ち、初ゴール記録した。
そのまま代表に定着すると、2015年1月AFCアジアカップ2015にも出場。大会では3トップの全ポジションで起用され、スーパーサブの役割を担う。しかし準々決勝のUAE戦では決定的なシュートを外すなど精を欠き、チームは敗退。

その後も代表には呼ばれていたが、怪もあって立った結果を残すことができず、定位置を掴むには至らなかった。

2018年6月には2018 FIFAワールドカップロシア大会のメンバーに選ばれる。本大会ではターンオーバーを採用した第3戦のポーランド戦で2トップの一として出場したが、結果を残すことはできず、この試合のみの出場となった。

2019年1月AFCアジアカップ2019で半年ぶりに代表に復帰。グループリーグ第3戦のウズベキスタン戦では3年3かぶりとなる代表3ゴールを決める。大会後は所属クラブで出場機会を失っていたこともあり、代表から遠ざかってしまう。

2022年1月ウズベキスタン代表戦で3年ぶりA代表に選出されたが、試合は中止となり、同年7月のEAFF E-1サッカー選手権2022に出場する日本代表に選出されたが、怪のため辞退。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2012 FC東京 J1リーグ 0 0
2013 FC東京 J1リーグ 1 0
2014 FC東京 J1リーグ 33 13
2015 FC東京 J1リーグ 17 10
2015-16 マインツ ブンデスリーガ 20 7
2016-17 マインツ ブンデスリーガ 19 5
2017-18 マインツ ブンデスリーガ 27 8
2018-19 ニューカッスル プレミアリーグ 17 1
2019-20 ニューカッスル プレミアリーグ 8 0
2020-21 ニューカッスル プレミアリーグ - -
エイバル(loan) ラ・リーガ 26 1
2021 ヴィッセル神戸 J1リーグ 14 5
2022 ヴィッセル神戸 J1リーグ 26 6
2023 ヴィッセル神戸 J1リーグ 34 10
2024 ヴィッセル神戸 J1リーグ 37 13

個人タイトル

人物・エピソード

関連動画

関連項目

関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

【スポンサーリンク】

  • 0
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

伝説の始まり (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: ヤムヤム
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

武藤嘉紀

1 ななしのよっしん
2015/05/16(土) 03:32:46 ID: gWjHaBr2x5
マインツ移籍が噂されてるけど岡崎の後継者になれるのかどうか
に考えてシーズン15得点を保障するストライカーの後釜ってかなり大変だよな
👍
高評価
0
👎
低評価
0
2 ななしのよっしん
2015/07/04(土) 02:50:10 ID: vm7oWP+zoD
👍
高評価
0
👎
低評価
0
3 ななしのよっしん
2015/07/05(日) 07:45:04 ID: vm7oWP+zoD
結婚すぎィイ!
👍
高評価
0
👎
低評価
0
4 ななしのよっしん
2015/08/30(日) 01:23:55 ID: MOeZfzZ10e
ドッぺルパックおめ!!
👍
高評価
0
👎
低評価
0
5 ななしのよっしん
2015/11/01(日) 11:04:01 ID: yAwYJCKJ4T
👍
高評価
0
👎
低評価
0
6 ななしのよっしん
2017/04/07(金) 05:50:30 ID: DYmjBLrZ29
復帰後初ゴールした!
👍
高評価
0
👎
低評価
0
7 ななしのよっしん
2017/10/01(日) 04:10:57 ID: DYmjBLrZ29
順調だね
ワールドカップCF3はザキ・ョザコムトゥで決まりさ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
8 ななしのよっしん
2018/06/29(金) 22:33:23 ID: l2lkvUDlIM
>>sm33441342exit_nicovideo

複雑な心が伝わるコメント。4年後はきちんと準備して実力発揮できる事期待したい。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
9 ななしのよっしん
2018/08/12(日) 22:36:59 ID: DYmjBLrZ29
>>sm33675915exit_nicovideo
👍
高評価
0
👎
低評価
0
10 ななしのよっしん
2018/10/07(日) 04:17:22 ID: DYmjBLrZ29
>>sm33978180exit_nicovideo

ゴール
👍
高評価
0
👎
低評価
0

おすすめトレンド

ニコニコニューストピックス