FC東京とは、東京都全域を本拠地とするプロサッカークラブである。
概要
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1999年にJリーグへ加盟。クラブ名の「FC東京」は、シンプルで誰にもわかり易く馴染みがあり「都民のためのJクラブ」を目指す観点から制定された
ユニフォームはホームが青・赤。アウェーは白。ホームスタジアムは味の素スタジアム(東京スタジアム=東京都調布市)。マスコットは2008年まで不在だったが、2009年1月、新マスコット『東京ドロンパ』がお披露目された。
前身は東京ガスサッカー部(東京ガスFC)。そのため、いまだに「瓦斯」という呼び名で呼ばれることもある。
何度も言うが、FC東急ではない。(大事なことなので2度(ry)
旧日本リーグ(JSL)2部からJFLへ参加。Jリーグ準会員の居並ぶJFLでアマチュアチームとして存在感を発揮、1997年準優勝。1998年優勝。
1999年にFC東京としてJリーグ2部(J2)参加。翌年Jリーグ1部(J1)昇格。JFL時代から粘りあるカウンターサッカーが持ち味だったが、J1昇格後、攻撃サッカーへの脱却を図り試行錯誤を続けている。
川崎フロンターレとはJ2オリジナル10同士であり、東京ガス・富士通時代からしのぎを削りあった間柄。
両クラブの対戦は「多摩川クラシコ」と銘打って両クラブが大々的にアピールするダービーマッチとなっている。
同じ味の素スタジアムを本拠地とする東京ヴェルディともダービーマッチの関係にあるが、ヴェルディの低迷もあって、J1での対戦は2008年を最後に実現していなかったが、東京ヴェルディの16年ぶりとなるJ1昇格のために、2024年にはJ1での東京ダービーが実現する。
「キング・オブ・トーキョー」と呼ばれ親しまれたアマラオ(1992~2003に在籍)、その後継として獲得したルーカス(2004~2007、2011~2013)など、外国人FWが長く在籍するクラブである。世界有数のサイドバックへと成長した長友佑都やFCバルセロナの下部組織で育った「日本の至宝」久保建英もFC東京でプロのキャリアをスタートさせている
人気は上々で、観客動員数はJ1にいる時はコンスタントに25,000人を集める。2013年の数字で見れば、Jリーグ全体で4位という数字。20,000人を超えたのはFC東京含めて4クラブのみである。
サポーターに癖があり、「FC東京サポはユーモアがあって面白い」と評される反面、主に関東の他チームサポとトラブルになることもある。2011年にJ2での戦いを強いられた際は「1年間お世話になります J2なめてません」と皮肉とも取れる横断幕を出す。が、開幕ダッシュに失敗(1勝1敗2分で一時は13位に低迷)すると、さすがに慌てたようで、「1年間お世話になります J2なめてました」と横断幕が上書きされたというエピソードも。
J1で唯一『跳ばない奴はサガン鳥栖』と差別コールを飛ばすことでも有名。
日本代表サポーターとして有名な植田朝日はこのチームの出身。
世界各地でサッカーの応援歌になっている『You'll Never Walk Alone』(通称:ユルネバ)という曲がある。
日本でこの曲といえばFC東京。選手入場前にサポーターが一体となって歌い上げる様子は圧巻。
詳しくは関連動画を参照してほしい。
2021年11月より株式会社MIXIが筆頭株主となっている。
食欲
FC東京のサポーターは各地のスタジアムグルメや地元の名産品を食べ尽くすことでも有名である。
あまりの食欲の旺盛さに、その姿が「イナゴ」に喩えられることも。
かつては自前のスタジアムグルメが貧相だったためと言われているが、これも近年は改善されている。
とはいえ、彼らの食欲が衰えることは無い。彼らが近年打ち立てた伝説を列挙してみよう。
- 2011年、ジェフユナイテッド市原・千葉のスタジアム名物のソーセージ屋台が味の素スタジアムに出張開店。
長蛇の列を作り、アルバイトの盛り付けが追いつかなくなるという事態を引き起こす。 - 2012年には対戦していないにもかかわらず件のソーセージ屋台が2度目の出張販売。
最大瞬間風速30mに迫る春の嵐に見舞われる中、500キロのソーセージを食らう。 - 2013年に天皇杯でジェフと対戦。敵地に乗り込み、600キロ用意されたソーセージを在庫切れ寸前に追い込む。
- 2012年にサガン鳥栖との一戦では九州北部では一般的なお惣菜であるミンチ天が標的に。
魚のすり身と玉ねぎを混ぜて揚げたこの食べ物が地元スーパーから影も形も無くなった。 - 2013年はプレシーズンマッチでの対戦でも地元スーパーのミンチ天を食い尽くす。
シーズンでの対戦ではスーパー側も対策を講じて過去最大の仕入れで迎え撃つも完売。 - 2014年の鳥栖戦では、スーパーが更に仕入れを増量し、約1000個のミンチ天を用意したが、試合開始の3時間前に完売。
- 2013年のヴァンフォーレ甲府戦では、地元名産のほうとうと鳥モツがターゲットになる。
地元の名店ではほうとうの麺が売り切れ、地元客がキレたとか。 - 2013年に天皇杯で仙台に乗り込んだ際には、夕飯前に仙台駅の牛タン弁当をはじめとした駅弁が完売。
店じまいが通常より早くなるという事態に。 - 2014年の仙台戦では、「ベガかま」を販売する阿部蒲鉾店が「FC東京戦にはいつもの倍を準備します! これで食べつくされないはず」とtwitterで豪語し話題となる。FC東京サポの闘争心に火がついたか、試合前に見事に完売。
- 2011年に国立競技場で行われたロアッソ熊本戦では、ハーフタイムまでに全ての飲食物が完売。
クラブが異例とも言えるお詫び文をリリースしたほど。 - 噂を聞きつけたガイナーレ鳥取は2011年の対戦で器から溢れるほど大きなカニが入ったカニ汁を用意。
当然のごとくこれも完食。鳥取駅前の食堂では午前中に刺身系のメニューが打ち止めになる。 - 2017年の北海道コンサドーレ札幌戦では『日本の食糧基地』北海道への5年ぶりの遠征とあって多くのサポーターが津軽海峡を越えて参戦。しかし試合自体はJ1へ昇格したばかりの札幌に2-1で逆転負けを喫してしまう。これがFC東京サポーターの満腹中枢のリミッターをヤケ食いという形で解除してしまい、試合終了直後から翌日翌々日にかけて蝗の活動が活発化。会場のある札幌だけにとどまらず、はては札幌から300km以上離れた稚内や釧路での蝗活も報告された。
- 2ちゃんねるの国内サッカー板にあるFC東京のスレッドでは食の話題で異常に盛り上がることがしばしば。
歴史
- 1997年に『東京ガスフットボールクラブ』へ改称し、Jリーグへの参加を表明。1998年には翌シーズンよりクラブ名称を『FC東京』とする改称及び東京都をホームタウンとしてプロクラブ化することが発表される。こうして初めて首都東京にJリーグクラブが誕生することに。
- 1999年に新設されたJ2リーグへ参戦。前身の東京ガス時代からのアマチュア選手が多数在籍する中で、好調を維持。終盤戦にエースのアマラオが負傷したことで4連敗を喫するも、最終節で2位に入り首都・東京のクラブとしては初のJ1リーグ昇格を決める。
- 初のJ1参戦となった2000年は開幕5試合で4勝1敗と予想外の快進撃を見せる。その後は失速したものの、アマラオとツゥットの2トップがゴールを量産。特にツゥットはリーグ2位となる17得点を記録し、ベストイレブンにも選出される。GK土肥洋一の奮闘もあり年間総合7位と昇格1年目としては健闘する。
- 2001年には、本拠地である東京スタジアム(現在の味の素スタジアム)が完成。スタジアムのこけら落としは東京に本拠地を移転した東京ヴェルディとの「東京ダービー」となった。開幕直後に加入した司令塔のケリーの活躍によって前年並みの年間8位で終える。この年を最後に東京ガス時代から7年間監督を務めた大熊清が退任。
- 2002年より原博美を監督に迎え、攻撃的なスタイルへの転換を図る。加地亮や石川直宏、ジャーン、茂庭照幸らが加入し着実にチーム力をアップさせる。1stステージこそ10位と苦戦したものの、2ndステージは5位に入り、新たなチームスタイルの土台を築いた1年となった。
- 原体制2年目の2003年には1年を通して優勝争いに加わるまでに成長を遂げ、年間5位という好成績を残す。そして、この年を最後に「KING OF TOKYO」として親しまれたアマラオが退団。
- 2004年は日本代表、U-23代表に呼ばれる主力がコンディションを落としたこともあってリーグ戦では年間8位に終わる。一方、ナビスコカップでは決勝まで勝ち進み、浦和レッズをPK戦の末に破り、J1参戦4年目で初のタイトルを獲得。
- 2005年は新フォーメーションの不発、補強の失敗、さらには石川、ルーカスといった主力の負傷による長期離脱も重なり低迷。終盤には盛り返し年間10位で終えたものの、4年間チームを指揮した原監督が退任。
- 2006年は初の外国人監督となるガーロが監督に就任。しかし、ガーロが目指すスタイルと原時代のスタイルの違いに選手が適用できずに低迷。結局ガーロは8月で解任となり、長らくコーチを務めてきた倉又寿雄が後任となり、元のスタイルに戻したことで立て直すも年間13位で終了。
- 2007年は原博美が2年ぶりに監督に復帰。さらにコスタリカ代表のパウロ・ワンチョペが加入。しかし、ワンチョペはコンディション不良で期待外れとなり、茂庭、梶山ら核となる主力に負傷が相次いだこともあって低迷。3年連続二桁順位となる12位に終わる。
- 2008年に元U-17日本代表監督の城福浩が監督に就任。「ムービングフットボール」をテーマにポゼッションスタイルを導入すると、年間6位にまでチームを浮上させる。
- 城福体制2年目の2009年には長友佑都の本格的なブレイク、梶山陽平と米本拓司のボランチコンビの確立、それに伴い今野泰幸がCBにコンバートされ、石川の得点力の飛躍などによって躍進。最終的に5位に入る。さらにナビスコカップ決勝では米本の豪快なミドルシュートなどによってライバルである川崎フロンターレを破り、2度目の優勝を果たす。
- 初のリーグ制覇も視野に入り始めた2010年だったが、梶山と米本のボランチコンビが怪我でシーズンのほとんどを稼働できず、夏に長友がイタリアへ移籍した穴を埋めきれなかったこともあってチームはよもやの低迷。9月に城福監督が解任となり、大熊清が9年ぶりに監督に復帰するも年間16位に終わり、J2降格という最悪の結果となる。
- 12年ぶりにJ2で戦うこととなった2011年は主力のほとんどが残留したことで昇格は有力と見られていたが、序盤は主力の怪我が相次いだこともあって勝ち切れない試合が続く。それでも中盤戦に入ってからは戦力地の差を見せつけるようになり、終わってみればJ2優勝という形で1年でのJ1復帰を果たす。
また、この年の第91回天皇杯決勝では京都サンガとの史上初となるJ2チーム同士の対戦が実現。この試合をルーカスの2ゴールなどで4-2で制し、J2勢初となる天皇杯初優勝を果たす。 - J1に復帰した2012年よりランコ・ポポヴィッチが監督に就任。クラブ初のAFCチャンピオンズリーグではベスト16まで進出する。ポゼッション志向のポポヴィッチのもと攻撃的サッカーを貫くものの得点数は向上した反面降格した2010年よりも失点数が多いため取りこぼしが目立ち、2年間中位のまま監督交代となる。
- 2014年、セリエAで長友を指導したことのあるマッシモ・フィッカデンティが監督に就任。前任者とは反対に守備面で強化が施され、安定した試合運びのチームとなる。守備面ではDFリーダーである森重真人が代表に定着するまでに成長し、攻撃では大卒1年目である武藤嘉紀が得点源として活躍。
- 2015年は前年からの堅守を軸に前半戦だけで10得点を稼いだ武藤の活躍、キッカーの太田宏介を中心としたセットプレーで得点を重ね1stステージは2位に付ける。2ndステージは武藤がドイツへ移籍した穴を埋めきれず、守護神・権田修一がオーバートレーニング症候群で離脱したことで前期ほど勝ち点が伸びず。過去最高の勝ち点、最高タイの年間順位4位を記録したものの、チャンピオンシップの出場を逃す。シーズン終了後、フィッカデンティ監督が退任。
- 2016年より城福浩が6年ぶりに監督に復帰。ACLでは本戦まで進んだもののグループリーグで敗退。リーグ戦では過密日程による疲労や怪我人の続出もあって低迷。チーム状態が向上せず、城福監督は7月で解任となる。後任となった篠田善之のもとで安定感を取り戻すが、最終的に年間9位となる。
- 2017年は永井謙佑、林彰洋、大久保嘉人と大型補強をおこなうも、中盤戦以降低迷。篠田監督が9月で解任となり、暫定監督としてコーチの安間貴義が昇格するがチームを立て直せず、J1復帰後としては史上最低の13位でシーズンを終える。
なお、この年の11月に久保建英とプロ契約を結び、第33節の広島戦で16歳5か月22日でのJ1リーグデビューを果たしている。 - 2018年より長谷川健太が監督に就任。ディエゴ・オリヴェイラがチームにフィットするようになってから勝ち点を積み上げるも、シーズン終盤になって戦術が他チームから研究されて失速。6位に終わる。
シーズン終了後、2004年から在籍していた梶山が現役を引退、 - 2019年は17歳の久保建英が開幕からスタメンに定着し、攻撃の中心として躍動。前半戦は首位を独走する。しかし夏に18歳になった久保がレアル・マドリードへ移籍するとチームは失速。大崩れはしなかったものの終盤戦に入って首位から陥落。ディエゴ・オリヴェイラ、永井謙介が揃って負傷で離脱したことも響き、2018年ほど大崩れはしなかったことで最終節まで優勝の可能性は残したがタイトルには届かなかった。それでも、チームとしては過去最高の年間2位でシーズンを終える。
- 2020年はACLとの兼ね合いによる過密日程に苦しみながらも6位とまずまずの成績を残す。一方、ルヴァンカップでは翌年の1月4日に延期された決勝で柏レイソルを下し、11年ぶり3度目の優勝を果たす。
- 2021年になると、チーム戦術が前線の外国人に依存した単調なものになってしまい不安定な戦いが続く。後半戦に長友佑都が11年ぶりに復帰するがカンフル剤とはなれず、11月6日の横浜F・マリノス戦で0-8と記録的な大敗を喫したことで長谷川監督は辞任。リーグ最終成績は9位となった。
11月22日クラブの株式の50%以上をMIXIが取得する。 - 2022年にはアルビレックス新潟で手腕を高く評価されたアルベル・プッチ・オルトネダが監督に就任。スペイン式のスタイルに方針を転換する。高卒の超大物ルーキー松木玖生が開幕からスタメンに抜擢され活躍する。しかし、成績はほぼ第2グループに居続け、6位に終わる。
- 2023年は横浜F・マリノスから仲川輝人を獲得。しかし開幕から安定した成績を残せず、3連敗を喫し12位に低迷した6月にアルベル監督を解任。後任に清水エスパルスやモンテディオ山形の監督を務めたピーター・クラモフスキーが就任。だが、豪華なタレントが揃ったはずのアタッカー陣はシーズンを通して活躍できたのはディエゴ・オリヴェイラのみ、守備陣も怪我人の多さに苦しみ、波に乗れないまま11位という期待外れの成績に終わる。
この年の天皇杯3回戦で東京ヴェルディとの「東京ダービー」が12年ぶりに実現。しかし、一部のサポーターによって飛田給駅の私有地に設置されている企業広告看板への張り紙がなされたほか、生卵が投げつけ警察が器物損壊事件として捜査される事態となる。さらに試合前のスタンドでは発煙筒や花火が使用する不祥事も発覚。JFAからクラブに罰金500万円を科せられる。 - 2024年は上位争いに絡むことはできず、かといって残留争いに巻き込まれるほどでもない中位をキープする可もなく不可もなくなシーズンとなる。最終順位は7位だったが、この年の東京を本拠地とする3クラブの中では最低の順位となった。
おもなタイトル
国内タイトル
国際タイトル
個人タイトル
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | ピーター・クラモフスキー | 1978.10.16 | 2023 | モンテディオ山形 監督 | ||
1 | GK | 児玉剛 | 1987.12.28 | 2019 | モンテディオ山形 | ||
2 | DF | 中村帆高 | 1997.8.12 | 2019 | 明治大学 | ||
3 | DF | 森重真人(C) | 1987.5.21 | 2010 | 大分トリニータ | ||
4 | DF | 木本恭生 | 1993.8.6 | 2022 | 名古屋グランパス | ||
5 | DF | 長友佑都 | 1986.9.12 | 2021 | オリンピック・マルセイユ | ||
8 | MF | 高宇洋 | 1998.4.20 | 2024 | アルビレックス新潟 | 【完】 | |
9 | FW | ディエゴ・オリヴェイラ | 1990.6.22 | 2018 | 柏レイソル | ||
10 | MF | 東慶悟 | 1990.7.20 | 2013 | 大宮アルディージャ | ||
11 | FW | 小柏剛 | 1998.7.9 | 2024 | 北海道コンサドーレ札幌 | 【完】 | |
13 | GK | 波多野豪 | 1998.5.23 | 2015 | V・ファーレン長崎 | 【復】【レ】 | |
14 | FW | 山下敬大 | 1996.3.13 | 2023 | 湘南ベルマーレ | ||
22 | MF | 遠藤渓太 | 1997.11.21 | 2024 | 1.FCウニオン・ベルリン | 【完】 | |
23 | MF | 佐藤龍之介 | 2006.10.16 | 2023 | FC東京U-18 | 【H】 | |
28 | FW | 野澤零温 | 2003.7.21 | 2024 | 松本山雅FC | 【復】【H】 | |
30 | DF | 岡哲平 | 2001.9.6 | 2024 | 明治大学 | 【卒】【H】 | |
31 | GK | 小林将天 | 2005.9.20 | 2023 | FC東京U-18 | 【昇】【H】 | |
32 | DF | 土肥幹太 | 2004.11.10 | 2023 | FC東京U-18 | 【H】 | |
33 | MF | 俵積田晃太 | 2004.5.14 | 2022 | FC東京U-18 | 【H】 | |
37 | MF | 小泉慶(C) | 1995.4.19 | 2023 | サガン鳥栖 | ||
38 | MF | 安斎颯馬 | 2002.9.19 | 2023 | 明治大学(在学中) | 【特】 | |
39 | MF | 仲川輝人 | 1992.7.27 | 2023 | 横浜F・マリノス | ||
40 | MF | 原川力 | 1993.8.18 | 2023 | セレッソ大阪 | 【完】 | |
41 | GK | 野澤大志ブランドン | 2002.12.25 | 2020 | いわてグルージャ盛岡 | 【H】 | |
44 | DF | エンリケ・トレヴィザン | 1997.1.20 | 2022 | 大分トリニータ | ||
49 | DF | バングーナガンデ佳史扶 | 2001.9.24 | 2020 | FC東京U-18 | 【H】 | |
50 | MF | 東簾太 | 2004.6.17 | 2022 | SC相模原 | 【復】【H】 | |
51 | GK | 後藤亘 | 2006.5.8 | 2024 | FC東京U-15深川 | 【2】 | |
52 | FW | 浅田琉偉 | 2006.12.13 | 2024 | FC東京U-15むさし | 【2】 | |
53 | MF | 永野修都 | 2006.4.15 | 2024 | FC東京U-15深川 | 【2】 | |
54 | MF | 中野裕唯 | 2006.6.9 | 2024 | FC東京U-15深川 | 【2】 | |
55 | FW | 尾谷ディヴァインチネドゥ | 2007.5.4 | 2024 | FC東京U-15むさし | 【2】 | |
56 | FW | 山口太陽 | 2006.8.18 | 2024 | FC東京U-15むさし | 【2】 | |
71 | MF | 荒木遼太郎 | 2002.1.29 | 2024 | 鹿島アントラーズ | 【レ】 | |
98 | FW | エヴェルトン・ガウディーノ | 1997.3.17 | 2024 | グレミオFBPA | 【レ】 | |
99 | DF | 白井康介 | 1994.5.1 | 2023 | 京都サンガF.C. |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
過去に所属したおもな選手
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歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
大熊清 | 1999年~2011年 | 東京ガス時代の1995年から在任 Jリーグ昇格(1999年) |
|
原博美 | 2002年~2005年 | ナビスコカップ優勝(2004年) | |
アレシャンドレ・ガーロ | 2006年~2006年8月 | ||
倉又寿雄 | 2006年8月~2006年12月 | ||
原博美 | 2007年 | ||
城福浩 | 2008年~2010年9月 | ナビスコカップ優勝(2009年) | |
大熊清 | 2010年9月~2011年 | ・J2降格(2010年) ・J2優勝&J1昇格(2011年) ・天皇杯優勝(2011年) |
|
ランコ・ポポヴィッチ | 2012年~2013年 | ||
マッシモ・フィッカデンティ | 2014年~2015年 | ||
城福浩 | 2016年~2016年7月 | ||
篠田善之 | 2016年~2017年9月 | ||
安間貴義 | 2017年9月~2017年12月 | 暫定監督 | |
長谷川健太 | 2018年~2021年11月 | ルヴァンカップ優勝(2020年) | |
森下申一 | 2021年11月~2021年12月 | 監督代行 | |
アルベル・プッチ・オルトネダ | 2022年~2023年6月 | ||
安間貴義 | 2023年6月 | 暫定監督 | |
ピーター・クラモフスキー | 2023年6月~ |
FC東京U-23
FC東京U-23とは、2016年から2019年までJ3リーグに参加していたFC東京に所属する23歳以下の選手で構成されたセカンドチームである。
概要
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2015年9月にJリーグのセカンドチームをJ3リーグに参加させる意向が発表されると、FC東京は真っ先に参加志望を表明。2016年よりJ3リーグに参入し、久保建英、室屋成、渡辺剛などがJリーグデビューを果たしている。2019年には原大智がJ3リーグの得点王に輝いている。
トップチームの成績と選手層の向上にセカンドチームを寄与させるべく、練習はトップとセカンドの練習を合同で一体的に、試合前に選手を選別するという形を採っていた。このため、連携面では他チームに遅れがちとなっていた。
ホームスタジアムは味の素フィールド西が丘をメインに、夢の島競技場や駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場を使用していた。
歴史
- J3初年度の2016年は当初は安間貴義が監督を務めていたが、7月にトップチームの監督に就任したためU-18コーチの中村忠が後任となる。この年、久保建英が15歳5か月でのJリーグ最年少出場記録を更新。リーグでは開幕4連敗となりながら16チーム中10位。
- 2017年はU-18の選手を積極的に起用。久保建英は第5節C大阪U-23戦で15歳10か月でのJリーグ最年少得点記録を更新。成績は11位となった。
- 2018年は再び安間貴義が監督に就任。リーグでは14位となった。
- 2019年は安間がトップチームのコーチに転属となり、前岡山監督の長澤徹が監督に就任。リーグでは過去最低の16位に終わったが、原大智が19得点を記録しJ3リーグの得点王となる。
- 2020年も当初は参戦予定だったが、新型コロナウイルス感染症の流行の影響で開幕が遅れ、同様に他競技も活動中断となったことから、ホームスタジアムとして活用を予定していた3競技場の確保が困難になり参加を辞退。結局2019年を最後に活動終了となった。
歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
安間貴義 | 2016年~2016年7月 | トップチームコーチと兼任 | |
中村忠 | 2016年7月~2017年 | トップチームコーチと兼任 | |
安間貴義 | 2018年 | ||
長澤徹 | 2019年 |
関連動画
FC東京の象徴的存在・「KING OF TOKYO」アマラオの映画。
関連リンク
関連項目
- サッカー
- Jリーグ - Jリーグチーム一覧
- J1リーグ(2000年 - 2010年、2012年 - )
- J2リーグ(1999年、2011年)
- 東京都
- 味の素スタジアム
- 多摩川クラシコ - 川崎フロンターレ
- 東京ガス
- MIXI
親記事
子記事
兄弟記事
- アビスパ福岡
- アルビレックス新潟
- 浦和レッドダイヤモンズ
- FC町田ゼルビア
- 鹿島アントラーズ
- 柏レイソル
- 川崎フロンターレ
- ガンバ大阪
- 京都サンガF.C.
- サガン鳥栖
- サンフレッチェ広島
- 湘南ベルマーレ
- ジュビロ磐田
- セレッソ大阪
- 東京ヴェルディ
- 名古屋グランパス
- 北海道コンサドーレ札幌
- 横浜F・マリノス
- ヴィッセル神戸
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