80年代アイドルとは、アイドル全盛期の1980年代にデビューしたアイドルの総称である。この記事では女性を中心に取り上げる。
概要
1980年代は数多くのアイドルがデビューし、多くの名曲・ヒット曲が生まれたアイドル全盛期と言われる時代である。1980年に「裸足の季節」でデビューした松田聖子、1982年に「スローモーション」でデビューした中森明菜などが特に有名である。
大量のアイドルがデビューした1982年のデビュー組は「花の82年組」とも言われ、アイドルブーム隆盛の時代の象徴として語られることが多い。
80年代アイドルはデビュー時にキャッチフレーズをつけられるのも特徴的だった。南野陽子の「純だね、陽子」、堀ちえみの「GOOD FRIEND」、中森明菜の「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」などなど、個性的なものがかなりあった。
主な80年代アイドル
| 人物 | デビュー日 | 代表曲 | 詳細 |
|---|---|---|---|
| 岩崎良美 | 1980年1月1日 |
I THINK SO |
|
| 松田聖子 |
1980年4月1日 | 現在もアイドルで居続けている伝説の歌姫。 | |
| 河合奈保子 | 1980年6月1日 |
けんかをやめて |
1997年休業(実質引退)。
80年代後半以降はシンガーソングライターとしても活躍。 |
| 柏原芳恵 | 1980年6月1日 |
春なのに |
| 人物 | デビュー日 | 代表曲 | 詳細 |
|---|---|---|---|
| 伊藤つかさ |
1981年9月1日 | ||
| 松本伊代 | 1981年10月21日 |
時に愛は |
アイドル、歌手の印象を覆す程のバラエティタレントとして人気がある。 花の82年組として扱われることがある。 |
| 薬師丸ひろ子 |
1981年11月21日 |
Woman "Wの悲劇"より あなたを・もっと・知りたくて |
角川路線を作り出した人。 |
| 小泉今日子 |
1982年3月21日 |
なんてったってアイドル 木枯らしに抱かれて |
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|---|---|---|---|
| 堀ちえみ | 1982年3月21日 |
リ・ボ・ン |
2010年代後半より病気にかかりやすくなり、2019年に口腔がんの治療に専念。以降は活動制限。 ドラマ「スチュワーデス物語」が大ヒットしたことで1987年まで女優業と歌手業を両立させていた。 再婚相手の連れ子も含めて7人の母親となっている。 |
| 早見優 | 1982年4月21日 | ||
| 石川秀美 | 1982年4月21日 |
ミステリーウーマン |
|
| 中森明菜 |
1982年5月1日 |
DESIRE-情熱- |
|
| 原田知世 |
1982年7月5日 | ||
| わらべ | 1982年12月21日 |
テレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!」から誕生したユニット。 3人時代は黒歴史。 |
| 長山洋子 | 1984年4月1日 |
ユア・マイ・ラヴ |
|
|---|---|---|---|
| 荻野目洋子 | 1984年4月3日 |
ダンシング・ヒーロー (Eat You Up) |
ダンシング・ヒーローの再ヒットにより若者の知名度も高い。 |
| 菊池桃子 | 1984年4月21日 |
もう逢えないかもしれない |
|
| 岡田有希子 |
1984年4月21日 | ||
| 少女隊 | 1984年8月28日 |
| 斉藤由貴 |
1985年2月21日 | 。 | |
|---|---|---|---|
| 芳本美代子 | 1985年 3月21日 | Auroraの少女 | |
| 本田美奈子. |
1985年4月20日 | ||
| 中山美穂 |
1985年6月21日 |
ただ泣きたくなるの |
2024年12月6日に急死。それまでは女優・歌手として活動。 月9最多ヒロインを演じ、世界中の誰よりきっとで当時の女性アーティスト売上最高記録を出すなど女優としても歌手としてトップクラスの成績を記録していた。 |
| 浅香唯 | 1985年 6月21日 |
C-Girl |
現在はタレントとして活動しているが、女優・歌手としても定期的に活動している。 宮崎県出身をアピールし、運動神経の良さを生かした活動を行った。 プロ雀士でもある。 |
| 南野陽子 |
1985年6月23日 |
話しかけたかった |
現在は女優を中心としたタレント活動を行う。 |
| おニャン子クラブ |
1985年7月5日 |
セーラー服を脱がさないで じゃあね お先に失礼 |
1987年9月20日解散。以降は集結できるメンバーのみで数度再結成。 |
| 森川美穂 |
1985年7月21日 |
おんなになあれ |
アイドルとして扱われるのを最も嫌がる人であろう。 |
| 河合その子 | 1985年9月1日 |
落葉のクレッシェンド |
|
| うしろゆびさされ組 | 1985年10月5日 |
うしろゆびさされ組 |
1987年4月5日解散。メンバー双方共に芸能界を引退している。 アニメ「ハイスクール!奇面組」のタイアップとして誕生したおニャン子クラブのユニット。 |
| 吉沢秋絵 | 1985年11月1日 |
なぜ?の嵐 季節はずれの恋 |
ドラマ「スケバン刑事II」のオーディションで合格しレギュラーを努めたおニャン子クラブのメンバー。 歌唱力が低い一方で女優としては評価されていた。 |
| 新田恵利 | 1986年1月1日 | ||
|---|---|---|---|
| 国生さゆり | 1986年2月1日 |
夏を待てない |
|
| 西村知美 | 1986年3月20日 |
16粒の角砂糖 ポケットに太陽 |
天然ボケが凄まじい人。 |
| ニャンギラス | 1986年4月1日 | 私は里歌ちゃん | |
| 島田奈美 | 1986年5月21日 |
内気なキューピッド |
|
| 福永恵規 | 1986年5月21日 | ||
| 高井麻巳子 | 1986年6月25日 |
シンデレラたちへの伝言 |
|
| 渡辺美奈代 | 1986年7月16日 | ||
| 渡辺満里奈 | 1986年10月8日 |
深呼吸して |
|
| 内海和子 | 1986年11月7日 |
| 酒井法子 |
1987年 2月5日 |
夢冒険 |
2009年8月8日に覚せい剤取締法違反で逮捕。(2012年に執行猶予期間終了。)ニコニコ動画ではこの件に関するコメントが多い。 |
|---|---|---|---|
| BaBe | 1987年2月21日 |
Give Me Up |
|
| 岩井由紀子(ゆうゆ) | 1987年3月25日 | ||
| 立花理佐 |
1987年4月1日 |
疑問 キミはどんとくらい |
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| うしろ髪ひかれ隊 | 1987年5月7日 |
あなたを知りたい |
|
| 森高千里 |
1987年5月25日 |
渡良瀬橋 |
|
| 工藤静香 |
1987年8月31日 |
MUGO・ん…色っぽい 嵐の素顔 激情 |
| ラ・ムー |
1988年2月24日 | ||
|---|---|---|---|
| Wink |
1988年4月27日 |
1996年3月31日活動停止。以後は結成から10年度に数度活動。 笑わないアイドルと称される。 |
|
| 田村英里子 | 1989年3月15日 |
その他、ガールズバンドであるプリンセス・プリンセス
がアイドルとして扱われることがある。
関連用語
花の82年組
- 中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美、シブがき隊。
- この他に81年末デビューの松本伊代や若手女優として出世した三田寛子も挙げられる。
- 1982年秋に中森明菜の少女Aが大ヒット。それに続いて翌年春までに次々と82年組のアイドルがランクイン番組に出場する程の人気になっていたことから伝説の世代として評価されている。
- 当時は共演が多かったものの、それぞれの事情もあり現在では松本と早見が一緒の番組に出る程度である。
不作の83年組
- 森尾由美、松本明子、大沢逸美、桑田靖子、小林千絵、木元ゆうこ、徳丸純子ほか。
- 花の82年組とは対極的に1983年組は大型の音楽番組に出られない程の人気であったことから呼ばれるようになる。
- その背景としては82年組の人気の他にも音楽性の転換期であったことや事務所の方針によって新人が他の新人との共演を避けるようになり相乗効果が得られなかったことも原因として挙げられる。
- 他方で35周年を機に同期のメンバーが集結、上記7人はお神セブンとして活動し独自の人気を獲得するようになった。
角川三人娘
- 薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子。
- 薬師丸が「セーラー服と機関銃」で大ヒットしたことにより、角川と東映がオーディオションを開き、合格者である渡辺と原田が角川春樹事務所に所属した。
- その後も「時をかける少女」等でヒットを連発し大きなポジションを得ていたが、1985年に薬師丸が独立、更に翌1986年に原田の姉である原田貴和子が「彼のオートバイ、彼女の島」での撮影が原因で角川に不信を抱き独立し、原田と渡辺も続いて独立。アイドル映画の低迷もあって角川は勢いを落とすことになった。
モモコクラブ
- 西村知美、島田奈美、酒井法子、工藤静香、森口博子ほか。
- 「Momoco」はアイドル雑誌「BOMB」(現在も刊行中)の姉妹誌として1983年に創刊。1994年休刊。イメージガールは名前の通り菊池桃子。
- モモコクラブはその中のコーナーの1つで美少女発掘の企画モノであった。TBS系でテレビ放送もしていた。メンバーの中にはおニャン子クラブと掛け持ちの者もいる。
- テレビ番組は夕やけニャンニャンと比較して放送エリア、放送枠で圧倒的不利であり、出演者も限られたことから夕ニャンの1年半遅れの放送に対して同時期の終了となった。
- Momoco出身者のその後は採用人数の多さもあっておニャン子クラブ以上に様々である。
80年代アイドル四天王
- 中山美穂、南野陽子、工藤静香、浅香唯。
- 1988年頃のアイドル人気調査で4人が上位をキープしていたことから呼ばれるようになった。
- それぞれのスケジュールが合わない(特に中山と南野は女優業と兼任していた)ため4人全員が揃ったのは夜のヒットスタジオの1989年3月15日放送分くらいであった。
- 近年でも共演は南野と浅香くらいなことに加えて2024年12月6日に中山が急死したことで再集結は不可能となってしまった。
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