ポピュリズム(英:populism)とは、大衆の支持を背景に、大衆が既得権益者と見なす、官僚や政治家、富裕層に対して、大衆自身の要求を通していこうとする立場。大衆主義、大衆運動、大衆迎合主義と日本語では言われる。
なお、ポピュリズム政治家・活動家のことを「ポピュリスト」と呼ぶことがある。
概要
学術的な定義としては政治学者カス・ミュデの「社会が究極的に『汚れなき人民』と『腐敗したエリート』という敵対する2つのグループに分かれていると考え、政治は人民の一般意志を表現するべきだと訴えるイデオロギー」というものが定説になりつつある。ここで言う『腐敗したエリート』というのは国によって異なる。日本では左右の二大政党とそれを支持してきた経営者団体や労働組合であり、ヨーロッパでは欧州統合によってグローバル化を推進してきた政治家たちであり、アメリカでは多様性ばかりを強調して多数派の白人を顧みなくなったとされる政治家・活動家たちである。
一般的にポピュリズムは大衆(マス、mass)という言葉は、非難的な意味合いを持っているのと同じくらいに、ある種のレッテル貼りとして使われる。人気取り、ばらまき政治、無責任といったものと関連付けられる。しかし、何をもって政策が合理的であるのか、どこからが非合理的なのかは、判断が常に分かれる。ゆえに、このポピュリズムという語も、相手を非合理的と見なして罵倒する言葉以上の意味で用いられることが少なくない。
民主主義とポピュリズム
民主主義を採用している社会では、少なからず多数派の意見を正当なものと見なす議会制民主主義や直接民主的な制度を取り入れているので、余計にポピュリズムとの違いが分かりにくくなっている。
民主主義との違いとしては、立憲主義や法の支配を重視するか否かが、一つの要素となることもある。この場合民主主義は、全てを単純過半数で決めるのではなく、ある種の社会的規範・法の精神・法的安定性を重視して、容易には社会制度や個々の法律、上位規範となる憲法を変えにくくするような、意思決定プロセスを導入しようとする立場として理解される(手続き的正義、デュー・プロセス・オブ・ロー)。つまり、安易に社会制度等を変更しようとする立場を、ポピュリズムと見なすことになる。
ただし、これも社会全体が外的要因によって変更や緊急の対応を迫られているときに、何らかの内的な反応を取らざるを得ない場合の可能性を考慮しなくていいのかという反論がある。革命運動は、このときの大衆運動に近い。
ポピュリズムは、既存政党への不満からうまれるものではあるが、既存政党も、ポピュリズム的な行動を採ることはある。これは、普通選挙を採っている社会では普遍的な現象と言える。日本では、小泉純一郎が「劇場型政治」と言い表されるような、有権者に分かりやすく、投票行動を促すような政治スタイルを取った。
ポピュリズムと政治思想
ポピュリズムは、具体的な政治思想を取らないものとも言える。つまりあくまで政治運動であって、それを動機づける政治思想自体は多様なものがありうるということである。
ポピュリズムと結びつくものとしては、資本主義、社会主義・共産主義、新自由主義、ナショナリズム、ファシズム、イスラム主義、人種主義まで様々あり、互いに矛盾するものもある。
歴史的なポピュリズム
政治運動として、ポピュリズムが有名になったのは、アメリカ合衆国の歴史において発生した、「ポピュリスト党」である。
南北戦争後に進展した商工業支配に対し、主に中西部・南部の農民層を支えた重農主義を背景に持つ。共和党と民主党双方が、工業化推進に動いていたので、農民たちは第三政党として、人民党(ポピュリスト党)を結成するに至った。これらの農民層に、南北戦争後奴隷身分から解放してくれた共和党、占領行政の後を引き受けた南部民主党(Bourbons)の二大政党のどちらにも絶望した黒人たちと、金本位制移行に怒り、金と銀の複本位制を復活して通貨量を増やせと主張する一派が連動した。南北戦争後の増産技術や運輸手段の発達で農産物の価格が下落、更に運輸会社、銀行、商人から高い運賃、利息、中間利益を取られた農民たちは、これを構造的な経済的締め出しと受け取った。複本位制を主張する者も、金本位制移行を国際的陰謀と受け取っている。活動家たちは生活協同組合方式の店舗を開店、生産物の共同購入と販売を行い、鉄道の国有化など、州や連邦政府が商工業者の経済活動に介入、彼らの寡占体制を是正することを求めた。南部民主党は彼らの要求を共産主義的と非難した。
ポピュリズムの組織としては、グレーンジ(Grange,1870年代)、ホイール(The Agricultural Wheel,1880年代)、農民連合(Farmers’ Alliance,1870~1890年代)などがあり、それらが1892年に、ポピュリスト党として結集した。
実際的な運動としては、保存の効く農産物を市場価格の低い間は貯蔵し、価格が上がってから売却してローンを返済する「副金庫計画」など、農民救済策を立てた。黒人党員もピーク時は100万人になったが、反商工業からくる反ユダヤ主義、プアホワイト党員の黒人敵視といった人種差別体質のため、組織全体が一体化することはなかった。また二大政党によるポピュリスト党政治綱領の取り込み、農産物の値上がり、党内における西部派と南部派の分裂などで、1890年代後半に衰退した。
ポピュリズムに分類される政党・人物
日本 |
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