孫興民 単語

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ソンフンミン

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孫興民(ソン・フンミン、손흥민、1992年7月8日 - )とは、韓国サッカー選手である。
イングランドプレミアリーグトッテナム・ホットスパーFC所属。サッカー韓国代表

ポジションはFW(左WG)。183cm77kg。利き足は右足。

概要

韓国江原出身。父親のソン・ウンジョンも元プロサッカー選手であり、U-23韓国代表としての経験もある。幼い頃からの厳しい導を受けたことで実をつけ、十代の頃からヨーロッパ舞台で活躍することになる。

2015年からイングランドトッテナムプレーしており、6年連続で二桁得点記録するなどアジア最高のフットボールプレイヤーと呼ばれるようになる。2021-22シーズンにはアジア人として初めてプレミアリーグ得点王を獲得。アジア年間最優秀選手に史上最多の3度選出されている。

スピードテクニックを駆使したドリブルと決定の高さでプレミアリーグでもトップクラスのアタッカーへと成長しており、トッテナムで見せるハリー・ケインとのコンビネーションは「プレミア最強デュオ」と称されるほど他チームの脅威となっている。

なお、正式な名前の表記は「孫興慜」。

経歴

生い立ち

プロサッカー選手であるソン・ウンジョンの次男として生まれる。少年時代からサッカー中で、普通子どものようにおもちゃゲームには興味を持たず、ひたすらプロサッカー選手になるための英才教育を受ける日々を過ごすのだった。

韓国では、小学校中学校サッカー部で育成を受けるのが通常だが、ソンはサッカー部には所属せず、14歳まで父親マンツーマンによる直接導という異色の育成期間を過ごす。であるウンジョンは、若い頃から勝利至上義で必要以上のトレーニングを積ませる韓国サッカー界のやり方を疑問視しており、ボールコントロールスキルを磨き上げさせるなど基礎に特化した独自の練習方法で息子たちを鍛えあげた。ただし、父親の訓練は底されたものであり、幼い頃からプロになるためのストイックな生活を過ごしていた。

2008年より東北高等学校に所属。在学中のKFA(韓国サッカー協会)が導でおこなっている優秀選手海外留学プログラムの第6期生としてドイツハンブルガーSVU-17チームに加入。すると、中心選手としてリーグ戦15試合9得点記録する活躍を見せ、翌年は1つカテゴリーが上のU-19チームリーグ戦に出場する。シーズン終了後、予定通り帰東北高校に戻るが、ハンブルガーの関係者から高く評価され、3か後に再びドイツへ渡ることになる。

ハンブルガーSV

2010年1月ドイツブンデスリーガハンブルガーSVに正式に加入することが決定する。契約期間は4年。最初はトップチームではなくユースチームに所属することとなる。すると、U-19チームリーグ戦で11試合6得点を挙げ、4部リーグに在籍するセカンドチームの試合にも出場し1得点記録し首の期待に応える活躍を見せる。

自身の18歳誕生日である2010年7月8日ハンブルガーとプロ契約を交わし、トップチームへと昇格。プレシーズンマッチで9ゴールを決める大活躍を見せたことで期待が膨らむが、開幕前に左足骨折するアクシデントに見舞われたことでデビューが大幅に遅れることに。10月30日1.FCケルン戦でブンデスリーガでのデビューを飾ると、デビュー戦で初得点記録。この活躍にブンデスリーガ公式サイトは前半戦最も良いデビューを果たした選手に選出。また、FIFA公式サイトの10代の有望選手の23人中の1人として名を連ねる。

プロ2年となった2011-12シーズンは、チームは開幕から深刻な不振によって開幕から低迷。監督がトルスティン・フィンクに交代となった中で途中出場が多かったもののコンスタントに出場機会を得て数少ないチーム希望となる。厳しい残留争いに巻き込まれた大事なシーズン終盤のハノーファー戦やニュルンベルク戦で重なゴールを決め、チームクラブ創設史上初の降格から救う活躍を見せる。2シーズンは30試合5得点と成績を伸ばし、チームからの信頼を勝ち得た1年となる。

2012-13シーズンでは、この年ラファエルファン・デル・ファールトが3年ぶりにチームに復帰したことが追いとなってスタメンに定着。選手としてのクオリティが飛躍し、チームエースと呼べる存在へと成長。特に前年度ブンデスリーガ王者であるボルシア・ドルトムントとの試合ではホームとアウェイの2試合で計4得点を決めるなど、大舞台での勝負強さも発揮。この年のゴール数は初めて二桁得点の大台に到達するチームトップの12ゴール記録しており、ハンブルガーを7位にまで上昇させる。

レヴァークーゼン

2013年6月14日、同じブンデスリーガバイヤー・レヴァークーゼンへの全移籍が発表される。移籍1000ユーロで当時のクラブの最高額となった。チェルシーFCに移籍したアンドレシュールレの代役として期待され、左サイドハーフを任されることとなったが、い段階からチームフィットし、11月9日の古巣ハンブルガー戦では、プロになって初となるハットトリックを達成。また、この年に初めてUEFAチャンピオンズリーグCL)のピッチにも立っている。リーグ戦では2シーズン連続での10得点公式戦通算43試合12得点と期待通りの活躍を見せ、チームCL出場権獲得に貢献する。

2014-15シーズンコンスタントに結果を残し、特にCLでは2014年10月1日ベンフィカ戦で初ゴール記録すると、11月4日ゼニト・サンクトベテルブルク戦で2ゴールを決めるなどチームグループステージ突破に貢献。シーズン前半戦だけで公式戦でのゴール数はすでに二桁に到達しており、チーム内ではクリスティアーノ・ロナウド文字った「ソナウド」というニックネームで呼ばれ、活躍を称えられている。最終的にブンデスリーガでは3シーズン連続で二桁得点に到達し、シーズン通算17ゴールという成績を残す。

2015-16シーズンになると、トッテナムへの移籍が読みとなり、ついには練習断欠席して渡英し、メディカルチェックへ向かう。これには流石チーム内外から批判が噴出し、後味の悪い移籍劇となる。

トッテナム

2015年8月28日イングランドプレミアリーグの強トッテナム・ホットスパーFCに5年契約で移籍。背番号は「7」。移籍2001年中田英寿パルマへ移籍した際のアジア人歴代最高額を更新する3000ユーロとなった。9月17日UEFAヨーロッパリーグカラバフ戦で移籍後初ゴールを含む2ゴール記録9月20日クリスタル・パレス戦でプレミアリーグゴール記録する。しかし、フィジカルを重視するイングランドスタイルフィットするのに苦労し、怪もあって不調に陥ってしまう。スタメンを確保することもできず、1年は期待外れの出来に終わる。

シーズンオフには放出の話も出ていたが、マウリシオポチェッティー監督の慰留もあって残留。すると、2016-17シーズンは飛躍の年となる。2年となったことでイングランド生活にも慣れ、チーム戦術も理解し、何よりハリー・ケインという最高の相棒を見出したことが大きかった。9月にはストーク戦で2ゴールを決めると、リーグ戦、CLと合わせて5ゴールの活躍を見せ、プレミアリーグ最優秀選手賞に選出される。3月12日FAカップミルウォール戦では移籍後初のハットトリック記録4月にはプレミアリーグでの二桁得点記録すると共にこの年2度最優秀選手に選ばれる。その後も勢いは止まらず、5月16日レスター・シティ戦で2ゴールを決めたことでシーズン通算21ゴール記録一気にプレミアリーグでもトップクラスのアタッカーとして成長した。

2017-18シーズンは開幕当初はなかなかゴールが生まれなかったものの、10月22日リヴァプール戦でケインアシストからプレミアリーグでのシーズンゴール記録CLではグループステージで4ゴールを決め、前回王者レアル・マドリードを押しのけての1位通過に貢献。結局CLベスト16で敗れたが、プレミアリーグではケインクリスティアン・エリクセンジャーメインデレアリと形成した攻撃のカルテットが機し、チェルシーとの優勝争いを演じてみせる。3月4日のハダーズフィールド戦で2ゴールを決め、プレミアリーグで2年連続二桁得点に到達。チームは終盤に尽きて優勝は逃したが、自身2度となるAFCアジア最優秀選手賞に選出されている。

2018-19シーズンは、の兵役義務の期間短縮がかかっていたこともあり第18回アジア競技大会に参加。そのためチームへの合流が遅れることになる。2018年11月24日プレミアリーグ第13節チェルシー戦でハーフライン付近からドリブルを開始し、相手5人を抜き去ってゴールを決め、シーズンゴール記録。この鮮ゴールはこの年のプレミアリーグ年間最優秀ゴールに選ばれる。新スタジアムのこけら落としとなった4月3日クリスタル・パレス戦ではトッテナム・ホットスパースタジアムでの第1号ゴールを決める。しい死闘となったCL準々決勝のマンチェスター・シティ戦ではホーム1st legで決勝ゴールを決めると、敵地での2nd legでは2ゴールを決め、準決勝進出に貢献。5月4日プレミアリーグ第37節ボーンマス戦で昂してジェフェルソン・レルマを突き飛ばし、退場となる。トッテナムCL準決勝も勝ち抜き、クラブ史上初の決勝進出を果たす。6月1日リヴァプールとの決勝では同胞のパク・チソンに次いで史上2人となるCL決勝のピッチに立ったアジア人選手となる。しかし、リヴァプールの守備の前に完封され、チームは敗れて準優勝に終わる。もっともこの年、クラブ年間最優秀選手賞を受賞。さらに2019年度のバロンドール補30人に選出される。

2019-20シーズンプレミアリーグ第5節のクリスタル・パレス戦での2ゴールシーズンゴールとなる。ところが、2019年11月3日の第11節エヴァートン戦でアンドレゴメスに対して背後から危険なタックルを見舞うと、アンドレゴメスの右足はあらぬ方向へ曲がり、長期離脱を強いられることに。このプレーで退場となったソンは3試合の出場停止処分を受けるが、トッテナム側の抗議によってレッドカードが取り消され、出場停止処分も撤回される。当然、この裁定によってソンとクラブ英国中から非難されることになる。その3日後のCLレッドスター戦でゴールを決めると、祝福はおこなわず、アンドレゴメスに対して謝罪の意を示す。さらに開幕から不安定な戦いを続けていたことで恩師であるポチェッティーノが解任となり、ジョゼ・モウリーニョが新監督に就任する。そんな逆の中、11月23日ウェストハム戦では自深くから相手7人をかわしてゴールを決める。このゴールは自身にとって2度となるプレミアリーグ年間最優秀ゴールに選ばれ、さらにはFIFAプスカシュ賞も受賞する。ところが、12月22日チェルシー戦でまたしても事件を起こす。接触で転んだ際に昂し、相手のアントニオ・リュディガーのを故意に蹴る報復行為で一発退場となる。それでも出場停止が解けると結果を残し、2020年2月16日アストン・ヴィラ戦で2ゴールを決め、リーグでの通算ゴール数を50とする。新型コロナウィルスによる中断期間を利用して兵役を終えると、リーグ再開後の7月12日アーセナル戦で1ゴール1アシスト記録すると、自身初となる二桁得点、二桁アシストを達成。前年に続いてクラブ年間最優秀選手賞も受賞する。

2020-21シーズンは、2020年9月20日の第2節サウサンプトン戦で自身初となる1試合4ゴール記録。しかも4ゴール全てがハリー・ケインアシストによるものだった。この年、長年コンビを組んだケインとのコンビネーションが例年以上に冴えわたり、10月には4ゴール2アシスト記録最優秀選手に選出。2021年3月27日の第27節クリスタル・パレス戦ではケインゴールアシストすると、二人のコンビによるゴールシーズン14得点となり、リーグ史上最多記録立。名実共にプレミア最強デュオとなる。シーズン後半戦に入って急に失速したことで4月モウリーニョ監督更迭されるが、最後までケインとのコンビは大暴れし、最終的に17ゴール10アシスト記録シーズン終了後には自身初となるPFA年間ベストイレブンに選出される。

2021-22シーズン開幕戦では、前年王者マンチェスター・シティを相手に決勝ゴールを決める順調なスタートを切る。シーズン前半戦はチームの不調に加え、相棒ケインの不調という状況で孤軍奮闘。2021年だけで公式戦二桁得点記録する。アントニオ・コンテが監督に就任し、チームが復調。さらにケインも復調した年明け以降は、負担が減ったことでさらにゴールを量産。2022年4月9日アストン・ヴィラ戦ではハットトリック記録5月7日の第34節リヴァプール戦では、リヴァプールの連勝記録を止めるゴールを決め、ゴール数が自身初となる20ゴールの大台に到達。5月12日アーセナルとのダービーマッチCL出場権を争う重要な試合となったが、チームの3点を決め勝利に貢献。4月5月の脅威的な追い上げによって得点王への期待も大きく膨らむと、5月22日の最終節ノリッジ戦で後半に2ゴールを決め、結果23ゴール7アシストシーズンを終え、モハメド・サラーと並びプレミアリーグ得点王を獲得する。なお、欧州4大リーグアジア出身の選手が得点王を獲得したのは史上初の快挙である。

2022-23シーズンは開幕から調子があがらず、公式戦8試合連続ノーゴールという状況になる。批判が高まるようになった中で2022年9月17日レスター・シティ戦ではスタメンを外れる。だが、後半14分から出場すると、待望のシーズンゴールを決めたのを皮切りにハットトリックの大活躍を見せる。11月1日CL オリンピック・マルセイユ戦で左眼窩底骨折を負い、前半29分で交代となる。その後も前年のような爆発的な得点を発揮できず、CL出場権獲得から遠のくチームにあって批判の対の一人とされる。それでも終盤になり本来の得点を発揮するようになり、2023年4月30日リヴァプール戦でゴールを決め、プレミアリーグで7シーズン連続での二桁得点に到達する。

2023-24シーズンは、退団したケインに変わってチームキャプテンに就任。2023年9月2日プレミアリーグ第4節バーンリー戦ではキャプテン就任後初ゴールを含むハットトリックの大活躍を見せ、チーム勝利に導く。ポジションケインが務めていた3トップセンターに移り、好調なスパーズのエースとして9月は4試合6ゴールの活躍を見せ、3年ぶりに最優秀選手に選ばれる。

韓国代表

2008年韓国U-17代表に選出され、翌年10月ナイジェリアで開催された2009 FIFA U-17ワールドカップに出場。グループリーグ初戦のウルグアイ戦と第3戦のアルジェリア戦でゴールを決め、グループ2位通過に貢献。準々決勝のナイジェリア戦で一度は同点とするゴールを決めるが、チームは敗れる。それでもチームトップの3ゴールを決め、韓国ベスト8進出の立役者となる。

2010年12月に初めて韓国代表に選出されると、12月30日シリアとの善試合で18歳若さフル代表デビューを果たす。2011年1月カタールで開催されたAFCアジアカップ2011にも出場。1月18日グループリーグ第3戦のインド戦において後半36分に代表初ゴール記録。その後はコンスタントに代表で出場できずにいたが、2013年3月26日2014 FIFAワールドカップ アジア最終予選で2勝1分1敗という状況でのホームカタール戦において、1-1で迎えた試合終了直前に値千の決勝ゴールを決め、ワールドカップ出場権獲得の立役者となる。

2014年6月ブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップに出場する韓国代表メンバーに選出される。グループリーグ3試合全てにスタメンとして出場し、第2戦のアルジェリア戦ではワールドカップゴールを決める。しかし、チームは1勝もできないままグループリーグ敗退となる。また、9月に自開催となる仁川アジア大会に大サッカー協会は出場させようとするが、所属するレヴァークーゼンが承諾しなかったことで実現しなかった。

2015年1月にはオーストラリアで開催されたAFCアジアカップ2015に出場。欧州での実績からエースとしての活躍が期待される立場となったが、グループリーグの3試合では不発に終わる。だが、準々決勝のウズベキスタン戦の延長戦で2ゴールを決め、ようやく勝利に貢献。準決勝のイラク戦も勝ち抜いたチームは、決勝で開催オーストラリアと対戦。0-1でビハインドを背負い敗色濃厚となった後半終了直前に起死回生の同点ゴールを決め、チームを救う。しかし、延長戦で尽きたチームは準優勝に終わる。大会のベストイレブンに選出されたが、自身初の代表でのタイトルを逃すことに。

2015年9月3日2018 FIFAワールドカップ アジア2次予選ラオス戦では自身代表で初となるハットトリック記録。2次予選ではチームトップとなる6ゴール記録している。

2016年8月に開催されたリオデジャネイロオリンピックに出場するU-23韓国代表にオーバーエイとして選出される。メダルを獲得すれば兵役が免除されるという条件が付いたことから所属するトッテナムからの出場許可を得ることができ、高いモチベーションで挑んだはずだったが、初戦のフィジー戦のPKによる1ゴールのみに終わり、チームも準々決勝で敗退。OAとして出場しながら、スパーズで見せる活躍が発揮できなかったことで批判を受け、兵役免除のチャンスも逃すことに。

2016年9月からの2018 FIFAワールドカップ アジア最終予選では、すでに世界的なビッグネームとなっていたことで相手からのマークに遭い、孤立する場面が多くなる。2016年10月6日カタール戦では重な決勝ゴールを決めて勝利に貢献するが、最終予選でのゴールはこの1ゴールのみとなる。

2018年6月には、自身にとって2度となる2018 FIFAワールドカップ ロシア大会に出場。第2戦のメキシコ戦で試合終了間際にゴールを決めるものの、チームグループリーグ2連敗でくも敗退が決定する。それでも、第3戦では前回優勝ドイツを相手にまたも試合終了直前にゴールを決め、強相手の大金星に貢献。結果、大ドイツ連れに大会を去ることになる。

2018年8月にはインドネシアで開催される第18回アジア競技大会に出場するU-23韓国代表にOAで選出。出場が認められた背景には、21か間の兵役義務が前に迫っており、所属するトッテナムも異例中の異例でプレミアリーグの序盤戦を欠場することになっても出場を認めることとなった。いわば今後のサッカー人生を大きく左右する重要な大会となったのだった。キャプテンを任されたソンは、豊富な際経験でチームを牽引。決勝の日本戦は延長戦までもつれこむこととなったが、2アシストの活躍によって見事韓国優勝へと導く。1ゴール5アシストと若手をサポートしつつ、ラストチャンスで兵役免除を勝ち取ることができた。そして、この大会がプロになって初めて獲得したタイトルとなった。

2019年1月には、UAEで開催されたAFCアジアカップ2019に出場。しかし、自身はまさかの大会ノーゴールで終え、チームも準々決勝でカタールに敗れ、失意の大会となる。大会後、キ・ソンヨンが代表引退を表明したことで韓国代表のキャプテンに就任。2021年9月からの2022 FIFAワールドカップ アジア最終予選では、チーム最多の4ゴール記録し、9大会連続での出場権獲得に貢献する。2022年6月6日チリ戦で韓国代表として100試合の出場を果たし、FKからの直接ゴールを決める。

2022年11月に開催された2022 FIFAワールドカップカタール大会は直前のCLで左眼窩底骨折を負い手術を受けたことで出場が危ぶまれたが、顔にフェイスガードを付けて強行出場する。大会では全4試合でフル出場を果たしたものの、やはり負傷ので本調子ではなくノーゴールに終わる。それでもグループリーグ第3戦のポルトガル戦では、試合終了直前のファン・ヒチャンの決勝ゴールアシストし大逆転での決勝トーナメント進出に貢献している。

2024年1月AFCアジアカップ2023では、第2戦のヨルダン戦で先制ゴールとなるPKを決め、第3戦のマレーシア戦でも試合終了間際に勝ち越しゴールとなるPKを決めている。準々決勝のオーストラリア戦では延長戦に決勝ゴールとなる直接FKを決め、チーム勝利に導いている。しかし、準決勝のヨルダン戦で敗れ、タイトルを獲得することはできなかった。
大会後、ヨルダン戦の前日に食事々に終わらせて卓球じようとしていたイ・ガンインら若手選手を咎めたことで揉め事が起きたことが発覚。注意された若手勢が反発し揉み合いになった際にソンはを脱臼。韓国内ではイ・ガンインらに対するしいバッシングが巻き起こる騒動となる。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2010-11 ハンブルガー ブンデスリーガ 13 3
2011-12 ハンブルガー ブンデスリーガ 27 5
2012-13 ハンブルガー ブンデスリーガ 33 12
2013-14 レヴァークーゼン ブンデスリーガ 31 10
2014-15 レヴァークーゼン ブンデスリーガ 30 11
2015-16 レヴァークーゼン ブンデスリーガ 1 0
トッテナム プレミアリーグ 28 4
2016-17 トッテナム プレミアリーグ 34 14
2017-18 トッテナム プレミアリーグ 37 12
2018-19 トッテナム プレミアリーグ 31 12
2019-20 トッテナム プレミアリーグ 30 11
2020-21 トッテナム プレミアリーグ 37 17
2021-22 トッテナム プレミアリーグ 35 23
2022-23 トッテナム プレミアリーグ 36 10
2023-24 トッテナム プレミアリーグ

個人タイトル

プレースタイル

攻撃的なポジションならどこでもこなせるが、メインポジションは左ウイングスピードに乗ったドリブルからのカットインが最も得意なプレーであり、細かいタッチでかわしながら、スペースを見つけた時にギアを上げて一気に抜き去ることが多い。フィジカルも強いため、屈強なイングランドのDFに当たられてもバランスを崩すことなく、ボールを運ぶことができる。

決定の高さも世界トップクラスであり、逆足の精度も高く、両足からパンチのあるシュート叩き込むことができる。ストライカー的なセンスも高く、フリーランニングでDFの死に入り込むのがうまい。同サイドボールを回している間に内側へ入り込み、相手の意識が外側に行ったところで再度外側へ回り込み、マークを外してボールを受けたり、必要に応じて逆サイドへ流れるなど味方をサポートする動きにも長けている。

2019年2020年に2年連続で二桁得点二桁アシスト記録するなど、周りを使うプレーも年々進化しており、トッテナムでのハリー・ケインとのコンビネーション吽の呼吸と言えるレベル

守備での貢献度も高く、運動量とスピードを生かして献身的に前線からプレッシャーをかける。ただし、プレスバックのタイミングを間違えたり、自に戻っての守備は得意ではない面もある。

に強く、勝負強いため強メンタルの持ちだが、熱くなりすぎてしまうのは弱点であり、感情的になってラフプレーに走ったり、報復行為など余計なことをしてしまうのは玉に瑕。

人物・エピソード

韓国では絶大な人気を誇るスーパースターであり、同での好きなスポーツ選手のアンケートでは2017年から2021年まで5年連続1位いている。

父親のソン・ウンジョン韓国版・と言えるほど底的なスパルタ導で息子を幼い頃から鍛えており、逆足の左足をうまく使えるように日常生活において靴ひもを結ぶとき、靴下を履くときなどを左足からするよう促している。この独自のトレーニング方法は欧州でも注を集め、BBCニュースで特集が組まれたほど。
フンミンがハンブルガーに加入した際は、息子をさらに鍛えるためにドイツまで付いてきており、アカデミーの隣の安いモーテルに宿泊。息子叩き起こすと、チーム練習前にみっちりとウエイトトレーニングシュート練習を課している。一方、祖国を離れた息子ホームシックにならないよう韓国料理を自ら振る舞うなど、生活面でサポートしている。

世界的なスター選手となってもの教えは守っており、24時間をサッカーのために費やすストイックな生活を送り、引退するまで結婚はしないと宣言している。

レヴァークーゼン時代のチームメイトであるハカンチャルノールとはの仲だと言われており、トッテナムへ移籍した際、強引なやり方で移籍を進めた経緯もあって互いにメディアを通して口論となっている。

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