栗田ターンとは、
- 太平洋戦争中、レイテ沖海戦において栗田健男中将指揮する第一遊撃部隊が行った反転 の俗称。
- 1に由来し、オンラインゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」において提督たちに襲いかかる確率の悪戯。
- 同じく1に由来し、一部ニコ動歴戦ゲ系動画において栗田中将に付与される反転衝動。
のことである。
1.反転
1944年、フィリピン近海で行われた一連の海戦において、日本側作戦『捷一号作戦』での水上部隊の役割は、ハルゼー大将率いる敵機動部隊を空母部隊である機動部隊本隊 が北方に誘致し、基地航空隊と共にこれを撃滅。栗田健男中将が指揮する「大和」「武蔵」「長門」他高雄型重巡洋艦四隻などを中核とする第一遊撃部隊 が、この間接掩護のもと上陸部隊を輸送する攻略部隊を捕捉殲滅、既に上陸を開始した場合は上陸2日以内に上陸地点(捷一号作戦ではルソン島、レイテ島、ミンダナオ島の3島が候補だった)に突入してこれを殲滅することとなっていた。
なお、詳細な作戦行動についてはこのニコニコ大百科でも「レイテ沖海戦」の記事が非常に詳しく書いてくれているので、必要ならばそちらも確認されたい。
しかし第一遊撃部隊は以下の要因によりレイテ湾入り口近くまで到達しながら反転し北上してしまった。
- 進撃中に「武蔵」撃沈をはじめとする多大な損害を被った。
- 期日が上陸から5日も経過していて、上陸地点についても既に上陸は終わり、地上のどれが敵でどれが味方か分からず攻撃できず、作戦は破綻している。
- 連日にわたり大空襲を受け、更に午前中にサマール沖で敵機動部隊の一群(誤認で実際は護送空母の一群)と接触した事と、機動部隊本隊からの連絡がない事から敵機動部隊の北方誘致は失敗したと考えた。(実際軍令部でもそう判断していた)
- 北方に敵機動部隊がいるという報告が入り、効果を望めない攻略部隊撃滅に向かうより、基地航空隊が果たせていない敵機動部隊殲滅を目指した方が戦局に貢献できると考えた。
こうして第一遊撃部隊はレイテ湾突入寸前に反転、北方へ転針。しかし北方の敵機動部隊という情報は誤りで、第一遊撃部隊は再突入の機会を逸し撤退した。結果的に作戦は失敗に終わり、太平洋戦争後期の日本軍に黒星を増やすのみの結果に終わった。また、この敗北により参加した第一遊撃部隊、第二遊撃部隊は戦力が半減、機動部隊本隊と単独で先行突入した西村部隊は壊滅し日本海軍は事実上止めを刺され、この後には組織的行動を取ることが困難となった。
終戦後、第一遊撃部隊の行動について幾多の議論とともに多くの説が囁かれた。栗田中将自身が戦後取材で語った発言などもあるが、その明確な理由は不明のままになったことから、「謎の反転」と呼ばれるようになった。
この「謎の反転」については現代でも研究書が何冊も出版され議論され続けている。反転を決断した栗田を批判するものが多かったが、最近ではそれら批判内容の殆どが資料考証不足、検証不足、客観的でない感情的な批判、勘違い・思い込みによる批判であることが判明してきている。中には映画や書籍で脚色された描写を正しいと思って議論をしていた者がいたほどである。
代表的な事例として映画「連合艦隊」の描写を事実と考えている者が多い
- 捷号作戦での機動部隊本隊の北方誘致が当初より「囮」であることが決まっていた作戦 →実際は航空隊を整備して従来通りの機動部隊として敵を誘致し、基地航空隊と協力してこれを殲滅するというのが作戦であった。「囮」となったのはあくまでも直前の台湾沖航空戦で再建した航空戦力を提供してすり潰してしまったのと、かき集めれた航空機が100機ちょっとでしかなかったからそうなってしまっただけで、実際には機動部隊本隊は当初の作戦通り、少ないながらも航空戦力の一翼として敵を誘致し攻撃している。
- 瑞鶴は殆ど艦載機を積まず、格納庫内もガラガラの状態だった →実際にはこの時瑞鶴が搭載した艦載機は66機であり、マリアナ沖海戦の時の77機と比べてもそれほど大差はない。また残りの3空母(瑞鳳、千歳、千代田、それぞれ搭載機定数は30機)も各17~18機と定数の半数以上は搭載している。つまり機動部隊本隊は4空母で搭載できる艦載機の半数以上を積んで出撃していたことが判る。
- 宇垣(第一戦隊司令官)が旗艦を愛宕から大和に替えるべきと進言するが栗田が却下する →実際は逆でマリアナ沖海戦後に艦隊が内地に帰還した際に、小柳第二艦隊参謀長や第一機動艦隊参謀の双方より、軍令部及び連合艦隊に旗艦を大和型に変更したいと進言するが共に却下している。尚この話は戦史研究の基本資料である戦史叢書 にも記載されている話であることから、栗田に「頑迷な軍人」というイメージを持たせようと制作側が演出上行った創作であることが判る。
- 反転した際に宇垣が大声で反対し、突入をするべきだと述べた ➡宇垣が反転した時点で不服そうであり、「北に行くのか」と尋ねたのは現場に居合わせた当事者の証言などがあるが、不服だった理由が「突入するべきだと宇垣が思っていたから」というのは現在では否定的である。宇垣自身は上陸部隊を攻撃するよりも敵主力部隊との決戦を望んでいた事が彼自身の日記「戦藻録」の9月23日の記述にあり、反転直前のサマール沖海戦でも、栗田が敵艦隊追撃を取りやめ、突入を再開するために集結命令を出した際も「何を思ったか」と不満であったととれる記述もしている。
- 反転した当日も空襲を受けていた事がなかった事になっている ➡栗田と宇垣の会話の中で、小沢艦隊からの連絡がない事に栗田が苛立っていると、宇垣が「空襲がないのは囮作戦が成功している証だ」と発言するシーンがあるが、実際は栗田艦隊はサマール沖海戦後も断続的に空襲を受け、反転を決断した時も空襲の最中であり、事実と全く異なっている。
この他にも史実と異なる描写が多くみられる。映画という娯楽作品である訳だから脚色があって当然なのだが、レイテ沖海戦を映像化しているほぼ唯一の作品であり、映画での描写を「事実」と考えてしまっている者が多い。
当時の評価はどうだったかというと、今とは全く逆で栗田は「敵機動部隊の一群を自隊だけで殲滅した」として評価は非常に高かった。この後栗田は海軍兵学校長となり終戦を迎えるわけだが、海軍兵学校長は将来の海軍を背負う人材に海軍の基本を教育する重要な職責の長であり、歴代海軍大学校甲種修了者が務めていて、その出身者がなったことは殆どない。戦力も殆ど失い、多くの将官が予備役入りなどして人員整理がされる中、それに引っかからずに逆に栄転している訳である。この人事を「海軍による暗に左遷人事」という海軍出身者もいるが、海軍兵学校長が左遷人事先であるという考えはなく、他国でも見受けられない。上記のように人材を育てる重要な職責である。
しかしながら実際には海軍兵学校では栗田の他に井上成美が左遷されたと言われており、陸軍の予科士官学校の校長では牟田口廉也が、またドイツではクラウゼヴィッツが士官学校の校長に左遷された人間に該当するとされている。これを栄転とするのは一方的な見方しかできない人間の非常に偏った見識である。
逆に現在では評価の高い西村祥治の方が、当時及び戦後の一時期評価は低かったという。戦後まもなく刊行されたレイテ沖海戦関係の書籍では第一号である「レイテ沖の日本艦隊」では西村の行動を厳しく批判し、ほぼ戦犯扱いである。また西村部隊で唯一生還した時雨艦長の証言として「長官は戦死して良かったと思う」(その後の彼への批判を知らずに死ねてよかったという意味)という発言も掲載している。
この他にもこの問題に対する問題は多くあり、ニコニコ大百科でその内容まで書ききれるはずもないので、最後に、当時の英国首相ウィンストン・チャーチルの回顧録からの言葉を引用して記述を終えたい。
2.「艦隊これくしょん~艦これ~」において
ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」の戦闘において、マップ内でのルート分岐時には「らしんばんまわすよー」「えー、らしんばんまわすのー……」などの台詞とともに羅針盤が登場し、プレイヤーが画面をクリックすると高速回転して分岐先が決まるというシステムを採っている。のだが……
「羅針盤のせいでボスに辿りつけない」「ボス手前で羅針盤に引っかかって逆方向に行ってしまった」という問題が頻出し、マップクリアや任務達成に苦労するようになった。また、マップによってはこの羅針盤によって向かう方向が明らかにそれまでの道から180度反転し出撃地点へ戻るような形になることもあり、いつの間にか「栗田ターン」と呼ばれるようになった。なお、分岐の中には艦隊に含まれる艦娘の種類や速力、隻数によって進撃する方向が固定、あるいは特定の方向に向かいやすくなる地点も存在する。
ちなみに、羅針盤は回すものではない。
3.ニコニコ歴戦ゲ系の一部動画において
1の謎の反転によって、栗田提督に「反転キャラ」のイメージが付いて回るようになったため、「提督の決断」などの太平洋戦争海戦ゲームでは「とりあえず反転したがる」といったキャラクターが付与されることがある。
なお、本来の栗田提督は水雷に一家言ある、ゲーム内でも普通に有能な提督である。
別に普段から反転するのが趣味だったりするわけではない。
関連項目
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