1916年(大正5年)
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年 | 1904年 | 1915年 | 1916年 | 1917年 | 1928年 |
干支 | 辰 |
卯 |
辰 |
巳 |
辰 |
1916年の事柄
ベルリンオリンピック開催中止
1912年のIOC総会でドイツのベルリンがオリンピックの開催地に選ばれていたが、第一次世界大戦の長期化に伴い中止された。1936年に再びベルリンが開催地となったが、ナチス独裁政権によりプロパガンダ、国威発揚の場として利用された。
ヴェルダンの戦い
2月21日、ドイツ軍が西部戦線でフランスの要塞都市ヴェルダンに全面的な攻勢をかける。ドイツ軍の参謀総長ファルケンハインは断続的に多大な損害を出しながら攻撃し続ける戦略を取り、フランス軍のペタン将軍は自動車を駆使した物資の輸送で対抗した。
莫大な砲弾と、毒ガス、火炎放射器などが使用され、ヴェルダンは両軍合わせて100万人近い損失を出した第一次世界大戦最大の戦場となった。ファルケンハインは「ヴェルダンの血液ポンプ」「ヴェルダンの骨ミキサー」などと揶揄されて更迭され、後任に東部戦線で活躍していたヒンデンブルクが就いた。
新兵器「戦車」が登場
第一次世界大戦の西部戦線は塹壕戦により膠着状態となり、7月1日より始まったソンムの戦いでは機銃掃射でイギリス陸軍が1日で5万7000人の損失を出すなど悲惨な状態となっていた。イギリス軍司令官のヘイグ将軍は「ソンムの肉屋」と揶揄された。
兵士が塹壕から突撃しては機関銃でなぎ倒されるという埒が明かない状態を前に、各国は鉄条網を踏み潰して塹壕を超えられる、兵器の開発を進めていた。
9月15日、突如ドイツ軍の前に朝霧の中を炎を吹き上げて進む鉄塊が出現。新兵器「戦車」の登場であった。ドイツ軍は正体不明の物体にパニックに陥り、イギリス軍は丘陵地帯の占領に成功するなど一定の戦果を挙げた。
とはいえ全体でみればその影響は小さなものであり、11月に攻勢が打ち切られた時点で連合軍が63万人、ドイツ軍が66万人の損失を出してまた膠着状態に戻ったのであった。
なにぶん初めてのことで使い方が確立されておらず、側面のスポンソン(張り出し)や武装が地形に引っかかったり、迷彩が土で汚れ意味を成さなくなるなど想定外の欠点が次々露呈。49両が投入されたがエンスト、迷子、穴にハマる、歩兵に置いていかれるなどで5両しか参戦できなかった。
戦車が真の威力を発揮するのは開発が進み、もっと台数が揃えられてからの話になる。第二次世界大戦では歩兵の支援車両から戦場の花形となり、地上戦で中心的な役割を果たした。
秘匿名称「タンク(水槽)」は戦車を指す言葉となった。当初は「水運搬車(Water Carrier)」という秘匿名称だったが、略称がW.C.(便所)ではあんまりだという話になり変更されたという。
→ Mk.1戦車
日本初の鉄筋コンクリート造高層アパートが建つ
炭鉱の島として発展する長崎県の小島「端島」に、鉱員用住宅として4階建て(のちに増築されて7階建てに)の鉄筋コンクリート造アパート(30号棟)が建設された。以降は開発が進み、端島には鉄筋コンクリート造の高層アパートが林立するようになる。
1921年に長崎日日新聞が端島を取材し、建造中の戦艦「土佐」のようだとして「軍艦島」という呼び名を使用。これが広まり端島は「軍艦島」の愛称で呼ばれるようになる。1916年にも大阪朝日新聞が2本煙突の巨大な軍艦のようだと紹介している。
1916年の出来事
1月 | 「婦人公論」(中央公論社)創刊 |
1月10日 | 中央気象台が24時間観測を開始 |
1月12日 | 大隈重信首相に缶詰爆弾が投げつけられる(不発) |
1月14日 | 大戦で運休したオリエント急行に代わり、ベルリン~バルカン半島でバルカン列車が運行開始 |
1月17日 | 全米プロゴルフ協会設立 |
2月21日 | ヴェルダンの戦い ~12月19日 |
3月31日 | 警察庁が囚人を護送する馬車を自動車に切り替える |
4月 | 欧米式のエイプリルフールが日本に伝わり四月馬鹿として流行 |
5月31日 | ユトランド沖海戦 ~6月1日 |
7月 | コカ・コーラの瓶が現在の形(コンツアーボトル)になる |
7月1日 | ソンムの戦い ~11月18日 |
7月15日 | 航空機製造会社B&W(現・ボーイング)創業 |
7月24日 | 横浜に入港したハワイ丸の乗客からコレラの感染が全国に拡大 (この年の患者数1万371人、死者数7482人) |
7月26日 | 警視庁が闘犬、闘鶏、闘牛を禁止する(闘犬の流行を受けて) |
8月15日 | 1円券の記番号がアラビア数字に変更される |
9月15日 | ソンムの戦いでイギリス軍が世界初の戦車「マークI」をドイツ軍に対し投入 |
10月5日 | シベリア鉄道がモスクワからウラジオストクまで全線開通する |
10月9日 | 東京菓子株式会社(のちの明治製菓、現・明治)設立 |
11月10日 | 北里柴三郎を会長として大日本医師会が設立される |
架空の出来事
1916年生まれの著名人
1月5日 | 赤根谷飛雄太郎 | プロ野球選手、プロ野球史上最も漢字名が長い |
3月1日 | 有島一郎 | 俳優、「暴れん坊将軍」加納五郎左衛門役 |
3月3日 | 小島千鶴子 | ジャスコ(現・イオン)の創設者 |
3月28日 | 岩谷トキ子 | 作詞・訳詞家、「愛の讃歌」「恋のバカンス」「サン・トワ・マミー」 |
4月5日 | グレゴリー・ペック | 俳優、「ローマの休日」「オーメン」「アラバマ物語」 |
4月9日 | 木下忠司 | 作曲家、「ああ人生に涙あり」(時代劇「水戸黄門」の主題歌) |
4月24日 | ルー・テーズ | プロレスラー |
4月30日 | クロード・シャノン | 電気工学者、情報理論の考案者 |
5月1日 | ヴィクトル・スタルヒン | プロ野球選手 |
6月8日 | フランシス・クリック | 科学者、DNAの二重らせん構造の発見でノーベル生理学・医学賞を受賞 |
6月14日 | 岩本徹三 | 軍人、撃墜王 |
6月15日 | ハーバート・サイモン | 政治学者、経営学者、チューリング賞とノーベル経済学賞を受賞 |
6月28日 | 呉昌征 | プロ野球選手 |
7月1日 | オリヴィア・デ・ハヴィランド | 女優、「風と共に去りぬ」 |
7月2日 | ハンス=ウルリッヒ・ルーデル | 軍人、多くの戦車、トラックを撃破し一人で一個師団の価値があると言われた |
7月4日 | アイバ・戸栗・ダキノ | 第二次世界大戦中の連合国向けプロパガンダ放送の女性アナウンサー、通称「東京ローズ」の一人 |
7月27日 | 鶴岡一人 | プロ野球選手、プロ野球史上最多勝利・最多リーグ優勝監督 |
8月14日 | 藤村富美男 | プロ野球選手、ミスタータイガース |
8月26日 | 坂井三郎 | 軍人、自叙伝「大空のサムライ」 |
9月13日 | ロアルド・ダール | 小説家、「チャーリーとチョコレート工場」 |
9月17日 | 三宅邦子 | 女優、「東京物語」など小津安二郎監督作品に多く出演 |
10月26日 | フランソワ・ミッテラン | 政治家、第21代フランス大統領 |
11月24日 | 片岡博國 | プロ野球選手、明治神宮外苑打撃練習場の創業者 |
12月15日 | モーリス・ウィルキンス | 生物物理学者、X線構造回析によりDNAの構造を研究しノーベル生理学・医学賞を受賞 |
12月25日 | 福田孝 | フクダ電子創業者 |
1916年に亡くなった著名人
2月13日 | ヴィルヘルム・ハンマースホイ | 画家、静寂な雰囲気の室内画を多く描く |
2月19日 | エルンスト・マッハ | 物理学者、衝撃波を研究し「マッハ数」に名を残す |
3月4日 | フランツ・マルク | 画家、ドイツ表現主義の主要人物 |
6月5日 | ホレイショ・ハーバート・キッチナー | 軍人、見るものを指差す英国の新兵募集ポスターで有名 |
6月6日 | 袁世凱 | 初代中華民国大統領 |
6月18日 | マックス・インメルマン | 軍人、アクロバット飛行「インメルマンターン」に名を残すドイツの撃墜王 |
6月18日 | ヘルムート・フォン・モルトケ | 軍人、ドイツ軍司令官として第一次世界大戦に踏み切る 同名の叔父と区別し小モルトケと呼ばれる |
7月6日 | オディロン・ルドン | 画家、目玉などをモチーフにした画を多く描く |
7月16日 | イリヤ・メチニコフ | 微生物学者、白血球の食作用を研究しノーベル生理学・医学賞を受賞 |
7月23日 | ウィリアム・ラムゼー | 化学者、貴ガスの発見でノーベル化学賞を受賞 |
8月8日 | 山葉寅楠 | ヤマハ創業者 |
9月15日 | ユリウス・フチーク | 作曲家、「剣闘士の入場」 |
10月31日 | チャールズ・テイズ・ラッセル | 「エホバの証人」設立者 |
11月21日 | フランツ・ヨーゼフ1世 | オーストリア皇帝、ハンガリー国王 |
11月24日 | ハイラム・マキシム | 発明家、マキシム機関銃の開発者 |
12月9日 | 夏目漱石 | 小説家、「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「こゝろ」 |
12月17日 | グレゴリー・ラスプーチン | 祈祷僧、怪僧、ロシア帝国の権力者に取り入って暗躍 |
関連動画
関連項目
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