イルカイ・ギュンドアン 単語


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イルカイギュンドアン

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イルカイ・ギュンドアン(İlkay Gündoğan, 1990年10月24日 - )とは、ドイツのサカー選手である。
トルコスュペル・リグガラタサライSK所属。元サッカードイツ代表

ポジションMF180cm80kg。効き足は右足。

「ギュンドガン」と表記されることもあり、以前はこちらの呼称のほうが多かった。

概要

ドイツゲルゼンキルヒェン出身。トルコ人の両を持つトルコドイツ人であり、以前はトルコ籍だった。プレービジョン運動力、リーダーシップに優れたMFであり、ユルゲン・クロップジョゼップ・グアルディオラといった稀代の名将からその才を高く評価されている。

2005年ドイツブンデスリーガマインツの下部組織に入団。しかしマインツではトップチームデビューの機会が訪れなかった。

2009年ドイツブンデスリーガニュルンベルクへ移籍しプロデビュー2010-2011シーズンにはリーグ戦25試合5得点記録するなどの活躍を見せ注を集めた。

2011年ドイツブンデスリーガボルシア・ドルトムントへ移籍。1シーズンである2011-2012シーズンからすぐにチームに溶け込み28試合3得点記録クラブブンデスリーガ2連覇に貢献した。2012-2013シーズンも中心選手としてプレークラブブンデスリーガ2位UEFAチャンピオンズリーグ優勝となったが、自身としては素晴らしいパフォーマンスを披露した。

2016年マンチェスター・シティへ移籍してからはジョゼップ・グアルディオラ監督導によってプレーメーカー以外の中盤の役割をこなせる選手へと進化していき、二列から飛び出すボックス・トゥ・ボックスの動きを極めたことで得点力も開キャプテンを務めた2022-23シーズンはシティの初のトレブル三冠)獲得に貢献。この栄冠を置き土産2023年からFCバルセロナへ移籍するが、わずか1年でシティに復帰。2025年に自身のルーツであるトルコガラタサライSKへ移籍。

ドイツ代表には2011年10月デビュー。怪によって2014 FIFAワールドカップ優勝メンバーにはなれなかったものの、その後のFIFAワールドカップには二大会連続で出場。2023年9月からは代表のキャプテンに任命されている。

日本では香川真司友としても知られ、ネットでは「牛丼」という愛称しまれている。

経歴

生い立ち

ドイツゲルゼンキルヒェンにおいてトルコ人の両のもとで生まれる。方の祖父トルコバルケスィル地方からルール地方へと移住してきた出稼ぎ労働者であり、炭鉱労働者として働いていた。

幼くしてフットボール興味を持つようになり、3歳のときには両希望もあってSVゲルゼンキルヒェン=ヘスラー 06というクラブに入団しキャリアスタートさせる。

8歳になった1998年に地元の名門であるシャルケ04へ移籍する。しかし、成長の問題もあって満足プレーさせてもらえず、わずか1年で退団し元のクラブに戻っている。このときの経験を本人は「居心地が悪かった」「人生最悪の失望の一つだった」と振り返っており、13歳のときにシャルケから再契約オファーを受けるもこれを拒否している。

15歳となった2005年にVfLボーフムのユースチーム入団。2006-07シーズンU17リーグで24試合14得点と結果を残すうと、翌年はU19チームに昇格し、ここでも前半戦の12試合で10ゴール爆発2008-09シーズンにはレギオナルリーガ(3部リーグ)に所属するボーフム試合に出場。この頃には世代別のドイツ代表にも選ばれており、将来を有望視される若手の一人となっていた。

ニュルンベルク

2009年に2.ブンデスリーガの1.FCニュルンベルクに移籍しトップチームでのデビューを果たす。 チームブンデスリーガに昇格をした2009-10シーズンになると出場機会が増え、トップリーグでビューを飾る。2009年9月19日ブンデスリーガ第4節のバイエルン・ミュンヘン戦でプロとしての初アシスト記録する。さらに2010年2月20日ホームバイエルン戦でプロゴールを決める。この年、チームは降格の危機に直面するが、アウクスブルクとの昇格プレーオフではゴールを決め、チームの残留に貢献する。

2010-11シーズンクラブ力としての地位を確立させ、プレーメーカーとしてチームの躍進に貢献。攻撃的MFセンターハーフとして起用され、怪で欠場した時期もあったものの25試合5得点2アシストの成績を残し、中盤の軸としてニュルンベルクの6位フィニッシュの立役者となる。この若きMFの活躍をこの年ブンデスリーガを制した新進気鋭の名将が注していた。

ドルトムント

2011年5月11日ブンデスリーガ王者となったばかりのボルシア・ドルトムントへの移籍が発表される。ユルゲン・クロップ監督からは移籍したヌリ・シャヒンの後釜として期待され、ボランチとしてゲームを組み立てる役割を与えられる。当初は新しい役割にフィットできずに苦戦していたものの、クロップ監督が辛抱強く起用したことで徐々に自分なりのボランチ像を確立させるようになり、クロップめるプレー強度と素トランジションにも適用するようになる。12月17日SCフライブルク戦では移籍後初ゴールマークシーズン後半戦には香川真司マリオ・ゲッツェ吽の呼吸で連携を奏でるようになり、ドルトムントブンデスリーガ連覇とDFBポカール優勝内二冠達成に貢献。移籍1年を最高の形で締めくくる。

2012-13シーズンではすっかりチームの中心となり、ブンデスリーガではバイエルンの独走優勝を許したものの、個人としてはハイレベルプレーを披露。ドルトムントとしての存在感をさらに増していた。特にUEFAチャンピオンズリーグでは中盤で攻撃のタクトを振るい、創造性と優れたパスを、守備的特性と必要な疲れを知らないエネルギーと組み合わせることでドルトムントスタイルを体現し、チームの勝ち上がりに貢献。特に準決勝のレアル・マドリードとの2試合では1stレグで4ゴールを決めたロベルト・レバンドフスキと並び称賛されるほどのハイパフォーマンスを披露する。決勝のバイエルン戦では後半23分にCLゴールとなるPKを決めるが、その後チームは勝ち越しを許し、ビッグイヤー獲得は惜しくも果たせなかった。

2013-14シーズンは開幕前のバイエルンとのDFLスーパーカップゴールを決め、タイトル獲得に貢献する幸先の良いスタートを切るが、8月の代表戦で背中を負傷。この負傷からの回復に1年を費やすことになり、シーズンを棒に振ることになる。それでも2014年4月クラブとの契約2016年にまで延長する。6月には手術を受ける。

2014年8月に1年ぶりに練習に復帰。2014-15シーズン開幕には間に合わなかったが、10月18日ブンデスリーガ第8節1.FCケルン戦で実に434日ぶりに実戦に復帰。だが、長く試合から離れていたトップフォームになかなか戻れず、チームも多くの力を失ったとゲーゲンプレッシング研究されたことでよもやの絶不調に陥る。2015年4月30日にはドルトムントとの契約更新しないことが発表されるが、7月1日契約を延長し、クラブに残留することを決断する。

前年を最後に恩師のクロップ監督が退任し、トーマス・トゥヘルが新監督に就任した2015-16シーズントップフォームを取り戻し、開幕から好調を維持する。香川ユリアンヴァイグルと共にポゼッション志向を強めたチームの軸として重宝され、右インサイドハーフ戦場リーグトップのパス本数を記録バイエルンを打ち破ることはできず、タイトルを獲得することはできなかったが、新たなサイクルに入ったチームに手ごたえを掴めたシーズンとなった。しかし、シーズン中から移籍の噂が浮上することになり、マンチェスター・シティへの移籍は読み段階と報じられていた。

マンチェスター・シティ

2016年6月2日イングランドプレミアリーグマンチェスター・シティへの移籍が発表される。契約期間は4年間、移籍金は推定2000ポンド。ジョゼップ・グアルディオラ監督が兼ねてから希望しての加入となったが、怪で開幕から出遅れることになる。それでも9月14日CLグループステージ第1節ボルシア・メンヒェングラートバッハ戦で移籍後初出場を果たす。そのわずか3日後のAFCボーンマス戦でプレミアリーグ初出場を果たすと、この試合で移籍後初ゴールを決める。10月29日プレミアリーグ第10節WBA戦では2ゴール1アシストの大活躍を見せ、11月1日CL第4節FCバルセロナ戦でも2ゴールを決める。移籍1年にして好調を維持していたが、12月14日の第16節ワトフォード戦で膝の靭帯を損傷。数かでの復帰をしていたが、その最中に今度は右膝十字靭帯断裂の重傷を負い、そのままシーズン終了となる。

2017-18シーズンも開幕に間に合わず、2017年9月16日プレミアリーグ第5節ワトフォード戦で9かぶりに復帰。12月17日、第16節トッテナム・ホットスパー戦ではヘディンシュートを決め、久々ゴールを決める。ケヴィン・デ・ブライネダビド・シルバベルナルド・シウバタレントが名を連ねる中盤で常時出場というわけにはいかずにいたが、2018年2月13日CLラウンド16アウェイFCバーゼル戦では2ゴールを決める。3月4日プレミアリーグ第29節チェルシーFC戦ではプレミアリーグ記録となる174本のパスと、167本のパス成功を記録公式戦48試合に出場し、6ゴール7アシストの成績を残し、プレミアリーグ優勝とEFLカップ優勝を果たす。

2018-19シーズンも中盤でのポジション争いが化する中、デ・ブライネが怪で長期離脱をしたことで出場機会は増え、自身のシーズン最多となる公式戦50試合に出場。ベルナルド・シウバの活躍のにやや隠れはしたが、6ゴール8アシストと結果も残しており、シティ三冠達成に貢献する。

2019-20シーズンは開幕直後の2019年8月にシティとの契約を4年延長。この年も大きな怪公式戦50試合に出場している。

2020-21シーズン9月COVID-19の検で陽性となり、10日間の自己隔離が必要となってしまう。そのでコンディションを崩し、復帰後はチーム内での序列は低下していたが、12月15日プレミアリーグ第13節WBA戦でシーズンゴール記録2021年になると、グアルディオラ監督の意向によってこれまでよりも前線に近い位置で起用されるようになり、二列から飛び出してゴールを狙う「偽の9番」としての役割が新たに与えられる。すると、このコンバートによって得点力が開1月から2月にかけてのプレミアリーグでの12試合で11ゴールを決めるという大確変を遂げる。このギュンドアンの大活躍によってここまで燻っていたチーム優勝争いのポールポジションへと躍り出る。自身はこの活躍が評価されて1月2月と2か連続でリーグ最優秀選手へと選出される。最終的に圧倒的な強さを手にしたチームは2シーズンぶりにプレミアリーグ覇権を取り戻す。一方、CLでも決勝トーナメントに入ってから3ゴールを決めるなどシティの初の決勝進出の原動力となる。だが、決勝のチェルシー戦ではグアルディオラ監督の奇策によってロドリに代わってまさかのアンカーで起用されるがこれが全く機せず、チームは初の欧州制覇を逃すことに。とはいえ、自身のキャリアハイとなるシーズン17ゴール記録。30歳にして新地を開くこととなった。

2021-22シーズン2021年8月28日プレミアリーグ第3節アーセナル戦でシーズンゴールを決め、5-0の大勝に貢献する。前年同様にライン間の隙間から絶妙なポジショニングでゴール前に顔を出す役割をこなし、本格的な9番タイプストライカーが不在のチームにとって大きな役割を果たす。リヴァプールFCと勝ち点差1のまま最終節までもつれ込む歴史的なしい優勝争いを繰り広げる中、最終節となった2022年5月23日アストン・ヴィラ戦では2点のビハインドを背負った状況の中で反撃の狼煙となるゴール逆転ゴールの値千金の2ゴールを決める大活躍によりシティプレミアリーグ連覇をもたらす。

契約最終年となった2022-23シーズンは退団したフェルナンジーニョに代わってチームキャプテンに任命される。2022年8月13日プレミアリーグ第2節ボーンマス戦で先制ゴールを決め、シーズンゴール記録。続く第3節ニューカッスル・ユナイテッド戦で2試合連続ゴールを決める。この年のシティには待望の本格ストライカーであるアーリング・ハーランドが加入したが、ギュンドアンの裏への絶妙な飛び出しによってマークを分散しハーランドの驚異的なペースでのゴール量産を手助けしており、これまで通りグアルディオラ監督にとって重要なピースとなっていた。一方、クラブとの契約延長の話が進まず、このシーズンを最後に退団することが噂されるようにもなっていた。シーズン後半戦に快進撃を続けたチームの中で重要な役割を果たし、2023年5月6日の第35節リーズ・ユナイテッド戦では2ゴールを決め、リーグ戦10連勝をもたらす。さらに5月14日の第36節エヴァートン戦では2試合連続となるマルチゴールを達成。グアルディオラ監督からも手放しで称賛される活躍でプレミアリーグ3連覇に貢献。6月3日マンチェスター・ユナイテッドとのFAカップ決勝では決勝史上最速となる開始12での先制ゴールなど2ゴールを決め、タイトル獲得の立役者となる。さらには、6月10日CL決勝インテル戦に勝利し、シティにとって悲願の欧州制覇を達成。クラブキャプテンとして最初にビッグイヤーを掲げる栄誉を経験する。
トレブル三冠)達成という最高の結果を得たことで全てをやりきり、6月26日に7年間在籍したシティを退団することが発表される。

バルセロナ

2023年6月26日スペイン ラ・リーガFCバルセロナに2年契約で移籍することが発表される。加入してすぐに中盤の一として起用されると、10月28日ラ・リーガ第11節レアル・マドリード戦でエル・クラシコ初出場を果たすと、開始6分に移籍後初ゴールを決める。しかし、その後チーム逆転を許し、敗れている。シャビ監督からはその経験値リーダーシップを買われて重宝され、シティ時代と同じ二列戦場としながら人材不足に悩まされるピボーテ(アンカー)でも起用され、チームタクトを振るう役を任されることもあった。若い選手も多いチームの中で33歳ながらもシーズンフル稼働し、公式戦51試合に出場し5ゴール14アシスト記録している。
このまま2024-25シーズンバルサ軸として活躍すると思われたが、選手給与削減が必要となったバルセロナの財政問題から移籍の可性が浮上する。

マンチェスター・シティ

2024年8月23日、わずか1年でマンチェスター・シティに復帰することが発表される。ロドリデ・ブライネといった中盤の選手に負傷者が続出したことで力として起用され続ける。2024年10月1日CLリーグフェーズ第2節スロヴァン戦で復帰後初ゴール記録。しかし、次第に守備の強度不足を露呈するようになり、そのことが攻撃面にも悪を及ぼしていた。パフォーマンスが上がらずシーズン半ばには控えに回ることが多くなるが、チームが復調し始めた終盤戦に入ってスタメンに再び名を連ねるようになる。CL出場権がかかった大一番となったプレミアリーグ最終節フラムFC戦では、バイシクルシュートによるスーパーゴール叩き込み、チームCL出場権をもたらす。

ガラタサライ

2025年9月2日マンチェスター・シティとの契約を解除し、トルコスュペル・リグガラタサライSKに移籍することが発表される。

ドイツ代表

2008年U-18ドイツ代表に選出された後、各世代別のドイツ代表のメンバーとして名を連ねる。

トルコ代表を選択することもであり、実際トルコ側から要請もあったが、フル代表もドイツ代表としてプレーすることを決断。2011年8月ドイツ代表に初めて選出されると、10月11日EURO2012予選のベルギー戦に途中出場し、21歳でドイツ代表デビューを果たしている。2012年5月にはウクライナポーランドで開催されたEURO2012メンバーにも選出されるが、大会を通して出場機会は訪れなかった。

2013年3月26日2014 FIFAワールドカップ欧州予選のカザフスタン戦で代表初ゴールを決める。8月14日パラグアイとの試合では2点ビハインドから1点を返すゴールを決めるが、この試合背中を怪して途中交代し、その後1年以上の長期欠場となる。そのためドイツ優勝した2014 FIFAワールドカップメンバーにも選出されなかった。

2015年3月25日オーストラリアとの試合でおよそ1年半ぶりに代表に復帰。6月13日EURO2016予選ジブラルタル戦では代表でのおよそ2年ぶりとなるゴールを決めている。その後代表の中心選手として期待されるものの、2016年EURO2016は怪で欠場となりまたもや大きな大会への出場を逃す。

2018年6月ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップメンバーに選出。念願のワールドカップ出場がようやくったが、大会直前にロンドンを訪問していたトルコレジェップ・タイイップ・エルドアンの元に、同じプレミアリーグプレーするメスト・エジル、ジェンク・トスンと共に訪れ、記念撮をしたことが、ドイツ内で物議を醸すことになった。

その後ドイツ代表でのプレシーズンマッチでは、エジルと共にブーイングを浴びせられる。グループステージ第2戦のスウェーデン戦で前半31分から出場しワールドカップ初出場を果たすが、一連の騒動がしたのかプレーの精を欠き、この試合のみの出場に終わる。また、代表はまさかの史上初のグループリーグ敗退に終わる。 その後も代表としてのプレーを続け、EURO2020予選では2019年10月13日エストニア戦で代表キャリア初の1試合2ゴールを決めるなど7試合3得点2アシストで本大会出場に貢献。2021年6月からのEURO2020ではグループリーグの3試合連続でスタメンとして出場したもののシティで見せるようなプレーを発揮できず、ラウンド16のイングランド戦ではスタメンを外れたうえに出場機会は訪れず。チームもこの試合で敗退している。

2022 FIFAワールドカップ欧州予選では8試合チームトップタイとなる5ゴールを決める。また、2022-23UEFAネーションズリーグでも6試合で2ゴールを決めている。

2022年11月カタールで開催された2022 FIFAワールドカップメンバーに選出。初戦となった日本戦ではワールドカップゴールとなるPKを決めるが、自身が交代した後にチームはまさかの逆転を許し、日本歴史的大金星を与えてしまう。その後のスペイン戦とコスタリカ戦にもスタメンで出場するが、ドイツはよもやの2大会連続グループリーグ敗退に終わる。

その後もドイツ代表の不振が続く中、2023年9月9日ホームでの日本との再戦で怪で離脱したマヌエル・ノイアーに代わって代表のキャプテンに任命される。しかし、この試合日本に4ゴールを奪われて大敗し、ハンジ・フリック監督は解任となる。後任となったユリアン・ナーゲルスマンからはノイアーが復帰した後も引き続きキャプテンを任される。

2024年6月、代表キャプテンとして初の大舞台となった自開催のEURO2024では、トップ下として全試合に出場。第2戦のハンガリー戦では1ゴール1アシストチームの全得点に絡む活躍を見せ、この試合MOMに選出される。しかし、決勝トーナメントに入ってからはい時間帯で交代となり、チームベスト8でスペインに敗れ、タイトル獲得は果たせなかった。

8月20日ドイツ代表から引退することを発表する。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2007-08 VfBボーフム レギオナルリーガ 2 0
2008-09 ニュルンベルク ツヴァイテリー 1 0
2009-10 ニュルンベルク ブンデスリーガ 22 1
2010-11 ニュルンベルク ブンデスリーガ 25 5
2011-12 ドルトムント ブンデスリーガ 28 3
2012-13 ドルトムント ブンデスリーガ 28 3
2013-14 ドルトムント ブンデスリーガ 1 0
2014-15 ドルトムント ブンデスリーガ 23 3
2015-16 ドルトムント ブンデスリーガ 25 1
2016-17 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 10 3
2017-18 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 30 4
2018-19 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 31 6
2019-20 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 31 2
2020-21 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 28 13
2021-22 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 27 8
2022-23 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 31 8
2023-24 バルセロナ ラ・リーガ 33 1
2024-25 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 33 1
2025-26 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 0 0
ガラタサライ スュペル・リグ

個人タイトル

プレースタイル

中盤センターであればセンターハーフインサイドハーフトップ下、アンカーマルチにこなせるオールラウンドなMFプレービジョンテクニック運動量、リーダーシップに優れたプレーメーカータイプであり、ジョゼップ・グアルディオラ監督は「これまで一緒に仕事をした中で最高の選手の一人」と評している。

頭の回転が速く、状況判断に優れており、チーム役というよりは全体をコントロールする名脇役というタイプだが、高精度のキックで多くのチャンスを生み出し、ファーストトラップで相手のマークを外し、パス、シュートに移る相手を剥がす技術は達人の域に達している。フィジカルコタクトに優れたタイプではないが、その分読みポジショニングに優れており、相手の背後からスルッと出てきて綺麗ボールを奪う。

マンチェスター・シティに移籍してからはペップ・グアルディオラ魔改造によって様々な役割をこなすポリバレントな選手に進化しており、特に神出に中盤から前線に絶妙なタイミングで飛び出す動きは特筆すべきものがあり、よりゴールアシストに直結したプレーができるようになった。狭い場所でも広い場所でもボールを受けることができるため、ペナルティーエリアに入っていく時、ゴールに向かってプレーできるのは大きな強みとなっている。いわばオフ・ザ・ボールでもオン・ザ・ボールでも貢献できる選手であり、2022-23シーズンマンチェスター・シティアーリング・ハーランドゴールを量産できたのもギュンドアンが囮りとなってマークを分散できたことが大きい。

フィジカルバトルのような潰し合いの展開となると持ち味を生かすことができず、一時期のドイツ代表のように選手間の距離が遠く、ひとつひとつのプレー速度が速くないチームでは消えてしまう。

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