アルマゲスト(Almagest)とは、ローマ帝国時代のエジプトのクラウディオス・プトレマイオスが書いた天文学書である。狭い意味で「天動説」と言えば『アルマゲスト』の理論を指す。本項で解説する。
曖昧さ回避
- Almagest -Overture- - ゲームサークルSerendipityが制作したフリーゲーム。ニコニコ大百科においてアルファベットの Almagest はこのゲームの記事へのリンクとなっている。
- Almagest(BEMANI) - 音楽ゲームbeatmaniaIIDX 17 SIRIUSに登場する楽曲。
- ゲーム『ファイナルファンタジーV』のラスボス、ネオエクスデスが使う攻撃技。全体に1500くらいの防御無視ダメージを与える縛りプレイの鬼門。以降のFFシリーズにも何度か登場する。
1, 2 に関しては当該の記事を参照のこと。
概要
『アルマゲスト』は一言で言えば「太陽・月・惑星の動きを全て天動説で計算しちゃうよ!」という趣旨の本である。「ギリシア天文学の集大成」とも言われる。天動説(地球を中心に据える惑星軌道論)はプトレマイオス以前から研究されていたが、彼が執筆したこの『アルマゲスト』があまりに見事にまとまっていたために、それ以前の天文学書がことごとく過去の物になってしまった。その後、西洋では実に17世紀まで天文学に関する最高権威として通用していたのだが、今度は地動説などの立場から老害扱いされることとなる。
プトレマイオス自身がAD125年から141年にかけて観測したデータが使用されているので、『アルマゲスト』が執筆されたのは150年前後と推定される。なお、プトレマイオスは古代図書館で有名なアレクサンドリアの街で活動しており、様々な文献を利用できた。BC721年にバビロニアで発生した月食の観測記録も計算に使用している。
名称について
プトレマイオスがこの本を執筆したときのタイトルはギリシア語で「数学全書」という意味の『マテマティケー・シンタクシス(Mathēmatikē Syntaxis)』だったようだが、やがて『メガーレ・シンタクシス(偉大な全書)』とも呼ばれた可能性があり、これが9世紀にアラビア語訳された際のタイトル『キターブ・アル=ミジスティー(كتاب المجسطي)』となったと考えられる(キターブは「本」、ミジスティーはギリシア語のメガーレの変形、アルは英語のtheに相当する定冠詞)。のちにラテン語に音訳されたことで『アルマゲスト(Almagest)』という現在の呼称ができあがった。
このように、名前を見ただけでもこの本に数学的要素が多いこと、各地で大いに重宝されたことがわかる。
内容
『アルマゲスト』は13巻からなる。1巻で基本的な宇宙観と幾何学を解説し、以降は幾何学を駆使して太陽・月・惑星(当時知られていた惑星は水星・金星・火星・木星・土星の5つ)の動きを説明する内容となっている。
なお、昔は天文学を研究する動機と言えば半分くらいは占星術のためだったが、『アルマゲスト』の中に占いの話は一切出てこない。だがプトレマイオス自身は『テトラビブロス(四巻の書)』という占星術の大著も残している。
以下では『アルマゲスト』に登場する重要な概念を解説する。その大半はプトレマイオス以前から(主にギリシアで)研究されていたことだが、『アルマゲスト』の真骨頂はそれらを体系的にまとめたことにある。また、プトレマイオスは先人の知恵をパクったのではなく、誰が何を考案したのかについてはしっかりと言及していることにも留意したい。むしろ、オリジナルの本は現存していないのに『アルマゲスト』のおかげで貢献が判明しているケースが結構多い。
地球中心説
「地球は宇宙の中心にあって不動である」という主張にも、昔はそれなりに説得力のある理屈があった。
一つは、どの季節でも恒星の位置に変化が見られないことである。もし地球がたとえば太陽の周りを回っていたなら、それに伴って星々もずれて見えるはずなのだがそれは観測できない。実際は恒星までの距離が古代の人々にとっては想定外に遠かったためにこの「ずれ(年周視差)」が見えなかっただけであり、ようやく観測に成功するのは19世紀まで待たなくてはならない。[Wikipedia で「年周視差」を参照]
また、当時は物体が運動を続けるには外部から力を加え続ける必要があると考えられていた。だから地球がひとりでに回転するのも妙だし、地球の回転を認めたとしても、その上でジャンプすると足下の地面に置いて行かれてしまい、違う所に着地してしまうことになる。また、空気の層は大地について行けないので地上では暴風が吹き荒れてしまう。ガリレオ・ガリレイとアイザック・ニュートンが「慣性」(物体はむしろ、力を外から加えられない限り同じ運動を続ける性質を持つ)の概念を確立するまでこの主張を崩すのは難しかった。
ただ、全ての回転運動が地球を中心にしていると考えては説明できないことが多すぎるので、プトレマイオスは「地球は不動」という建前は維持しつつ、後述するように「中心が地球からずれた円(離心円)」や「大きな円の周りを回る小さな円(周天円)」を使い惑星理論を構築することになる。
ちなみに地球が丸いことは、港を出た船が水平線の向こうに徐々に沈んでいくように見えることや、月食の際に月に映る地球の影がいつも丸いことから既に常識となっていた。
一様円運動という縛りプレイ
『一様円運動』という運動がある。聞いた事があるか?
どこから見ても同じ形の『円』は古代から一番美しい形とされている。
この円周の上を全く速度を変えることなく回転する。これが『一様円運動』だ。
だが地球から見た惑星はこのとおりに回っていない……だから限界を感じている。
『一様円運動の軌跡』で回転せよ!そこには『無限に続く力』があるはずだ……我ら天文学者はそれを追及して来た……
古代ギリシアの哲学者プラトン(BC427〜BC347年)は、あらゆる惑星は地球の周りでもっとも美しい形である「円」を描いていて、しかも速度を全く変えない「一様円運動」を続けていると信じた。しかし空を見上げて星座の中における現実の惑星の動きを日々観察していると、減速したり加速したり、挙げ句は停止したり逆行したりと全然一様円運動になっていない。そこで「現象を救う(=惑星の見かけの動きを説明する理論を考える)」ことが彼以降の学者たちの課題となった。
彼の弟子の一人エウドクソスは「天球」という概念を使ってこの問題に取り組んだ。
天球という言葉自体は、現代の教科書にも「天体の動きを説明するために仮想された、観測者を中心とする球」という意味で登場する。だがエウドクソス以降の天文学では少々意味合いが異なり、宇宙空間にガラスのような天球が本当に存在して惑星を運んでいると考えていた。
エウドクソスによれば、地球を中心に27個の天球(完璧な図形である円の立体版)がタマネギのように層を成して宇宙を構成している。当時知られていた天体は月・太陽・水金火木土の5惑星と恒星だが、恒星は全部一つの天球に乗っかっていると考えたので少なくとも8層は必要である。しかし惑星の複雑な動きを1つの天球で実現できるわけがないので、複数の天球が異なる方向に回転しながら同じ惑星に影響を与えることで複雑な動きを説明しようとした。
同じくプラトンの弟子だったアリストテレスはこの天球説を理論面でさらに補足した。前述の「物体は外力を加えなければ運動を続けられない」という理論を西洋に定着させたのも彼で、惑星が永遠に回転をする理由付けのために「第一動者」という『無限に続く力』を考案している。
この第一動者は恒星を乗せた最外縁の天球のさらに外側にいて、恒星天球を絶えず回し続けている。すると恒星天球は一つ内側の天球に力を伝えて回転させ、その内側の天球にも力が伝わり……という力の伝播によって全ての天球が回転を続けることができるという訳だ。
宇宙で唯一何も無い所から回転の力を発生させ、しかも天で一番高いところにいる「第一動者」という概念は神のような存在ともとらえられる。実際、一神教であるイスラム教やキリスト教はこのアリストテレス的宇宙観と相性がよかった。
なお、アリストテレスは惑星の動きをさらに正確に表すために天球を56個にまで増やしたが、エウドクソス共々「全ての天球は地球を中心とする」という縛りを忠実に守っていたせいで現象を説明する理論としてはイマイチだった。
以降、天文学では「地球中心」「一様円運動」という縛りプレイが続く。そしてこれが『アルマゲスト』の根幹にあるのだ。
ただ、「地球中心」という縛りについてはみんなできるわけがないと考え、プトレマイオスらによって部分的には解禁されることになる(というか、『アルマゲスト』によれば厳密に地球と中心が一致している天球は恒星を乗せた天球だけ!)。コペルニクスの地動説(1543年)に至ってこの縛りは完全に取っ払われるのだが、そのコペルニクスも「一様円運動」という縛りからは逃れられなかった。何せ彼の本のタイトルからして『天球の回転について』なのだから。
17世紀初めにヨハネス・ケプラーが「一様円運動を守っていたら惑星の運動は計算できるわけがない、軌道が楕円だと考えればゴールできる」と言い出したことでようやく縛りプレイは終わった。なお、太陽系の惑星運動理論には「水星の近日点運動」なる裏ボスがいてアインシュタインの一般相対性理論という奥の手を使わなければ攻略できなかったのだが、それはまた別の話。
話を『アルマゲスト』に戻すと、この「一様円運動」という大原則を守りながら惑星現象を説明するために後述する離心円・周転円・エカントなどの概念が駆使されている。
離心円と周転円
離心円というのは、中心が地球から離れている円である。「地球中心」という縛りはどこに行ったという感じだが、こうしなければ惑星が地球に近づいたり遠ざかったり、動きが速くなったり遅くなったりすることを説明できないのだ。
さらに、惑星が逆方向に進むことがあるのを説明するのに使われるのが周天円だ。まず、地球を中心に大きな円が回転していて、その円周上で周天円という小さな円が惑星を乗せて回っていると考える。なお、原理的には周天円モデルを離心円で表すこともできる(その場合は離心円の中心が地球の周りを回っていることになる)。
この離心円と周天円を組み合わせることでそれなりに複雑な動きが再現可能となる。
プトレマイオスは離心円を導入するときにヒッパルコス(BC190年ごろ〜BC125年ごろ)という天文学者に言及していて、周天円の話では数学者アポロニウス(BC262年ごろ〜BC190年ごろ)の名前を出している。ヒッパルコスは三角関数や星座表など『アルマゲスト』の土台となる様々な概念とデータを提供した重要人物。一方、アポロニウスはヒッパルコスよりも前の時代に活躍した数学者で、彼が離心円も発明していたかは『アルマゲスト』の記述でははっきりしないが、周天円の考案者であることは間違いない。
ところでアポロニウスは数学史の中では「円錐曲線」の研究者としてよく知られている。円錐曲線とは「二次曲線」とも呼ばれ、円錐を切断したときにできる図形である円・楕円・放物線・双曲線の総称だ。ケプラーとニュートンによって、天体の運動はこれら円錐曲線、とりわけ楕円で表されることが分かっている。
……そう、アポロニウスは「楕円」という答えに直結する研究をしていながら、天文学者としては「一様円運動」という縛りから抜け出せずに周天円というその場しのぎ的な概念を導入したわけである。彼の周天円モデルがそれなりに成功をおさめたおかげで、その後1800年ほどの間、楕円の必要性が論じられなかったのは皮肉な話だ。
エカント
しかし中心をずらしても、円を増やしてみても、どうしても「軌道上での速度は変わらない」という縛りを遵守している限り、惑星の位置が計算と合わなかった。
そこでプトレマイオスが使った秘策とは……
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/` 三ミー ヘ、_
ゝ' ;; ,, , ,, ミミ , il ゙Z,
_〉,.. ////, ,彡ffッィ彡从j彡
〉,ィiiif , ,, 'ノ川jノ川; :.`フ公)了
\.:.:.:i=珍/二''=く、 !ノ一ヾ゙;.;.;)
く:.:.:.:lムjイ rfモテ〉゙} ijィtケ 1イ'´
〕:.:.|,Y!:!、 ニ '、 ; |`ニ イj' 逆に考えるんだ
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〉イ 、゙! ,ィ__三ー、 j′ 「変えちゃってもいいさ」
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ヽ\ 厶_r__ハ/!:.{
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なんと離心円の円周上における回転速度の変化を解禁してしまったのである。ただし、その変化の仕方に条件をつけた。
離心円の中心Mは地球の中心Eからずれた位置にある。このMを挟んでちょうどEの反対側にEと同じだけ離れた距離にエカントと呼ばれる点Qを置く(つまりEMQは一直線でEM=MQ)。そして、離心円上の回転速度はエカントQの周りでは一定であるとした。見方を変えれば、Qの周りで一様円運動をしつつ、Qからの距離だけが変化しているという状態だ。
なお、『アルマゲスト』の中で点Qに特別な呼称が付けられているわけではなく、エカントという名前は後世の研究者がつけたものである。
このエカントを使うと、割と楕円運動(現実)に近い動きが再現できる。ただ、これが一様円運動と言えるかは微妙なところで、『アルマゲスト』が縛りに違反していると非難する天文学者も少なからずいた。
クランク機構
プトレマイオスによって新規導入されたもう一つの裏技。離心円の中心Mが地球Eの周りをぐるぐる回る一方、その円周上の点CはEから見れば一定の回転速度を保っているというものだ。もちろん、Mから見れば一様円運動の縛りに思いっきり違反している。
折れ線EMCの動き方から「クランク機構」と呼ばれることがあるが、プトレマイオス自身はこの形に特別な名前をつけたわけではない。
プトレマイオスはこの仕組みを月と水星の動きを説明するために利用した。これのおかげで、空の中での位置はそこそこ正確に計算できるのが、致命的な問題が一つある。地球から月までの距離が一番近い地点と遠い地点との間に2倍もの開きがあるのだ。さすがにこれだけ変化が大きいと、観測していればはっきり分かるはず(現実には変化の割合は17%だけなのでまず見えない)だが、『アルマゲスト』の中では完全にスルーされている。当然、この点は後世にツッコミを喰らうこととなった。
48星座と恒星表
夜空の中における惑星の位置を知るためには、背景となる恒星の配置を把握しておく必要がある。また、その恒星たちも「歳差」という運動をしているので、この歳差の量を見積もるためにも恒星の位置を記録しておかねばならなかった。
なお、歳差というのは黄道(太陽の通り道)と天の赤道の交点(春分点と秋分点)が年々ずれていく現象である。現代では、地球の自転がコマの回転のようにぶれるために起きることが分かっている。そのペースは、春分点が黄道を一周するのに26000年かかるほどゆっくり。プトレマイオスの計算では36000年で1周というペースだった。
プトレマイオスは1022個の恒星を48個の星座に分けて、全恒星の座標と明るさを記録している。これらの星座は「プトレマイオスの星座」またはプトレマイオスの英語読みから「トレミーの48星座」などと呼ばれるが、実際にはこの恒星表はヒッパルコスがまとめたものを土台としている。さらに言えば、どの星座もそれ以前からギリシアで使われており、大半が紀元前3世紀にアラトスが書いた『ファイノメナ』という詩集に登場している。
『アルマゲスト』に登場する48星座はほぼ完全に現在使われている88星座の中に引き継がれている。ただし「アルゴ座」だけは領域が広すぎたので「りゅうこつ座」「とも座」「ほ座」「らしんばん座」に分割されている。プトレマイオスの時代に羅針盤が存在しなかったのは気にしてはいけない。また、プトレマイオスは「髪の毛の星々」を独立した星座ではなく「しし座」の中の特別枠として記述しているが、現在では単独の星座「かみのけ座」としてカウントされている。
また、恒星の明るさは6段階の等級に分けられている。一番明るい恒星たちは1等星で、肉眼で見えるぎりぎりの恒星は6等星だ。これもヒッパルコスが最初に考案したとされているが、この等級という物差しは定義を変えつつ現在にも引き継がれている。
後世の扱い
『アルマゲスト』の歴史を語る上で、アラビアを中心としたイスラム文化圏の貢献は外せない。中世のヨーロッパではギリシア語の文献はことごとく失われてしまい、天文学のレベルは一歩後退していた。一方、7世紀以降栄えたイスラム帝国では学問が盛んになり、9世紀に『アルマゲスト』がアラビア語訳されると大いに研究されている。
前述のとおり『アルマゲスト』の宇宙観はイスラム教と相性がよく、さらに「決まった時間に決まった方角へ礼拝する」などの教義を実践するためにも天文学が必要とされていた。そして何と言っても占星術。厳格な宗教家の中には占星術を否定する者も多かったが、「未来」に不安がある権力者はみんな占星術が大好きだったので天文学者を雇いそれなりの予算を『アルマゲスト』の研究に投入した。中には自ら天文学者になってしまった国王もいたりする。
12世紀には『アルマゲスト』はラテン語訳されてヨーロッパに広まった。一番需要が高いのは占星術ではあったが、キリスト教の教会にも容認され地位を築いている。なお、地球中心説は「人間が中心にいて偉い」という考えから支持されていたというのは誤解で、むしろ逆に「罪深い人間は宇宙の底辺にいて、一番偉い神様が最上階で天球を回している」という風に『アルマゲスト』の宇宙観は解釈されていたようだ。
それでも多くの天文学者が『アルマゲスト』に挑戦し続けてきた。特にイスラムの天文学者の間で批判されたのが「エカントやクランク機構がプラトンの一様円運動縛りに違反している」という点で、彼らの手で様々な仕組みが考案されている。
もう一つの大きな指摘として、「これ、物理的に実現できるの?」というものがある。実際の所、『アルマゲスト』は「現象を救う」ことを最優先にするあまり「本当はどうやって動いているのか」という疑問は置いてけぼりにしている。エカントやクランク機構が実在しているとプトレマイオス自身も信じていたかどうか怪しい。
占星術では、特定の時刻における惑星の位置を正確に計算する必要がある。その精度にかけては長らく『アルマゲスト』の右に出るものはなかった(ちなみにコペルニクスの地動説も精度では負けてる)。一様円運動になってなかろうと、実在の宇宙像と合ってなかろうと、正確な結果を出して占星術師とその顧客を納得させることが全てに優先されたと言えよう。
でないとオレは「前」へ進めねえッ!
「どこへ」も!「未来」への道も!
探す事は出来ねえッ!!
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