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コスモドリーム
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コスモドリームとは、日本の元競走馬・元繁殖牝馬

第49回オークス優駿牝馬優勝である。

第49回オークス優駿牝馬優勝(本物)である。

とてもとても大事なことなので二度言いました

な勝ち
1988年:優駿牝馬(GⅠ)

馬齢表記は当時のものに合わせて旧表記で記載しています。

無名の父と、狂気の母と

ブゼンダイオー、スイートドリームラッキーブリ

と今ではまず聞くことがない血統を持つ、それがコスモドリームである。
一応であるラッキーブリンはとして"皇帝ライバルその2"ことスズマッハや"九州産馬"シンウルフを輩出したり、としても後にショウナンカンプカネツクロスを輩出して活躍しているわけなのだが、欠のだった。

まずスイートドリームは未出走で、血統的にも特筆すべきところはない。京都大賞典など重賞を4勝したシルクスキーの半だから繁殖入り出来たんだろうなーという感じのである。

のブゼンダイオーに至っては、ダイコーター産駒の条件である。競走馬時代に一番良かったことは「毎日杯で2番人気に推されたこと(結果は7着)」ぐらいで、全金鯱賞小倉記念を勝ったホウシュウミサイルであったこと、その種牡馬になるも若くして亡くなったことという事情がければまず種牡馬入りしなかっただろうというであった。
まあ、種牡馬入りしたはいいけど、アテ仕事だったんですけどね実際。発情してるかどうかの確認だけさせられて、本番は他のガチ種牡馬の方々に持っていかれるアレである。コスモドリーム以前に輩出した産駒も全く走らなかったし仕方ないね

スイートドリームは未出走であまりいい血統のではなかったとはいえ重な繁殖牝馬。なんでこんなの配合になったのかというと、理由はスイートドリームの気性にあった。
後ろにが立つと蹴りたくて仕方なくなるという、どこかのスナイパーみたいな性格だったのである。これでは事故が怖くて高額な種馬を付けるにはリスクが大きすぎる。
あっちの方どこかのスナイパー並なら良かったかもしれないが、苦労して種付けした人気種牡馬モガミの種も不受胎に終わり、スイートドリームは繁殖として使い物にならなくなる寸前になっていた。
でもそれじゃあもったいないだろう、ということでスイートドリームを慣らすための練習種牡馬として白羽の矢が立ったのがブゼンダイオーだった。

事故ってもこいつならいいや」という扱いだったとはいえ、女はの前を通過していくもの、というのが仕様になっていたブゼンダイオーからしてみればとてつもなくラッキーな出来事だっただろう。

相手がちょっとアレな性格の女だったとしても

よっしゃあああ!モガミから寝取ったどおお!」

とハッスルしようってもんである。
そんなブゼンダイオーの頑りが効いたのか、スイートドリーム事に受胎。こうして生まれたのがコスモドリームだった。 
スイートドリームの子だけあって気性は不安だったのだが、後にコスモドリームを管理した松田博資調教師おとなしだったらしい。

桜花賞を目指して

地方競馬行きになってもおかしくない生まれのコスモドリームだったが、なんとか中央競馬入りを果たすと当時は若手のホープだった熊沢重文騎手を背にデビュー
最初の3戦はダート戦だったが2戦新馬戦で勝ち上がってブゼンダイオーに中央地方合わせて初の勝利をもたらすなど3戦1勝3着2回という安定した成績でまとめ、次なるターゲット桜花賞トライアルチューリップ賞に定めた。
実はデビューからの3戦は全て出遅れていて、それでもそんな成績を残したコスモドリームに営は手応えを感じていたのだ。

ところが、条件という身で桜花賞に出走するには絶対に勝たなければいけないこのレースで、おとなしいはずのコスモドリームはスイートドリーム譲りの狂気を発揮してしまう。
スタート直後、熊沢騎手を振り落としてしまったのである。

4戦1勝3出遅れ1落騎手責任が問われてもおかしくない戦績で桜花賞へのが断たれたコスモドリームは、熊沢騎手が自厩舎の中遠征に帯同しなければいけなくなったこともあり、期待の新人岡潤一郎騎手を背に新たなスタートを切ることになった。

オークスへ向けてコンビ復活

騎手との新コンビを結成したコスモドリームは直後の400万以下条件戦を2着すると、続くはなみずき賞(400万以下条件)を勝利し、新たなパートナーとの相性の良さをアピールする結果となった。
この勝利によりコスモドリームは大一番・オークスへの出走が可となり、当然その上には岡潤一郎騎手……というには簡単には行かなかった。
GⅠレースに出るには通算31勝以上していないといけなかったのだが、この年にデビューしたばかりの騎手はその条件を満たしていなかったのだ。風のシルフィードだったら土下座すれば出られたのに。

そこで再び白羽の矢が立ったのが、チューリップ賞まで手綱をとっていた熊沢重文騎手である。
松田調教師は、あの出遅れ連発は前脚が弱くスタートダッシュが苦手だったコスモドリームに原因があったと考えており、熊沢騎手戦を降ろされたのも条件よりも所属厩舎の中遠征を優先しなければならないという事情があったのが大きかったからだ。

なにはともあれ、オークスを迎えるにあたってコスモドリーム・熊沢騎手コンビ復活した。 

はじめてのだいぶたい

事にオークスへの出走が決まったコスモドリームだったが、ブゼンダイオーの子がGⅠ舞台に立つのは当然ながら初めてのことである。
そればかりか、上の熊沢騎手GⅠ……どころか東京競馬場で騎乗するのが初めてのことだった。なにしろ競馬場入りの日にに迷ったぐらいだし。

当のコスモドリーム営である調教助手からして「こんなのが勝ったらネタになる」と言うぐらいで、マスコミファンの注度が低いなんてことは当たり前。
当日の人気が22頭立て10番人気だったのは「むしろ人気集めすぎぃ!」という状況だった。 

女王の座へ

桜花賞アラホウトクヤエノムテキ桜花賞2着のシヨノロマンを筆頭に重賞実績にたちが顔をえる中でスタートしたオークスで、コスモドリームはまたもや出遅れてしまう。
だが、熊沢騎手はコスモドリームを加速させると強引に中団につけ、"河内"が操るアラホウトクマーク

そして直線を向くと、スルーベストの作り出したハイペースで総崩れになる先行距離の壁に泣かされるアラホウトクに足を伸ばし、2着のマルシゲアトラスに1身半差をつけて見事な勝利を飾った。
ちなみに熊沢騎手は上記の通りGⅠ初騎乗初勝利なうえ重賞も初勝利であり、さらに20歳3ヶでのGⅠ勝利は当時の最年少記録更新することになった[1]

サンキョウセッツ?ハハハ、なんのことやら

その後

オークスを制した後にコスモドリームは高松宮杯オグリキャップと対戦し3着に入ると、小倉記念京都大賞典を連続2着してオークスがフロックでないことを示した。
標であるエリザベス女王杯は故障で回避することになり、休養明け後にオープン特別のオーストラリアトロフィーを快勝。
しかし宝塚記念を14着、2年連続で出走した高松宮杯を9着と惨敗するとそのまま引退した。
ちなみに上は引退までのほぼ全レース熊沢騎手が手綱を握ったが、京都大賞典のみ騎手が再び騎乗している。

のブゼンダイオーはコスモドリームの活躍でちらほらと種付け依頼が来るようになったが、大井で1勝したキヌコトブキが代表産駒というような元のダメ種牡馬に戻ってしまう。寝取りの高揚感がなくなったのがダメだったのだろうか。
スイートドリームもブゼンダイオーとの間に3頭、ゼンダイオーが用しになった後種付けに慣れた後に他の種牡馬との間に6頭の子を作っているが、ギャロップダイナとの子が船橋で1勝しただけにとどまった。 
ただ曾祖母ミスブゼンから始まる牝系はコスモドリームの活躍に刺されたのか、コスモドリームの従姉にあたるラッキーゲランが88年末に阪神3歳S勝利、90年に従弟のオースミシャダイ阪神大賞典日経賞を連勝、はとこのヤシマソブリンが94年にラジオたんぱ賞を勝ちダービー3着・菊花賞2着に入るなど活性化。近年もハクサンムーンサトノレーヴ兄弟がスプリン重賞で活躍したりウインブライト香港魔王になったりと健在である。

コスモドリーム自身も奇跡の産物だったのか、リヴリアリアルシャダイなどの当時の一流種牡馬が付けられたが活躍を出すことはなく、2024年現在残念ながら彼女の血を引く後継繁殖牝馬は残っていない。彼女自身は2009年に繁殖を引退した後はむかわのフラット牧場で余生を過ごし、2015年死亡している。

血統表

ブゼンダイオー
1974 鹿毛
ダイコーター
1962 鹿毛
*ヒンドスタン Bois Roussel
Sonibai
*ダイアンケー Lillolkid
Bonnie Luna
アランバード
1963 鹿毛
*アドミラルバード Nearco
Woodlark
*アランデール Propontis
*フリローラ
スイートドリーム
1979 鹿毛
FNo.18
*ラッキーブリ
1974 鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
Sovereign Pardao
Urshalim
ゲラン
1964 栗毛
*ソロナウェー Solferino
Anyway
*ミスブゼン Summertime
Imperial Gold
競走馬の4代血統表

クロス:Bois Roussel 4×5(9.38%)PharosFairway 5×5(6.25%)

関連動画

え?ゴールまでコスモドリームの名前が呼ばれてない?気のせい気のせい

関連項目

脚注

  1. *同年11月菊花賞武豊騎手(19歳8ヶ)に更新されたが、オークスでの最年少勝利記録現在熊沢騎手が保持している。
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5 ななしのよっしん
2019/06/01(土) 13:12:13 ID: zWjQ/VYBOc
ブゼンダイオーって名前だけだとブラジルあたりの日系人馬主の持ちって言われても違和感ないから仕方ないね
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6 ななしのよっしん
2021/04/09(金) 21:27:27 ID: OtI2MBvNpg
熊沢いっつも迷ってんな
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7 ななしのよっしん
2021/04/19(月) 14:25:38 ID: q7RhoK4ykG
大川さんがあの独特な口調で「コスモドリームですね」とツッコむのがまたなんともいい味わいなんだよなあ
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8 !!!!!!!
2021/08/14(土) 11:17:55 ID: Lpc8yEQRoM
2015年2月頃に亡くなったらしい????????
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9 ななしのよっしん
2022/11/07(月) 19:01:54 ID: bKhGhsTptv
関連商品放送事故の本があったので???となったけど、サンキョウセッツの項を読んで納得した。
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10 ななしのよっしん
2023/11/07(火) 20:20:38 ID: S9G5Q8NfqG
特筆すべきことはない牝系?と思って調べたらコスモドリームおばグレード導入前の4歳牝馬特別阪神牝馬特別阪神大賞典を制したシルクスキーではないか〜
アグネスレディカツラノハイセイコと勝ったり負けたりしてて一流のようやね
このの2代ウインブライトの4代ハクサンムーンの5代ということか
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11 ななしのよっしん
2023/11/11(土) 22:59:41 ID: 4P7nwjYmcL
熊沢もそうだが、管理した松田博資調教師にとってもターニングポイントになった
松田師は元々障害騎手で管理障害で活躍したが多かった。
このコスモドリーム地でも結果を出し、数多くの名を育てた名調教師になった。
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12 ななしのよっしん
2023/12/06(水) 23:20:50 ID: +8GzhgyouD
ラッキーゲランとかオースミシャダイとかいるんだから、はともかく系に関しては書くことがもう少しあると思うんだが
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13 ななしのよっしん
2024/01/04(木) 22:07:40 ID: HOp8hd1hmY
無能な働き者って感じの老害が競争の記事書きまくってるから仕方ない
思い込み偏見しか書いてないのにこれは史実なのぢゃ!みたいにするようなだから
wikipedian同様面倒くさい暇な年寄りなんだよ
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14 ななしのよっしん
2024/04/21(日) 08:42:25 ID: S0/yQAIqFj
老害が書いた記事というより当時はまだこういうノリが許容されていたってだけでは?
記事の大本2012年初版から変わってないし、そもそも初版編集者2016年を最後に編集から引退してるし
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