完璧な陰影をつけた1セント硬貨 とは、制作現場で発生しうる現象である。
概要
書籍『ピクサー流創造するちから』に出てくる一文。
著者はピクサー・アニメーション・スタジオの創始者の一人であり当時ピクサー/ディズニーのアニメーションスタジオ社長:Edwin Catmull(エドキャットムル/エドウィン・キャットマル)。
ピクサーのプロデューサーたちが「完璧な陰影をつけた1セント硬貨」と呼ぶ現象がある。
それは、作品に取り組むアーティストたちがあらゆるディテールにこだわって、何日も何週間もかけて、プロデューサーのキャサリン・サラフィアンの言う「誰にも気づかれないサイドテーブルの上の1セント硬貨と同じ」ものをつくっているときのことを言う。
―― 260P 10章 視野を広げる ③制約の力
具体的には映画『モンスターズ・インク』の制作にて、ブーが積みあがったCDの山を崩すという特に見せ場でも無い3秒間程のシーンがあり、そのCD約90枚のジャケットのデザインや、そのCGのシェーダープログラムをアーティストが1枚1枚作っていた――と、キャサリンの眼から見て「特に重要でも無いCDケース約90枚」の制作に必要以上のリソースが過剰投入されていた状況。
この状況が発生した原因はに以下の点があげられている。
- ピクサーが要求する基本の質が高い
- その上で+αの質も求めている
- 後述するが「神は細部に宿る」は良い事とされている
- アーティストも作ってて楽しかった
- スタッフの中にCDがアップで映ると思ってた人がいた
- 映画製作では前後のシーンが分からずに物を作る事がある
- 映画作りにおいてスタッフは担当箇所をより良くしたいと無限のリソースを求める物
- しかしそこに使えるリソースを真に理解している事はほぼ無い
アーティストは無駄だと思ってやっていた訳でも、リソースが有限だとわかっていなかった訳でも、ましてや納期を守っていなかった訳でも無いのでこれは、アーティストのミスでは無く、マネジメント側のミスであるとしている。
「③制約の力」ではこの問題を解決する為にアーティストにリソースを自覚させ上手くいった例や逆にリソース管理を徹底しすぎてアーティストのパフォーマンスを大きく下げてしまった失敗例などが語られている。
他の類似例
- 葉っぱの裏側(ファイナルファンタジー(映画))
- 監督:坂口博信の公開前のインタビューによると、そんなシーンは無いのに葉っぱを画面一杯の拡大にも耐えれるようにスタッフが3ヶ月かけて葉脈まで作り込んでいたらしい。
- この葉っぱかどうかは不明だが(荒廃しているので劇中に植物は殆ど登場しない)一応、劇中ではハイン将軍がスピリットを宿す葉っぱ(これ自体は重要アイテム)を握りつぶすシーンでは葉脈が見える程アップで映っている(45分辺り)。そんなに作り込んだなら…とシーンを追加したのだろうか?
- ヤギの小屋など(ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス)
- ”社長が聞く”によると、ゲームに出てくるヤギの数が(その時点では)見えないヤギの小屋の柵の数と連動している仕様などなど誰も見なさそうな仕様がいつの間にか追加されてたらしい。
- こういった物は全体の流れがちゃんと決まっていない開発序盤に多いようだ。
- 実際、発売は1年延期しているが、結果的には世界観の重厚さを表現できた為、延期の判断も肯定的なものとされている。
- 遠景を走る車のタイヤの回転(大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL)
- ディレクター:桜井政博によると、ステージ製作スタッフが独自に隠し要素などを入れるのは容認しているが、タチウオパーキングの遠景にある車のタイヤがちゃんと回っていたのは「見えない拘り過ぎるし負荷にもなる」ので注意して無くしたとのこと。
誤用
1セント硬貨>神は細部に宿る?
この言葉はしばし「神は細部に宿る」と対義し否定するように語られるが、ピクサーの方針は「細部に宿るをクリアした上で更に重要な箇所の細部を詰めるべき」という感じが強く、1セント硬貨が出てきた「③制約の力」のひとつ前の「②現地調査で掴む本物感」などではピクサーが必要だと思った箇所には多くのリソースの投入して細部を詰める様子が語られている。
「正確な物を作れば(観客が知らない物でも)伝わる」「書く者について精通しているという自身は映画からにじみ出る物」「それが人の心を打つ」としており、「伝える努力という目的の為ならどんなディテールも細かすぎるという事は無い」と②は〆られている。
1セント硬貨を「重要な部分以外は手を抜け」「妥協しろ」「客がわからない部分は無駄」といった意味でも引用する媒体も多いが、本書や各種インタビューなどからピクサーの理念や仕事ぶりは「手抜きは許さん」「妥協も許さん」「客がわからなくてもリアリティから伝わる物がある」という感じなので前者はニュアンスが少々異なる。
そもそも「1セント硬貨」はリソースの運用方法で「神は細部に宿る」はクオリティの根本的な上げ方と矛盾するものではないので、矛盾を感じるならばそもそも用意しているリソースが作品の完成に足りないという事である。
リヴァイアサンおにぎり≒1セント硬貨?
この言葉が爆発的に広まったのはゲーム『ファイナルファンタジーXV(以下:FF15)』に登場する料理の一つである「ほかほか備蓄米にぎり」のCGスペックがボス:水神リヴァイアサンと同じという宣伝文句の批判として引用されたこと「通称:リヴァイサンおにぎり」に由来する。
リヴァイサンおにぎりの詳細
おにぎりの「スペック」というのは「料理アセットのスペックは平均100M以下」と語られるように、おにぎりのポリゴン数・テクスチャサイズ・LOD[1]を総合したデータ容量=リヴァイアサンと同じという事である。
「リヴァイアサンと同じになった」と聞くとさも容量が際限無く盛られていったように聴こえるが、料理の最終的な製作過程によると、実際に料理を作る→それをスキャン→300万ポリゴンもあるので自動機能で削る→5~15万程にとポリゴン数自体は逆に大きく削る作業も含まれている。
また100M=プレーヤーキャラクター40Mの2.5人分ではあるが、一度暗転を含む為、場面的な負担は無くそれ故に余裕を持って制作出来ている。
しかし、『FF15』では「旅」が一つのテーマになっておりキャンプ要素が含まれ、制作側も料理を重要視している。実際ゲーム中でもアップで映るので印象に残り、ゲームシステム的にも能力上昇効果が得られる要素なので問題点があるとしても1セント硬貨とはまた別の問題である。
『FF15』が発表から発売まで約10年かかった(ただし、実質的な開発期間は3年半程)事からリソースの無駄と言われがちだが、料理制作チーム自体は後半開発は余裕があったと語られている。
「余裕があるなら他にリソースを回せば?」と思いがちだが、上記で遠景のタイヤの回転を削除した桜井政博も『ゲームについて思う事』VOL.522[2]にてFF15料理は重要な物と観ており、更に「食事に凝らない=デザイナーの仕事が浮いたからと言ってプログラムなど別の方向に開発力は回せない」としている。
その他の不適切?例
- 木箱、花瓶etc(ファイナルファンタジーXIV(旧版))
- 小物一つ一つのグラフィックまでに拘り過ぎてゲームが重くなったりコンテンツの開発が遅れた=リソース過剰投与が失敗談と挙げられているが、立て直しを図ったディレクター:吉田直樹によると原因はこの時期のスクエア・エニックス自体が高品質なグラフィックに成功体験として固執していた(=必要とされていた)事とMMORPG開発のノウハウがなくなっていた事としているので『旧FF14』内で見れば不適切であると言える。つまりマネジメントの失敗というよりコンセプトの失敗である。
- 開発体制を見直した『ファイナルファンタジーXIV:新生エオルゼア』では「ゲーム体験ファースト」を理念としており、リソース管理の為グラフィックはある程度妥協しているがあくまでオンラインMMORPG『新制FF14』ではというだけでグラフィックに凝る事自体を否定している訳では無い。7.0からは「次の10年を戦う為」グラフィックアップデートが始まった事や、同ディレクターによる『新生FF14』とオフラインRPG『ファイナルファンタジーXVI』のぶどうの違いから開発の方向性が見て取れるだろう。
- 住民の歯(Cities: Skylines II)
- ユーザーからゲームが重い原因として遠景でも住民の歯一本一本まで不必要に思える描画されている事が指摘されている。開発側からの見解としてはパフォーマンスに影響を及ぼしている要因では無く、歯のディテールも将来使う予定がある=必要な物としている。
比較表
比較表 | ||||
比較項目\比較対象 | 1セント硬貨=CDケース | 遠景のタイヤ | リヴァイアサンおにぎり | 木箱 |
アップで映るか | 映らない | 映らない | 映る | 映らない |
長い時間映るか | 映らない | 全く映らない | (総時間的には)映る | (総時間的には)映る |
製作指揮者が重要視しているか? | していない | していない | している | している(過去形) |
アーティストが重要度を理解しているか? | していない | ? | している | ? |
テーマやストーリー、客の体験に関係あるか | ほぼ無い | 無い | ある | ある |
関連動画
関連静画
関連リンク
- ピクサー流創造するちから ―― ダイヤモンド社
- 『ファインディング・ドリー』監督、『ニモ』からの進化に自信! ドリーに込めた思いも ―― マイナビニュース
- 社長が聞く『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』第10回 ―― 任天堂公式サイト
- 大事と小事を見分ける【グラフィック】―― 桜井政博の桜井政博のゲーム作るには
- 『ファイナルファンタジーXV』延期の裏側と目指す到達点――田畑端氏インタビュー【gamescom 2016】 ―― ファミ通.com
- 「シズル感」を徹底的に追求した料理の数々 ―― SQUARE ENIX
- 美味しそうに見える『FFXV』の料理CGには想像以上の手間が掛かっていた! ―― IGN Japan
- 【CEDEC 2018】「FFXV」限界に挑んだ「料理」制作の裏側が明かされる ―― GAMEWatch
- おにぎりCG大敗北 ―― ニートが頑張るブログ
- 桜井政博のゲームについて思うこと 2015-2019 ―― KADOKAWA
- 【GDC 2014】「新生FFXIV」吉田Pが、「旧FFXIV」が失敗した理由を余さず語る ―― GAMEWatch
- 「『何となく違うんだよなぁ』という曖昧なダメ出しにイライラしてきた」FF14を12年間率いる吉田直樹氏が、スタッフにとにかく根気よく説明する理由 ―― 文集オンライン
- 都市開発シム『Cities: Skylines II』に「市民を歯の一本一本まで描画してるから重い説」浮上。開発元は一部を認め改善を約束 ―― AUTOMATON
関連項目
脚注
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- トイ・ストーリー
- トイ・ストーリー3
- カーズ(映画)
- インサイド・ヘッド
- モンスターズ・インク
- ファインディング・ドリー
- リメンバー・ミー
- Mr.インクレディブル
- トイ・ストーリー4
- 2分の1の魔法
- バグズ・ライフ
- ファインディング・ニモ
- ウォーリー(映画)
- ソウルフル・ワールド
- あの夏のルカ
- マイ・エレメント
- レミーのおいしいレストラン
- カールじいさんの空飛ぶ家
- トイ・ストーリー2
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