私は好きにした、君らも好きにしろとは、『シン・ゴジラ』において元城南大学統合生物学教授・牧悟郎が残した謎の言葉である。
概要
米国の“エネルギー省(DOE)”で放射能汚染海域に生息していた新種の海洋生物(=ゴジラ)の研究を行ってきた牧教授であるが、突如彼はゴジラのデータの一部を暗号化してそれを一枚の用紙にまとめ上げ、直後にDOEから出奔するように日本に帰国し、そのまま行方をくらましてしまう。
その後、無人で漂流中のプレジャーボートが東京湾上で発見された。牧が姿を消す直前まで乗っていたと思われるその船内には一通の書類封筒が残されており、そこに記されていたのが「呉爾羅」という単語と、この「私は好きにした、君らも好きにしろ」という言葉である。
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この項目は下記に『シン・ゴジラ』のネタバレを含んでいます。 未鑑賞の方はご注意ください。(要スクロール) |
原種時代のゴジラは本来はもっと小型の生物だったとされるが、日本に出現した際には既に50m以上のサイズ(変異前はどれほどのサイズだったのかは不明)に巨大化していたうえ、海棲生物でありながら瞬く間に陸上進出も果たし、あまつさえ体内には生体原子炉器官を有するという常識外れな存在と化していた。
いくら高濃度の放射能環境下に適応するためとはいえ、通常の生物が短期間でここまで極端な変化を遂げるとは考え難いとし、さらにゴジラが出現した地点が牧が失踪直前に乗っていたとされるボートのすぐ近くだった事からゴジラのこの劇的な進化と日本への襲来には牧による何らかの関与があったという可能性が濃厚、あるいは確実視されており(事実、ゴジラの対策に当たった「巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)」の矢口蘭堂もそれについて言及している)、それが最初の「私は好きにした」につながるものとされている。
ただし、この“自分が好きにした事”について本編では具体的な説明はされていないため、この言葉が一体何の事を指すのか本映画を見た人間の間ではちょっとした議論のネタとなっている。
現時点で語られている主な仮説として、牧が“生体原子炉と核変換細胞発現の兆しを見せていたゴジラを生息域から自分と妻を見捨てた日本に誘導した”とか“その前に(遺伝子操作や変異を促す物質の投与などの)手を加えてゴジラを巨大な怪物へと変貌させた”という可能性が考えられている。
また、牧自身も行き場のない船の上で姿を消した事からゴジラが動き出す前に入水自殺したとか、大胆なものだと自らをゴジラに取り込ませてゴジラに人間のDNAを与える事でさらなる変異を促し、さらにその牧の意思がゴジラが日本に向かう行動原理にも大きな影響を及ぼしたという説もあったりする。
映画のラストシーンで、尻尾の先端部から複数の“人間とゴジラのキメラのような生物”が分離、誕生しようとしていたと思しき事実からゴジラの体内には既に人間の情報が含まれている可能性が示唆されている。
続く「君らも好きにしろ」という言葉であるが、ゴジラは人間に対して破滅をもたらす脅威であると同時に、生物学的にもエネルギー物理学的にも無限の可能性を指し示す福音になりうる存在だと言われており、そのゴジラを核兵器で日本ごと(1945年のあの時と同じように)焼き払ってしまうのか、ゴジラの弱点が書かれた自分の暗号を解いてゴジラを止めてみせるのか、これらの上でゴジラから得られた情報をどう扱うのかを試すという人類全体への多角的な問いかけであるとし、牧の人類に対する不信と期待の両方の意味が込められたメッセージではないかと矢口は推測している。
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