大きな夢
足跡ひとつない
荒野を進む
詩人が言ったように
僕の後ろに
道は出来るのだろう行く先もわからぬまま
どこまでもどこまでも
コスモバルクとは、日本の元競走馬(ホッカイドウ競馬所属)である。
ひたすらにひたむきに走り続けた流浪の星。
通算成績48戦10勝[10-8-1-29]
主な勝ち鞍
2003年:ラジオたんぱ杯2歳ステークス(GIII)
2004年:弥生賞(GII)、セントライト記念(GII)
2006年:シンガポール航空インターナショナルカップ(G1)
2003年NARグランプリ2歳最優秀馬
2004年JRA賞特別敢闘賞、NARグランプリ最優秀ターフ馬、年度代表馬
2006年NARグランプリ最優秀ターフ馬
2007年NARグランプリ最優秀ターフ馬
2010年NARグランプリ特別表彰馬
父はキャリア三戦でアイルランドダービーを取ったが、種牡馬としては失敗種牡馬の典型例となったザグレブ、母はイセノトウショウ、母の父がトウショウボーイという血統…なのだがこの母系、近い世代はプリンスリーギフト系の種牡馬ばかりがつけられており、極端なスピード偏重型、しかもちょっと古い感じのスピードを重ねられていた。
普通だと薄っぺらい馬になりかねなかったのだが、ザグレブの重さが幸いしたのかトウショウ牝系の底力が開花したのか、軽快なスピードなど優れた資質を備えて生まれた。
岡田繁幸氏に見出され、ホッカイドウ競馬でデビューすることになったのだが、後の実績からダートが苦手で芝が得意という事が判明する彼がなぜダートしかない道営でデビューしたかというと、外厩(認定厩舎)制度の有無に起因している。
これはレース当日まで民間の認定厩舎で調教できる=馬主が好きなように仕上げたり育てたり出来るというもので、かいつまんで言うと、かつてシンボリ軍団が美浦トレセンと千葉のシンボリ牧場間で行なっていたことを更に拡大するような制度である。地方でも道営、バルクの活躍以後に南関東で導入されたくらいの特殊な制度である。
その制度の導入第一号として、コスモヴューファームやビッグレッドファームで鍛えあげられたのがコスモバルクなのである。
今となってはノーザンファームしがらきや天栄など大規模調教施設を持つ大馬主が調教師を実質的に支配下に置いてしがらきや天栄で仕上げた馬を送り込んだりするなど好き放題お好み調教で育成してたりもするが、当時はそこまで好きにするにはこのような制度を使うしかなかったのだ。
そんな彼だが、道営の田部厩舎に入るとダート向きとは思えない走りだったものの能力が違うのか道営でも4戦2勝2着2回という結果を残し、主戦騎手となった五十嵐冬樹共々中央に殴りこみ。初戦となった東京の500万下では11頭中9番人気だったが、ハナを切ってペースを握ると超良血馬をぶっ飛ばして大勝利。鮮烈な中央競馬デビューを飾る。
その次走、現在は中山に持っていかれてGIホープフルステークスになった出世レース・阪神開催時代のラジオたんぱ杯2歳ステークスに出走。やはりハナを切ってペースを握るとあのディープの兄ブラックタイド・堅実派で2歳時はサンデー産駒の代表格ミスティックエイジ・セレクトセールで1億5750万円、のちの青葉賞馬ハイアーゲームをまとめて負かし重賞制覇。
例によって例のごとくサンデー産駒の良血が絶対的と見られていた2004年のクラシック候補筆頭格にのし上がった。サンデー産駒キラー、アンチスローペースの代表格として大いに中央競馬ファンにも親しまれた。
年明け、クラシックロードに挑むことになった彼は弥生賞から始動。
このレースでは朝日杯FSで逃げて快勝した快速馬メイショウボーラーを先に行かせて二番手で折り合い、直線でちょい差しして勝利。皐月賞はマークされやすい逃げではなく、無難な先行策を取るよう志向していたのでこの勝利でそのへんに目処がついた…と思われた。
そして迎えた皐月賞、中央挑戦の完璧な内容から一番人気に推されたが、注目度が桁違いな中央のGIに一番人気で挑んだことが地方の調教師と騎手には荷が重かったのか、あるいは持ち味を殺したことが当時の超高速馬場で仇になったのか、後の快速マイラーを侮りすぎたのか、弥生賞より後ろから進めてしまい、上がり最速で差しに行ったが二番手から抜け出して上がり2位の末脚でまとめたダイワメジャーの前に完敗。2着に終わってしまう。
実質的に馬主であるサラブレッドクラブラフィアンの総帥・岡田繁幸氏はTV番組に出演しており、ダイワメジャーを危険と見抜いて警戒はしていたがまんまとやられてしまう形になった。
超ハイペースで逃げまくるしか出来ない、実質ペースメーカー的存在としてラフィアンが送り込んだマイネルマクロスの出遅れ、彼が行けなかったために想定より落ち着いたペースになったのも痛かったかも知れない。
そして迎えたダービー。北海道で「岡田繁幸氏の理想型」を目指して調教が積まれてやって来た彼は…見事に入れ込んでいた。まあ、入れ込みは中央初挑戦からずっとあるものでいつものことと言えばそうだった。
レースは皐月賞に続いて用意した実質ペースメーカーマイネルマクロスが今回はスタートに成功し逃げることに成功して猛烈な逃げっぷりで暴走気味に突っ走る。しかし高速馬場を差し引いても1000m57.6秒はやり過ぎたかも知れない。元からスタミナ面でも折り合い面でも不安のあった彼はひたむきにマクロスを追いかけようとして騎手の五十嵐と喧嘩してしまう。
五十嵐が手綱を引くのをやめると三角付近で早くも先頭に立つが、先頭に立った時点でもう余力は少なくフラフラ、そこに四角まくりで一番人気キングカメハメハ、キンカメマークのハイアーゲームが一気に来てしまい万事休す。それでも追い込み勢が突っ込むまで必死に走り8着に残ったのだから能力はあった。
折り合いにこだわりすぎて逆に持ち味を消したとしか思えない馬主の指示、行きたがりな彼を制御しきれなった騎手のへぐりの可能性が高い敗戦であった。
秋は道営の北海優駿から始動。苦手のダート戦で、トライアルのセントライト記念を見据えて緩めの仕上げだったが貫禄で何とか押し切り。セントライト記念へ。
ここでも先行差しを狙ったが外枠で壁が作れず結局逃げる形になってしまったが、まだ馬場がいい状況だったこともあったとはいえスピード任せに駆け抜け、最後はホオキパウェーブにクビ差まで迫られたが逃げ切り。走破時計の2:10.1は芝2200mの日本レコードであった。
そして迎えた菊花賞。ダービー2着のハーツクライに次ぐ二番人気となる。距離を考えてやはり先行差しを狙ったが外から被せられ引っ掛かりまたも先頭で進める羽目になってしまう。それでも気性や血統から考えればよく走ったが、早めにスパートをかけた勝ち馬デルタブルース以下に抜き去られ4着。クラシックは結局ひとつも勝てず終いであった。
勝つ可能性は十分に持っていたと思うが、掛かり癖やそれを上手く矯正できなかったことが影を落とした。あるいは諦めて彼の思うままにしたほうが逆に結果は出たのかも知れない。
その後、ジャパンカップでは2番手から進めてゼンノロブロイに完敗するも2着と、ロツキータイガーの持つ地方最先着記録タイとなる素晴らしい結果を残したが、有馬記念では惨敗。休養に入った。
古馬になった2005年春は、中山の日経賞から始動。2200のレコードホルダーだったり中山は得意と見られたことや、前年の活躍が考慮され一番人気に推された。しかし主戦だった五十嵐冬樹から同じ道営の千葉に変わった事が影響したのか始終かかりっぱなしで失速、6着に惨敗してしまう。
ちなみにだが、天皇賞など一部GIの出走権を取るには前哨戦で上位の結果を残す必要がクラシック時代からつきまとっており、これが北海道からの輸送とも相まって暫くの間彼を苛むことになった。
春の大目標が閉ざされた彼は、なんと香港遠征を決行。チャンピオンズマイルへ向かったのだが10着惨敗。だから速い中距離馬とマイラーは違うと言うに…
その後も宝塚記念12着、毎日王冠11着で天皇賞(秋)出走出来ず、ジャパンカップでは前年のルメールに続いてボニヤを鞍上に招くがそれ以前に状態が最悪で14着。クラシック時代は「地方の星」とちやほやされていたのだが、一年たった後には「空飛ぶ英雄」 ディープインパクト推しに世間が変わっていった。
年末の有馬記念では久々にクラシック時代の粘りが蘇り、4着に食い込んだがディープと、彼を破ったハーツクライははるか先にいた。
何はともあれ一瞬復活の兆しを見せた彼は、5歳になっても現役続行。天皇賞(春)を目指し日経賞から始動。しかしかかるわ詰まるわ最悪なレースとなり8着。
ここで陣営は再び海外遠征を選択。今度はシンガポールのクランジ競馬場で開催されるシンガポール航空国際に向かった。
このレース、前年度まではワールドレーシングチャンピオンシップという企画の第三戦で、メンツもそこそこ揃うレースだったのだが、この年からワールドレーシングチャンピオンシップが中止になりメンツが若干薄めになっていた。それも幸いしたか、クラシックから磨いてきた二番手から抜け出す競馬で押し切り快勝。地方所属馬・騎手による海外GI初制覇を達成。バルクもGI初勝利を飾った。
ここまでは良かったのだが、帰国前に伝染病感染疑惑が発生し危うく殺処分すらあり得る情勢になってしまった。幸いにも再検査で異常なしとなり帰国。
宝塚記念へ向かったが、相手が悪いこともあったがシンガポールで足止めを食らったこともあり調整がままならず8着完敗。相手もあのディープインパクトだったので仕方なし。
秋は札幌日経オープンから始動。62キロを背負わされる過酷な条件となったが構わず出走。 早め先頭に立ったがさすがに止まり2着。その後、天皇賞(秋)出走を賭け挑んだオールカマーではバランスオブゲームの2着に入り、見事出走権獲得。
本番では中団待機から勝負に出るも、因縁のダイワメジャーを捉えられず4着、ジャパンカップでは久々にスローの溜め逃げに持ち込むが、相手が悪かったか4着。有馬記念では引退するディープインパクトの圧勝劇を尻目に11着に終わった。
しかし、5歳の輝きは年が明けると消えてしまう。中央では前哨戦でも連に絡めず、シンガポールに再度遠征し、シャドウゲイトの2着に入ったのがかつての勝ち馬のプライドの最後の発露だった。
ちなみにシンガポール航空国際はこのあとまもなく国際G1の看板を下ろすこととなり、日本馬がクランジ競馬場に向かうことはなくなった。
秋にはバルク自身の頑張りのおかげで地方馬の出走規定が緩くなったこともあり、地方で二戦叩いて天皇賞(秋)へ向かったが…ここでエイシンデピュティと揃って斜行をぶちかます。バルクに前を横切られたカンパニー鞍上の福永祐一が「五十嵐は福島競馬場にでも行ってればいい」とキレたと言われた程のアレなレースを招いてしまった。
その後も黙々と走り続け、ナイスネイチャの有馬記念連続出走記録を更新したりもしたが、年齢もあって凡走が続き、地方枠で一枠取るために邪険に言われるようにもなっていった。
そして8歳となっていた2009年一杯国内から引退した。あくまで国内であり、アイルランドで現役続行するつもりだったらしい。しかし怪我で立ち消えとなり、功労馬として暮らすこととなった。
牝系の構成がプリンスリーギフトまみれで日高でつける馬が限られ、国内ではGIを勝ちきれなかったことや、ダート適性もあまり高くないためか地方向け需要も獲得できず種牡馬入りは叶わなかった。
しかし功労馬として迎えた2011年、骨折も癒えて悠々自適の生活を送っていた彼に、アイルランド移籍の話が再燃した。幸いにも?アイルランドでの調教中に屈腱炎を発症。結局日本にとんぼ返りとなった。現在は、ビッグレッドファームで功労馬として生活している。 ちなみに、彼と一緒にアイルランドに行ったシャドウゲイトとキングストレイルは幸いにして向こうでそれなりの成果は残したようである。
競走馬づくりでは馬の素質はもちろん、人に恵まれることも大事と思わされる馬であった。地方の星と持ち上げられたかと思えば、中央ばかり走ったことから名ばかり地方馬と蔑まれ、それでもただひたむきに駆け抜けたコスモバルク。JC、有馬記念出走回数は2023年になった現在も最高出走記録を保持している。
外厩制度をこのように運用して走った競走馬は、残念なことにプレイアンドリアルやトラスト、コスモスなど数頭が続いてしまったが、バルクほどの成功例と言わずともクラシックに無事到達した馬すらいない。外厩制度の活用に執念を燃やした岡田繁幸氏も天に旅立ち、バルクの後継者は絶える可能性が高くなった。
コスモバルク自体は芝馬でダートが不得手だったこともあり、門別競馬場では全然走っていないし後半生は盛岡の芝コースを足がかりにしていたくらいではあったが、斜陽の生産地競馬であったホッカイドウ競馬にとって彼のような存在は大きかった。
なんせ、資金注入を続けていた道議会から出来なければ廃止と突きつけられた経営改善要求に応えるために導入した外厩(認定厩舎)システムから早速大スターが生まれたためである。
他にも場外馬券売り場の拡充(特に小さなスペースを活用したミニ場外は他地域でも模倣された)、放送の拡充(地方では初のパドック解説導入、能検のVTRの放送、インターネットストリーミング開始など)などを柱とした大改革を2001年より五か年計画で進めており、2004年あたりのバルクを通したホッカイドウ競馬の注目度アップは最後のひと押しを生む追い風となった。
その追い風もあって計画は順調に進みバルクが4歳のときにあたる2005年には2006年度の開催、及び向こう3年の開催保障を勝ち取ったのであった。
その後も折に触れて廃止をチラつかされつつ、そのたびに出された課題をなんとかクリアしていきバルクが引退した後になるが2013年には単年度収支で黒字を達成。とはいえ交流重賞グランシャリオカップを開催していた旭川競馬場の廃止や札幌競馬場開催の休止(開催権は今でも保持)など大きな代償を支払いながら、ではあった。
その後は各地の地方競馬が楽天競馬やSPAT4でグングン成長する波に2歳戦と牝馬路線に特化するなどしてうまく乗り、2020年にはバブル期・オグリブームの影響で達成した最高売上を更新するなど近年は絶好調である。
2歳戦は4月から新馬を組むなど特に力を入れて素質馬が集まりやすくなっており、道営で活躍した後移籍して南関東クラシック戦線や各地のクラシック戦線に殴り込むのは常道の一つとなった。2024年からの3歳ダート三冠でその流れは一層盛り上がる事だろう。
イグナシオドーロ誤審事件や元々ちょっと生産地競馬という特殊な立場にあぐらをかきがちで体質があんまり良くない、また悪化したらおそらく北海道は助けてくれないし最悪北海道が先に沈みかねないなど不安要素や怪しいポイントもあるが、関係者の尽力でホッカイドウ競馬は今も生きている。JBCでは現在でもJBC2歳優駿が門別で開催されているし、もっと黒字が拡大していけばいずれ札幌競馬場開催も復活するかも知れない。
岡田繁幸氏が外厩にこだわり中央移籍を選ばなかったのは、ホッカイドウ競馬など当時殆どの競馬場が苦境にいた地方を盛り上げるため、というのは割合として結構あったと思われる。
高知のハルウララ然り、大きな話題性を持つ馬がいるというのは良きにつけ悪しきにつけ大事なことである。2010年5月4日の引退式には2867人を集め、門別競馬場の入場者レコードを記録するなど最後まで広告塔としての活動もしてくれたコスモバルクを讃え、ホッカイドウ競馬ではなかった馬名を冠したレース・コスモバルク記念が2011年より施行されている。
H2とグレードはホッカイドウ競馬ローカルでも一番高いものにはなっていないが、スタリオンシリーズに指定されていた時期には副賞でコンデュイットやゴールドシップらビッグレッドファーム繁用種牡馬の種付け権がついてきたりと割合重要なレースとなっており、コスモバルクもパドックに登場するなど今でも活躍している。
*ザグレブ Zagreb 1993 黒鹿毛 |
Theatrical 1982 黒鹿毛 |
Nureyev | Northern Dancer |
Special | |||
*ツリーオブノレッジ | Sassafras | ||
Sensibility | |||
Sophonisbe 1981 黒鹿毛 |
*ウォロー | Wolver Hollow | |
Wichuraiana | |||
Southern Seas | *ジムフレンチ | ||
Schonbrunn | |||
イセノトウショウ 1993 鹿毛 FNo.5-d |
トウショウボーイ 1973 鹿毛 |
*テスコボーイ | Princely Gift |
Suncourt | |||
*ソシアルバターフライ | Your Host | ||
Wisteria | |||
マルミチーフ 1987 鹿毛 |
ビッグディザイアー | *トライバルチーフ | |
クリアヤメ | |||
トキワアイゼン | キタノカチドキ | ||
トキノマサト | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:テスコボーイ 3×5(15.63%)、Princely Gift 4×5(9.38%)
JRA賞特別敢闘賞 | |
優駿賞時代 | 1973 ハイセイコー(大衆賞) | 1978 テンポイント(マスコミ賞) | 1982 モンテプリンス(ドリーム賞) | 1983 アンバーシャダイ |
---|---|
JRA賞時代 | 1989 オグリキャップ | 1993 トウカイテイオー | 1995 ライスシャワー | 1998 サイレンススズカ | 1999 グラスワンダー、スペシャルウィーク | 2001 ステイゴールド | 2004 コスモバルク(特別敢闘賞) | 2007 ウオッカ、メイショウサムソン | 2009 カンパニー | 2016 モーリス | 2020 クロノジェネシス |
競馬テンプレート |
掲示板
52 ななしのよっしん
2023/12/05(火) 21:42:04 ID: toWp/D8iL5
ウマ娘化したら盛り上がると思う
53 ななしのよっしん
2024/01/05(金) 19:40:41 ID: Woi8D2V2US
去年のNumberのダービー特集号でコスモバルクの記事載ってたな
ホッカイドウ競馬の関係者に夢を持ってもらいたかったと
地方所属で五十嵐が乗るから意味があるんだと
いい記事だった
54 ななしのよっしん
2024/09/27(金) 21:45:24 ID: AW3dJzvsRi
>>生産地競馬という特殊な立場にあぐらをかきがちで体質があんまり良くない、また悪化したらおそらく北海道は助けてくれないし最悪北海道が先に沈みかねない
この部分はヘイトだろ
削除求む
急上昇ワード改
最終更新:2024/10/11(金) 17:00
最終更新:2024/10/11(金) 17:00
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