田中碧(たなか あお、1998年3月10日-)とは、神奈川県川崎市出身のサッカー選手である。
ドイツ・ツヴァイテリーガのフォルトゥナ・デュッセルドルフ所属。サッカー日本代表。
ポジションはMF(ボランチ、インサイドハーフ)。180cm74kg。利き足は右足。
兄弟姉妹はおらず1人っ子。クラブ活動が盛んな幼稚園に通い、この頃からサッカーを始める。小学校に入学すると同時に地元のさぎぬまSCに入団。1年上の26期生に後に川崎フロンターレでチームメイトになる三笘薫がいる。
小学校3年生のときに川崎フロンターレU-12のセレクションを合格し、入団。このとき東京ヴェルディの練習にも参加したらしいが、レベルの高さに驚き、セレクションを受けなかった。小学6年生のときには、ダノンネーションズカップ in JAPANに優勝。その後、南アフリカで開催されたダノンネーションズカップに出場し、世界大会を経験している。
中学進学と共に川崎フロンターレU-15に昇格。この頃から背番号10を背負い、3年生のときにはU-18の練習にも参加。1つ上の先輩である三好康児や三笘薫のプレーを目の当たりにし危機感を抱いたらしく、練習後や休みの日も公園でひたすらボールを蹴るようになった。高校生になると、U-18チームに昇格。1年生の頃からスタメンの座を獲得し、U-16日本代表に選出されるなど、評価も高まるようになる。2016年7月22日、トップチームへの昇格内定が発表される。
2017年に正式に川崎フロンターレとプロ契約を交わす。背番号は「32」。しかし、プロ1年目のシーズンは中盤にレジェンドの中村憲剛を筆頭に大島僚太やエドゥアルド・ネットといった実力者がいたことに加え、自身も負傷を負ったこともあり出場機会は得られなかった。
2年目となった2018年もチャンピオンチームの中でなかなか出番が回ってこなかったが、9月16日のJ1リーグ第28節北海道コンサドーレ札幌戦で途中出場し、プロとしての公式戦デビューを果たすと、アディショナルタイムにはプロ初ゴールまで記録。11月24日の第33節FC東京戦では、J1初スタメンを飾り、リーグ随一の戦力を持つチームにあって4試合1得点という成績となった。
2019年からは背番号を「25」に変更。開幕時は中盤の控えという位置づけだったが、3月10日のJ1第3節横浜F・マリノス戦で大島が負傷したことで急きょスタメンに抜擢されると、レアンドロ・ダミアンのゴールをアシストするなど結果を残し、チャンスをモノにする。その後、鬼木達監督からの信頼を得られるようになり、大島の度重なる負傷や守田英正の不調もあってボランチのレギュラーに定着。安定したプレーとクレバーな戦術眼が高く評価される。歴史に残る大激戦となった10月26日のルヴァンカップ決勝 札幌戦にもフル出場し、優勝に貢献。リーグ戦終盤には鼻骨を骨折するが、フェイスガードを付けたまま出場を続け、この年のJリーグ・ベストヤングプレイヤー賞に選出される飛躍の1年となった。
2020年はチームがフォーメーションを4-3-3に変更したことで開幕当初はアンカーとしてプレーするが、復調した守田がアンカーに定着したことによってポジションが一列前に上がり、インサイドハーフが定位置となる。より攻撃に絡むことが求められるようになるタスクを着実にこなし、守田との中盤のコンビはJリーグでも最強のユニットとして君臨。第16節のサンフレッチェ広島戦では初めて1試合2ゴールを決めるなど、得点力にも成長が見られるようになる。この年、記録的な圧倒的な強さで通算3度目のリーグ制覇を果たしたチームにあって不動の中盤となり、31試合5得点という成績を残す。この活躍が認められ、Jリーグアウォーズでは初のJリーグベストイレブンに選出。年末の天皇杯でも準決勝のブラウブリッツ秋田戦でゴールを決めるなど国内2冠達成に大きく貢献する。
2021年は相棒の守田がポルトガルに移籍したものの、中盤の要としてチームの開幕からの快進撃を支える。海外への移籍を期待する声も挙がるようになり、本人の海外志向も強くなる。6月のACLには出場せず、海外移籍を前提とした渡欧のためチームを離脱する。
2021年6月26日、ドイツ ツヴァイテリーガ(2部)のフォルトゥナ・デュッセルドルフへの買取りオプション付きの期限移籍が発表される。背番号は「4」。
東京オリンピック出場のためチームへの合流が遅れたものの、8月20日のリーグ第4節ホルシュタイン・キール戦で移籍後初出場を果たす。当初はレギュラーとしてプレーしていたが、チームへフィットできずに次第に監督からの信頼を失い、スタメンから外れる試合も増えるようになる。2022年2月6日の第21節キール戦では途中出場ながら致命的なボールロストを犯して戦犯となりファンやメディアからバッシングを受ける。3部降格の危機に直面したチームは監督を交代するが、これがきっかけで徐々に復調の兆しを見せ始める。4月8日の第29節ハンザ・ロストック戦で移籍後初ゴールと初アシストを記録し、勝利に貢献。5月に入ってからは完全移籍に移行し、チームと3年契約を結ぶ。
2022-23シーズンは開幕からスタメンの座を掴むと、開幕戦のマクテブルク戦で好パフォーマンスを見せ『キッカー』選出の2部ベストイレブンに選出。第2節のパーダーボルン戦でもチーム最高評価を受ける。新加入選手の影響でポジション争いが激化するが、10月1日の第10節アルミニア・ビーレフェルト戦でシーズン初ゴールをマークする。
2014年9月にAFC U-16選手権に出場するU-16日本代表のメンバーに選出される。チームメイトには、冨安健洋、堂安律が居たが、準々決勝で韓国に敗れ、世界への切符を逃している。自身は4試合中3試合に出場し、2試合がスタメンだったが、準々決勝では出場機会は無かった。
2019年6月にトゥーロン国際大会に出場するU-22日本代表に初めて選出される。グループリーグ初戦のU-22イングランド戦ではMOMに選出されると、ボランチのポジション争いで一歩リードした立場となり、日本の準優勝に貢献。大会ベストイレブンと大会ベストプレイヤー部門3位に選出される。さらに、10月14日のU-22ブラジル代表との親善試合では、2本のミドルシュートを決める大活躍を見せ、アウェイでの大金星に大きく貢献する。その後、怪我で欠場した試合でチームの成績が振るわなかったこともあり、チームの中盤の大黒柱として欠かせない選手という評価を受ける。
2019年12月に開催されたEAFF E1サッカー選手権2019に出場する日本代表に初めて招集される。12月14日の香港戦で川崎のチームメイトである大島僚太とボランチのスタメンに起用され、フル代表デビューを飾る。
2020年1月には、U-23日本代表としてタイで開催されたAFC U-23選手権に出場。2試合にフル出場するが、チームはグループリーグ敗退に終わっている。
2021年7月に開催された東京オリンピックに出場するU-24日本代表のメンバーに選出。グループリーグ第1節のU-24南アフリカ戦では、正確なサイドチェンジで久保建英の決勝ゴールをアシスト。大会ではオーバーエイジとして出場した遠藤航との不動のボランチコンビとして3位決定戦までの6試合全てにスタメンとしてフル稼働。大会でのパフォーマンス自体は高く評価されたものの、3位決定戦のU-24メキシコ戦に敗れ、目標としていたメダル獲得を逃した直後には悔しさを露わにし、「やっぱりサッカーを知らなすぎるというか。僕らが。」「自分たちが思っている以上に彼らは成長している。スピードという意味では差が縮まらない。」というコメントを残している。
2021年10月にフル代表におよそ2年ぶりに招集され、10月12日の2022 FIFAワールドカップアジア最終予選第4節オーストラリア戦でスタメンに抜擢。前半8分にチームの重苦しい雰囲気を払拭する代表初ゴールとなる貴重な先制ゴールを決めると、遠藤航、守田英正と共に中盤を形成しMOM級の働きを見せる。この試合を境に4-3-3が基本フォーメーションとなったことでスタメンに定着。以降、日本は6連勝と持ち直しワールドカップ出場権獲得に貢献する。
2022年11月にカタールで開催された2022 FIFAワールドカップのメンバーにも選出。大会前は遠藤、守田よりボランチの序列は下になっていたが、グループリーグでは初戦のドイツ戦と第3戦のスペイン戦にスタメンで出場。スペイン戦では、後半6分に三笘薫のアシストから決勝ゴールを決め、日本のグループリーグ首位通過をもたらしている。ラウンド16のクロアチア戦は延長後半からの出場となった。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2017 | ![]() |
川崎フロンターレ | J1 | 0 | 0 |
2018 | ![]() |
川崎フロンターレ | J1 | 4 | 1 |
2019 | ![]() |
川崎フロンターレ | J1 | 24 | 1 |
2020 | ![]() |
川崎フロンターレ | J1 | 24 | 1 |
2021 | ![]() |
川崎フロンターレ | J1 | 20 | 1 |
2021ー22 | ![]() |
デュッセルドルフ(loan) | ツヴァイテリーガ | 29 | 1 |
2022ー23 | ![]() |
デュッセルドルフ | ツヴァイテリーガ |
本職はセントラルハーフ(ボランチ、インサイドハーフ)だが、攻撃的なポジションでプレーすることもできる。司令塔タイプと形容されることも多いが、周囲の状況を素早くかつ的確に認知する能力に長けており、最適なプレーを選択するインテリジェンスの高さが高く評価されている。首振り、認知の質、単純な止める蹴るの技術の高さはすでに他の日本人の中盤を凌駕している。技巧派にありがちなボールに必要以上に触りたがることも無く、シンプルにボールを捌き、パスを出した後も動きを止めることなくボールを受けるためにポジションを修正することでリズムを作っている。
守備面においては危機察知能力が高く、味方がボールを失っても、すぐにカバーにいけるポジション取りなど、ここでもサッカーIQの高さが発揮される。読みの鋭さだけでなく、対人守備にも長けており、デュエルでの勝負でも強さを発揮している。海外の大型選手を相手にも競り勝てるだけのフィジカルがあり、中盤でのボール奪取からスペースへとパスを送り、攻撃に転じる場面が多い。視野の広さに加え、フィジカルもあるのでプレッシング耐性も高い。ボールを奪ったまま自ら縦にボールを運ぶこともできる。
スペースを見つけて受け手となる動きもうまく、ワンタッチ、ツータッチで周りを使いながらうまく前線に侵入し、自らがフィニッシャーとなることも多い。U-22ブラジル戦で見せたようなパンチ力のあるミドルシュートも武器である。
大きな欠点は無く、日本人の中では最高のMFと形容する声も多い。海外の選手の中ではオランダ代表のフレンキー・デ・ヨングに似た選手と言われている。
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最終更新:2023/03/21(火) 07:00
最終更新:2023/03/21(火) 07:00
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