ロンメルとは、
- エルヴィン・ロンメル。第二次世界大戦で活躍したドイツの陸軍元帥である。この記事で記述。
- アニメ『機動戦士ガンダムZZ』に登場したジオン軍士官である。1がモデルになっていると思われる
- ニコニコ生放送の雑談生主である。→生放送記事の「ロンメル」を参照。
- アニメ『ガンダムビルドダイバーズ』に登場したガンプラビルダー兼ファイター。見た目はフェレット
- アダルトゲーム『Ranceシリーズ』に登場する聖骸闘将(敵モンスター)。1が元ネタで、ナチスの閣僚や軍人たちの名前が同じ種類の闘将に借用されている。
概要
第二次世界大戦において、ドイツにおけるもっとも有名な将軍の一人である。アフリカ戦線で上げた功績から『砂漠の狐』の異名を持ち、卓越した戦略家であったマンシュタイン元帥、電撃戦の生みの親のグデーリアン将軍と共に連合国側からの評価も非常に高い。
1891年ドイツ帝国(ヴュルテンベルク王国)に生まれ、少尉として第一次世界大戦に従軍。初期は第6ヴュルテンベルク連隊に所属していた物の、大戦の殆どの期間をヴュルテンベルク・アルペン大隊に所属して戦った。1917年にはロンガローネの戦いで9000人以上の捕虜を得た功績から、ドイツ帝国における軍人に対する最高の勲章であるプール・ル・メリット勲章を受賞した。終戦時の階級は中尉である。
ドイツに課せられた戦間期における軍備の大幅な減員の対象からは外れ、戦力を僅か10万人まで限定されたワイマール共和国軍に残留する事を許された。この期間は歩兵学校の教官を努めていた。
第二次世界大戦期における活躍については後述する。
現代においても、その功績と高潔な生き方から彼が第二次世界大戦におけるもっとも優秀な指揮官の一人であったと言われる事が多いが、陸軍総司令部からの停止命令を無視した独断による長距離侵攻、そしてそれによって引き起こされたアフリカ戦線全域における補給計画の破綻等に見られる戦略的思考の欠如から「最高の中隊長(前線指揮官)」ではあったが「最高の(組織を運営し活動させねばならない)将軍」であったかどうかは未だに評価がわかれている。
イギリス軍から奪ったゴーグルを愛用しており、彼のトレードマークとなっていた。記録写真でも制帽や首にかけている事が多い。
第二次世界大戦のロンメルの主な行動
ポーランド侵攻
1939年9月1日、ドイツ軍によるポーランド侵攻、それに続く英仏の宣戦布告により第二次世界大戦が勃発。ロンメルは開戦の報を受けて興奮していた。彼は第一次世界大戦の敗戦以来、ダンツィヒの都市とポーランド回廊を奪還することに賛成だった。
ヒトラーの警護の責任者であったロンメルは、総統専用列車「アメリカ」に搭乗し、ヒトラーと共にポーランドに前線視察をしている。
装甲師団長へ就任
ヒトラーはポーランドを降伏させれば英仏連合も講和するだろうと楽観的であった。実際にドイツ軍がポーランドを攻撃中、フランス軍は越境して攻撃を仕掛けなかった。(まやかし戦争)
だが、英仏連合軍はドイツに譲歩せず、ヒトラーはフランス侵攻を決意する。
こうした中で、ロンメルは前線勤務を希望する。ドイツ陸軍人事局はロンメルの軍歴を鑑みて、山岳師団長をロンメルに提示したが、彼は機甲師団の指揮を執りたかったため、ヒトラーに直訴した。
1940年2月、ヒトラーの仲介により第7装甲師団の師団長に就任。陸軍人事局はロンメルの戦車師団の指揮を任せることに不安があった。しかし、フランス戦でその不安は杞憂に過ぎないことを知ることになる。
フランス侵攻準備
ヒトラーは参謀本部のフランス侵攻案を却下。A軍集団参謀長エーリヒ・マンシュタインの「マンシュタイン・プラン」を採用する。これは装甲師団をA軍集団に集中させて、ベルギー南部のアルデンヌの森を突破してドーバー海峡まで進撃、ベルギーと北フランスに展開する英仏連合軍を分断孤立させるものだった。
ロンメルの第7装甲師団は先頭に立ってアルデンヌの森を突破して、クライスト装甲集団を連合軍の攻撃から守り、ドーバー海峡までの西進を守ることになった。しかし、ロンメル自身もドーバー海峡まで進撃したいと思っていた。
第7装甲師団は、第15装甲軍団の隷下となった。
フランス侵攻
1940年5月9日フランス侵攻作戦「黄色の場合」の暗号がロンメルに通達され、指定地域に移動した。
戦況はドイツ軍不利と思われた。ドイツの戦車は連合軍の戦車に比べ数、火力、装甲に劣っていた。
ただ唯一、速度は勝っていた。(戦車の数はドイツ軍2800両、英仏連合軍4000両)
そして、この速度こそが電撃戦のカギだった。
ロンメルはドイツ機甲師団運用の真髄たる機動力を活かした戦いを展開した。第7装甲師団は素早く前進した。それはしばしば師団先頭に師団主力が追い付けない程だった。彼は攻撃中も前進するよう命令した。これは敵に自らの位置を特定されないようにすることと、包囲のプレッシャーを与えて敵に陣地を放棄させるためだった。
フランス軍はアルデンヌの突破は無理だとして守備隊をほとんど配置していなかった。その為、突破は容易であった。気付いたフランス軍は増援として2個軽騎兵師団を向かわせるも、第7装甲師団の奇襲を受けると直ぐに撤退した。
ムーズ河をフランス軍の抵抗を受けながら踏河する。ところがオナイユで対戦車砲の砲撃で負傷。フランス軍に捕まりそうになるも味方により救出される。
マジノ線延長部分を突破。余りの速さにフランス将兵は恐慌状態になり、ほとんど無傷で捕虜1万人を拿捕した。
さらに、ロンメルは前進した。フランス軍はロンメルが横を通過しても抵抗をしなかった。ロンメルは彼らを捕虜にして自力でドイツ軍に投降するように言った。しかしついに、弾薬燃料が底をつき始めた。
ロンメルは進撃中は自分の師団主力は追随して来ていると思っていたが、実はまだベルギーにいた。彼の手元にあったのは2個装甲大隊とオートバイ小隊だけだった。やむをえなく、ル・カトー(フランス)で停止することにした。何度かフランス軍の反撃をしのぎ、補給と修理を済ませると数時間後には前進を再開させた。
第7装甲師団はアラスへ攻撃を開始した。ここではフランス軍のほかにイギリス軍がいた。
イギリス軍のマチルダⅡ歩兵戦車が一番厄介だった。師団の戦車ではマチルダⅡの装甲は抜けず、8.8cm高射砲でなんとか撃退した。また空軍のスツーカも援護してくれた。
アラスの戦いは激戦となりロンメルの副官も戦死している。
ダンケルクを包囲するも、停止命令により停止する。この停止命令により英仏連合軍30万の撤退を許してしまった。
続いてセーヌ川を渡り英仏海峡まで進撃した。ドイツ全軍で一番乗りだった。サン・バレリーでイギリスに撤退する準備をしていた連合軍を攻撃。初めは降伏勧告をしていたが、応答が無かった為、攻撃した。
ロンメルがル・アーブルを無血占領しているとフランスが降伏したと報告があった。
これを聞いたロンメルは敵にはもう戦意はないだろうと判断してシェルブールを進撃。進撃中は攻撃を受けなかった。シェルブールに立てこもるフランス軍を攻撃、3万人を捕虜にしている。
このフランスでの戦いで彼は前線に同行し、兵の士気を高める事に成功している。このスタイルは後のアフリカ戦線での戦いにおいても変わらなかった。これは天才的な戦略家であったマンシュタイン元帥とは正反対のスタンスである。フランス戦における功績によりドイツ最年少の中将へと昇進した。
北アフリカ戦線
北アフリカ戦線にて枢軸国側が劣勢となるとそちらに回され、ドイツアフリカ軍団(DAK)を率いることになる。こちらでも他の追随を許さない戦術眼により、序盤は連合国を相手に勝利を重ねる。しかし、同時に補給の軽視等彼の限界とも言る点が明らかになったのもこのアフリカにおいてである。ある意味では結果オーライ式に物事が進んでいった為に大事とは至らなかった物の、かなり危険な指揮を行なっていたと見る事もできる。それでも尚その功績は無視するわけには行かず、最終的にドイツ軍史上最年少の元帥に昇格することになる。
北アフリカ戦線ではDAKはロンメルの指揮下でエジプトにまで侵攻し、北アフリカの連合国側を追い詰める。しかし、米国の参戦による連合国側の兵站状況の改善、そして独ソ戦開始によるドイツ側輸送力の低下などにより状況は逆転。トブルクの戦いでは連合国側に大損害を与えながらも最終的にはトブルクの放棄、後退へと状況は悪化し、最終的にはチュニジアにおけるDAKの壊滅によるアフリカ戦線の崩壊へと繋って行く。
なおアフリカ戦線はバルカン半島及びロシアに比べて開けた場所での戦いが多く、又相手が航空戦力の豊富な英米であった事も関係して、地上兵力に対する航空兵力の威力が目立った戦いでもあった。この為、ロンメルは敵航空戦力の打撃力についての深い洞察を得、制空権の重要性を認識していた。彼の認識の正しさは、ノルマンディー上陸作戦後の一連の戦いの中で証明されて行く。
西部戦線でのロンメル
本国に呼び戻されたロンメルは北フランスの防衛を担当することになる。前述の航空兵力に対する認識から、一旦連合国側が上陸に成功し橋頭堡を確保した後ではその航空兵力によるカバーにより味方兵力の展開はほぼ不可能になると考えていた。この為、そもそも敵の侵攻戦力を正に上陸せんとするその水際で追い落とすべきであると主張した。しかしこの主張は西部軍司令ルントシュテット元帥の同意を得られず、徹底されなかった。
ロンメルの最後
負傷し、ベルリンにて療養中に何度目かのヒトラー暗殺未遂事件が発生する。この事件に関してナチス上層部はロンメルが関係していたとの疑惑を抱き、彼に対して『自決か軍事裁判か』を強要する。ロンメルは服毒自殺を選び、ここに敵味方問わずに尊敬された偉大な指揮官は生涯を閉じたのである。
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