サンライズバッカス(Sunrise Bacchus)とは、2002年生まれの日本の競走馬。黒鹿毛の牡馬。
史上初の新馬戦最下位からJRA平地GⅠ勝利を果たしたフェブラリーS馬で、牛みたいな白いヤツが大の苦手だったことで有名(?)な馬。
主な勝ち鞍
2005年:武蔵野ステークス(GⅢ)
2007年:フェブラリーステークス(GⅠ)
概要
父*ヘネシー、母リアルサファイヤ、母父*リアルシャダイという血統。
父はアメリカの2歳GⅠホープフルSの勝ち馬。アメリカと豪州・南米でシャトル種牡馬として成功を収め、直系の曾孫から2018年のアメリカ三冠馬Justifyが出ている。日本ではダート種牡馬として活躍する*ヘニーヒューズの父というのが一番馴染み深いか。2001年に1年だけ日本でリース種牡馬として供用され、サンライズバッカスはその年の産駒。
母は1989年フラワーカップ(GⅢ)の勝ち馬。サンライズバッカスは第8仔。1920年代にアメリカから輸入された*ダイシングという馬を祖とする牝系で、わりかし地味めの牝系ではあるが、遡るとキョウトシチーの名前が見えたりする。
母父は日本におけるHail to Reason系種牡馬の先駆けで、シャダイカグラやライスシャワーなどを送り出した90年代前半の名種牡馬。基本的にはステイヤー型の種牡馬で、母父としての代表産駒にはともに天皇賞(春)の勝ち馬であるイングランディーレやアドマイヤジュピタがいる。
2002年4月30日、後にコパノリッキー、キタサンブラック、テーオーケインズで名を轟かせることになる門別町のヤナガワ牧場で誕生。オーナーは「サンライズ」冠名でおなじみ松岡隆雄で、サンライズ軍団の先輩・サンライズペガサスや後輩のサンライズノヴァもヤナガワ牧場産である。
朝日が昇るまで杯を交わそう
酒神vs雷神
オレハマッテルゼやリンカーンがいる栗東の音無秀孝厩舎に入厩。2004年10月23日、京都・芝1400mの新馬戦で池添謙一を鞍上にデビューしたが、11番人気という低評価であえなく最下位15着に撃沈。
その後も芝1600、芝1800、芝2000と距離延長を試すが、6着、7着、6着と大負けはしないものの勝ち抜けにもだいぶ遠い感じの結果が続く。
3歳4月、5戦目でダートに転向すると、その福島・ダート1700mの未勝利戦をいきなり6馬身差で圧勝。続く6月のインディアトロフィー(500万下)から佐藤哲三に乗り替わると、7月の鶴見特別(1000万下)、8月の阿蘇ステークス(OP)と一気に4連勝を飾る。
これで勇躍9月の盛岡・ダービーグランプリ(GⅠ)に乗りこんだが、ここで世代ダート最強が立ちはだかった。ここまでダート5戦全勝、JDDを圧勝したカネヒキリである。道中からカネヒキリをマークして進め、直線でも先に抜け出したカネヒキリを追いかけたが全く追いつけず2馬身半ちぎられて2着。サンライズバッカス自身も3着は7馬身ちぎったのだが……。
続いてジャパンカップダートを目指し、武蔵野ステークス(GⅢ)へ。ここでも再びカネヒキリが立ちはだかったが、既にGⅠ2勝のあちらが斤量57kgに対してこちらは54kgであった。
さて、スタートして中団に構えたサンライズバッカスと佐藤哲三だったが、周囲を見回してもカネヒキリがいない。芝スタートで出遅れて最後方にいたのである。カネヒキリをマークするつもりだった佐藤騎手は「あれっ?」と一瞬慌てたものの、自分の競馬に徹することに決めてハイペースの流れをじっくりインで追走。直線で外に持ち出すと鋭く脚を伸ばす。後方からカネヒキリが追い込んできたが寄せ付けず、1と3/4馬身差で押し切って、見事前走の雪辱を果たし重賞初制覇、カネヒキリにダート初黒星をつけた。もちろん斤量3kg差があったので、陣営は「本当に勝ったとは思っていない」という雰囲気ではあったが。
そして実際、本番のジャパンカップダート(GⅠ)では後方からカネヒキリをマークして進めたものの、直線で前が壁になって外に出した分のロスが響き、カネヒキリ・シーキングザダイヤ・スターキングマンの3頭の大接戦に割って入れず、タイムパラドックスにもハナ差競り負けて0.2秒差の5着。きっちり本番でやり返されてしまった。
苦戦を越えた先の祝杯
明けて4歳は根岸ステークス(GⅢ)から始動、1番人気に支持されたが、ここでも進路の確保にもたついてしまい4着。
カネヒキリと4度目の対決となったフェブラリーステークス(GⅠ)では柴田善臣に乗り替わったが、ドバイを目指すカネヒキリの国内ダート制圧完了の後ろで終始後方のまま12着に撃沈。
北村宏司を迎えて3月のマーチステークス(GⅢ)に向かうが、スタートで躓いてしまって流れに乗れず、最後方から脚を伸ばすも8着に終わり、休養に入る。
7ヶ月休み、武蔵野S(GⅢ)で復帰。後藤浩輝を迎え、中団から脚を伸ばして3/4馬身差の2着と上々の復帰戦となった。
新たに安藤勝己を鞍上に迎えて臨んだジャパンカップダート(GⅠ)では、カネヒキリが屈腱炎で離脱したこともあってシーキングザダイヤ、ブルーコンコルドに次ぐ6.9倍の3番人気に支持されたが、スタートで出負けして最後方からとなり、直線では馬群の間を抜けるのを嫌がってしまい5着に終わった。
明けて5歳、当時は1月開催だった平安ステークス(GⅢ)から始動。後方から外を捲って追い込んだが、さらに外から来たメイショウトウコンとの追い比べにアタマ差競り負けて2着。
そして迎えたフェブラリーS(GⅠ)。カネヒキリはまだ離脱中、前年のJCダート勝ち馬アロンダイトも怪我で離脱して混戦ムードとなり、3.9倍の1番人気はGⅠ2着9回、いい加減勝てよという感じのシーキングザダイヤ。4.0倍の2番人気が昨年の南部杯・JBCマイル・東京大賞典を勝ったブルーコンコルド。サンライズバッカスはその2頭に次ぐ5.9倍の3番人気に支持された。
レース時には晴れていたものの、午前中の雨で不良馬場となったレース本番。いつも通り後方からのスタートになったサンライズバッカスは、6枠12番という外目の枠を活かしてそのまま枠なりに外でレースを進める。前半800m46秒6のハイペースとなって迎えた直線。馬群を避けてスムーズに大外で直線に入ったサンライズバッカスは、安藤勝己のゴーサインに答えて鋭く末脚を伸ばし、残り200mで前の集団をまとめてかわして抜け出すと、後方から追い込んできたブルーコンコルドを寄せ付けず1馬身半差でゴール板へと飛び込んだ。
音無師はオレハマッテルゼの2006年高松宮記念に続くGⅠ2勝目。ヤナガワ牧場はこれが嬉しいGⅠ初勝利となった。冒頭にも記したとおり、新馬戦で最下位だった馬のJRA平地GⅠ勝利はこれが史上初(デビュー戦最下位はダイユウサクがいるが、あっちは未勝利戦デビュー)。2024年現在も他にケイティブレイブがいるのみである。
そしてブロコレへ……
かくして見事中央ダートGⅠを制したサンライズバッカス。このままダート王へ……と行きたいところだったが、この後の彼はブロコレ街道に突入することになる。
続くかしわ記念(JpnⅠ)はブルーコンコルドと人気を分け合ったが、直線で伸びを欠いてブルーコンコルドに雪辱を果たされての5着。
帝王賞(JpnⅠ)では後方から外を回して追い込んだものの、前から抜け出したボンネビルレコードとブルーコンコルドに届かず3着。
マイルチャンピオンシップ南部杯(JpnⅠ)も後方から外を回して追い込んだがブルーコンコルドの5着。
JBCクラシック(JpnⅠ)は覚醒を迎えたヴァーミリアンに蹴散らされ、船橋の3歳馬フリオーソにも届かず3着。
ジャパンカップダート(GⅠ)もやはりヴァーミリアンに手も足も出ず3着。
挙げ句には明けて6歳の川崎記念は右肩跛行で出走取消。フェブラリーSも回避となり連覇には挑むことすら叶わなかった。
3着続きのうちにフェブラリーS勝利から1年が経ってしまい、交流JpnⅠ出走には収得賞金が心もとなくなったサンライズバッカスはGⅡ・GⅢに向かうが、アンタレスステークス(GⅢ)は上がり最速で追い込んだものの3着。久々に佐藤哲三に戻った東海ステークス(GⅡ)は完全な前残りレースで最後方からではどうにもならず11着。1400mに距離短縮を試みたプロキオンステークス(GⅢ)も後方から上がり最速で3着。日本テレビ盃(JpnⅡ)で斤量が1kg重いボンネビルレコードとフリオーソに5馬身ちぎられて3着ではGⅠ馬ゆえの斤量も言い訳にできない。
武蔵野S(GⅢ)でようやく2着を確保して収得賞金をゲットし、阪神開催に衣替えしたジャパンカップダート(GⅠ)に乗りこんだが、屈腱炎から完全復活したカネヒキリに届かず4着。
とにかくスタートの下手さがずっと改善されることなく、馬群も苦手で後方から外を回して大外直線一気しかできないので、前の馬に同等の脚を使われてしまうとどうしても届かない。シルコレ・ブロコレ馬にありがちな、いかにも不器用な馬であった。
その後
明けて7歳も現役続行したが、以降は自慢の末脚も衰えてしまい、戦績に語ることは何もない。惨敗が続き、2009年限りでJRAの登録を抹消。大井の村上頼章厩舎に移籍して8歳も現役を続けたが、もはや地方重賞ですら掲示板入りもできず、2010年のムーンライトカップ(大井・準重賞)10着が最後のレースとなり、同年限りで現役を引退した。
通算38戦6勝 [6-4-6-22]。獲得賞金4億1147万6000円は、サンライズペガサスを上回って松岡オーナーの所有馬でトップの数字となった(現在はサンライズノヴァに更新されて2位)。
引退後は一旦功労馬として故郷のヤナガワ牧場に戻ったのだが、2012年にレックススタッドが受け入れてくれることになり、引退から1年遅れで種牡馬入りとなった。
しかし種付け数は2年間で20頭に留まり、2013年であっさりレックススタッドを退厩。ヤナガワ牧場に戻ってもう1年種牡馬を続けたが、結局3年間で産駒は15頭、活躍馬は出ることはなかった。
その後は数年間種牡馬登録だけ残ったままの状態だったが、2018年に正式に用途変更となって種牡馬引退。2019年から引退名馬繋養展示事業の助成対象となり、2024年現在もヤナガワ牧場で余生を過ごしている。
白いのが嫌い
さて、そんなサンライズバッカスには、スタートの他にもうひとつ苦手なものがあった。
何かというと、白い馬である。
というのも当時、音無厩舎には芦毛の馬がおらず、サンライズバッカスは白くなった芦毛の馬を見るとびっくりして落ち着きをなくしてしまったという。
芦毛の競走馬が白くなるのは普通は高齢になってからで、競走年齢の頃はたいてい黒か灰色、まだら模様が多く、そうそう真っ白にはならないのだが……サンライズバッカスの現役当時、同じダート路線に真っ白な芦毛馬がいた。「牛」と言われたクーリンガーである。
同じレースにクーリンガーがいると、サンライズバッカスはパドックからレース中までその白さが気になって気になって仕方なかったらしい。クーリンガーは基本先行馬、サンライズバッカスは常に後方からのレースだったので、クーリンガーの前に出て視界に入れないということもできず、クーリンガーがいると本来の走りができなかったという。
音無師は「クーリンガーは次、どこに使うの? サンライズバッカスを同じレースに使いたくないんやけど」と競馬記者に確認するほどで、「調教で慣れさせないと。ウチには芦毛がいないから、どれかを白いペンキで塗るしかないのか?」と冗談めかして語っていた。
なお、サンライズバッカスとクーリンガーの対戦成績は以下の通り。
- 2006年武蔵野ステークス:サンライズバッカス2着、クーリンガー16着
- 2007年平安ステークス:サンライズバッカス2着、クーリンガー11着
- 2007年帝王賞:サンライズバッカス3着、クーリンガー7着
- 2007年JBCクラシック:サンライズバッカス3着、クーリンガー7着
見ての通り、クーリンガーと一緒に走ったレースでは全て先着して馬券に絡んでいるが、勝利は一度もない。果たしてクーリンガーがいなければ勝てていたのだろうか?
おかげで一部掲示板などでは、クーリンガーの話題になると「こいつ白すぎて嫌い」「おはサンライズバッカス」というやりとりが半ばテンプレ化している。
血統表
*ヘネシー 1993 栗毛 |
Storm Cat 1983 黒鹿毛 |
Storm Bird | Northern Dancer |
South Ocean | |||
Terlingua | Secretariat | ||
Crimson Saint | |||
Island Kitty 1976 栗毛 |
Hawaii | Utrillo | |
Ethane | |||
T. C. Kitten | Tom Cat | ||
Needlebug | |||
リアルサファイヤ 1986 黒鹿毛 FNo.7-c |
*リアルシャダイ 1979 黒鹿毛 |
Roberto | Hail to Reason |
Bramalea | |||
Desert Vixen | In Reality | ||
Desert Trial | |||
ワールドサファイヤ 1979 栗毛 |
*サーペンフロ | Sir Ivor | |
Running Blue | |||
トビノボリ | *ジルドレ | ||
クニノボリ |
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