ユルゲン・クロップ(Jürgen Klopp,1967年6月16日- )とは、ドイツ・シュツットガルト出身のパフォーマーサッカー指導者である。現レッドブル・グループのグローバルサッカー部門責任者。
概要
2010年代に頭角を現したドイツ出身のサッカー指導者であり、世界的にも評価されている名監督である。激しい情熱と闘争心、さらに選手やサポーター、チームに対して深い愛情を示すことから非常に人気の高い監督でもある。トレードマークは大きな体と髭と眼鏡。
現役時代のキャリアの大半をマインツ05で過ごし、現役引退後の2001年に指導者に転身。ボルシア・ドルトムントの監督時代にブンデスリーガ2連覇を達成し、世界的な名将として名を馳せると、2015年にイングランド・プレミアリーグの名門リヴァプールFCの監督に就任。就任当時はタイトルから遠ざかっていたチームを再び欧州を代表する強豪へと押し上げ、UEFAチャンピオンズリーグ優勝とプレミアリーグ優勝を果たし、イングランドにおける主要タイトルの全てを獲得している。
彼の代名詞と言える戦術が「ゲーゲンプレス」と呼ばれるカウンター戦術であり、彼がドルトムント時代に披露したスタイルは世界中に大きな影響を与え、ジョゼップ・グアルディオラと並ぶ世界的な名監督としての地位を確立する要因となった。また、モチベーターであり、情熱家の監督としても知られ、彼を慕う選手は非常に多く、ロベルト・レヴァンドフスキやモハメド・サラー、サディオ・マネといった選手をワールドクラスのプレイヤーへと成長させた実績も持つ。
日本では、ドルトムント時代に欧州では無名の存在だった香川真司の才能を開花させ、ブンデスリーガでもトップクラスの選手へと育て上げた名伯楽として有名。リヴァプールでも南野拓実、遠藤航をチームに迎え、指導していることから日本でも馴染深い監督となっている。選手に対する愛情あふれる対応やコメント、試合中の激しいリアクションで人気も高い。
2023-24シーズンを最後にリヴァプールFCの監督を退任した後は、レッドブル・グループのグローバルサッカー部門責任者に就任。監督業からは一線を退く旨を語っている。
経歴
現役時代
現役時代のポジションはFWだったが、キャリアの晩年はDFとしてもプレーしていた。1986年のデビューから2001年の引退まで、いくつものドイツのクラブを歩き回っている。もっともトップリーグでの実績は乏しく、キャリアのほとんどは2部リーグ以下のカテゴリーでプレー。
1972年に地元のクラブであるSVグラッテンのユースチームでキャリアをスタートさせ、1983年からはTuSエルゲンツィンゲンでプレー。青年になってからは1.FCプフォルツハイム、アイントラハト・フランクフルトII、ヴィクトリア・ジンドリンゲン、ロート=ヴァイス・フランクフルトでアマチュア選手としてプレーしている。
1990年に1.FSVマインツ05とプロ契約を交わし、2001年までの11年間所属し、公式戦325試合に出場。選手時代の自身について「とても凡庸だったね。スピードがあり、ヘディングも良かったがそれだけだった」と分析している。また、マインツでプレーしていた1990年代にヴォルフガング・フランク監督に師事し、後の指導者としてのキャリアに大きな影響を受けている。
2001年2月にまだ現役だったにもかかわらず突如監督としてのオファーを受け、現役引退を決意。指導者としての道を歩むことになる。ちなみにオファーを受けたとき30分ほどで決断したと語っている。
マインツ
引退後すぐの2001年2月27日にマインツの監督に就任。就任当初はプロリーグを指揮できるAラインセンスを所持しておらず、マインツで一緒にプレーした経験のあるゼリコ・ブバチに助けを求めていた。以降、ブバチはドルトムント、リヴァプール時代まで右腕としてアシスタントコーチを務めることになる。
その後、財政的に小規模だったマインツを着々と強化していき、就任2年目、3年目には1部昇格まであと一歩というところまでたどり着くと、就任4年目の2004年にクラブ創立100年目にして初のブンデスリーガ1部昇格に導く。
初の1部挑戦となった2004-05シーズンは11位でリーグ戦を終え1部残留と健闘をみせる。また、ドイツのクラブ代表としてUEFAフェアプレー賞を受賞し、クラブ初のUEFAカップ出場権を獲得する。マインツ時代のスタイルは4-4-2からのカウンターがベースであり、師匠であるフランクの影響が色濃かった。代表クラスの選手がおらず、1部リーグの中では戦力的に乏しかったが、選手たちをうまくオーガナイズしつつ、走力をベースにしたサッカーで格上相手にも結果を残せるチームを作り上げたことで存在感を発揮。2005-06シーズンも11位でシーズンを終え2シーズン連続での残留を果たす。
しかし2006-07シーズンはモハメド・ジダンら主力の相次ぐ移籍が影響し、シーズン16位で降格となる。
2007-2008シーズンはツヴァイテ―リガ(2部)で4位となり昇格を逃したことでシーズン終了後の2008年6月30日に退任。現役時代から通算して17年間在籍したマインツを退団する。ただし、その後ブンデスリーガに復帰し、長く1部に定着したマインツの土台を作り上げたのだった。
ドルトムント
2008-09シーズンより、クラブの経営危機もあって低迷の続いていたボルシア・ドルトムントの監督に就任。前半戦はUEFAカップでウディネーゼに敗退するなど苦戦したものの、後半はチームはかみ合い快進撃を演出。最終節で6位になり、ヨーロッパカップ戦への出場権を獲得出来なかったが、終盤にリーグ7連勝を達成するなど古豪復活に向けて基盤を固めた。
2009-10シーズン以降、ケヴェン・グロスクロイツ、ヌリ・シャヒン、スヴェン・ベンダー、マリオ・ゲッツェらの若手を次々とブレイクさせる。
2010-11シーズンにおいては夏の移籍で獲得した香川真司が即フィットし、これまで進めていたハイプレッシングを主体としたスピーディーなスタイルが完成。ドルトムントはリーグ前半戦でブンデスリーガ史上第2位となる勝ち点43を達成。後半に入っても勢いは止まらず、主力の大半が23歳以下という若いチームは2001-2002シーズン以来となる9シーズンぶり7度目優勝を果たし、ユルゲン・クロップの名声は世界中に一気に広がることとなる。
2011-12シーズンではスタートダッシュには失敗したものの、香川、ゲッツェ、ロベルト・レヴァンドフスキの攻撃陣が噛み合うようになったことで前年以上のクオリティの高いサッカーを見せるようになる。特に優勝を争うバイエルン・ミュンヘンとの直接対決では、2試合ともに勝利。最終節までリーグ28試合連続で無敗というブンデスリーガ新記録を打ち出し、最終的に勝ち点81を達成しブンデスリーガ連覇を成し遂げる。さらに、DFBポカール決勝でもバイエルンを破り、クラブ史上初となる国内2冠を達成。
香川がマンチェスター・ユナイテッドに移籍した2012-13シーズンは、新たに加わったマルコ・ロイスがチームに溶け込むも、ブンデスリーガではバイエルンの独走を許してしまい、3連覇を逃す。UEFAチャンピオンズリーグ(CL)では、準決勝でレアル・マドリードを下し決勝まで進出するも、またもや宿敵バイエルンに阻まれてしまい、準優勝となる。
2013年にはFIFAバロンドール最優秀監督賞の候補に上がったが、バイエルンを3冠に導いたユップ・ハインケスに次ぐ2位となった。
2014-15シーズンは序盤から大苦戦し、前半戦をリーグ最下位で折り返すという大波乱のシーズンとなった。自身の戦術が他のチームに研究され尽くされたことに加え、ゲッツェ、シャヒン、レヴァンドフスキといった中心選手を毎年のように引き抜かれたことでチームは下降線を辿っていた。最終的に7位に終わりUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得したものの、7年間指揮し、時代を作り上げたドルトムントの監督を退任する。
リヴァプール
「しばらく休養を取る」とのことだったが、2015-16シーズンの途中でイングランド・プレミアリーグの名門リヴァプールFCの監督に就任。プレミアリーグでのリーグ史上二人目のドイツ人指揮官となった。ドルトムント時代と同じく低迷する古豪を立て直すミッションとなったが、チーム状態は向上したものの、自身のチーム作りに必要なピースがまだ不足していたこともあり、初年度はヨーロッパのカップ戦出場権を逃すこととなる。
2年目となった2016-17シーズンは、戦力が整備されたこともあって自身の哲学がチームに浸透するようになり、前半戦は2位で終える。しかし、1月にサディオ・マネがアフリカ・ネーションズカップ出場のためいチームが離脱したことで失速。ハードワークが求められるスタイルがプレミアリーグ特有の過密日程と相性が悪いという問題も露呈。それでも、終盤に持ち直し、タイトル獲得はならなかったが、最終的に4位に入り込み、CL出場権獲得という最低限のノルマは達成する。
2017-18シーズンは、モハメド・サラーが加入したことでロベルト・フィルミーノ、マネとの強力な3トップが完成。3トップのスピードと得点力を前面に出すことで攻撃力が大幅にアップ。その反面守備の脆さが目立ち、勝ち点を落とすことが多かったが、冬にフィルジル・ファン・ダイクを獲得したことでチームの長年の課題だった守備の問題を解決させる。CLでは、チームを2007年以来となる決勝まで導くが、レアル・マドリードとの決勝では前半にサラーが負傷で交代したこと、さらにはGKロリス・カリウスの2つのミスにより1-3で敗戦。あと一歩のところでタイトルを逃す。
2018-19シーズンは、自身のリクエストにフロントが全面的に応える形となり、懸念材料となっていたGKにはアリソン・ベッカーが加入。また負担の大きかった中盤に質と量を揃えた陣容を揃え、ようやく理想的なスカッドが完成するのであった。さらに、トレント・アレクサンダー=アーノルド、アンドリュー・ロバートソンといった起用しながら育てていた若いSBの才能がこのシーズンに開花。攻守両面で安定したチームに進化し、懸念材料だった後半戦での息切れも見られず、わずか1敗で勝ち点89という好成績を残す。しかし、勝ち点わずか1届かず、マンチェスター・シティに優勝を持って行かれる。一方、CLでは準決勝でFCバルセロナと対戦。1st legを0-3で落とし、絶望的な状況でアンフィールドでの2nd legを迎える。しかし、底力を見せたチームは4-0という奇跡の大逆転劇を演じ、2シーズン連続での決勝進出に導く。トッテナム・ホットスパーとの決勝では、ディオック・オリギ投入の采配が当たったこともあり、チームに14年ぶりとなるCL優勝をもたらす。自身にとっても3度目の決勝でようやく初のビッグイヤー獲得を成し遂げることとなった。
2019-20シーズンは、前のシーズンからの勢いをそのまま維持し、開幕から8連勝、前年から通算しての連続無敗記録を44試合まで伸ばし、前半戦を19勝1敗という驚異的な成績で折り返し、首位を独走。また、FIFAクラブワールドカップでは、決勝でCRフラメンゴを破り、クラブ世界一のタイトルをもたらす。この頃自らが育てあげたチームは世界最強と呼ばれるようになっていた。プレミアリーグの後半戦も順調に勝ち点を積み重ね、31節の時点で2位マンチェスター・シティとの勝ち点差は23に広がり、チームにとって30年ぶりとなるリーグ優勝を史上最速記録で達成。
2020-21シーズンはシーズン序盤で守備の要であるファン・ダイクが負傷によって長期離脱を強いられたことを皮切りに、一時は本来の4バックのレギュラーが全員離脱したうえに代役としてCBにコンバートしたファビーニョやジョーダン・ヘンダーソンまで離脱するなど、異常なほど守備陣に負傷者が相次いでしまう。何とか2020年年末を首位で折り返したものの、2021年に入り公式戦23試合未勝利という深刻な不振に陥ってしまう。プレミアリーグ連覇は早々と絶望的となり、CLもベスト8でレアル・マドリードの前に敗れる。それでも終盤の巻き返しで何とか3位に滑り込み、最終節でCL出場権は確保している。
2021-22シーズンは、ファン・ダイクら怪我人が復帰し主力が揃ったことと、エースのモハメド・サラーが絶好調だったことによって開幕直後から好調を維持。CLでもグループステージを危なげなく突破する。年末のボクシングデーで調子を落とし、1月から2月にかけてサラー、マネの両軸がアフリカネーションズカップ参戦のためチームを離れる危機を迎えるが、冬に加入したルイス・ディアスをチームにフィットさせるなど巧みなマネージメントで乗り切る。シーズン後半戦はマネを中央のポジションに移し、司令塔のチアゴ・アルカンタラがチームにフィットしたことでチームはさらに高次元のチームへと進化。EFLカップ、FAカップでは控え選手たちをうまく使いながら国内カップ戦二冠を達成。プレミアリーグでは10連勝を達成するなど圧倒的強さでシティとの激しい優勝争いを演じ、CLでも順調に勝ち上がり決勝進出。シーズン終盤まで史上初の四冠獲得への期待も集まっていた。しかし、リーグ戦では2018-19シーズン同様勝ち点1及ばず、CL決勝でもレアル・マドリードに敗れ、あと一歩で重要な二つのタイトルを逃す。
2022-23シーズンはこれまでチームの大黒柱だったマネの移籍と2シーズン前の再来のような怪我人の続出によってスタートで躓き、ハイプレス戦術が機能しなくなったことで守備の脆さを露呈してしまう。シーズン後半の時点で優勝争いからはほぼ脱落しており、CL出場権獲得すら危ぶまれる状況となり、解任説まで浮上するようになる。それでも守備で穴になっていたアレクサンダー=アーノルドを偽のSBとして中盤のようにプレーさせるようになるとチームの攻撃力が復活。相変わらず守備は不安定なままだったが、打ち勝つスタイルで巻き返していく。それでも4位には届かず、6シーズンぶりにCL出場権を逃し、シーズン無冠で終了する。
2023-24シーズンはジョーダン・ヘンダーソン、ファビーニョの退団によって中盤が人員不足に陥るが、新戦力のソボスライ・ドミニク、アレクシス・マック・アリスター、遠藤航ら新戦力をフィットさせ、卓越したチームマネージメントによって前半戦を首位で折り返す。そんな2024年1月27日に今シーズンを最後に退任することを表明し、世界中に衝撃が走る。クロップの最後の年にタイトルを獲得することでモチベーションを高めたチームは、2月にはEFLカップ決勝でチェルシーを破り、2シーズンぶりのタイトルをもたらす。プレミアリーグでもマンチェスター・シティ、アーセナルとハイレベルな優勝争いを演じていたが、シーズンが佳境に入った4月に主力選手たちに疲労が見えるようになり、EL準々決勝でアタランタに完敗したのをきっかけにチームは失速。2強との差が広がってしまい、優勝争いから脱落してしまう。4月27日の第35節ウェストハム戦では交代を巡ってエースのサラーと公衆の面前で口論を起こすことになる。リヴァプールでの最後の試合となった5月19日のアンフィルードでのウルヴァーハンプトン戦に勝利し有終の美を飾ると、試合後は9年間の功績を称えて選手、サポーターが「You'll Never Walk Alone」を歌うという感動的なお別れセレモニーがおこなわれた。
レッドブル・グループ
2024年10月、オーストリアの世界的企業であるレッドブル・グループのグローバルサッカー部門責任者に就任にすることが発表される。契約は2025年1月からの4年。就任に際し、「もう監督はやりたくないんだ」と語っている。
監督成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 順位 | 獲得タイトル |
---|---|---|---|---|---|
2001ー02 | マインツ | ツヴァイテリーガ | 4位 | ||
2002ー03 | マインツ | ツヴァイテリーガ | 4位 | ||
2003ー04 | マインツ | ツヴァイテリーガ | 3位 | ||
2004ー05 | マインツ | ブンデスリーガ | 11位 | ||
2005ー06 | マインツ | ブンデスリーガ | 11位 | ||
2006ー07 | マインツ | ブンデスリーガ | 16位 | ||
2007ー08 | マインツ | ツヴァイテリーガ | 4位 | ||
2008ー09 | ドルトムント | ブンデスリーガ | 6位 | ||
2009ー10 | ドルトムント | ブンデスリーガ | 5位 | ||
2010ー11 | ドルトムント | ブンデスリーガ | 1位 | ブンデスリーガ | |
2011ー12 | ドルトムント | ブンデスリーガ | 1位 | ブンデスリーガ、DFBポカール | |
2012ー13 | ドルトムント | ブンデスリーガ | 2位 | ||
2013ー14 | ドルトムント | ブンデスリーガ | 2位 | DFLスーパーカップ | |
2014ー15 | ドルトムント | ブンデスリーガ | 7位 | DFLスーパーカップ | |
2015-16 | リヴァプール※1 | プレミアリーグ | 8位 | ||
2016-17 | リヴァプール | プレミアリーグ | 4位 | ||
2017-18 | リヴァプール | プレミアリーグ | 4位 | ||
2018-19 | リヴァプール | プレミアリーグ | 2位 | UEFAチャンピオンズリーグ | |
2019-20 | リヴァプール | プレミアリーグ | 1位 | プレミアリーグ FIFAクラブワールドカップ UEFAスーパーカップ |
|
2020-21 | リヴァプール | プレミアリーグ | 3位 | ||
2021-22 | リヴァプール | プレミアリーグ | 2位 | FAカップ、EFLカップ | |
2022-23 | リヴァプール | プレミアリーグ | 5位 | FAコミュニティシールド | |
2023-24 | リヴァプール | プレミアリーグ | 3位 | EFLカップ |
個人タイトル
指導者としての特徴
戦術面
ドルトムント時代に、「ゲーゲンプレッシング」と呼ばれたカウンター戦術を完成させ、サッカー界全体に大きな影響を与えた。クロップ式のプレッシングは、ボールを失った後すぐに守備に切り替え、ファーストディフェンスとなる選手が相手のパスコースを限定させて追い込み、ボール奪取力の高い中盤の選手がボールを奪い、人数を割いたショートカウンターに持ち込むといったものである。そのため、マウリシオ・ポチェッティーノは「厳密にはミドルプレッシングに該当する」と評している。
ただし、クロップ戦術の斬新さは、プレッシングそのものというよりは、これまでは受け身の攻撃だったカウンターを自分たち手動で発動できるための仕組みを作り上げたことにある。レヴァンドフスキやフィルミーノといったターゲットになれる選手にロングボールや楔のパスを送り込み、敵陣でカオスな状態を作り出すことで、プレッシングを仕掛ける状況を生み出す。そのために、ボールサイドに人を寄せて数的優位の状態でボールを運ぶことが重要で、相手にボールを失った後、さらにはカウンター発動の際も数的優位を作り出せるようになっている。
ドルトムントを率いた最後のシーズンは、相手に引かれてボールを持たされてカウンターの発動を封じられ、ゲーゲンプレッシングが攻略されてしまった。そのときの反省を踏まえ、リヴァプールではゲーゲンプレッシングをファーストチョイスとしながら、相手にボールを持たされてもポゼッションでボールを運ぶための仕組みを作り上げており、弱点を克服している。
チームにスプリントを要求し、運動量とフィジカル、さらには球際でのデュエルを要求するタイプの監督であるが、攻撃の形を細部までデザインするタイプの監督でもあり、相手が手を打って来た時のプランBもしっかりと準備している。
マネジメント面
戦術家であると同時に、優秀なモチベーターであることでも有名であり、選手たちの心情を察してなるべく平等に扱おうとし、控えに回る選手へのケアも怠らないため、彼のチームで走ることを怠る選手はほぼ見られない。クロップの卓越した心身掌握術は、ビジネスの世界でも注目されてほどであり、常に選手とのコミュニケーションを図り、ピッチ内だけでなくピッチ外のことにも気を配り、ユーモアを交えて接することでチームの雰囲気も明るくしている。
フロントと常に良好な関係を保つのも特徴であり、リヴァプールでは、スポーツ・ディレクターであるマイケル・エドワーズとコミュニケーションを取り続け、お互いの意見を交換しながら一貫性のあるチームの強化を進めることが成功に繋がったと言われている。
パフォーマンス
ドルトムントの選手が得点を決めたりすると、エキサイトして見ているこっちが楽しくなるパフォーマンスをするのがこの男、ユルゲン・クロップ
ある時は助走をつけて全力で謎の跳躍をしたり、ある時は喜びすぎてピッチに飛び出し肉離れになったり。
到底理解できないパフォーマンスだが、クロップのパフォーマンスにはチームや選手への愛がある。だからこそファンに愛されるのかもしれない。
関連動画
関連書籍
- ユルゲン・クロップ 選手、クラブ、サポーターすべてに愛される名将の哲学(2015年7月)
- ユルゲン・クロップ 増補版(2019年10月)
- 組織的カオスフットボール教典 ユルゲン・クロップが企てる攪乱と破壊(2020年12月)
関連項目
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