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山口俊(やまぐち しゅん、1987年7月11日-)とは、大分県出身の元プロ野球選手(投手・どすこい・ドスコーソ)である。
概要
OB | |
---|---|
山口俊 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県中津市 |
生年月日 | 1987年7月11日 |
身長 体重 |
187cm 90kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2005年高校生ドラフト1巡目 |
引退 | 2023年 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
プレミア12 | 2019年 |
プロ野球選手テンプレート |
150km/hの直球と、フォークが武器の本格派右腕。父は元幕内力士で、本人も相撲を練習に取り入れており、どっしりした体格もあってファンからは「どすこい」と呼ばれている。
2005年の高校生ドラフト1巡目で指名され、柳ヶ浦高校から横浜ベイスターズに入団。背番号は11。
横浜・DeNA時代
2006年に、プロ入り初登板初先発初勝利を読売ジャイアンツ戦で挙げる。早いイニングで球威が落ちてヘロヘロになっているのが目に見えて分かるような状況だったが、巨人打線は何故か山口から打てず、5回2アウトまでは走者を1人も出さないパーフェクトピッチングだった。先発として期待されたが、その後は結果を残せず2007年はその初登板時の1勝のみに留まる。
2008年から中継ぎに転向。シーズン終盤に一軍に昇格し、16試合で防御率0点台の好成績を残した。
2009年のシーズン途中から、石井裕也に替わってクローザーになった。
2010年は横浜の選手で唯一オールスターに出場した。ただし救援失敗も多い。(2010年は2勝8敗30セーブ・防御率2.62。2011年は2勝6敗34セーブ・防御率2.49)
2011年オフの契約更改で、1987年度生まれの世代で初の1億円プレーヤーになった。
2012年は開幕戦でいきなり救援失敗、4月10日にはサヨナラを許してしまうなど不安定なピッチングが続くも、金髪だった髪の毛を丸刈りにしてから調子を上げ5月と6月は無失点と持ち直す。最終的に自己最多の60試合に登板して1勝2敗22セーブ、防御率1.74で終えた。負け数や防御率、被本塁打(1本)などは去年から大幅に改善されたが、同点やビハインドでの登板も多々ありセーブ数は大きく減らした。また、9月4日の東京ヤクルトスワローズ戦で史上25人目となる通算100セーブをあげた(ちなみに最年少記録である)。
2013年シーズン途中でストッパーをホルヘ・ソーサに譲り、リリーフ転向後最少の7セーブに終わった。
2014年は、開幕からこれまで通り抑えを任されるも、4月2日の巨人戦にて、4点リードの1アウト満塁の場面で登板したが、9人に対して9失点を喫して逆点される汚れ役悪夢のような救援失敗劇をやらかしてしまう。その後は目立った炎上もなく何なく抑えたが、5月での1ヶ月の調整期間を経て、交流戦で先発に配置転換することが決定。ちなみに、この4月時点で抑えとしての山口の防御率は7点代だった。
そして6月1日の千葉ロッテマリーンズ戦にて、実に7年ぶりの先発を務める。ファンからの期待と不安を背負いながらも6回無失点と好投。シーズン初勝利を挙げた。その後も、この年大補強と現有戦力の急成長でパリーグの打率ランキングを独占していた福岡ソフトバンクホークス相手に8回1失点で投げ勝つなど予想以上の活躍を見せ続け、以降は完全に先発ローテーションとして定着。
後半戦以降は好投するも中々勝ち星がつかなかったり、初回に死球で退場になったりしたこともあったが、7月1日の中日ドラゴンズ戦ではプロ初ホームランを放つなど打撃でも非凡さを見せつけ、8月に2ヶ月ぶりにようやく勝ち星を得てからは0で抑えることこそ少ないものの、兼ね安定した投球を披露した。(ドスコーソも参照のこと)
特に9月には阪神タイガース戦で(プロ初)完投勝利1回と、ヤクルト戦(プロ初)・阪神戦と2回に渡る完封勝利を上げ、4月の7点代の防御率もヤクルト戦の完封時点で2点代にまで回復した。球団が苦手としていた巨人戦でも、杉内と二度対戦しどちらも投げ勝つなど、この年の巨人戦で3タテを唯一喫しなかったDeNAの戦いぶりを体現する活躍を見せた。
2015年は開幕から3連勝するなど快調な滑り出しだったが、5月以降は不振に陥り、7月に6連敗を喫した。
2016年は開幕投手を務めようとしたが、右足をねん挫したため井納翔一が務めた。4月9日のヤクルト戦で初登板初先発し、5失点を喫したがプロ2本目のホームランも放ち、勝利投手となった。オールスターにも選出されたが、左足首の捻挫で離脱する。復帰後も活躍し、クライマックスシリーズ出場に貢献したが、9月に右肩を痛め、残りのシーズンの登板はなかった。
巨人時代
2016年オフにFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍した。背番号は42。
2017年は右肩違和感の影響で三軍で調整を続けていた。6月14日の福岡ソフトバンクホークス戦でようやく初登板し、6回無失点でマウンドを降りる。その後はスコット・マシソン、アルキメデス・カミネロも無安打無失点に抑え、継投でのノーヒットノーランを達成。移籍後初勝利を挙げ、お立ち台で涙を流した。一方で、初の古巣との試合で先発投手となった7月2日の横浜DeNAベイスターズ戦では、ファンからブーイングを受ける中で4回6失点と炎上してマウンドを降り、最終的に敗北投手となる。
30歳の誕生日を迎えるが、誕生日パーティーで泥酔して右手を負傷。更に治療のため向かった都内の病院で器物損壊および暴行事件を起こして、公式戦登板が見合わせとなる。最終的に8月18日に書類送検され、11月30日までの出場停止(事実上2017年シーズン中は出場停止)、総額で1億円を超えるとされる罰金・減棒処分となった。
2018年、契約年数を1年減らされたものの、契約を更改。前年の汚名返上を誓って練習に励み、マウンドへと登り続けた。そして、7月28日の中日戦(東京ドーム)にて、1与四球のみの準完全試合のノーヒットノーランを達成。
NPB史上では79人、90回目の快挙で、準完全試合のノーノーは16回目、100セーブ達成者がノーノーを達成したのは史上初である。オフに背番号を11に変更した。
2019年は開幕から4連勝を挙げ、初めて月間MVPを受賞した。26試合の登板で15勝、188奪三振とキャリアハイの成績を残し、リーグ優勝に貢献。最多勝、最高勝率、最多奪三振のタイトルを獲得した。自身初の日本シリーズでは第1戦に登板したが、ソフトバンク打線に打ち込まれ、6回3失点で敗戦投手となった。プレミア12の日本代表に選出され、決勝戦の韓国戦で1回3失点を喫したが、味方打線が逆転してリードしたため、世界一を経験した。
ブルージェイズ時代
2019年11月18日にはポスティングシステムを使用したメジャーリーグ移籍を表明し、12月27日にトロント・ブルージェイズが2年契約を結んだことを正式発表した。背番号1。
2020年7月27日のタンパベイ・レイズ戦でデビューしたが、2失点でサヨナラ負けを喫し、敗戦投手となった。8月26日のボストン・レッドソックス戦では4回1失点でメジャー初勝利を挙げた。1年目は17試合の登板で2勝4敗1ホールドだった。
ジャイアンツ傘下時代
2021年2月20日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。しかし3Aで結果を残せずに6月3日に自由契約となった。
第2次巨人時代
2021年6月10日に読売ジャイアンツへの復帰が発表された。背番号は99。7月7日の中日戦で2勝目を挙げて以降は7連敗を喫し、2勝8敗と負け越した。オフに背番号を17に変更した。
2022年は開幕から一軍登板がないまま、二軍戦で左膝を負傷。1試合の登板に終わり、戦力外を受けた。その後は12球団合同トライアウトに参加したが、獲得に動く球団は現れず、2023年3月29日に現役を引退した。
プレースタイル
典型的速球派投手であり、コントロールは良くない。危険球退場回数はNPBタイ記録の3回を記録している。
抑え時代は暗黒ベイスターズの守護神として君臨していた。たとえば2011年はベイスターズが年間47勝だったのに対し、山口のセーブ数は34個である。
しかし力士の血を受け継いだと思われるガタイの大きさ、態度のふてぶてしさと相反した豆腐メンタルの持ち主であり、自信をなくすと一気に崩れ不安定な投球が始まるという面も持ち合わせている。そのせいもあってか、専属メンタルコーチを雇ったとか。
先発転向後は強靱なスタミナを持ち合わせる完投型投手に変化した。守護神という失点を許されない立場から先発に転向したのがハマったのか、年々安定感を増し、巨人移籍後は前述通りノーヒットノーランも達成している。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
巨人 | セントラル・リーグの応援歌のピコカキコ一覧#78 | 16256 |
成績
年度別投手成績
年度 Year |
球団 Team |
登板 G |
先発 GS |
完投 CG |
完封 SHO |
勝利 W |
敗戦 L |
セーブ SV |
ホールド HLD |
勝率 W-L% |
投球回 IP |
与四球 BB |
奪三振 SO |
失点 R |
自責点 ER |
防御率 ERA |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | 横浜 DeNA |
5 | 5 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 21.0 | 8 | 17 | 15 | 15 | 6.43 |
2007年 | 6 | 4 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 20.0 | 10 | 14 | 16 | 14 | 6.30 | |
2008年 | 16 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | .500 | 23.2 | 16 | 28 | 2 | 2 | 0.76 | |
2009年 | 51 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 18 | 7 | .556 | 55.0 | 17 | 68 | 22 | 20 | 3.27 | |
2010年 | 54 | 0 | 0 | 0 | 2 | 8 | 30 | 2 | .200 | 68.2 | 24 | 78 | 20 | 20 | 2.62 | |
2011年 | 59 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 34 | 1 | .250 | 61.1 | 19 | 48 | 20 | 17 | 2.49 | |
2012年 | 60 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 22 | 3 | .333 | 62.0 | 22 | 62 | 13 | 12 | 1.74 | |
2013年 | 44 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 7 | 6 | .714 | 46.2 | 16 | 48 | 28 | 28 | 5.40 | |
2014年 | 33 | 17 | 3 | 2 | 8 | 5 | 0 | 3 | .615 | 124.0 | 60 | 96 | 58 | 40 | 2.90 | |
2015年 | 20 | 20 | 2 | 0 | 3 | 6 | 0 | 0 | .333 | 114.1 | 42 | 119 | 67 | 57 | 4.49 | |
2016年 | 19 | 19 | 5 | 3 | 11 | 5 | 0 | 0 | .688 | 138.2 | 44 | 121 | 48 | 44 | 2.86 | |
2017年 | 巨人 | 4 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 21.0 | 16 | 22 | 15 | 15 | 6.43 |
2018年 | 30 | 21 | 6 | 2 | 9 | 9 | 1 | 1 | .500 | 154.0 | 60 | 144 | 66 | 63 | 3.68 | |
2019年 | 26 | 26 | 0 | 0 | 15 | 4 | 0 | 0 | .789 | 170.0 | 60 | 188 | 60 | 55 | 2.91 | |
2020年 | TOR | 17 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 1 | .333 | 25.2 | 17 | 26 | 25 | 23 | 8.06 |
2021年 | 巨人 | 15 | 15 | 0 | 0 | 2 | 8 | 0 | 0 | .200 | 78.1 | 37 | 83 | 34 | 31 | 3.56 |
2022年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 2.0 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0.00 | |
NPB:16年 | 443 | 131 | 16 | 7 | 66 | 66 | 112 | 25 | .500 | 1160.2 | 453 | 1140 | 484 | 433 | 3.36 | |
MLB:1年 | 17 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 1 | .333 | 25.2 | 17 | 26 | 25 | 23 | 8.06 |
国際大会での投手成績
年度 | 代表 | 大会 | 登板 | 先発 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2019年 | 日本 | プレミア12 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | .--- | 9.0 | 3 | 10 | 6 | 6 | 6.00 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | |||
---|---|---|---|
NPB | 最多勝 | 1回 | 2019年 |
最高勝率 | 1回 | 2019年 | |
最多奪三振 | 1回 | 2019年 | |
表彰 | |||
NPB | 月間MVP | 1回 | 2019年3・4月 |
その他 | |||
NPB | オールスターゲーム出場 | 3回 | 2010年、2011年、2019年 |
ノーヒットノーラン | 1回 | 2018年7月27日 |
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