野村克也(のむら かつや)とは、日本の元プロ野球選手・監督。
戦後間もない頃から2000年代にかけプロ野球を牽引した名選手にして名監督。選手としては南海ホークス・ロッテオリオンズ・西武ライオンズに、監督としては南海・ヤクルトスワローズ・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍した。戦後初・捕手として世界初の三冠王、出場試合数歴代2位、監督出場試合数歴代3位、通算本塁打数歴代2位、通算打点数歴代2位、通算犠飛数歴代1位など、多数の記録を保持。
概要
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「ノムさん」の愛称で親しまれる、往年の名捕手にして球界屈指の名将。
高校時代は全くの無名選手であり、南海ホークスにも練習生として入団。南海を選んだ理由は、当時正捕手がいなかった事と京都府峰山の実家から近かったためだという(南海がダメだった場合は広島を受けるつもりだった)。変化球が打てず一度は戦力外を言い渡されるも、「もしクビにするなら帰りの南海電鉄に飛び込んで自殺します」と懇願し残留。配球データを分析し、球種を絞って打つことで入団3年目にレギュラーを掴むと、以後22年間に渡って南海ホークス不動の正捕手、現役後半は兼任監督として活躍。晩年はロッテ、西武と渡り歩き、45歳まで現役を続けた。
8年連続本塁打王(通算9回)、6年連続打点王(通算7回)、捕手として史上初の三冠王などを記録し、通算出場試合・安打・本塁打・打点・塁打数で歴代2位という多大な実績を残した大打者である。しかし現役時代は長嶋茂雄・王貞治らセ・リーグのスター選手の陰に隠れた存在であり、600号本塁打達成時の「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」という発言は、そのまま野村の代名詞になっている。
代名詞とも言えるデータを駆使するID野球はプロ野球の進化に大きく貢献。また選手兼監督時代に江夏豊をリリーフ投手として抜擢し、投手分業制を確立したり、盗塁を阻止する技術として投手のクイック投法を開発し福本豊に土をつけた。メジャーより日本の方がクイックが発達しているのはその為である。
また、南海にトレードされてきた江夏豊をリリーフに転向させ、「阪神を出されもう終わった選手」になりかけていた江夏を「優勝請負人」として復活させた。江夏のリリーフ転向はそれまで二線級のやるものだった中継ぎ投手の地位を大きく向上させ、日本プロ野球のあり方を大きく変えたことでも高く評価される。
引退後は解説者を務めたのち、ヤクルトの監督に就任。在任9年でリーグ優勝4回、日本一3回とヤクルト黄金時代を築き上げる。特に他球団から放出された選手を復活させる手腕は「野村再生工場」と呼ばれた。一方で岡林洋一やルーズショルダーだった伊藤智仁を酷使して潰したと批判されることもある(伊藤に関しては野村も非常に反省しているらしい)。
ヤクルト監督を退任後、直後の1999年に阪神の監督に就任。矢野輝弘や赤星憲広等のちの主力選手らを抜擢したが、順位面では3年間全て最下位と全く結果を残せず妻の脱税事件も関係して辞任する。この時の環境の悪さもあってか、後に著書でマスコミとマナーの悪いファンとタニマチの問題を何度か書いている。
阪神辞任後は社会人野球の弱小チームだったシダックスの監督に就任、僅か数ヶ月でシダックスを全国制覇に導いた。2004年にはアテネ五輪金メダルのキューバ代表に完勝し、「シダックスこそが世界最強」と言われたこともある。
ちなみに2008年の北京五輪のキューバ代表の監督はシダックスで監督業を学んでいたアントニオ・パチェコであった。
2006年からは楽天の監督に就任。1年目こそ最下位に終わるが、2年目の2007年にはルーキー・田中将大ら若手の台頭とベテラン・山崎武司の本塁打王獲得などで4位へと躍進。3年目の2008年には一時パ・リーグ単独首位に立つなどしたが、夏場以降は息切れして5位に終わった。
寄る年波の影響か、2009年で退任。しかしこれまでの指導が実ったのか、2009年に楽天はチーム初の2位入りとし、本拠地でのプレーオフ第1ステージ開催を実現した。しかしチームは第2ステージで日本ハムに敗れ、楽天と日本ハム両方のチームから胴上げされた。その後「就職ください!」というコメントをマスコミに寄せた。
楽天監督就任以降、試合後に内容や選手についてボヤいた野村の発言が人気を集め、スポーツニュースなどでは一種の定番コーナーとなっていた。辛口の苦言であるのが常だが、その一方で田中将大が活躍したときなどは非常にデレデレなコメントを残すことも多く、ツンデレ監督として親しまれていた。
監督を勇退した後もボヤキ節をスポーツニュース(というかTBS「S☆1日曜」)向けに提供。日曜夜にノムさんのボヤキ節が聞けるとあってその日の朝の張本勲ほどではないが一定の人気を集め、また翌朝にはネットニュースに取り上げられていることも少なくなかった。また、監督解任後疎遠になっていた(ソフトバンク)ホークスとの歩み寄りもあった。
2017年に妻の沙知代が死去してからは年齢もあり目に見えて弱っていき、車椅子で現れる場面も少なからずあった。2020年2月11日、虚血性心不全のため死去、享年84。前月下旬まで金田正一のお別れの会への出席、徹子の部屋の収録など精力的な活動が今年も見込まれると思われた中での死だった(なお、例の徹子の部屋は死去の地点で放送予定は未定だったが、死去の報が伝えられた翌日急遽放送された)。
ちなみに、「クイズ!タレント名鑑」に出演し、「監督時代の教え子の顔を見て名前を何人あてられるか」というクイズに挑戦したところ、ヤクルト時代から楽天時代に至るまでの一般正答率9割以上の有名選手から1割近いマイナーな選手までを幅広く出題されたにも関わらず、100人中90人の名前を正答するという記憶力を見せた。
しかし本人は、「100%でなければ監督失格」とボヤいていた。
鶴岡一人との関係は監督と選手という間柄であるが、三冠王を取った事を告げた際は罵声を浴びせられたり、南海の監督を解任された際は鶴岡派閥に追い出されたと会見で言ったり、しまいには葬式にも出ないという間柄になってしまった。その鶴岡の死後、野村は「あの時は調子に乗ってると思われたのでは?」と振り返ったり、上司としての威厳を肯定したりなどしている。
他人への配慮に欠けてたりいい加減な所があり、それが原因で揉め事を起こしたり否定されたり、敵を増やしたり味方を減らした事も珍しくなかった。また、家族(妻や息子カツノリ)への贔屓などの点については毀誉褒貶が激しい。当時阪神の二軍監督を務めていた岡田彰布によれば、濱中治の怪我の状態を聞かれた際にまだ後遺症が残っているから無理と回答したものの、その岡田の意見を無視し一軍に上げたというシャレにならないエピソードを暴露されている。また古田敦也の獲得エピソードでも当時の担当であった片岡宏雄から「内容が違う」「野村さんも眼鏡かけた選手は大成しないと言っていた」と否定されている。
ささやき戦術
選手時代の野村の得意技として「ささやき戦術」が有名である。ただし、元祖ではなく日比野武または山下健が元祖としており、野村は彼らから影響を受けたらしい。内容としては
- 直接的な脅し。「次は頭(インコース)だぞ」と言って、相手打者を揺さぶったが、阪急の西本幸雄監督が野村の戦術に激怒したため封印。
- 配球に関するブラフ。「次はスライダー」と言いつつ、投手にはストレートを投げさせる。(先述のような露骨な配球策ではないが、打者を揺さぶらせた)
- 相手選手の私生活話。「最近銀座のいいお店に行っているらしいね」とか言って、相手選手の私生活ネタを用いた戦術。こういう話題は野村本人が銀座や北新地のバーで通って得たとのこと。
- 人情噺。「広島のおふくろさんは元気にしてるか?」などという身内話。
- 打者のクセを狙ったブラフ。「フォームが少しおかしいんじゃないの?」とか言って、相手打者を乱す。
- 下ネタ。「ハリ、お前は態度がでかいのに、ナニは小さいのう」
というのが有名な内容であり、これらは多くの選手を困らせた。野村のささやき戦術に苦しんだ選手は多く、白仁天の場合は耳栓を持ってきたけど逆に意識をしてしまい乱れてしまった。大杉勝男はささやきに対して「うるさい」と野村を黙らせたらしいが野村の戦術にかなりやられた部類と言われている。張本勲の場合は張本の身体的特徴をネタにしたささやきに対して、わざとスイングで野村の頭に当てたほどである。その後は人情噺をしたらしいが、野村曰く張本にささやいたら張本がそれを気にし過ぎて試合が全然進まなくなるからやめたとのこと。
一方で長嶋茂雄、王貞治、榎本喜八、高井保弘には効かなかった部類であった。特に長嶋の場合はささやいても話が噛み合わない、野村が「最近銀座のいいお店に行っているらしいね」と言ったら「よく知ってるねぇ。どこで聞いたの?」と返され、「フォームが少しおかしいんじゃないの?」と野村が言ったら長嶋がタイムをかけて何回か素振りした後にホームランを打ち長嶋から「教えてくれてありがとう」と言われる始末。ある時には野村が「次はスライダー」と言いながら投手にはストレートを投げさせたが、ホームランを打たれてしまい長嶋から「本当にスライダーを投げちゃダメじゃないか!」というエピソードを残している。長嶋の前ではある意味ギャグな展開であったが、王、榎本、高井の前では野村のささやき戦術を正面突破していた。王の場合は当初は野村のささやきに引っかかったものの投球モーションに入ったら集中して耳すら傾けてもらえず(投球モーションに入るまではささやいても割と応じてくれたらしい)、榎本の場合は強烈なオーラに呑み込まれ野村がささやきすら出来なかった。高井の場合は野村が「何(のボールを)待ってんのや」とささやいたら「ヤマの張り合いをしよう」と逆に高井から話を持ち掛けられ、球種を全て読まれた末にホームランを打たれた(高井は相手バッテリーの研究に熱心であり、パリーグバッテリーは戦々恐々していたほどである)。
通算成績
選手通算
通算:26年 | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 3017 | 11970 | 10472 | 2901 | 657 | 1988 | 117 | 11 | 113 | 1252 | 122 | 1478 | 378 | .277 | .357 |
監督通算
通算:24年 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | |
---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 3204 | 1565 | 1563 | 76 | .5003 | Aクラス12回、Bクラス12回 |
関連動画
関連静画
関連項目
- プロ野球選手一覧
- 南海ホークス
- 東北楽天ゴールデンイーグルス
- 阪神タイガース
- 東京ヤクルトスワローズ
- 野村克則(息子)
- 鶴岡一人
- 江夏豊/門田博光
- 古田敦也/伊藤智仁
- 矢野輝弘/F1セブン
- 田中将大/嶋基宏/山崎武司
- 福本豊
- 杉浦忠/広瀬叔功/皆川睦雄
- タニマチ問題
- ツンデレ
- 野村克也P
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