大家健とは、DDTプロレスリング傘下のガンバレ☆プロレス代表を勤めるプロレスラーである。二つ名は「カリスマ号泣師」。
かつては何度となく失踪を繰り返していた(しかも大事な大一番を逃げ出すこともあった)。プロレス自体もしょっぱい試合扱いされることが多く、同業者やファンから「汁レスラー」の代表呼ばわりされてきた。
しかし、その愚直な根性と努力によって、半分馬鹿にされながらもしだいに認められるようになる。もっとも、ユニオン時代まではブレイクしたと思ったらもとに戻るの繰り返しが続いていた。
だが、ガンバレ☆プロレスを立ち上げてからはガチで彼を支持するガンプロユニバースと呼ばれるファンも増加。旧友の男色ディーノやマッスル坂井には「気持ち悪い(笑)」と言われつつも、本当にカリスマ化しつつある(ただし、ごく一部の方向で)。
1977年4月8日に富山県福野町(現・南砺市)に生まれる。高校までは正道会館で空手の腕を磨いていた。高校卒業後に日本大学に進学し上京、日本大学文理学部文理レスリング連盟(BWA)に所属。リングネームはアレクサンダー大家。当時BWAには後に同僚となるKUDO、ヤス・ウラノ、三和太らが所属していた。卒業後には闘龍門に7期生として入団(ここにも同期に大鷲透が居た。)するもデビュー前に退団。
闘龍門退団後にDDTプロレスリングに入団。2001年12月にスーパー宇宙パワー戦でデビュー。
翌2002年には宇宙からの電波を受信し「今のDDTは間違っている!」と大家革命を謳い、リングネームをO.K.Revolutionに改名。T.M.Revolution風の衣装で闘うようになる(これは顔がT.M.Revolutionに似ていると言う理由もあったようだ)。また、翌2003年にはカミングアウトしゲイ路線に走るが、リストラ対象となりリストラされてしまう。すぐに当事社長だった一宮章一の犬として復帰するが、2004年5月に引退勧告を受けて引退。その後失踪。
翌2005年12月に突如姿を現し、翌月2006年1月に復帰。ユニオンプロレス所属となるものの5月に骨折し4ヶ月の長期離脱、更に2007年1月の男色ディーノ&KUDOvsマッスル坂井&ゴージャス松野&大家健のアメリカ・コントラ・引退マッチに敗れ再び引退。3月には矢郷良明率いるYAGOプロレス旗揚げ戦で復帰するものの即日解雇された上YAGOプロレス自体も同日に解散。翌4月にはユニオン復帰をかけてノーピープル5人がけマッチ(対石川修司・木髙イサミ・726・チェリー・竜剛馬)を行い全敗。その後ユニオンに参戦していた小笠原和彦先生の下で空手の修行に励み、火の輪くぐりを成功させてユニオン復帰を許される。その時の様子はこちら。
その後2009年にはDDTプロレスリングと役員待遇契約を結び、取締役売店部長に就任。この年の8月には憧れの存在であった新日本プロレスの獣神サンダーライガーとのシングルマッチを行う。
翌2010年にはDDTの興行でいつでもどこでも挑戦権を獲得。興行のたびに当事王者だった大日本プロレスの関本大介を挑発してはラリアットで吹っ飛ばされていたが、関本が飯伏幸太の挑戦を退けた直後に乱入し挑発、逆に炎のスピアーで関本を吹っ飛ばして見せた。この際、「関本には8:2絶対俺が勝つ。そして両国国技館大会のメインに立つ!だが、もし俺が両国国技館のメインに立ったら、両国の売店は誰が仕切るんだ!?関本大介!お前DDTの売店仕切れんのか!?無理だろ!だから、このいつでもどこでも挑戦権を俺はこの男に譲渡する!」と石川修司に挑戦権を譲渡。そこまでして売店にこだわっていたが、両国大会の直前の大会で左膝陥没骨折と言う重症を負う。しかしそれでも両国国技館には車椅子で登場し売店を仕切った。
2011年1月に復帰し、復帰戦で元全日本プロレス・プロレスリングNOAHの菊地毅とパン食いデスマッチを行い、この試合がカルト的な人気を博す。また、新日本プロレスの菅林社長に直訴の結果BEST OF SUPER Jrの予選にも出場。その後、紫雷美央の記者会見遅刻をきっかけに抗争が勃発。当事SPGグローバルジュニアヘビー級王座に君臨していたにもかかわらず紫雷美央に敗戦。ここで投げつけられた首輪を自ら装着し、以後は紫雷美央の駄犬としてリングに立つこととなる。この抗争「けんとみお」をきっかけとして紫雷美央は日本インディープロレス大賞でニューカマー賞を受賞した。また、この年には金本浩二のシングルマッチを行ったり、初の蛍光灯デスマッチを行ったりした。
2012年には4月の興行で行われたユニオンサバイバルマッチで優勝。当事DDT EXTREAM級王者であった宮本裕向にユニオンプロレス最大のビッグマッチであった後楽園ホール大会で売店蛍光灯デスマッチで挑んだ。
また、この年にはエビスコ酒場店長のKUDOが試合中のアクシデントにより右肘を脱臼してしばらくの間厨房に立てなくなってしまった。そこで飲食店でのアルバイト経験のある大家に白羽の矢が立ち、以降は役職が取締役エビスコ店員となり、現在までエビスコ酒場で料理の腕を振るっている。
2013年には当事ユニオンプロレスで暴れていたチームドリフに対して喧嘩を売り、リーダーである石井慧介と自身と紫雷美央のユニオン撤退をかけてシングルマッチを行うが敗戦。ユニオンプロレス退団となってしまった。
その後ユニオンプロレスには謎覆面軍団が襲来。謎覆面軍団は大増殖の上ユニオンプロレスで大暴れするが、謎覆面Aに扮していた大家は仲間割れから自らマスクを脱ぎ捨て正体を明かして再びユニオンプロレスから撤退。
それと前後して、休業期間を終えてDDT本格復帰をしていようとした大鷲透の復帰査定試合に便乗してDDT復帰を画策するものの、試合に敗れた後に木曽大介レフェリーを人質に取ってまでDDT復帰を訴えるもののこれも失敗。すると高木三四郎大社長は鶴見亜門GMの財布から定期代の1万5千円を勝手に差し出し、「大仁田厚は5万円でFMWを旗揚げした!お前もこの1万5千円でお前の新団体を旗揚げしろ!」と新団体旗揚げを促した。
旗揚げを促された翌週のDDTの興行終了後に、ツイッター上で大家に賛同したリングアナウンサーのワンダーマンとともに記者会見を行い以下の宣言を行った。
この記者会見で元ZERO1の浪口修が乱入して大家、ワンダーマンに加えて映像班としてたまたま記者会見を撮影していた今成夢人を暴行。これに激高した大家はその場で浪口修vs今成夢人のカードを即決。(このとき今成は「素人」とされたが、多摩美術大学時代はリングネーム「金的桜ヶ丘」を名乗り学生プロレスを行っており、マッスルや闘うビアガーデンのリングでのプロの試合の経験もあったレスラーであった。)
プレ旗揚げ戦ではアンケートの結果70対3で圧倒的多数で旗揚げについて支持された。大家はそれでも反対が3票入ったことを理由に旗揚げ中止を宣言するが、その後4月17日に東京・新木場1stRINGで正式な旗揚げ戦を行うことが発表された。
旗揚げ後は上記の記者会見で喧嘩を売ってきた浪口修との抗争を中心に興行を行う。その抗争終結後はユニオンプロレスに乱入してまるで三島事件のような形で抗争を勃発させる。そしてその後はシバター率いる炎上軍との抗争経て、大家の友人であったが、その後離婚などボロボロの人生を送ってきた藤田ミノルとの抗争を行っている。
それ以外には三代目J-SOULパンディータのような怪奇派、丸山敦扮する様々な覆面レスラー、女子レスラー、力道山三世の力などといった胡散臭すぎる雰囲気を漂わせながら、「ガンプロユニバース」と呼ばれる熱狂的なファンの圧倒的支持を受けつつ定期的に興行を行っている。
2014年10月に撮影が行われたプロレスキャノンボール2014では当初参加の予定は無かったものの、大家健&今成夢人の「ガンバレ☆プロレスチーム」として自腹参加。内容についてはDVDが発売中のため(購入はこちら)ネタバレは控えるが、高木三四郎、マッスル坂井、鈴木みのる、葛西純、男色ディーノ、飯伏幸太、HARASHIMA、KUDO、坂口征夫、マサ高梨、赤井沙希、鶴見亜門といった個性的な面々の仲で主演と言っても差し支えないほどの大活躍を見せる。そして撮影完了後も大家は大船渡で行われる東日本大震災復興チャリティー興行のために東北に残り、営業活動を行った。この興行は平日の開催、しかも開催発表から実際に興行が行われるまでわずか1ヶ月と言う状況にもかかわらず1150人超満員の大観衆を集め大成功を収めた。
また、プロレスキャノンボールは当初発表された1週間のレイトショー上映が全てチケット完売。その後も様々な映画館で上映が行われ、現在もDVDが発売されたにもかかわらず映画館での上映が続いていると言う異例のヒット作品となった。
2015年にはガンバレ☆プロレスの興行において三富政行に勝利したことによっていつでもどこでも挑戦権を獲得。以降は王者であるKUDOをほぼストーカーのように付け回し、挑戦の機会をうかがうようになる。そして6月の後楽園大会でKUDOに対してヤス・ウラノがいつでもどこでも挑戦権を行使して防衛戦を行っている最中に乱入。鶴見亜門GMに対して3WAYマッチで王者を決めろと要求。これが受け入れられると、炎のスピアーでヤス・ウラノから3カウントを奪って第52代KO-D無差別級王者に輝く。が、負けずに王者から陥落したKUDOもいつでもどこでも挑戦権を所持していた為、その場で挑戦権を行使。ここで敗れたためにわずか5分ほどで王座から陥落してしまった。
その後大家は同い年である男色ディーノ、スーパー・ササダンゴ・マシンとタッグ結成を宣言。DDT最大のビッグマッチである両国ピーターパンで石井慧介&入江茂弘&高尾蒼馬のチームドリフが所持しているKO-D6人タッグ選手権への挑戦をアピールする。当初は鶴見亜門GMもこの挑戦に対して渋っていたが、前哨戦で結果を残して結果的に挑戦を許可。両国国技館でベルトに挑む。スーパー・ササダンゴ・マシンの分析を元にアリキックを中心にチームドリフに挑むものの敗戦。
すると敗戦直後にスーパー・ササダンゴ・マシンはこの3人によるユニット「#大家帝国」でのリマッチを要求。敗れた挑戦者がリマッチを要求すると言う余りに非常識な要求に対して石井慧介は即座に「お断りします!」と要求を拒否したが、何度もリマッチを要求した結果9月の後楽園大会で挑戦することに。この試合で大家は入江茂弘から炎のスピアーで3カウントを奪って勝利し、KO-D無差別級に続いてKO-D6人タッグ王者にも輝いた。
この年のDDT主催のドラマティック総選挙に、大家は3年ぶりにエントリーして自己最高の4位(442票)に入り4年ぶりの選抜メンバー入りを果たした。また、ユニットでは#大家帝国としてエントリー。ここでメンバーの一員であるスーパー・ササダンゴ・マシンが選挙演説の中で「ユニット部門で1位になって主催興行権を獲得した場合は、その主催興行をこっそりマッスルにする。」と言う公約が利いたのか有効投票数10388票のうち1/4近くの2543票を獲得。2位の酒呑童子に対して900票もの差をつけて圧勝した。すると表彰の場でスーパー・ササダンゴ・マシンは以下の3つのお願いを鶴見亜門GMにした。
さらに大家は涙ながらにHARASHIMAに対してタッグ結成を訴え、これにHARASHIMAも、「いつでも準備は出来てるから!」と宣言して涙目で応じた。事前にどこにも話を通してなかった為に鶴見亜門GMや松井幸則レフェリーも困惑するだけだっだか、高木三四郎大社長は「腹をくくって交渉する。」と宣言。その後、HARASHIMA&大家健vs棚橋弘至&小松洋平というカードが正式に決定し、11月17日に開催された『#大家帝国主催興行~マッスルメイツの2015』は平日夜にもかかわらずチケット即完売。当日はかつての新日対Uインターを思わせる熱狂的な空気のもと、大家とHARASHIMAのDDTチームが新日本に勝利した。
プロレスキャノンボール2014のヒット、KO-D無差別級やKO-D6人タッグの獲得、#大家帝国興行での活躍など、それまでのダメな人扱いされていた大家からは想像もできない大活躍。さらに2015年の日本インディー大賞では受賞はベストユニット賞だけであるが、全部門でエントリーするという快挙も成し遂げた。
もっとも、2016年になると前年の#大家帝国脱退を機にDDT本隊の流れからは外れ、自身が主催するガンバレ☆プロレスを中心とした活動に戻っている。だがもう、大家健のことを逃げてばかりのヘタレな汁レスラー扱いするファンはいないだろう。きっと……多分……自信は無いけど。まあ、健さんはマイペースだから。
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最終更新:2024/12/26(木) 21:00
最終更新:2024/12/26(木) 21:00
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