U-456 単語

ユーヨンゴーロク

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U-456とは、第二次世界大戦中にドイツ海軍が建造・運用したVIICUボートの1隻である。1941年9月18日工。通商破壊により6隻(3万1528トン)撃沈、2隻(1万7921トン)撃破の戦果を挙げる。特筆すべき点は英軽巡洋艦エディンバラを撃破して同艦の沈没運命付けた事だろう。1943年5月12日、アゾレス北方B-24から対潜攻撃を受けて沈没

概要

エディンバラの運命を狂わせた一撃

1940年1月16日、ドイチヴェルケ社に発注。同年9月3日にヤード番号287の仮称を与えられてキール所で起工、1941年6月21日に進し、9月18日工を果たした。初代艦長にマックスマルティン・タイヒェルト大尉が着任するとともに第6潜隊群へ編入される。タイヒェルト艦長は26歳の若手で、艦長勤務もU-456が初めてだったが、過去に第一級十字章の授与を受けたやり手のイケメン。U-456のには蹄形で囲まれた6のサイコロの絵が描かれていた。

9月19日から10月6日までキールで残工事と乗組員の教育を行い、10月7日からレンネでUHG集音装置のテストを実施、10月10日と翌11日はシュヴィーネミュンデで対教練を行う。10月21日から25日までダンツィヒの造所にて修理。それが終わるとヘラ半島で実戦に向けた訓練に従事する。11月26日から12月8日までダンツィヒで第24潜隊群と魚雷発射訓練を、12月9日から19日までヨーテボリで第27潜隊群と戦術訓練を行い、全ての訓練を修了したU-456はバルトからキールへ回航。12月23日より出撃に向けた整備を開始する。

1942年1月30日出撃準備了。

極寒の海での戦い

1942年1月31日タイヒェルト艦長揮のもとキールを出港し、ブルンスビュッテルで一晩仮泊したのち、2月1日ヘルゴラントへ入港。翌日出港してノルウェー西に沿って北上する。2月4日U-134、U-435、U-436、U-456の4隻からなるウルフパック「ウンバウ」に参加し、2月6日ノルウェー海岸防衛に関する海軍参謀命に従い、U-435、U-436、U-456の3隻はキルネス3080里にて遊するよう命じられ、流氷が支配する北極に進出。この域はいつも暴風雨が吹き荒れ、温度氷点下北極圏では氷山に出くわす危険があるなど自然が猛威を振るう。その間隙を縫うかのように英海軍の強な護衛を伴った援ソ団が往来しており、ここでの戦果は東部戦線を及ぼすと言っても過言ではなかった。獲物をめてを行ったが戦果を挙げられず、2月15日ドイツ占領下ノルウェーの北東端キルネスへ入港。北洋方面にはU-456を含む6隻のUボートが駐留していたがオーバーホール的でU-134とU-584が帰するため、Uボート北洋戦隊が更なる増援を要請した結果、新たに5隻のUボートが同方面へ進出している。

2月24日キルネスを出港して二度戦闘に出発。今回はノルウェーへと向かった。3月10日よりU-436、U-454、U-456でウルフパック「ウムハウ」を編制して遊するも、今回も獲物を発見出来ないまま、3月22日キルネスへ帰投している。

3月29日三度戦闘のためキルネスを出港し、再びノルウェーへ向かうとともに8隻からなるウルフパック「アイスヴォルフ」に参加。しいにより獲物のPQ13団は北極250kmに渡って散り散りになっており、今回の攻撃には空軍機も参加していたものの、獲物を捕捉するには多大な労を必要とした。3月30日午前6時10分、U-456は2隻の汽を捕捉して午前10時に急速潜航。獲物は強により分散したPQ13団の一部で、一時は落した6隻が再集結して小規模団をっていたが、そこから視界不良で更にはぐれてしまったアメリカ蒸気エフィガムであった。そして午前10時35分にエフィガムへ向けて魚雷3本を発射、1分後に3本エフィガムの左舷中央部第4倉に命中して爆発物が誘爆したと思われるい煙を吐き出しながら洋上に停止する。エフィガムトドメを刺すべく浮上したU-456は甲による撃を加えたが、命中させられないまま吹雪により敵を見失ってしまった。ただ既に43名の乗組員は2隻の救命艇に分乗してを放棄しており、3時間後、と化していたエフィガムはU-435によって撃沈される。18時13分、キルディン濃霧による視界不良を突かれてソ連軍機の奇襲を受ける。5発の爆弾が投下されるも、急速潜航が間に合って傷で逃走に成功した。3月31日、「アイスヴォルフ」は2隻撃沈の戦果と引き換えにU-585を喪失して解散。4月2日キルネスへ帰投。PQ13団20隻のうち空軍機と合わせて5隻撃沈出来たのはかなりの成功である、ドイツ軍表した。

4月7日、四度戦闘のためキルネスを出港。ウルフパック「ロベンシュラーク」に加わってノルウェーでQP10団を迎撃する。だが獲物にありつけたのはU-435とU-436のみで、U-456は会敵する事4月14日の解散を迎えてしまった。続いて4月15日より10隻で構成されたウルフパック「ブルートラウシュ」に参加。PQ14団を迎え撃つも、今度はU-403しか戦果を挙げられず、戦果に乏しいまま4月20日キルネスへ帰投した。

4月29日午前4時、五度戦闘に従事するためキルネスを出港、9隻からなるウルフパック「ストラクリッター」に加わってPQ15団を攻撃するべくノルウェーする。ここでU-456は思わぬ大物と遭遇する事となる。翌30日午前1時10分、U-88が「大規模な敵団が北東に向けて移動中」との位置情報を放つ。これはソ連領より出発してきたQP11団であった。直ちにU-456、U-251、U-436、U-589が迎撃に向かう。団を追跡中のU-88が大まかな針路を割り出した結果、U-456が最も攻撃に適した位置へ就く事が出来た。

16時18分、ムルマンスク北方にてQP11団を護衛していた英軽巡洋艦エディンバラに向けて距離1200mから魚雷2本を発射し、80後にまず1本が右舷側に命中。大きく左側へ傾くエディンバラであったが、乗組員の速な密隔閉鎖により沈は避けられた…のだが、その直後に2本が直撃して操装置を破壊、航行不能へと追いやる。すぐさま英駆逐艦フォレスターフォーサイトソ連軽巡洋艦クイビシェフエディンバラのもとへ赴き、駆逐艦群がU-456の捜索を開始するも、大西洋では猛威を振るったASDIC水中捜索装置が北極では適切に機せず、U-456を追い払えなかった。この時にU-456を撃沈ないし撃退出来なかった事がエディンバラ運命を決定してしまったと言える。事ムルマンスクまで連れ帰るためエディンバラの周囲には英ソから送られた沿警備用のタグボート掃海艇が多数集まる。エディンバラの傍にはイギリスソ連駆逐艦が寄り添って航に向けての作業を行うが、航索が切れてしまって中々航する事が出来ない。その間U-456はエディンバラを監視し、トドメを刺すために送られてくる味方の雷撃機や駆逐艦のために位置情報を送信し続ける(U-456自身は発射管の故障で雷撃出来なかった)。ちなみにU-456が発した誘導ビーコンイギリス側にも傍受され、「Uボートを集めている」と解釈して対潜警を強化するが、実際は航空機を誘導するためのものだった。5月1日エディンバラソ連タグボートによって航開始。僅か3ノットでムルマンスクをす。

そして5月2日午前6時17分、吹雪ベアでU-456が呼び寄せたドイツ海軍の大駆逐艦Z7、Z24、Z25がエディンバラを捕捉して交戦。手負いながらエディンバラの猛抵抗でZ7が大破・自沈させられたが、午前7時2分にZ25が放った魚雷4本のうち1本がエディンバラに命中。ちょうどU-456の魚雷が命中した箇所の反対側であり、これが致命傷となってついに雷撃処分へと至らせた。こうしてエディンバラは戦死者57名やソ連レンリースの代金として払った金塊もろとも冷たいの底へと沈んだ。U-456がエディンバラ沈没のきっかけを作ったようなものだった。実際ドイツラジオ放送ではU-456がエディンバラを撃沈したと発表している。5月4日キルネスへ帰投。5月7日に同地を出発し、5月12日ベルゲンへ入港して整備と補給を受ける。

6月25日ベルゲンを出港してノルウェーへ向かい、11隻からなるウルフパック「アイストイフェル」に参加する。6月27日16時、36隻の商、3隻の救難、2隻の給油艦からなるPQ17船団アイスランドレイキャビクを出港。ソ連向けの各種航空機297機、戦車594輌、車両4246両、軍需物資など計15万6492トン(総額7億ドル)という大な物資を積み込んでいた。このPQ17船団の出港はドイツ軍スパイによって通報され、「アイストイフェル」のUボート空軍機は直ちに迎撃体勢に入る。水上艦、航空機Uボートの連携は回を重ねるごとに洗練されていったが、今回の襲撃がその集大成となった。まず期警用のUボート3隻をデンマーク峡に、Uボート5隻をヤンマイエン北方に配備、ノルウェー北部の要港には戦艦ティルピッツ重巡リュッツォウ基幹とした二個戦闘グループを配置、これらの戦闘艦艇を第5航空団243機が支援するという全な布を敷いていた。中の7月1日、U-456はベルゲンに拠点を置く第11潜隊群へ異動。同日正午頃、U-255とU-408によってPQ17船団が発見され、14時頃には水上機も発見報告を出したため、増援としてU-456とU-336が送られた。7月2日日中、U-456はPQ17船団に攻撃を試みたが護衛艦艇4隻に阻まれて撃退される。

7月4日21時11分、ドイツ戦艦ティルピッツ出撃の予兆を感じ取ったイギリス海軍は損を恐れて護衛の巡洋艦部隊西方へ退避させ、PQ17船団へは分散命を出す。これが最悪の悪手だった。護衛すらない単独航行の商などUボートにとっては格好の獲物でしかない。真夜中頃、U-456が「護衛部隊が撤退した」との報告を打ち、これが狩りの始まりの合図となった。手探りで的地アルハンゲリスクに向かう防備な商が襲い掛かる。

7月5日午前0時54分、発見した汽に向けて2本の魚雷を発射するも不発弾で失敗。午前1時14分にはアメリカホノム(6977トン)に向けて魚雷2本を発射したがこれも不成功に終わってしまう。しかしタイヒェルト艦長はホノムの撃沈を狙い、12時間以上に渡って執念の追跡を実施。14時31分、バレンでホノムに雷撃を行い、1本の魚雷が右舷第3倉に直撃。消防室が破壊されると同時に内電が失われた。沈み始めるホノムの第4倉に2本が命中し、10分以内に尾から沈没。積み荷の食糧7000トン鋼、弾薬戦車もろともの藻へ変えた。員12名と手1名の死者を出しながらも生存者は救命艇と4隻のイカダに分乗して上へ脱出。フレドリックアンダーソン・ストランド船長は捕虜として艦内に乗せられた。7月6日にナイデンフィヨルドへ帰投。

34隻中23隻(旗艦を含む)が撃沈され、死者は153名に上り、積み荷の3分の2に相当する戦車430輌、航空機210機、車両3350両、物資10万トンソ連へ届く前に沈んだ。対するドイツ側の損航空機5機のみ。まさに勝である。あまりの大損連合軍は援ソ団を一度取り止め、物資が届かなかったソ連連合軍の不手際に激怒したりするなど敵に大きな混乱をもたらした。

8月4日キルネスを出港するU-456だったが、カムシャフトの故障が原因ですぐに戻らなければならなくなり、8月10日に帰投。応急修理を行ったのち8月15日にナイデンフィヨルドを出港。北極シベリア航路、ベルーサ通商破壊を行う。8月22日マチシェフマチキン西口で停泊しているソ連モーターボートチャイカ(80トン)を発見し、23時より航を開始。ソ連軍に気付かれない場所まで移動させてから内を捜索したが、4丁の歩兵以外は何も発見出来なかったため、自沈させた。9月19日キルネスへと帰投。

9月21日キルネスを出港したU-456はナルヴィクとスクジョメンフィヨルドを経由し、9月27日トロンヘイムへ入港。造所に入渠して整備を受ける。

11月23日トロンヘイムを出撃してノルウェーへ進出。11月19日より10隻からなるウルフパック「ボレアス」に加わってQP15団迎撃に参加したが、手ぶらのまま12月4日ベルゲンへ帰投している。

北大西洋での戦い

1943年1月13日ベルゲンを出港したU-456は長く戦った北洋のを去り、アイスランドフェロー諸島間の域を通って北大西洋に進出。1月17日、U-414とU-631が発見した敵団をU-614とともに追跡するよう命じられたが、翌日追跡中止となる。1月19日から21隻で構成されたウルフパック「ランツクネヒト」に加わる。しかし「ランツクネヒト」は撃沈戦果を全く得られず、U-553を失っただけで1月28日に解散となった。

1943年2月1日午後12時31分、北にコースを取る高速輸送団・HX-224を発見して通報BdUは「ラクツクネヒト」に所属していたUボートに接触を命じ、3隻が報告を行ったものの、U-614を除く2隻はか後方に取り残されていたため、別のウルフパック「プフイル」へ所属させて追跡から外した。その間にもU-456は単独でHX-224団を追跡し続ける。

2月2日午前1時、汽を発見して攻撃体勢を取る。午前3時4分、HX-224団の最左舷列最後尾にいたリバティ船ジェレマイア・ヴァンレンセラ(7177トン)に雷撃し、2本の魚雷が左舷第1倉に命中。爆発衝撃でハッチカバーが吹き飛ばされ、積み荷の軍需物資が外へバラ撒かれると同時に火災が発生。その直後に3本が左舷第4ハッチに命中して甲に積まれていたトラック中へと吹き飛ばし、その場所にも小規模な火災を生じさせる。幸いまだエンジンは生きていたが、パニックに陥った乗客の1人が逃げようと救命艇3隻をへ降ろし、時化によって2隻が沈没。残った1隻に8人が乗り込み、他の員はへと飛び込んだものの、厳しいと冷たいにより脱出を試みた者はほぼ全員溺死または凍死した。その後、13時にジェレマイア・ヴァンレンセラーは沿警備隊のカッターインガムによって撃処分された。タイヒェルト艦長は8000トン船舶の撃沈を報告。

2月3日午前2時、一度は見失ったHX-224団を再発見し、午前2時57分にアイスランド南方で2本の魚雷を発射。狙った商には命中しなかったが、流れ弾の形で前を航行していた英貨物インベリレン(9456トン)へ命中。船長員24名、手6名が死亡した。間もなくグリムズビー級スループロドンデリーに発見され、爆雷攻撃により損傷させられたU-456は一時退却を強いられた。同日14時、獲物となる推定20003000トン級の汽を発見して急速潜航。14時38分に魚雷3本を扇状に発射し、そのうち2本が35後にアイルランドカイルレイト(700トン)へ命中、爆発の煙が晴れる頃にはカイルレイトは姿を消しており、上にはの残骸が漂っているだけだった。撃沈の間が確認されなかった事から一時は逃げ延びたと思われていたが、到着予定日の2月25日になってもフィッシュガードに入港しなかったため、撃沈されたとしている。員17名全員死亡2月3日20時30分、燃料不足から追跡を断念。結局HX-224団の捕捉と攻撃が出来たのはU-456だけだったが、BdUは「U-456が優れた追跡を行ったおかげで小規模グループながらHX-224団に長時間接触する事が出来た」と高評価を下している。

2月4日午前11時8日、「プフイル」に所属するU-187が北東に進む大団を発見して通報ベルリン線傍受部隊1月24日ニューヨークを出港してきたHX団と判断、「プフイル」に所属する13隻のUボートが攻撃に向かった他、応援として付近のU-456とU-614、ウルフパック「ハウデゲン」のUボート派遣。したがって20隻に及ぶUボートがHX団に対して作戦行動を取っていた。2月6日、日までにU-262、U-438、U-456が敵団に接近。翌7日午前2時30分にはU-402も追跡に加わった。時々降りしきるにより視界不良に陥る中、U-456は敵の護衛艦艇に2回見つかって攻撃に失敗。また敵の航空支援も時間とともに増加・強化されていき、次第にU-456は燃料不足に起因する故障に見舞われて苦しい状況へ追いやられ退却。2月19日、補給潜水艦U-460と会同して燃料補給を受ける。2月26日ブレストへ帰投した。

4月24日ブレストを出撃して最後の戦闘に赴く。4月29日よりウルフパック「ドロッセル」に参加。5月3日、U-89とともに敵の上陸団へ攻撃を仕掛けたが、時化によりU-456は攻撃に失敗、U-89は放った魚雷3本が全て外れてしまった。5月5日13時、U-456は高速で移動する2隻の駆逐艦フィジー巡洋艦の発見報告を打つ。同日中BdUからU-456、U-89、U-230、U-332、U-436、U-439、U-607に敵団の前路上で待ちせるよう命が下った。

5月7日午前7時ポルトガル西方でU-456とU-607がSL-128団と接触。11列縦隊計44隻、前方に駆逐艦1隻、側面に駆逐艦4隻の護衛を伴い、上には継続対潜哨戒機が旋回する大規模なもので、追跡には多大な努が必要だった。その中でU-456は勇敢にも距離を詰めたが、敵艦から爆雷攻撃を受けて艦尾魚雷発射管とコンパスが機しなくなる大損が生じたが、幸い戦闘の続行は可だった。5月8日午前9時水中で応急修理を行っていると近くに敵団が通りがかり、明後日の方向に投下された爆雷の炸裂音をにする。艦体から漏している危険な状態にも関わらずタイヒェルト艦長は攻撃を決断し、西方へと進み始める。5月11日19時、U-436がHX団を発見したと通報。既にU-456やUボート6隻が追跡している団だった。

5月12日午前4時41分、8500トンの穀物と航空機4機を含む軍需品を輸送中の英蒸気フォート・コンコード(7138トン)をアゾレス北方490里で雷撃し、右舷機関室後部に命中。凄まじい爆発が起こり、左舷側に積載されていた救命艇が外へと吹き飛ばされ、急速に沈没が始まった。被雷から約4分間は何とか浮いていたものの、突如として中央部が沈んで首と尾を宙に浮かせた状態で沈没船長員27名、手8名が脱出が間に合わず溺死した。午前5時に浮上したU-456。波間に揺れる生存者たちがを上げたり、を吹いたりして助けをめているが、彼らの周囲には大量の残骸が浮いていて近づく事が出来ず、救助活動は行わなかった。一方で偶然近くにいた救命艇の生存者2名には尋問を行っている。

最期

1943年5月12日、北アイルランドにてHX-237団を攻撃しようと航路上で待ちせていたところ、水上航行中に英第86飛行隊所属のB-24に発見されてしまう。直ちにU-456は潜航退避したが、13時13分、敵機はアメリカ軍開発した新音響魚雷フィドーを発射し、大破させられたU-456は浮上を強いられる(今回がフィドーが使用された初の戦闘だった)。敵機の追跡は執拗を極めていたようで13時30分頃に「航空機がいて潜航出来ない」旨の緊急通信を打ち、13時50分には「艦後部の部屋に大量のが流れ込んだ」との緊急通信を打つ。そしてU-456は最大速で離脱を図りつつ、対空砲B-24の接近を拒みながら救難信号を盛んに出し続けて決死に抵抗を続ける。BdU(Uボート部)はこの救難信号を受信し、付近にいるU-89やHX-237団を発見していないUボートを救援に向かわせた。15時1分、U-456は追跡してくるB-24がもう爆弾を持っていないと看破し、BdUに通報。また浸被害も一時的ながら制御出来るようになり、B-24は燃料不足のため基地へ帰投するなど僅かなが差し込む。しかしU-456は死から逃れられなかった。

アゾレス北部にてB-24から通報を受けてHX-237団より分された英駆逐艦オッポチューンが出現。敵艦の攻撃により更なる損傷を受け、上には別のB-24が旋回してU-456は全に袋小路へと追い詰められた。タイヒェルト艦長は鹵獲を防ぐため、16時45分に一か八かの潜航を行い――そして二度と浮上する事はかった。潜事故により暗いの底へ沈んでしまったのだ。乗組員49名全員死亡オッポチューン17時25分に到着した駆逐艦パスファインダーとともにU-456の捜索を行ったが、反応を探知出来なかったためパスファインダーはHX-237団の護衛へ戻り、オッポチューン単独で捜索を続行。それでも発見出来なかった事から沈没と判断した。

後日、U-448がU-456乗組員2人の遺体を発見して葬した他、タイヒェルト艦長には死後騎士十字章が贈られている。余談だが長らくU-456はフリケード艦ラガンとドラムヘラーの共同攻撃で撃沈されたと信じられていた(実際に沈没したのはU-753)。

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