アジョ・モータースポーツ単語

アジョモータースポーツ

アジョ・モータースポーツexitとは、MotoGPCEVに参戦するレーシングチームである。

KTMの多大な支援を受けており、実質的にKTMワークスとして活動している。
 

ライダー

2019年は、MotoGPMoto2クラスMoto3クラスに参戦している。また、CEV(スペイン5ヶ所、フランス1ヶ所、ポルトガル1ヶ所で行う若手育成選手権)exitMoto3クラスにも参戦している。
 

Moto2クラス

名前 出身地 身長・体重 誕生日
41 ブラッド・ビンダーexit 南アフリカ ポチェフストルームexit 170cm62kg 1995年8月11日
88 ホルヘ・マルティンexit スペイン マドリードexit 168cm62kg 1998年1月29日

Moto3クラス

名前 出身地 身長・体重 誕生日
61 ジャン・オンジュexit トルコ アランヤexit 168cm59kg 2003年7月26日

CEVのMoto3クラス

名前 出身地 身長・体重 誕生日
53 デニス・オンジュexit トルコ アランヤexit 2003年7月26日

スタッフ

チームオーナーチーム監督フィンランド語版Wikipediaの記事があるexit

1968年9月11日フィンランドアカーexitトイヤラexitで生まれた。

若い頃はバイクレースに明け暮れており、モトクロスexit凹凸のある土の路面をジャンプしながら走る競技)、アイスレースexit(凍り付いたの上をスパイクタイヤ付きのバイクで走る競技)をしていた。フィンランドというのはが非常に多く、内に18万8000のがある。緯度が高くて北極に近いので、カチカチに凍り付き、アイスレースをするのにぴったりとなる。

1996年28歳の頃に負傷してしまい、それを機にバイクレースから引退した。翌年の1997年にはアジョ・モータースポーツというレーシングチームを立ち上げており、2001年にはMotoGP125ccクラスに参戦するようになった。

ライダー人選が非常に上手いことで定評があるアキアジ監督を付けたライダーが移籍初年度から大活躍するのはおなじみのことで、ミゲール・オリヴェイラブラッド・ビンダー、ヨハン・ザルコジャック・ミラーサンドロ・コルテセ、マルク・マルケスマイク・ディメッリオと次々と名前が挙がる。

アキ・アジョ監督がライダー選びについて語ってる記事があるexit速さだけでなく普段の様子、態度、ライダーの周りのスタッフ家族の様子、これらもしっかり観察するのだという。


MotoGPの中には、シーズン途中にライダー解雇するチームがある。シーズン後半戦が始まると成績不振のライダー解雇されて新しいライダーに切り替わっている姿がちらほら見られるようになる。ところが、アキアジ監督は「2001年MotoGP参戦を始めて以来、自分は契約途中にライダー解雇したことがない」とこの記事exitっている。その話を聞くと、アキアジ監督の顔が様のように思えてくる。

ところが、アジョ・モータースポーツがライダーに対してきちっと持参を請してくるチームだと言うことも事実である。ヨハン・ザルコの記事で「アジョ・モータースポーツに在籍していたときはチームお金を払っていた」という告白を読むことができる。MotoGPチームライダーに持参を要することなどごく普通のことなのだが、やはりそういう話を聞くと、アキアジ監督の顔がに見えてくるだろう。


アキアジ監督MotoGPライダーマネージャー契約交渉の代理人。ライダーに代わってチームスポンサー探しをする)を務めている。2019年現在ジャック・ミラーマネージャーを務めている。過去にはマーヴェリック・ヴィニャーレスマネージャーを務めたこともある。

アキアジ監督は今もフィンランドに住んでおり、になると若手ライダーを呼び集めて、アイスレースをする。マーヴェリック・ヴィニャーレスジャック・ミラーSNSを見るとアイスレースの画像が出てくるのだが、これはアキアジ監督に招かれた時の画像である。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit


アキアジ監督フィンランドバイクレース界の重鎮なので、彼を頼りにフィンランド人の若手ライダーが集まってくる。その全員を自分のチームで走らせることは難しいので、仲の良いチームに「この子を走らせてやってくれないか」と紹介している。そのうちの1人が上田昇さんである。上田さんはスペインカルタヘナexitTeam Nobbyexitというチームを持っており、2018年Kenny KoskinenとPeetu Paavilainenという2人の若手を預かって、CEVのEuropean Talent Cupというクラスで走らせていた。

ある時、上田さんはふと思い立って、アキアジ監督から預かったフィンランド少年たちに「アキアジ監督も、アイスレースをするの?」と尋ねた。すると少年たちから返ってきた答えは「そうですよ。ちよりも速いんです」だったという。

アイスレースというのは滑りやすい氷の路面で行われるので、体重の重いライダーが有利であり、アキアジ監督少年ライダーより速く走っても全く不思議ではない。とはいえ、50歳近い男が少年よりも速く走るというのは、なんとも面である。
 

クラスアジョはアキアジ監督息子で、1994年7月10日ヴァルケアコスキexitで生まれた。そのときのアキアジ監督は、その辺に住んでいたのだろう。アキアジ監督の生まれがアカーのトイヤラexitなので、そこからは北東に15kmしか離れておらず、隣町である。

フィンランド選手権125ccクラスチャンピオンになり、MotoGPの軽量級(125ccMoto3)で2011年から2015年まで走っていたexit

アキアジ監督の方は、やはりニクラスのことを心配していたようで、この記事exitでは「親として、ニクラス事に帰宅できることを願っている」と言っているし、この記事exitではインタビュアーに「ニクラスが負傷してデータ記録スタッフになっているときのアジョさんは、とてもリラックスしていたように見えましたよ」と言われている。

彼の現役時代には2つの動画が上がっている。1つは、ロマーノ・フェナティキルスイッチ事件exitである。2015年アルゼンチンGP日曜のウォームアップで、ロマーノ・フェナティexitが発狂激怒し、ニクラスに対して怒鳴り散らしたり蹴りを入れたりした挙げ句、スタート練習の時に横に付けてニクラスマシンに手を伸ばしてキルスイッチを押してエンジンを停止させた。Moto3マシンエンジンが止まると自再起動できないので、ニクラスマシンをその場においてパドックに戻らざるを得なかった。ロマーノは最後尾スタートのペナルティが与えられたexit。この事件を知るものは、ロマーノのことをキルスイッチと呼ぶことがある。

2つ2015年オランダGPの危機である。動画を見るとよく分かるexit。このシーンはみんな覚えていて、2018年製作の動画exitの2分04ごろで紹介されている。

2015年21歳)で引退し、その後は学校に行っていたらしい。2018年(24歳)にはアジョ・モータースポーツのCEV部門にいて、ジャン・オンジュにアドバイスをしていたexit

2018年終戦バレンシアGPではジャンオンジュがスポット参戦したのだが、そのときニクラスも付いてきていて、映像に映っていた。この動画exitこの動画exitでニクラスの姿が映っている。ニクラスアキアジ監督に「お前が表式に行けよ」と言われたのだが、「は若いし・・・」といって断っていた。そのため、アキ・アジョ監督が表彰式に参加しているexit。※この記事exitが資料

2019年も引き続きCEV部門で働いていて、デニス・オンジュにアドバイスをしているexit
 

Moto2部門のベテランチーフメカニックイタリア北部のモデナexit出身で、2002年のころにはMotoGPメカニックを務めており、Campetellaという250ccクラスチームで働いていた。そのとき、そのチームに新人の手伝いとして入ってきたクリスチャン・ガバッリーニ2007年以降にケーシー・ストーナーチーフメカを務め続けた)をチームLCRexit推薦している。

この記事exitでは、「マッシモ・ブランキーニは125cc時代のケーシー・ストーナーチーフメカだった」と書いてある。どうやら、マッシモ・ブランキーニもクリスチャン・ガバッリーニを引き連れてチームLCRに移っていったらしい。

このSNSexitによると、2011年以降はずっとアジョ・モータースポーツで働いているとのこと。2013年はズルファミ・カイルディンのチーフメカexit2014年ダニーケントチーフメカを務めた。

2015年以降はMoto2クラス部門に移り、2015~2016年はヨハン・ザルコのチーフメカを務めてヨハンの2年連続チャンピオン獲得を支えexit、一気に名を得ることになった。2017~2018年はミゲール・オリヴェイラのチーフメカexit2019年はホルヘ・マルティンのチーフメカexit
 

チームの歴史

軽排気量クラス

125ccクラス時代(2001~2011年)

2011年までの125ccクラスにおけるアジョ・モータースポーツの活動は日本語Wikipediaexitに詳しい。

日本フィンランドルーマニアチェコデンマークフランスオーストリアスイスドイツイギリスイタリアスペインマレーシアとさまざまなからライダーを起用しているのが印深い。

マシンホンダマラグーティアプリリアとデルビ(どちらもピアッジオグループ)と変遷している。


2008年以降は一気に強チームとなり、2008年マイク・ディメッリオ2010年マルク・マルケスチャンピオンになった。2009年サンドロ・コルテセはランキング3位、2011年ヨハン・ザルコランキング2位

2008年から2011年までは、アジョ・モータースポーツとアンヘルニエトチームexit(当時の名称はチームアスパー)が2強といった印があった。この2チームが交互にチャンピオンを輩出している。

マルク・マルケスが加入してからチャンピオンを獲得するまでは、この本exitの86ページ以降に書かれている。非常に評判の良いチームなので、マルク・マルケスの保護者であるエミリオ・アルサモラが直々にアジョ・モータースポーツを選んだ。

2010年シーズン125ccクラスは全17戦で行われたのだが、第16戦ポルトガルGPの日曜日アクシデントが起こった。いつものように決勝が始まったのだがレース中にが降り始めて旗中断、周回数を大幅に減らしてレースを再開することになった。そして、再開レースサイティングラップピットから出てスターティンググリッドに付くまでの慣らし運転)でマルク・マルケスが転倒してしまったのである。

このとき、マルクランキング1位だったが、ランキング2位ニコラス・テロルとは僅か12ポイントしか差がかった。マルクノーポイントニコラスが3位以上に入ると、ランキングが入れ替わってしまう。

チームスタッフになりつつも、戻ってきたマルクマシン全員必死に修復し、マルクは最後尾ながらスターティンググリッドに付くことができた。このとき、熱くなったエキゾーストパイプ(エンジンから排気する管)を素手で掴んでいたスタッフもいたという。そういうチームスタッフの懸命な作業が実り、マルクマシンは勢い良く走り、マルクは最後尾から追い上げて優勝した。

そのときのドキュメント動画こちらexit。アジョ・モータースポーツでなければ、マルク・マルケスはこの年のチャンピオンを逃していたかもしれない。
 

Moto3クラス時代(2012~)

2012年に4ストロー250ccエンジンを使うMoto3クラスが始まると同時にKTMワークスが参加を決めた。KTMワークス活動の体として選んだチームがアジョ・モータースポーツだった。

KTMレッドブルの全面支援を受ける実質的ワークスとして、2012年サンドロ・コルテセ、2016年ブラッド・ビンダーといったチャンピオンを輩出した。2013年ルイス・サロムランキング3位、2014年ジャックミラー2015年ミゲール・オリヴェイラランキング2位スペイン語版Wikipediaexit麗な戦績が掲載されている。

近年はなぜか参戦台数を減らしており、2018年はダリン・ビンダー1台体制、2019年ジャンオンジュ1台体制になっている。

2016年までは毎年チャンピオン争いをする強だったのだが、2017年以降は成績不振が続いている。
 

中排気量クラス(Moto2クラス)

アジョ・モータースポーツは長らく軽排気量クラス専門のチームだったが、2015年になって初めて中排気量クラスMoto2クラスに参戦することになった。

2015年KALEXMoto2クラスへの参戦を始めると、ヨハン・ザルコがいきなりチャンピオンを獲得。2016年ヨハン・ザルコが2連覇を達成した。

2017年からKTMワークスMoto2クラスへの参戦を始めるときに、KTM運営体としてアジョ・モータースポーツを選んだのも当然だった。

2017年からさっそくミゲール・オリヴェイラブラッド・ビンダーが活躍しており、ミゲールが3勝・2位2回・3位4回、ブラッドが2位2回・3位1回。2018年も2人が大活躍していて、ミゲールとブラッドの両方が3勝ずつを挙げている。
 

スポンサーや協力企業

2019年現在のスポンサー

ご存じ世界最大のエナジーリンク企業ニコニコ大百科にも記事がある(→Red Bull)。レッドブルとは英語で「」という意味。

オーストリアザルツブルグ近郊のフシュル・アム・ゼーexitというの畔のド田舎に本社がある。正確な住所はここでexitの南にある。

モータースポーツに理解があり、F1MotoGPなどに多額の資をつぎ込んでくれる。さらには飛行機レースであるレッドブルエアレースexit催している。こんな風に飛び回る競技exit

MotoGP2007年からルーキーズカップexitを開催していて、これの看スポンサーレッドブル2016年佐々木歩夢、2017年一輝チャンピオンいた。
 
日本の一部のネットユーザーの中に、レッドブルのことを「べこ」と呼ぶ人がいる。「べこ」とは福島県会津地方おもちゃであり、日本語版Wikipediaexitもある。「べこ」というのは東北地方方言で「」という意味。

2018年8月F1レッドブル支援を受けるトロロッソイタリア語で「」という意味)が、マシンの愛称をAkabekoにしていたexit。同年10月会津若松市市長が、トロロッソのドライバーに赤べこを贈っていたexit
 

フィンランドの産業用大特殊自動車メーカー雪かき自動車、ホイールローダーなどがある。

フィンランドの卸売業者で、バイク用商品を中心に幅広く商売している。この会社と契約している販売店ネットワークは、フィンランド内を網羅している。
 

マレーシア政府観光局exit広告
 

かつてのスポンサー

マレーシア格安航空会社ズルファミ・カイルディンexitがアジョ・モータースポーツに加入したとき、このスポンサーを引き連れてきた。2012年の彼のマシンはこんなカラーリングでexit日の丸によく似ていた。

CEOはトニー・フェルナンデスexitという人で、この人はモータースポーツ着があり、F1チームを所有するほどだった。画像検索すると、しばしばF1のレースを訪れていたことが分かるexitMotoGPにも顔を出しており、カイルディンとの2ショット画像が残っているexit。また、MotoGPの大会そのものスポンサーになっていたこともあり、ドルナのお偉いさんと握手する画像もあるexit
 

フランスの潤滑油メーカーで、「イッポン」と読む。フランス人のヨハン・ザルコが乗るマシンIPONE文字日の丸が付いていた。ゼッケンの横にIPONEが見えるexit

フランスではル・マン24時間レースが行われる。四輪の方が有名だが、二輪のレースも行われる。2019年4月は日テレG+が24時間完全生中継を行っていたexit。この二輪版ル・マン24時間レーススズキフランスも参戦していて、そのレースに勝つため「耐久性に優れる信頼性の高いエンジンオイル」を開発することになった。フランスイタリアメーカーが集まってを合わせて高性オイルの製造に成功し、1985年レースに初投入し、見事に優勝という結果をもたらした。そのときにバイクへ貼り付けたステッカーが、日の丸IPONEという文字だった。IPONEというのは柔道の一本に由来している。フランス柔道なので、柔道好きの人がその名前を考案したのだろう。後に企業が立ち上げられたときもIPONEが商標となった。その後も開発と製造が続いており、耐久レースでの信頼性が高い。

公式サイトこちらexit
 

協力企業

2019年現在の協力企業

オーストリアのサスペンションメーカーで、KTM企業である。

1977年後半にオランダで設立され、1995年KTM下に入った。現在オーストリアムンダーフィングexitに本社を持つ。ムンダーフィングはKTMの本社があるマッティヒホーフェンexitの隣町である。

KTM車両にはすべてWPのサスペンションが付いている。MotoGPのサスペンションはスウェーデンのオーリンズ(金色~黄色の塗装が目印)exit流なのだが、それに対抗している。

2015年Moto2クラスにおけるヨハン・ザルコの快進撃を支えたのがWPで、そのときは車体にデカデカと「WP」という文字が躍っていたexit。彼の好成績を見た多くのチームがオーリンズからWP替えした。

かつてはホワイトパワーと呼ばれていたが、人至上義と間違われやすいので、現在ではそのブランド名を用いない。黒字または字の「W」とい「P」の二文字で表示する。

最近ではそうでもないようだが、かつてはいスプリングが同社製品の印だった。創業直後に知り合いの業者に錆防止のためのスプリング塗装を依頼したところ、たまたまその業者が医療機器専門の企業であったため、しか塗料がなかった。いスプリングにして売り出したらよく売れたので、いスプリングが印になった。
 

かつての協力企業

スウェーデン首都ストックホルムexitに本社がある芝刈り機・チェーンソーメーカー日本語Wikipediaexitがある。

創業の地は、ストックホルムから南西に275km離れたハスクヴァーナexitというである。このにはハスヴァーが流れている。ハスヴァーナ自体は、「風車」という意味。

会社の起スウェーデン王室に納めるマスケット銃の製造工場である。このため今日ハスヴァーナのトレードマーク口(身)と照準をデザイン化したもので、こういうロゴexitが商品に付いている。

1680年、ハスヴァーのそばにスウェーデン王室直営の工場が建てられ、1689年に企業として設立された。1872年頃からミシンを作るようになり、1896年から自転車を作るようになり、1959年からは芝刈り機やチェーンソーを作るようになった。


ハスヴァーナのオートバイ部門がハスクヴァーナ・モーターサイクルズexitで、日本語Wikipediaexitがある。1903年に創業し、1960年代にはモトクロスレースで圧倒的な勢いを持った。1987年イタリアのカジヴァに売却され、2007年にはドイツBMWの手に渡り、2013年KTM下に入った。

2014年2015年KTM支援を受けてMotoGPMoto3クラスに参戦した。

2014年ハスヴァーナのマシンを使ってレースに挑んだのがアジョ・モータースポーツで、ニクラスアジョとダニーケントだった。蛍光黄色のホイールのマシンでexit立っていた。

2015年ハスヴァーナのマシンを使ってレースに臨んだチームラグリースである。このチームオーナー片仮名を気に入っていたらしく、「ラグリース」と車体に片仮名が躍っていたexit。当時のライダーマリア・エレーラのTwitterに、いくつか画像がある 画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit
  

拠点

アジョ・モータースポーツのスペイン語Wikipediaに、「チームの本拠地はフィンランドアカーexit」と記されている。

スペインカタルーニャ州バルセロナにも拠点がある。デルビexitというスペインバイクメーカーがあるのだが、その会社の工場がバルセロナ郊外にあった。デルビがその工場における生産を止めたあと、アジョ・モータースポーツが工場跡を使用することになった。2010年にアジョ・モータースポーツはデルビのマシンを使ってマルクを走らせて125ccクラスチャンピオン獲得しており、両者は関係が深かったのである。アジョ・モータースポーツがデルビの工場跡を使うようになったのは2013年3月頃だという。※資料はこの記事exit
 

関連リンク

関連項目

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スマホ版URL:
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84

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