ミゲール・オリヴェイラ単語

ミゲールオリヴェイラ
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ミゲール・オリヴェイラexitとは、ポルトガルアルマダのプラガル地区exit出身のMotoGPライダーである。

1995年1月4日生まれ。

2011年からMotoGP125ccクラスに参戦開始。
2015年にはMoto3クラスシーズン終盤に3連勝してポイント差6のランキング2位にまで上りつめた。

2016年からMoto2クラスに参戦開始。
2017年Moto2クラスKTMワークスに移り、シーズン終盤に3連勝を果たした。
2018年Moto2クラスランキング2位になった。

2019年からは最大排気量クラスに移り、Tech3exitKTMサテライト)に所属して参戦した。

2020年の第6戦スティリアGPで最大排気量クラス優勝。これは、ポルトガル人初の最大排気量クラス優勝であり、チームのTech3にとっても初優勝となった。また、このレースは最大排気量クラス900戦の記念すべき節レースでもあった。

2021年KTMワークスに移籍。

ゼッケン、好きなデザイン、レーシングスーツ、ヘルメット、体格

2008年の頃exitから2018年まで、ゼッケンは44番を使用していた。
2019年に最大排気量クラスに移ったが、そこには44番を使うポル・エスパルガロexitがいた。
仕方ないので、ゼッケンを88番に変更している。

フルフェイスヘルメットをかぶり上半身裸で背中に翼を生やした剣士が、両手持ちの剣を持っているデザインexitが好み。

レーシングスーツフランスIXONexit契約している。

ヘルメットフランスSHARKexit契約している。

170cm64kgでまさに均的な体格である。

経歴

MotoGPに行くまでは順調そのもののレース人生

1995年1月4日ポルトガル首都リスボン対岸にある人口10万人の都市アルマダのプラガルという地区exitで生まれる。アルマダはサッカーの大選手であるルイス・フィーゴexitの出身地でもある。ミゲールは、「が近くて、食事天気が最高」と言っている。

3歳か4歳の頃にバイクに乗り始めた。ライディンスポーツ2016年2月号では「3歳からバイクに乗り始めた」と発言し、この動画exitでは「4歳からバイクに乗り始めた」とっている。さすがに幼少期なので関係者の記憶も曖昧なのだろう。

2003年(8歳)にカートに乗り始めるが、翌2004年(9歳)にはバイクレースに転向する。
2005年(10歳)はポルトガルミニバイク選手権でチャンピオンになった。
2006年(11歳)はスペインミニバイク選手権「カリプソカップCopa Calypso)」でランキング2位
2007年12歳)は地中海・プレ125cc選手権でチャンピオンになった。

2008年(13歳)はカタルーニャ州までやってきてカタルーニャ州選手権125ccクラスに参加し、ランキング4位になった。スペインカタルーニャ州こそがレースの本場なので、わざわざ遠征しなければならなかった。リスボンカタルーニャ州距離はなんと1,000km離れている。これは鹿児島市東京駅距離とほぼ同じで、移動するのはとても大変である。

2008年(13歳)はレッドブルルーキーズカップに3回スポット参戦していて、2勝を挙げている。

2009年14歳)にCEV(スペイン選手権)125ccクラスに参戦、アルベルト・モンカヨ、マーヴェリック・ヴィニャーレスに次ぐランキング3位になった。

2010年15歳)にはCEV(スペイン選手権)125ccクラスに引き続き参戦。マーヴェリック・ヴィニャーレスと死闘を演じ、わずか2ポイント差のランキング2位。ちなみにマーヴェリックとは8日しか生年日が変わらない。まさに同世代のライバルだった。
 

ルーキーにシートを奪われる悪夢を2度経験する

2011年マーヴェリック・ヴィニャーレスと一緒にMotoGP125ccクラスに参戦開始した。

マーヴェリックルーキーイヤーで4勝を挙げて々しいデビューを飾る一方、ミゲールは13戦までシングルフィニッシュ4回を収める。ルーキーイヤーならこんなところだが、マーヴェリックべると物足りない・・・

そしてなんと14戦の直前にミゲールは解雇される。14戦からはミゲールの代わりに南アフリカ人のブラッド・ビンダーが代わりに出走した。チームの資が尽きたのでスポンサー恵まれブラッドが出走をかっさらっていったわけで、ミゲールはモータースポーツ現実を体験することになってしまった。

2012年Moto3クラス初年度で、ミゲールは有チームTeam Monlauに移籍した。
チームメイトルーキーアレックス・リンスであった。
たまにCEV(スペイン選手権)Moto3クラスを走っているアレックス・マルケスがスポット参戦してきた。

マシンKTMべてやや劣勢のマシンSuterのシャーシにホンダエンジンを載せたもの)でありながら、ミゲールはシングルフィニッシュ9回、そのうち表台が2回と、なかなかの好成績を収める。
チームメイトアレックス・リンスシングルフィニッシュ12回表台1回の好成績。
これは2人って残留だろう、もがそう思っていたがなんとミゲールは解雇される。
代わりに入ったのはアレックス・マルケスだった。マルク・マルケスとしてスペインの期待を一身に背負うアレックス・マルケスシートを奪われ、またもミゲールは現実と闘うことになった。
 

ワークスライダーとして奮戦、直線で遅いマシンを速く走らせる

2013年にマヒンドラワークスに移籍した。
マヒンドラはインドの四輪メーカーexitで、実際に体を作っているのはスイスに拠点を置くSuterだった。

ちょいと直線が遅いのが難点だが、それでもワークスライダーとして大メーカーから全面支援を受け、ミゲールは奮戦した。シングルフィニッシュ13回、表台1回。マヒンドラ勢では一番手。
チャンピオンを獲得したマーヴェリック・ヴィニャーレスとはずいぶん離されてしまったが、ワークスライダーとしての地位を築いた。善を望めば即座に工場から部品が届くという恵まれ環境で充実感を感じるミゲール。

マヒンドラワークスマシンKTMホンダべてエンジンパワーが劣るので、工夫の限りを尽くしてコーナーで攻めねばならない。そのためミゲールはライダーとしての技量を少しずつ高めていった。

マヒンドラワークスで育ったライダーの中で後にチャンピオン争いしたライダーは3人ほどおり、ミゲールの他にはフランチェスコ・バニャイアとホルヘ・マルティンがマヒンドラワークスを出た後に大出世していった。

2014年もマヒンドラワークスから参戦した。
この年からホンダが本気を出し始め、ホンダKTM開発競争が化し、マヒンドラはやや苦しくなる。
それでもシングルフィニッシュ9回表台1回の健闘をする。マヒンドラ勢で好結果を出したのはミゲールとブラッド・ビンダーの2人で、ブラッドシングルフィニッシュ10回表台2回であった。

ちょっぴり遅いはずのマヒンドラで好結果を出す姿がKTMワークスアキ・アジョ監督exitに留まり、ミゲールとブラッド・ビンダーは2人ってKTMワークスへ移籍することになった。
アキアジョのこの引き抜きは大成功に終わることになる。
 

KTMワークスで大躍進、Moto3ランキング2位になる

2015年アジョ・モータースポーツexitに移籍した。アキアジョが率いるプライベートチームだが、KTMの全面的な支援を受けており、実質的にKTMワークスと言える。

シーズン序盤の2戦はマシン乗り換えに苦しんだが、3戦から覚醒
「ここを勝つライダーシーズンでも活躍する」と言われるヘレスGPで2位イタリアGPで優勝
レオパードレーシングダニー・ケントexitが連勝するなか着実に成績を上げていった。

ところが第9戦ドイツGPで転倒、左手を骨折してしまうexitこんな感じexitにポッキリ折れたのをこんな感じexitに上手くボルト止めしてもらったがドイツGPを欠場、続く3戦で15位・8位・13位と低迷する。
第12戦イギリスGPを終えた時点で残り6戦、ダニーケントランキング1位
ランキング2位エネア・バスティアニーニexitとのポイント差は70ポイント差の大差が付いた。
ミゲール・オリヴェイラは110ポイントも離されたランキング5位に沈んでしまう。
この時点で「ダニーケントチャンピオン獲得は決まった、いつチャンピオンシャツを着るのか」という雰囲気になった。

ところがなんと、ここからダニーケントが失速を始める。
「こういう状況になると周りから『よう、チャンピオン』とはやし立てられて、意識してしまうものだ」とG+の坂田和人さんが解説していたがまさにその通りになって、ダニーケントガッガチに緊し始めた。

そして、ミゲール・オリヴェイラは失うものが何もない気楽さから恐るべき速さを発揮し始める。
第13戦のサンマリノGPから第17戦マレーシアGPまで5戦3勝2位2回と猛スパートをかける。

第18戦・最終戦バレンシアGPは色々と見応え十分の熱戦となった。
なんとかレオパードレーシングチャンピオンシャツをゴミに出さずに済んだが、この2015年Moto3クラス永遠にり継がれるシーズンとなった。

これが2015年の成績表exitダニーケントとミゲールの成績の反転っぷりが面い。
 

2016年、Moto2初年度で苦杯をなめる

2016年Moto2クラスに移った。
チームレオパードレーシングexitで、この年から出走台数を増やし、Moto2への出走を始めた。
チームメイトはなんとダニーケントであった。

Moto2クラスが一番難しい」とアレイシ・エスパルガロっているように、Moto2クラスは難解なカテゴリーである。ちょっとのセッティングミスで前戦表台のライダーが20位まで落ちてしまうことは全くしくない。それによりライダーも自信を喪失しがちになり、覇気を保つのもなかなか難しい。

それゆえMoto2クラスセッティングの経験豊富な名門チームが有利である。
Moto2初体験の新規チームであるレオパードレーシングにとっては厳しいシーズンになった。

ミゲールも苦しみ、第13戦サンマリノGPまでシングルフィニッシュ3回のみだった。
そして第14戦アラゴンGPでフランコ・モルビデリに巻き込まれ転倒、右鎖骨を骨折するexit
結局アラゴンGPから4戦連続で欠場するという、散々な結果で終わってしまった。

ダニーケントシングルフィニッシュわずか3回と苦しみ、レオパードレーシングMoto2をあきらめ、わずか1年で撤退することになった。

ミゲールはこの2016年シーズンのことをキャリアで最悪の1年とっている。困ったので、KTMワークスピット・ベイラーexit(人事面をボス)に「来年KTMアジョ・モータースポーツと手を組んでMoto2クラスに参戦するそうじゃないですか。よかったらを採用してください」と頼み込み、2016年頃にピット・ベイラーから採用の通知をもらっている。(※この記事exitが資料)
 

2017年、Moto2のKTMワークスで躍進。終盤で3連勝

2017年アジョ・モータースポーツexitに移籍した。アキアジョが率いるプライベートチームが、KALEXからKTM乗り換えMoto2継続参戦する。資と技術の両面で全面支援を受ける実質的なKTMワークスである。

2016年までのKTMMoto3クラスのみに参戦していたが、この2017年からKTMMoto3クラスに加えて最大排気量クラスMoto2クラスにも参戦するようになった。
レッドブルという企業バックに付いているので資面は大丈夫だったが、「人員は大丈夫なのか、最大排気量クラスに人員を取られてMoto2マシン開発が遅れるんじゃないか」と不安視するもあった。ところがKTMは猛に働き、Moto2クラスでも躍進する。

シーズン序盤から表台圏内付近を確実に走る安定感を発揮、
「ここを元気よく走るライダーはそのシーズンで活躍できる」と言われるヘレスGPで3位。

圧巻は第16戦オーストラリアGPからの3戦だった。ミゲールは見事な走りで3連勝を達成する。
この3連勝で2018年シーズンチャンピオン最有補に躍り出たのだった。

ちなみに、シーズン終盤の好成績というのは非常に価値が高い。シーズン終盤というのは各チームマシン理解度が上がり、各ライダーの運転技術やレース勘もピークに達し、レースレベルが上がっているものである。ミゲールは2015年2017年シーズン終盤の3連勝を達成しており、非ライダーであることがわかる。
 

2018年 予選の遅さに苦しみ、Moto2のランキング2位に終わる

絶大な期待を背にしてミゲールは2018年Moto2クラスに臨んだが、直面したのは予選の遅さだった。KTMマシンは、シャーシの剛性が低くて、一発タイムがなかなか出せなかったのである。

剛性の高いシャーシは予選で一発タイムを出しやすい。剛性の高いシャーシはタイヤに負荷をかけやすく、タイヤグリップが良くなり、どんどん前に進む感覚になる。その反面、レース決勝の長丁場になると、後半になるにつれてタイヤの摩耗がしくなり、ペースが落ちやすい。

剛性の低いシャーシは全く逆で、予選で一発タイムを出しにくいが、決勝でタイヤが長持ちし、決勝レースの後半で追い上げることが可である。

剛性の高いシャーシと、剛性の低いシャーシの違いを表にすると、以下のようになる。

剛性の高いシャーシ 剛性の低いシャーシ
予選における一発速さ 速い 遅い
決勝における後半の伸び タイヤタレて、伸びなくなる ぐんぐん伸びて追い上げる
タイヤへの負荷 高い 低い
タイヤの摩耗 しい しくない
的な例 2018年KALEX 2018年KTM



ここで、フランチェスコ・バニャイア(硬いKALEXシャーシ使用)の2018年の成績をみてみよう。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19
カタール アルゼンチン アメリカ合衆国 スペイン フランス イタリア スペイン オランダ ドイツ チェコ オーストリア イギリス サンマリノ スペイン タイ 日本 オーストラリア マレーシア スペイン
予選 3 15 4 3 1 4 4 1 3 6 1 1 1 5 6 1 16 6 4
決勝 1 9 1 3 1 4 8 1 12 3 1 1 2 1 1 12 3 14


予選で1~3番手に入りファーストロー(1列)から発進したレース濃い黄色
予選で4~6番手に入りセカンドロー(2列)から発進したレースうすい黄色
予選で7~9番手に入りサードロー(3列)から発進したレースうすい灰色
予選で10番手以下に沈みフォース・ロー(4列)以下から発進したレース濃い灰色、にした。

※第12戦イギリスGPの決勝は豪雨が降ってレース中止となった

「決勝で優勝や表台を狙っていくなら、最低でもセカンドローから発進したい。つまり、予選6番手以上に入っておきたい」とG+で解説されることが多い。フランチェスコ・バニャイアは19戦中17戦で予選6番手以上の順位から発進している。これこそが、チャンピオン争いするライダーの姿である。



一方で、ミゲール・オリヴェイラ(柔らかいKTMシャーシ使用)の2018年成績は以下の通り。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19
カタール アルゼンチン アメリカ合衆国 スペイン フランス イタリア スペイン オランダ ドイツ チェコ オーストリア イギリス サンマリノ スペイン タイ 日本 オーストラリア マレーシア スペイン
予選 4 7 12 14 10 11 17 17 15 4 2 23 9 18 5 9 19 7 10
決勝 5 3 3 2 6 1 2 6 4 1 2 2 7 3 3 11 2 1


これはひどい

特に、第3戦アメリカズGPから第9戦ドイツGPまでの予選順位を見ると、絶句せざるを得ない。

一発タイムが遅いので、ミゲールは予選で速いタイムを出すことを諦めていたらしい。レースペース(決勝での周回タイムに近いペース。予選1~2番手のペースよりもずっと遅い)で延々と予選を走り、決勝用のセッティングを出す作業に集中していた。

そうやって作り上げたマシンで決勝を戦っていたのだが、やはりスタート順位が高く他のライダーに邪魔されにくいフランチェスコ・バニャイアの方が圧倒的に有利であり、ミゲールは2018年Moto2クラスチャンピオンを逃してしまった。

決勝ではいつも後方から渾身の追い上げを見せていたので、立な成績といえば立な成績であり、ミゲールのライダーとしての素質を明していると言える。この予選順位のひどさでランキング2位をしっかり確保しているのだから、偉業といって良いかもしれない。
 

2019年 Tech3(KTMサテライト)に入団

2019年シーズンKTMサテライトのTech3exitに入り、最大排気量クラスに戦いの場を移すことになった。

2019年2月のセパンテスト3月カタールテストでは下位に沈んでいる。KTMマシンはあまり乗りやすいバイクではなく、最大排気量クラスルーキーにとってすぐに乗りこなすのが難しい。

また、Tech3というチーム自体もKTMサテライトになって1年で、KTMマシンを整備する経験が足りてないので、2019年チームもミゲール自身も学習の1年となるだろう。…と予想されたとおり、第12戦のイギリスGPで肩を強打し、シーズン後に手術が必要となる後遺症が残った。オーストラリアGPでも転倒により怪をして、シーズン終わりの3戦を欠場することになってしまった。ランキングは17位。

2020年 Tech3での2年目で躍進

2020年になると、KTMマシンに見えて大きく善された。

ミゲールも次第に最大排気量のマシンを乗りこなせるようになり、スキあらば上位を喰えるチャンスを伺える位置につけられるようになった。

そんな状況の中で迎えた第6戦スティリアGPは、KTMにとって地元のオーストリアレッドブルリンクで行われた。ヤマハマーヴェリック・ヴィニャーレスの転倒とマシン炎上によってレースは中断し、第2ヒートでミゲールはトップグループの後ろにつける。トップを争うジャック・ミラーポルエスパルガロのスキをついて最終ラップの最終コーナーイン側から二人を抜き去り、見事ミゲールが初優勝を遂げた。

ポルトガル人にとって初めての最大排気量クラス優勝。そして、チームのTech3にとっても嬉しい最大排気量クラス優勝となり、スタッフMoto3レースの担当も含めて喜びを爆発させることになった。

そして、この優勝は最大排気量の900戦という節レースでもあった。レース後にミゲールはBMW優勝賞品として用意した新M4クーペを贈呈された。

この年の最終戦はミゲールの地元、ポルトガルポルテマオサーキットで行われることになった。ここで彼は地元の強みを最大限に発揮、予選でポールポジションを獲得し、レースでも序盤でトップに立つとファステストラップを刻んでの完全勝利を奪ってみせた。最終ランキングは9位。

2021年 KTMワークスに移籍

2021年、ついに最大排気量クラスにおけるKTMワークスに昇格することになったミゲール。

第6戦のイタリアGPで2位台に上がり、続く第7戦のカタルーニャGPで日本ワークス勢を向こうに回して完璧勝利を決めた。

性格

2018年タイGPの決勝で、上田昇さんが「ミゲール・オリヴェイラはレースを終えてピットに戻ってきたときも大人しい感じ。いつも飄々としている」と言していた。

ファビオ・クアルタラロフランチェスコ・バニャイアレースを終えてピットに戻ってきたときに奮することもあるのだが、ミゲールはそういう人たちとは違って奮せず、怒らない。

なぜミゲールがそういう立ち居振る舞いをするのかは、この後の『家族彼女』の項を読むと、だいたいわかる。
 

歯科医の見習い

実はなんと、ミゲールは大学歯科医学を勉強している。2014年1月から学び始めた。
普通なら5年で卒業できるが10年掛かるんじゃないか」とコメントしている。
2019年現在もまだ勉強を続けているらしい。
画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit画像6exit画像7exit画像8exit

ノートの画像も上がっている。画像1exit画像2exit画像3exit

アジョ・モータースポーツKTMワークス)のチームメイトであるブラッド・ビンダー歯医者さんのミゲールを訪れた・・・という動画制作されたこの動画exitは小芝居しているこの動画exitは2人が喋っているだけこの動画exitは小芝居のNG集


ミゲールが修行している医院はCliniárticoクリニアティコ)といい、FacebookexitInstagramexitアカウントがある。そのアカウントにミゲールの画像がある。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit

Cliniárticoクリニアティコ)この場所exitにある。
ちなみにミゲールのファンクラブこの場所exitにあり、Cliniárticoクリニアティコ)と同じ住所である。

なぜミゲールが歯科医学を学んでいるのか、ミゲールとCliniárticoクリニアティコ)はどういう関係なのかは、この後の『家族彼女』の項を読むと、よくわかる。

家族と彼女

ミゲールの父親

バイクが大好きでバイクレースの経験がある。レース世界への興味を捨てられずに息子バイクを買い与えたらその息子が大出世してしまった。

レーシングスーツを身にまとう画像もある。画像1exit画像2exit画像3exit  そういうときにまたがるバイクのゼッケンは、45番であることが多い。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit  「息子が44番好きなので、それに1を足した45番を使っている」のか、はたまた「自分が若い頃45番を用したので息子は44番を使うようになった」のか・・・どちらなのかは、よく分かってない。

息子と一緒にトレーニングに励む画像もあるexit


本業は、病院の経営である。Cliniárticoクリニアティコ)という病院Gerente社長、院長といった意味のポルトガル語)である、とFacebookの自己紹介exitlinkedinexitで書いている。Cliniárticoクリニアティコ)ウェブサイトこのページexitには、パウロさんのコメントがある。

Cliniárticoクリニアティコ)を簡単に紹介すると、歯科外科、内科、大腸肛門科、皮膚科、婦人科、
と幅広い分野を扱う病院で、血液検査の正確さに定評があるFacebookexitInstagramexitアカウントあり。

ミゲールは、実家の一員となるため歯科の勉強をしているというわけである。

この画像exitでは、ミゲールたちにの治療をしてもらっている。


息子レースにはしょっちゅう帯同しており、ピットで観戦する姿が多々見られる。2018年タイGPにもやってきていて、G+解説上田昇さんが「今のはミゲールのお父さんパウロさんです」と紹介していた。

息子マネージャー契約交渉の代理人)を務めている、と先述のlinkedinに書いてある。病院経営をしているような人だから、ライダー契約の管理はお手のものである。

ミゲールの母親

Cliniárticoクリニアティコ)血液検査仕事をしている、とlinkedinexitで書いている。白衣を着ている姿がいくつかある。画像1exit画像2exit画像3exit

息子レースにはしょっちゅう帯同しており、ピットで観戦する姿や、パルクフェルメにやってくる姿が多々見られる。画像1exit画像2exit  この動画exitでは、パウロさんに抱きかかえられている。

息子レースには地球の裏側まで押しかけてくる。ヨーロッパの人からみて日本地球の裏側でとんでもなく遠いのだが、構わずにやってくる。日本観光写真はこちら。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit


パウロさんやクリスティーナさんのFacebookには、夫婦の2ショット写真数に上がっている。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit

新婚さんかな? といった感じの写真ばかり。

その調子で、息子仕事場にどんどんやってきている。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit画像6exit


ミゲールが、レースが終わった後もあまり奮せずいつも飄々としている理由が、よく分かる。
こういうお袋さんがいつもやってくるのだから、怒るに怒れないのだろう。

お袋さんがいつもピットにいるので怒るに怒れないライダーというと、ベン・スピーズ中上貴晶が挙がるのだが、ミゲールもその仲間である。

ミゲールの彼女

2008年(ミゲールが13歳)のころexitから現在まで交際が続いている。

ISCSEMexitというポルトガルの名門医学大学学部に通っていて、2018年5月にめでたく卒業したexit
ミゲールは学の勉強をするとき、同期学生助けてもらっていると言っていたが、それはつまり、彼女助けてもらっていたというわけである。

卒業後は、Cliniárticoクリニアティコ)に就職した。このページexit写真がある。

パウロさんやクリスティーナさんにはみたいに扱われている。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit

ミゲールのレースにはいつもやってきている。画像1exit画像2exit画像3exit
 

ミゲールの彼女兄貴

ドイツの物流企業DHLのスタッフDHLはMotoGPの協企業なので、全戦に帯同している。

かなりの長身で、がある。たまにと一緒に写真に写る。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit
 

ミゲールの祖母は1916年生まれで、2014年12月25日には98歳になっていた。そのときミゲールにモデルガンを贈られている。画像1exit画像2exit

2016年6月2日には100歳に到達した。画像1exit画像2exit
 

オリヴェイラカップで普及の一役を担う

ポルトガルのバイクレース事情

ポルトガルというバイクレース人気がなく、ミゲール・オリヴェイラが史上初のMotoGPフル参戦ライダーである。2019年現在も彼に続くようなMotoGPライダーが現れていない。

この場所exitエストリルサーキットexit2000年から2012年までMotoGPを開催)、
この場所exitポルティマオサーキットexit2008年から現在までスーパーバイクを開催)、
ポルトガルから近いこの場所exitヘレスサーキット1989年から現在までMotoGPを開催)、
と3つの立サーキットがあるのだが、バイク熱が今ひとつである。

なぜかというとポルトガル経済が低く、モータースポーツの出費に耐えうる所得準に達している人が少ないからである。このページexitを見ると、2018年10月の時点で名GDP世界47位。人口は1,000万人で、このページexitによると欧州の中で16番

ポルトガル周辺でレースをするだけならまだなんとかなるが、ヨーロッパレースの本場はなんといってもカタルーニャ州exitであり、ポルトガルからはなんと1,000kmも離れている。1,000kmというと、鹿児島東京距離と同等なので、移動するだけで体力ともに疲れ果ててしまう。

そういうわけで、ポルトガルバイクレース人気がない。サッカーの方がダントツ人気である。

ミゲールもスポンサー集めに苦労したらしく、この動画exitで「あまり多くのスポンサー恵まれず、苦労した」とっている。
 

オリヴェイラカップが発足

しかしながら、その状況に手をこまねいているわけにはいかない。第二のミゲール・オリヴェイラを輩出するため、オリヴェイカップという若手向けのレースが開催されるようになった。

こちらexitインタビュー動画。ミゲールの父親パウロさんも関わっている。

いくつかの企業スポンサーが集まったが、その中の1つがCliniárticoクリニアティコ)である。この画像の右上文字がある。
 

その他の雑記

2017年日本GPにてG+解説でおなじみの青木拓磨さんが本人に直接話を聞いたところ、
日本が好きで、2015年には彼女と一緒にプライベートで来日したことがある」
「いつか鈴鹿8耐を走ってみたい」などと答えが返ってきたという。

なんだかお茶目な画像exitも上がっている。日本GPの前に行った。

ブラッド・ビンダーによると、どちらかというとな感じであり、ひょうきんな感じではないらしい。

若い頃の写真SNSに上がっている。9歳exit11歳exit11歳exit13歳exit13歳exit14歳exit

巨大なを2匹飼っている。いのといのが1匹ずつ。画像1exit画像2exit画像3exit

黒猫を飼っているexit名前ミニMini

Instagram#turma44exitだとか#turma88exitというタグを付ける。turmaとはポルトガル語で階級、学校クラス子供の集団といった意味。

自転車トレーニングが好み。画像1exit画像2exit画像3exit

現在ポルトガル首都リスボンアルマダに住んでいる。ここはもっとも寒い均最高気温が14.5度で、日本鹿児島市よりも温暖である。

行きつけのジムから近くのこの場所exitにあるジャモールナショナルスポーツセンターで、こんな感じexitに何でも機材がっている。ぶら下がってみたりexitローイングエルゴメーターを使ったりexitウェイトリフティングしたりexitムチみたいなのを振り回したりexit、と色々なことをする。

バランスボールなどを使い、体幹を鍛えることも熱心に行う。画像1exit画像2exit画像3exit



サーキットの好き嫌いは特にないという。多くのライダーが好き嫌いをっているので、しい。

2017年ラゴンGP予選において、ある周回ラップにおいてコースショートカットしてしまい、タイムを取り消されてしまった。そのためミゲールは「最速ラップタイムを取り消されてポールポジションを逃してしまった」と思い込みこんな表情になっていたexit。ところが取り消された周回ラップは最速ラップを刻んだ周回ラップではないことが判明し、ポールポジションを獲得ということになり、こういう歓呼の表情になっていたexit。困惑の表情と歓呼の表情の変化が面く、しばしばMotoGP公式Twitterで使われているexit

2018年シーズンオフに、レッドブルリンク近くのトンネルを最大排気量クラスマシンで疾走するというレッドブルKTMイベントに付き合っていた。こちらexitがその動画。走ったのはグライナルムexitというトンネルで、この場所exitにある。ちなみにレッドブルリンクトンネルすぐ近くのこの場所exitにある。

Facebookを最も活用しており、その次にInstagramを使っている。
Twitterはあまり熱心でない。ポルトガルではTwitterが盛んではないから」とコメントしている。

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ミゲール・オリヴェイラ

1 ななしのよっしん
2019/04/03(水) 23:32:38 ID: jBXzphkRUW
昇格したばっかなのに記事がやたら詳しくて
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