インディカー(Indycar)とは、アメリカを中心に開催される、北米最大のオープンホイールカー(フォーミュラカー)レースである。
概要
「インディカー」は長く複雑な歴史を持つため厳密な説明が難しいが、大雑把に言えば
1911年から始まったインディアナポリス500マイルレース(インディ500)に出場するマシン、およびそれを使ったレース(選手権)全体を指す言葉
である。
もう少し噛み砕くと、2024年現在は大きく以下の3つの意味を持つ。
- 『世界3大レース』の一つであるインディ500に参加する車両の通称。
- 1.を用いて争われる選手権の通称。2003年以降は「インディカー・シリーズ(IndyCar Series)」。
- 2011年以降、2.を主催する団体の名称。大文字の「INDYCAR」表記が一般的。
要するに「INDYCAR」を名乗る組織が主催する「インディカー・シリーズ」に参加するマシンが「インディカー」である。全部同じに思えるが、過去はこれらが一致していなかったため混乱を招いていた。詳細は後述する。
CARTの扱い
しばしば「インディカーとは別物」と言われるCART(あるいはチャンプカー)は、INDYCARが2011年および2015年に発表した歴代記録に含まれている事からインディカーの一部として扱われていると判断する。
特徴
F1との明確な違いは、全チームがエンジンを除き同一仕様の車両を用いるワンメイク制度を採用している点。技術競争を突き詰めたF1と比較して絶対的な速さは及ばないが、イコールコンディションに近いためドライバーの技量よびメカニックのセットアップ技術、およびチームのマネジメント能力が純粋に問われるレースが展開される。
また、サーキットに目を向けると他のフォーミュラカーカテゴリではまず見られない、楕円状のオーバルトラックが存在する。インディカーはコース1周をほぼアクセル全開で駆け抜け、インディ500の予選平均速度は370km/h、瞬間的な最高速度は390km/hに達する。
オーバル以外にはロードコースやストリートコースも存在し、まったく性質の異なる三様のコースをバランスよく楽しめるのが魅力である。
マシン
シャシー
オーバルでは空気抵抗を減らすためにウィングは小型化され、「スタッガー」と呼ばれる左回りに特化したセッティングが施される。サスペンションの硬さなどの一般的な項目に留まらず、リアタイヤの外径も左側がわずかに小さい(1%程度)等、極端なマシンバランスへと変貌する。この状態ではハンドルを切らずに加速すると左に逸れていく程である。
パワーステアリングは導入されておらず、重いハンドルと格闘しながらマシンを操る肉体的な戦いも存在する。
エンジン
シボレーとホンダが2.2LのV6ツインターボエンジンを供給している。
出力はメーカー公称で550~735馬力程度。値に開きがあるのはコースによりブースト圧を変えているため。
オーバーテイク促進システム
2024年現在は以下2つのシステムを備えており、両方を同時に使うと約120馬力が上乗せされトータルで800馬力を超える出力を得られる。いずれもドライバーがステアリング上のボタンを押して作動させる。
- プッシュ・トゥ・パス(P2P)
燃料を追加で消費して数十馬力の出力アップを得られる。1レースにつき150~200秒間使用可能。この時間制限内であれば使うタイミングは自由なため、序盤に使いすぎて終盤の競り合いに負けたり、後半を見据えて温存したものの燃費を抑える作戦に切り替えたためガス欠を恐れて使用できない、等のシーンが見られる。 - エネルギー回生システム(ERS)
主にブレーキ時の運動エネルギーを電気エネルギーとして蓄え、出力を得たいタイミングで再び運動エネルギーに変換して約60馬力の出力アップを得られる。蓄電とエネルギー放出を繰り返すシステムの性質上、1周ごとに使えるエネルギー量がルールで決められている。
タイヤ
ロード・ストリートコースでは硬さの異なる2種類のタイヤが供給され、決勝で両方の使用が義務付けられる。オーバルでは基本的に1種類のみだが、2023年から一部レースで2種類のタイヤの使い分けが開始された。
レース方式
予選
インディ500とそれ以外のオーバル、およびロード・ストリートコースで形式が異なる。
いずれも周回する速さを競うが、オーバルの場合はタイムでなく速度(mph)で表記されるのが特徴。
インディ500
1台ずつコースインし4周の平均速度でグリッドを決める。他のレースと比べて手順が複雑なため、詳細はインディ500を参照。
オーバル(インディ500以外)
1台ずつコースインし2周の平均速度でグリッドを決める。アタックは各車一度きり。出走順はエントラントポイント(カーナンバーと紐付けされたマシンが獲得した得点)が少ない順。
ダブルヘッダーの場合は1周目と2周目それぞれの速度が1レース目、2レース目のグリッドとなる。
ロード・ストリートコース
各車が自由なタイミングでコースインし、1周のタイムを争う。3段階(セグメント)に分けられ、各セグメントで下位のマシンが脱落していくノックアウト方式が採用されている。
最初のセグメント(通称:Q1)はコース上が混雑しないよう、2グループに分けて行われる。
タイムアタックを終えたマシンがコース上をスロー走行せずすぐピットに戻れるよう、タイムの計測ラインは通常のスタート/フィニッシュラインと異なり、ピット入口の手前側に存在する。
決勝
1レースの距離はレースごとに異なり、2023年の場合はロード/ストリートで250~350km程度、オーバルは360~800km程度。
スタートは2~3列のローリング方式。再スタート時は事故抑制のため1列に並ぶ。一時期は少数のレースでスタンディングスタートが採用されていた。
オーバルは安全性の観点から、雨などで路面が濡れている場合は開催できない。雨が弱まったり止んだ際は少しでも早く路面を乾かすためにドライヤーを装着した車がコースを周回する。
一部コースではフィニッシュラインと異なる場所でスタートが切られる。例:ミッドオハイオなど。
ポイントシステム
決勝
配点は以下の通り。スタートを切った時点で最低5ポイント獲得できる。
順位 | |
---|---|
1位 | 50 |
2位 | 40 |
3位 | 35 |
… | … |
25位以下 | 5 |
その他
さらに以下の条件を満たすと追加でポイントがもらえる。
条件 | ポイント |
---|---|
予選のPP | 1 |
リードラップ (1位でコントロールラインを通過) |
1 |
最多リードラップ | 2 |
インディ500の予選上位12名 | 上から順に12, 11, 10, ..., 1 |
(廃止済み)ダブルポイント制度
2014~2022年は特定のレースで2倍の決勝ポイントが与えられていた(インディ500やその他の500マイルレース、あるいは最終戦など)。
インディアナポリス500(インディ500)
詳細は当該項目を参照。
インディアナポリス・モーター・スピードウェイ(IMS)で1911年に初開催され、現在に至るまで100年以上にわたり続く年に一度のレースイベント。世界三大レースの一つであり、3つの中で最も古い歴史を持つ。伝統的に5月末の日曜日(戦没者追悼記念日の直前)に開催され、F1のモナコGPと同日のため三大レースのうち2つを同じ週末に堪能できる。
アメリカ国家の歴史の半分近くを持つイベントのため注目度は極めて高く、観客数や視聴率に加え参加ドライバー数や開催日数、賞金額や表彰の種類など、全てが他のレースを圧倒する。予選方式や優勝者に与えられる飲み物まで他のレースと一線を画しており、これらの特別性からインディ500の1勝は、シリーズチャンピオンと同じ価値を持つとされる。
大会名称
正式名称の「(第◯回)インディアナポリス・500マイルレース」は1981年から採用されている。
通称としての「インディ500」の発祥は1940年代後半で、1910年代にはすでに原型と思われる「インディアナポリス500」や「ザ・500」と呼ばれていたとされる。
日本との関わり
ドライバー
1990年のヒロ松下を皮切りに、CART時代から日本人の参戦が続いている。
目立った成績を残した選手は以下。
- 高木虎之介
日本人初の表彰台経験者。2003年のテキサスで3位を獲得。同年のインディ500でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。
デビューイヤーの2004年、インディ500およびシーズンを通してのルーキー・オブ・ザ・イヤーをそれぞれ獲得。
- 武藤英紀
佐藤以前の日本人最高位保持者(2位)。2008年のアイオワで獲得。
日本人初のポールポジションおよび優勝を獲得し、さらには日本人初のインディ500制覇を2回成し遂げた(2017, 2020年)レジェンド。2023年終了時点で通算6勝。
2012年のインディ500では当時キャリアを通して未勝利ながら優勝争いに絡み、ファイナルラップのターン1でトップの選手を攻め立てたところでライバルのブロックを前に姿勢を乱しクラッシュ。結果は伴わなかったがこの追い上げはレース関係者およびファンを惹き付け、翌年のA.J.フォイト・レーシングへの移籍の一因とも言われる。
2020年のインディ500優勝は2012年当時の所属チームであったレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに出戻ったうえでの制覇であり、8年前に掴み損ねた栄光をチームへ届ける結果であった。
ニコニコにおけるインディカーの配信にも間接的に影響を与えている。2013年のロングビーチ市街地で日本人初優勝を挙げ、次戦のサンパウロで2位を獲得し日本人初のポイントリーダーとしてインディ500を迎える。このインディ500がニコニコで有料配信され、以降も2024年現在に至るまで配信が継続されている。
自動車メーカー
日系企業では先述のホンダに加え、トヨタとインフィニティがエンジン供給の経験を持つ。トヨタとホンダはタイトル獲得およびインディ500を制している。
トヨタはエンジン供給の歴史よりも長い44年間にわたり、ロングビーチ市街地戦のタイトルスポンサーを務めるなど関わりを保っていた。
下位カテゴリではマツダが1991年以来、エンジンを供給している。代表例はインディNXTの1個下のプロ・マツダ・チャンピオンシップ(現:USFプロ2000・チャンピオンシップ)。一時期はステップアップシステムである「ロード・トゥ・インディ」を支援していた。支援の終了と共にロータリーエンジンから直列4気筒のMZRへ変更され、エンジンの供給は続けられている。
開催地
2000年代前後、ツインリンクもてぎのオーバルコースで本選手権が開催されていた。
1998~2002年はCART、2003~2011年は「インディ・ジャパン」としてIndyCar(旧IRL)のシリーズに組み込まれていた。
2008年はダニカ・パトリックが女性初の優勝を達成している。
最終開催(2011年)のみ東日本大震災によるオーバルコース破損の影響でロードコースを使用。
歴史
インディカーの歴史が複雑な理由は、選手権が1979~2008年の30年間にわたり分裂していたためである。さらに前半の15年ほどはインディ500にもう一方の選手権から選手が参加するなど、2つの境界が曖昧であったため混乱に拍車をかけている。
統括組織に着目して大まかに並べると、
AAA→USAC→(ここから分裂)USAC/CART→IRL/CART(OWRS)→INDYCAR(ここで統合)
である。以下の年表も参照されたし。
年表
選手権2がいわゆるCART/チャンプカーと呼ばれるものである。
年 | インディ500 | 選手権1 | 選手権2 | ||
---|---|---|---|---|---|
統括組織 | 統括組織 | 選手権名 | 統括組織 | 選手権名 | |
1905 | AAA | National Championship |
|||
1906 ~1908 |
- | ||||
1909 ~1910 |
National Championship |
||||
ここから「インディカー」AAA時代 | |||||
1911 ~1916 |
AAA | AAA |
National Championship |
||
1917 ~1918 |
非開催 | ||||
1919 ~1941 |
AAA | ||||
1942 ~1945 |
非開催 | - | |||
1946 ~1955 |
AAA | National Championship |
|||
USAC時代 | |||||
1956 ~1978 |
USAC | USAC | National Championship |
||
1度目の分裂 USAC / CART | |||||
1979 | USAC | USAC | National Championship |
SCCA/ CART |
SCCA/CART Citicorp Cup |
1980 | USAC/ CART |
Championship Racing League |
USAC/ CART |
Championship Racing League (CRL) |
|
CART | PPG Indy Car World Series (1~5戦目はCRL 開催分をカウント) |
||||
1981 ~1995 |
USAC | Gold Crown Championship 85年以降の各年はインディ500の1戦のみ |
PPG Indy Car World Series |
||
2度目の分裂 IRL / CART | |||||
1996 | IRL | IRL | Indy Racing League | CART | PPG Indy Car World Series |
1997 | PPG CART World Series |
||||
1998 ~2002 |
CART FedEx Championship Series |
||||
2003 | IndyCar Series | Champ Car World Series |
|||
2004 ~2008 |
OWRS (通称Champ Car) |
Champ Car World Series |
|||
統合 INDYCAR | |||||
2009 ~2010 |
IRL | IRL | IndyCar Series | ||
2011~ | INDYCAR | INDYCAR |
以下に各時代の詳細を記載する。
前史(1902~1908年)
19世紀末にモータースポーツが産声を上げて以降、米国でもレースが開催され始める。1902年に統括組織であるAAA(アメリカン・オートモービル・アソシエーション / American Automobile Association)が設立され、以降多数の国内レースを開催する。
1905年に行われた11レースの参加者に対し、各戦の上位3名にポイントが与えられたのが初の選手権とされる。ただし2011年のINDYCARの見解(P.6の注釈*)によると、後年にAAAが選手権として認めなかったため2024年現在は公式記録として扱われていない。
AAA時代(1909~1955年)
INDYCARが公式に認めるレースは1909年から始まった。
当時はモータースポーツ黎明期であり、多種多様なコースでレースの試みが行われた。ロードコースに加えダートオーバル、ヒルクライム、ボードトラック(木の板を敷いたオーバル)、レンガ敷きのコース、浜辺、都市間レース…など多岐にわたる。
IMSでの初開催は1909年で、1911年に初の500マイルレース、すなわち第1回目のインディ500が始まる。「インディカー」の歴史はここから始まった、とも捉えられる。
以降は戦争による中断を挟みながら1955年まで継続される。同1955年のインディ500およびル・マン24時間レースで起こった重大事故を理由として、AAAは自動車レース運営からの撤退を表明する。
初期の選手権をめぐる議論
1915年まではポイントシステム自体が存在せず、1917~19年は第一次世界大戦の影響で選手権が成立していない。
後年(1927年および51年)に当時を遡って1920年までの記録の見直しが行われているが、年間王者が変わるなど重大な違いが含まれる。修正を反映した50年代当時のAAAの記録と、現在のINDYCARの見解にずれが生じている部分もあるため、過去の記録を調べる際は注意が必要である。
USAC時代 (1956~1978年)
1955年当時のIMSのオーナーがUSAC(ユナイテッド・ステイツ・オート・クラブ / United States Auto Club)を設立し、シリーズの運営をAAAから引き継ぐ。
選手権の主戦場は舗装されたオーバルトラックに移り変わり、1970年限りでダートオーバル、ヒルクライム、ロードコースは一旦姿を消す。
USACは設立の経緯も一因としてインディ500に対しては熱心で、大規模な宣伝・運営を行った。一方で他のレースへの関心は向けられず、プロモーションの意欲は今ひとつで選手権全体の注目度は低かった。
1度目の分裂 - CARTの誕生 (1979~1980年)
上記の苦境に不満を抱いたチームオーナー達は窮状を脱するべく、70年代末に新たな選手権の立ち上げを画策する。時を同じくしてUSACは77年に設立者が亡くなり、翌78年に副社長や技術責任者ら主要メンバー8人が飛行機事故で帰らぬ人となる不幸に見舞われる。この事件も後押しし、チーム側は78年末に新たな組織であるCART(チャンピオンシップ・オート・レーシング・チームズ / Championship Auto Racing Teams)を立ち上げる。
翌79年にCARTはSCCA(スポーツカークラブ・オブ・アメリカ)の支援を受けて選手権を開催する。インディ500の統括組織はUSACのままであったが、CART側のチームも参戦し勝利している。
1980年はUSACとCARTが共同で1つの選手権の運営を試みるがわずか5戦で頓挫。CARTは元々予定されていた残りのレースを「PPG Indy Car World Series」として開催する。選手権名に初めてIndyCarが使われた年であった。以降は選手権の主導権がCARTへ移る。
二重構造の時代 - インディ500だけが頼りのUSAC、主導権を握ったCARTの綻び (1981~1995年)
USAC
79年の分裂以降急速に規模を縮小し、78年時点で年間18戦だった開催数は85年にインディ500の1戦のみまで減少。選手権とは名ばかりの状況へ追い込まれる。それでも1995年までインディ500の運営権を手放さず堅持し続けた事が、後のシリーズ分裂の布石となる。
CART
USACと対照的に年間15~17戦程度のレースを安定して開催し、実質的な米国トップフォーミュラの役割を担っていた。インディ500への参戦も許可されており83年以降はCART側のポイントシステムにも組み込まれるなど、同レースの統括組織になれなかった点を除いては順風満帆に見えていた。
しかし徐々にオーバルからロード/ストリートコースへの転換が始まり、それに伴いドライバーや開催地の国際化が進行。競争が過熱する中でコストは高騰し、中小チームの財政は圧迫されていた。さらに特定のチームが利益を得られる不公平さ(CARTの運営メンバーを擁するチームのみが、戦闘力の高いエンジン供給を受けられる、等)も露呈し始める。
2度目の分裂 - IRLの誕生、CART消滅(1996~2008年)
これらの不満が募った結果、1994年にIMSは新組織のIRL(インディ・レーシング・リーグ / Indy Racing League)を設立し、低コストかつ、オーバルおよび米国中心への回帰を掲げたシリーズの立ち上げを宣言する。発起者がチームかサーキットかの違いはあれど、運営のずさんな方針に反旗を翻した姿は約15年前の光景と重なる。
1996年には同名の選手権が開催され、北米のトップフォーミュラカテゴリが2つ同時に存在する時代が始まる。翌97年~2002年の間は「インディカー」の商標を巡る法廷闘争の影響でCART, IRLいずれも使用権を持たず、両者の選手権名から「インディカー」の名が消える。
CART(のちチャンプカー)
多くのトップチームが残留し分裂の影響は小さく思えたが、インディ500と「インディカー」の名称を失った代償は大きかった。
CARTの運命を決定づける事件として2002年末、エンジンの規定が二転三転する混乱が発生し、当時の供給元であったトヨタとホンダが揃ってIRLへ移籍する。この影響で有力チームのIRLへの流出が加速し、CARTは選手権の質および運営資金を確保できず2003年末に破産する。
破産後は参戦チームの経営者が主体で新組織「OWRS(通称:Champ Car)」を立ち上げ、旧CARTの資産を引き継ぐ。シリーズ名を「チャンプカー」と改称し再起を図るも4年あまりで頓挫し、2008年半ばにIRLに吸収合併される形で消滅。CARTの系譜は30年弱で幕を下ろした。
IRL
当初は中小チームが主体の小規模なシリーズであったが、インディ500の開催権を持つ強みに加え上述のCART側で発生したエンジンを巡る混乱も後押しする形で多数のチームが流入する。
2003年にはシリーズ名に正式に「インディカー」を冠し、後年はCART(チャンプカー)の一部チームや開催地を取り込むなど、名実ともに北米トップフォーミュラの地位を固めていく。
IRL/INDYCAR時代(2009年~現在)
CARTを吸収したIRLは2011年に組織名をINDYCARへ変更。100年あまりの米国オープンホイールカーの歴史で初めて車両(の通称)・選手権・組織の正式名称が「インディカー」に統一された。
統合以降は様々な開催地の種類や選手の国籍が混在し、CART時代の色合いが濃くなっている。一方で過去に開催されたオーバルトラックでのレースが復活するなど、IRL設立当初の理念も一部で受け継がれている。
名称としての「インディカー」の起源
はっきりとした起源は定かではないが、1940年代頃まではAAAによるアメリカ国内選手権を戦うオープンホイールカーをチャンプカー/Cahmp Car(チャンピオンシップカー/Championship Carの略)やビッグカー(Big Car)と呼んでいた。
1950年代にインディ500がF1世界選手権に組み込まれた際に、フォーミュラワンカーと区別する目的でインディ500を走るマシンの呼び名として「インディカー」が使われ始めたとされている。
関連動画
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関連項目
外部リンク
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