概要
三重県の中南部、伊勢平野の南部に位置する人口約2万人の田舎町。主に風化が進んだ花崗岩を地質としており、ため池が多く形成されている。玉城城、多気町との境界に近い南部に斎宮池、シンゲ池、惣田池、上村池がある。降雨量は夏に多く、冬に少なくなる傾向にある。日本の中部に位置する事から気候は温暖で、伊勢湾に面した北側には防風林として植えられたクロマツが群生。中央の平野部は農耕地帯となっているが、スギやヒノキが植林されており自然が顔を覗かせる。南側は豊かな平野と小高い丘陵地帯(大仏山丘陵と玉城丘陵)が広がり、アカマツやコナラを中心とした雑木林が広がる。町内には祓川(はらいがわ)と笹笛川(ささぶえかわ)という河川が南から北へ流れており、河畔林やヨシを中心とした湿原植物が軒を連ねる。町中部の笹笛川東方には国の天然記念物に指定されたハナショウブの群生地がある。温暖な気候は植物の生育に適し、1998年時点で548種の種子植物が確認されている。全体的に見ると自然の方が優勢である。
町章は三日月と太陽を象ったもので、町花はイヌマキ。総面積は40.38平方kmに及ぶ。主な産業は農業で、とりわけ米や野菜などの出荷量が多い。北東部は伊勢湾に面しているため、漁業や海産物も取り扱う。また大淀海岸はアカウミガメの産卵地にもなっているとか。松阪市、伊勢市小俣町、玉城町、多気郡多気町と隣接。
上下を松阪市と伊勢市に挟まれているが、いずれにも属していない。ただ行政的には松阪市に属している扱いで、ハローワークや警察の所管は松阪となっている。天皇の名代として伊勢神宮に仕えた斎王が居住していた都・斎宮(さいくう)があり、観光地として整備されている。斎宮周辺は長らく伊勢神宮の領地だったので、歴史的に伊勢神宮との繋がりが強い。斎宮のハナショウブ群落は国の天然記念物に、斎宮跡は国の史跡に、斎宮地区内にある旧陸軍第7通信隊第128部隊の防空壕は県内初の指定文化財になっている。三重県立斎宮歴史博物館も建てられており、歴史を追体験できる。しかし観光名所としてはイマイチなのか観光収入に乏しく、松阪と伊勢を結ぶ通り道扱いを受けている。このため町では松阪牛に匹敵するようなブランドの開発に力を入れている。
合併吸収をしていないにも関わらず無駄に町が広いため、小学校が6つもあり校区も明星、修正、斎宮、上御糸(かみみいと)、下御糸(しもみいと)、大淀(おいず)に分かれている。そのくせ中学校が1つしかないので、6つの小学校の卒業生が1つの中学校に集まる形となり、1学年6クラスくらいに膨れ上がる。町内に高校以上は無いので、進学を希望する場合は町外へと出て行く必要がある。
典型的なド田舎で、長らく町内のコンビニは僅かミニストップ1店舗のみだった。最近になってファミリーマートとサークルKが進出したが、広い町内をカバーし切れているとは言いがたい。スーパーの類は南部の鳥羽松阪線沿いにしかなく、離れた所に住んでいると自家用車が必須となる。娯楽施設に乏しいこの町は、若者にとって退屈極まりない町と言える。一応、町内の娯楽施設はイオンモール(後述)に一点集中しているので無い訳ではないが…。
戦時中は帝國陸軍の第7通信隊が、現在の明和町役場前に拠点を置いていた。付近に戦闘機のメッカたる明野飛行場があったため、陸軍の影響力が強かったものと思われる。
群馬県邑楽郡明和町とは相互関係を持っていて、友好交流提携等が結ばれている。
めい姫
明和町のゆるキャラ。2010年に公募され、600を超える応募総数から選ばれたマスコットキャラクター。斎宮と斎王をずっとそばで見続け、憧れていたハナショウブが姫君に変身した姿である。和風黒髪ロングの容姿をしており、みんなからチヤホヤされるのが大好きらしい。のじゃロリ。
自分の事を「わらわ」、相手を「そち」「そなた」と呼ぶ。ダンスが得意な永遠の女の子で、のんびりしているが好奇心旺盛なやんちゃ坊主な一面も持つ。
歴史
明和町のある場所で人が生活し始めたのは、今から約1万数千年前の旧石器時代後期と言われている。町内各所からナイフ形石器が出土しており、また11ヶ所ある遺跡からは投槍に使われた木葉形尖頭器が発掘されている。古くから人が住んでいたため、歴史のある神社や寺院、古墳が確認できる。673年に斎王制度が始まり、伊勢神宮に仕える斎王が住む御殿や役所が作られた。明星地区にある水池遺跡や神宮土器調製所で祭事に必要な土器が製造されていたという。後者は現在でも伊勢神宮の神事で使用する土器を作っている。
1588年、松阪城を建築して城主となった戦国武将・蒲生氏郷は伊勢神宮に繋がる伊勢街道を整備。この時、明和町内の道も整備しており、これがのちの県道伊勢小俣松阪線となっている。伊勢に向かって多くの参拝客が通ったため、旅籠屋、茶屋、土産屋などが激増。江戸時代に全盛期を迎え、紀州藩や諸大名の休憩所にもなった。江戸時代中期以降になると、津藩の藤堂氏、紀州藩の田丸氏、鳥羽藩の稲垣氏、伊勢神宮、八田藩の加納氏、西条藩の有馬氏によって分割統治され、混沌としていた。このように複雑に入り組んだ場所は県下でも珍しく、隣村同士なのに藩が違うという事態になった。藩が違うと何をするにも藩主の許可が必要になり、これにより生じる不便が領民を苦しめた。上御糸地区と下御糸地区では日本一の質を誇った松阪木綿の生産を行っており、糸染めから織る作業まで一貫して同地でやるという全国的に見ても珍しい体制が採られた。1893年に参宮急行電鉄の参宮鉄道が開通し、交通の便が改善された。しかし当時は伊勢街道を通って伊勢神宮へ参詣するのが主流であり、開通には多くの地域住民が反対したという。開通後、伊勢街道は次第に廃れていき、現在は見る影もない。
大東亜戦争中の1942年、兵器の材料を確保するため金属品の供出が決定。1943年以降から軍の命令が下り、寺院の梵鐘が供出された。また1942年12月25日に陸軍第7通信連隊128部隊が編成され、町役場の南側に基地を設営している。1944年4月に教育中隊となり、終戦直前の1945年6月25日に解隊された。付近に明野飛行場があった事、目立った軍需工場が無かった事からB-29の爆撃を受けなかった。しかし住人が戦地に出陣し、718名が戦没している。
1958年9月3日に三和村と斎明町が合併し、明和町が誕生。町名は元となった村を組み合わせたもの。1970年より斎宮跡地の発掘調査が行われ、1979年には斎王の宮殿や役所などが国の史跡に認定された。2015年には物語「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が日本遺産として文化庁に認定。歴史ある町として着々と力をつけている。
交通網
町の北部には国道23号が、中部には伊勢街道が、南部には鳥羽松阪線が東西に伸びており、伊勢方面及び松阪方面への移動が容易。少し足を伸ばせば、伊勢自動車道(高速道路)も利用できる。このため津市、松阪市、伊勢市のベッドタウンという側面も持っている。自家用車を持っていれば移動に不自由する事はそうそう無いのだが…。
逆に、公共交通機関が悲惨。無料町民バスが走っているが、1日に数本しかない田舎丸出しの貧弱っぷりである。移動の足として使うにはほぼ不可能。町内には近鉄山田線が走り、明星駅と斎宮駅が存在する。しかし各駅停車以外は停まらず、本数も少なめ、さらに運賃割高と三重苦が待っている。近隣の駅に娯楽施設が全く無い点も乗車価値を下げており、イオンモールなどがある最寄りの松ヶ崎駅ですら5駅も離れている。ゆえに自家用車が無双する大きな要因となっている。利点らしい利点を挙げれば、明星駅には車両基地があるので駅員が常駐し、特急券が購入可能な点くらいである(松阪駅以南の駅は無人駅が多い)。
地獄に降り立った天使、明和イオンモール
明和イオンモールとは、国道23号線沿いに位置するショッピングモールで、町を象徴する商業施設。2001年に開設されるまで町内にまともな商業施設が無く、スーパーも南部の鳥羽松阪線沿いにしか無い有様だった。このため北部の大淀・上御糸・下御糸方面の町民は大変な不便を強いられ、それ以外の地区も隣町にある玉城町のジャスコ(当時)に頼らざるを得なかった。町内には商店街の「し」の一文字も無かったため、明和町だけで生活するにはあまりにも厳しい環境だった。
このような状況で行われたジャスコの進出は、まさに守護女神の降臨だった。サイゼリヤやマクドナルドといったファミリーレストラン、上新電機、ゲームセンター、本屋、衣服店、109シネマズ、ホームセンターなど明和町に足りなかった部分を見事に補完し、瞬く間に町民の生活を支える主柱となった。特に109シネマズの町進出は、明和町が初である(他は区や市にしかない)。当時の名称は明和ジャスコだったため、「明ジャ」の略称で親しまれた。現在はイオンモールに改名しているが、名残で明ジャと呼ぶ人は多い。
国道23号沿いにあるので伊勢市や松阪市のお客さんも来店しやすく、不動の地位を獲得している。その圧倒的な力は、今まで町民の生活を献身的に支えてきた玉城町ジャスコから完全にお株を奪い、2005年に閉店へと追いやった。ゆえに明和町と言えばイオンモールと呼ばれるほど内外に有名。近隣地域にはおこぼれを狙った出店が相次ぎ、飲食店、スギ薬局、ドコモショップ、ケーズ電機、理髪店などがイオンモール周辺に進出している。若者にとっては唯一の憩いの場であり、よく中学生が遊びに来ている。
しかし最寄りの駅である斎宮駅から5kmも離れているため、車を持たない交通弱者には優しくない。一応、イオンモールから無料送迎バス(1時間に2本)が出ている。
主な地区
- 明星(みょうじょう)
町の南東部に位置する地区で、明星小学校と明星駅を擁する。伊勢市小俣町及び玉城町と隣接しており、伊勢街道や鳥羽松阪線が走っている事から町外へ出て行きやすい立地と言える。
- 斎宮(さいくう)
町の南部中央に位置する地区。斎宮小学校と斎宮駅、そして国の天然記念物であるハナショウブ群生地を擁する。明和町を歴史の町に押し上げた由緒ある土地で、駅前には「いつきのみや歴史体験館」がある。地区の大半は閑静な住宅街であり、斎宮小学校は町内最大の生徒数を誇る。町内最大の明和郵便局もギリギリ含まれている。
- 修正(しゅうせい)
町の南部に位置する地区。鳥羽松阪線の南側に位置し、修正小学校を擁する。生徒数の減少から明星校区との合併が噂されている。
- 馬之上(うまのうえ)
町の中心部にある地区。町役場、明和中学校、図書館、JA明和営農センターを擁しており、名実ともに町の心臓部である。
- 上御糸(かみみいと)
馬之上から北上した場所に位置する地区。上御糸小学校を擁する。
- 下御糸(しもみいと)
国道23号を北に抜けた先にある地区。下御糸小学校、明和イオンモール、ケーズ電機を擁する。眼前に国道があるので伊勢市や松阪市への移動に優れる。一部は伊勢湾に面している。
- 大淀(おいず)
「おおよど」ではない。町の北端に位置し、多くが伊勢湾に面している。海産物や船の部品を扱う企業が集中しており、ちょっとした工業地帯となっている。夏になると海水浴客で賑わう。
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