メッサーシャルフ社(Messerscharf)とは、「ワールドウィッチーズ」に登場する航空兵器製造会社である。
帝政カールスラントを代表する航空兵器メーカー。カールスラント空軍の主力として世界的な名ストライカーユニットとなったBf109シリーズ、画期的な次世代型ユニットたるMe262噴流式ユニットなどを開発・製造し、その名は全世界に轟いた。社章は社名入りの黒い円に囲まれた鳥の図案。
ミュンヘンのバイエルン天空工場社(もとバイエルン魔法製作所航空機部門)でグライダー設計者として務めていたW・E・メッサーシャルフにより、通常航空機の製造メーカーとしてアウグスブルグに創業。後にバイエルン王国政府の意を受け天空工場社と合併し、機体開発の失敗から一度倒産しながらも、バイエルン王の支援とユングフラウ社の意向で再建を果たす。さらにハインツェル社の主任設計者R・ルッサー技師を招聘してストライカーユニット開発に参入し、数々のユニットを世界に送り出すこととなった。
W・E・メッサーシャルフの航空機開発理念は「小型の機体に強力なエンジンを搭載する」というものであり、これは通常航空機・ストライカーユニットを問わずメッサーシャルフ社開発機の多くに通底するものとなっている。
モデルは「メッサーシュミット(Messerschmitt AG)」。ヴィルヘルム・エミール・メッサーシュミットにより創業された航空機メーカー。
史上最大級の生産数を誇る名機Bf109、世界初の実用ジェット戦闘機Me262 シュヴァルベなど、大戦期ドイツの戦闘機を多く開発・生産した。
メッサーシャルフ社が初めて開発したストライカーユニット。通常航空機型も同時並行で開発された。
ストライカーユニットの開発ノウハウを持たなかったメッサーシャルフ社に引き抜かれたルッサー技師の設計になる低翼単葉の複座飛行脚で、全金属セミモノコックの画期的な構造を採用した。
最初のA型は1934年に初飛行したものの、革新的構造が災いして初期は墜落事故が多かった。やがて改良が重ねられてレースなどで活躍するようになり、B型がカールスラント空軍に汎用機として導入されたほか、他国にも輸出されている。
カールスラント空軍、ひいては世界を代表する戦闘ストライカーユニット。優れた設計と卓抜した性能によって、改良を重ねながら第二次ネウロイ大戦を通してカールスラント軍の主力ユニットの地位にありつづけ、輸出先の諸国でも多数の機体が活躍した。
→「Bf109(ストライカーユニット)」を参照。
脚長123cmに達する大型の長距離ユニットで、翼下にエンジンポッドを持つ形状が特徴。特に武装の搭載量と高速性能に秀でた。通常の昼間戦闘にこそ向かなかったものの、特に夜間の戦闘哨戒任務に適しており、信頼性の高さもあって大戦末期まで長く使用され続けた。
その開発目的にふさわしく、高速性能ではBf109を40km/h以上上回り、Bf109の弱点である長距離飛行も可能となっていた。実戦配備機は信頼性も高く、取り扱いも容易だった。
しかし、その長距離性能は燃料の大量搭載と引き換えに得られたものであり、もともとの機体重量とあいまって、加速性能と格闘戦性能には大きな問題が指摘された。このため昼間戦闘での運用は早期に断念され、戦闘爆撃、強行偵察、夜間戦闘といった、よりBf110の特性に向いた各種任務で使用されることとなる。
こうした任務のうち、戦闘爆撃の面では重武装に向いたフラックウルフ Fw190が後継機となったが、強行偵察では大戦末期まで使用が続いた。夜間戦闘においては、Bf110の信頼性と扱いやすさが単独長時間の夜間哨戒任務に就くことの多いナイトウィッチから好評を博し、新型の夜戦ユニットより優先して使用される例も多かったといわれる。
1934年にカールスラント空軍省より発令された大型高速長距離ユニットの開発指示を受け、Bf109同様の「小型の機体に強力なエンジンを搭載する」理念のもとに設計が開始された。デイスムス・ベルン社が1935年に開発した小型軽量の液冷DB600魔導エンジンを搭載する試作機の初飛行(1936年)ではBf109以上の高速を発揮し、翌1937年には量産指示が出されこととなる。
初期生産型では、DB600の不調によりやむなくユングフラウ Juma210を搭載せざるをえず、速度性能の低下を招いた。このためこのタイプの生産はごく少数のみで終わり、実戦配備は改良型であるデイスムス・ベルン DB601の完成まで遅延することとなる。
C型は、1938年末になってようやく完成したDB601を搭載したタイプで。想定を超える高速性能に達したことからすぐさま量産・実戦配備に至った。
| 魔動機 | DB605B | 公称呪力 | 1,475Mp(離昇) |
|---|---|---|---|
| 脚長 | 123.0cm | 自重 | 極秘 |
| 最大速度 | 595mph(22,970ft・標準的航空歩兵装着時)[1] | 兵装 | MG151、MG42、MG81Z、他 |
| 『第五〇一統合戦闘航空団活動写真全記録』所収 | |||
その後、実戦配備されたBf110は上記したような経緯から昼間戦闘を退いて本来とは異なる各種の任務に移ったものの、後継機の開発失敗もあって同機の改良は重ねられた。こうして開発されたD型は長距離型、F型とG型はエンジンなどを強化したタイプである。特にG-4は夜間戦闘専用機であり、多くのサブタイプが作られてナイトウィッチの愛用を受けた。他にE型なども存在した。
ナイトウィッチではハイデマリー・W・シュナウファーがG-4型を使用していたことで知られる。ハインリーケ・プリンツェシン・ツー・ザイン・ウィトゲンシュタインはユングフラウ Ju88C-6からBf110G-4への機種転換命令を受けた際に不具合が生じ、以降はBf110を一切使用しなかったという。
この他、エルフリーデ・シュライバーや505JFW司令グレーテ・M・ゴロプも、初期のキャリアでBf110に搭乗していた。
Bf210はBf110の後継機として設計されたが、完全な失敗作であり、Bf110の開発続行の要因となった。
310と410はBf210の発展機であるが、410が一応採用となった程度であった。
Bf109の後継を目して開発されたストライカーユニット。まったくの失敗作に終わった。
メッサーシャルフ社の成功の立役者であったルッサー技師がハインツェル社に戻った後に開発されたユニット。Bf109の欠点を解消すべく多くの新技術を導入したが、実際の搭載時には多くの問題を発生させる結果となった。操縦性能、旋回性能、離着陸性能のいずれも悪く、「実用に値しない」機体と評された。
Bf109シリーズの最終形態になる予定だったG型を相手にしてすら速度以外の優位点がなく、あえなく開発中止となった。
Me309の失敗後、改めてBf109の後継機を求めて開発されたストライカーユニット。
新たに設計されたものの、やはり凡庸な性能のユニットにしかならず、Bf109シリーズのさらなる改良が進められることとなった。
Bf210系列の失敗とあわせて、メッサーシャルフは以後の通常動力型戦闘ユニットの開発を放棄することを決定。Bf109の後継機はまったくの最新技術機である噴流式ユニットMe262に委ねられることとなった。
カールスラント空軍最新鋭となる次世代型ストライカーユニット。
従来のプロペラ型呪符によって推進する通常動力型ユニットとは完全に異なる、噴流式魔導エンジンを搭載した「ジェットストライカー」として研究開発された最新鋭ユニット。高速型ネウロイへの対応を目して開発され、陳腐化したBf109シリーズ主力戦闘ユニットの後継として量産された。
圧倒的な優速と大火力を活かした一撃離脱戦法を得意とするジェットストライカーの登場は、ウィッチ個人の技量に頼ってきた従来の航空戦闘を根幹から変えるものであった。
大戦の激化にあわせて高速・高性能化してゆくネウロイへの対抗策として、噴流式魔導エンジンを搭載する機体として研究開発されたユニットがMe262である。噴流式魔導エンジンは、推進力をプロペラ型呪符の回転ではなく呪符で大気中のエーテルを取り込み圧縮した噴出流に求める画期的な魔導エンジンであり、従来型のストライカーユニットでは理論的に不可能な高速度を発揮することができた。
その開発史は古く、噴流式そのものは戦前から研究が進められていた。早くも1940年末には社内コードP1065試作1号機が完成し、カールスラント空軍省より正式名称Me262V1と名付けられている。しかしその後の開発は大きく遅れ、試作3号機の試験飛行は1943年5月にまでずれ込んだ。
問題となったのは、核心となる噴流式魔導エンジンそのものだった。搭載予定だったバイエルン魔法製作所の噴流式エンジンが完成せず、試作3号機は先んじてユングフラウが開発に成功したJuma004の搭載に変更。自ら試験飛行を行ったウィッチ総監アドルフィーネ・ガランド少将の主張と皇帝フリードリヒ4世の承認により量産が決定する。しかし、ユニット供給が逼迫する前線の状況やライバル・フラックウルフ社への対抗上、安定しているBf109シリーズの製造ラインを大々的にMe262に切り替えることはできず、量産・配備のペースは遅いものとなった。
Me262の性能の最大の特徴は、その開発目的でもある速度性能にあり、最高速度は950km/h以上、速度800km/hでの安定飛行が可能で、加速性能でも従来型のユニットを大きく引き離していた。武装の搭載可能量もずば抜けており、レヌスメタル Mk108 30mm連装機関砲など大火力の専用兵装、さらにウィッチの素質次第ではレヌスメタル BK5 50mmカノン砲(のちのマウラー Mk214)のような超重量級の砲兵装すら携行・使用が可能だった。こうした性能から、戦闘爆撃任務にも転用されている。
その高速力・大火力の威力は次世代型ユニットとして期待されるものだったが、同時に欠点も数多く存在した。第一に、運用に膨大な魔法力が必要であり、搭乗ウィッチには熟練が求められた。第二に、発進時に離陸・上昇の時間と距離が長くかかり、基地側からの十分な支援が要求された。第三に、旋回性能は既存ユニットより遥かに劣るため、戦闘時に従来と大きく異なる技術が求められた。最大の問題として、噴流式エンジン自体がデリケートな代物であり、運用時には容易にストールが発生するため、繊細に出力を調整し、急加速・急旋回を回避せねばならなかった。さらに耐久性は低く、稼働時間も短かった。
なかでもエンジンの問題は喫緊の課題とみなされ、カールスラント技術省のウルスラ・ハルトマン技術中尉を中心に改善が進められた。改善の協議に参加した扶桑、ブリタニア、リベリオン各国との技術交流の結果、魔導エンジンは構造の改良だけでなく扶桑領南洋島あるいはアウストラリス連邦産のニッケルやコバルトをタービンに使用できるようになり、稼働時間の大幅延長を達成している。
Me262V1(試作1号機)は初期から各種の試験に供用されており、噴流式魔導エンジンの完成以前には従来型のレシプロエンジンを搭載して試験飛行を行っていた。開発が進んだ後は、ハインツェル社のHeS011A噴流式魔導エンジンを搭載し、501JFWのゲルトルート・バルクホルンが実戦で試験運用したが、魔法力を無制限に消費する重大な不具合が判明し回収された。
また、さらなる高速を求めて主翼後退角の増加などを施した試験機としてMe262HG1(元原型9号機)、HG2、HG3があり、後者2機ではHeS001Aの搭載も予定されたが、上記した重大な問題が判明したため、Juma004Cに変更してテストが行われた。
| 魔動機 | Juma004B-1 | 公称呪力 | 1,984lbm(離昇) |
|---|---|---|---|
| 脚長 | 125.0cm | 自重 | 極秘 |
| 最大速度 | 559mph(19,700ft・標準的航空歩兵装着時) | 兵装 | Mk108、MG42,R4M |
| 『第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集』所収 | |||
Me262A-1aは先行量産型で、最初期の各配備部隊に投入されたタイプ。特に第131先行実験隊「ハルプ」は、同タイプを配備する世界初のジェットストライカー運用実戦部隊として、革新的なユニット運用に慣熟するため若手ウィッチまで広く集めて設立された。
| 魔動機 | Juma004D | 公称呪力 | 2,315lbm(離昇) |
|---|---|---|---|
| 脚長 | 125.0cm | 自重 | 極秘 |
| 最大速度 | 559mph(19,700ft・標準的航空歩兵装着時) | 兵装 | Mk108、MG42,R4M |
| 『第一独立特殊作戦航空団(サン・トロン基地所属)全記録』所収 | |||
U4型では魔導エンジンをJuma004Dに変更し、出力が大幅に上昇した。こちらも1945年夏にバルクホルンが試験飛行を行ったが、HeS011Aのような魔法力消費の問題を解消した反面、飛行中の安定性に難が生じており、大火力を搭載できても精密に命中させることが難しくなってしまっていた。
その他のタイプとして、戦闘爆撃任務へ配備されたMe262A-2a、練習用に使用された記録のあるMe262B-1a、ナイトウィッチからの強い要望で夜戦型に改造されたMe262B-1a/U1、ロケットエンジン搭載型のMe262C-2aなどがある。
V1で試験飛行したウィッチ隊総監アドルフィーネ・ガランド少将は最初にMe262に搭乗したひとり。「天使に後押しされているようだ」との評価を残し、欧州奪還作戦用に新設した第44戦闘団では、司令を兼ねるガランド少将自身もMe262A-1aを使用している。
最初の配備部隊である第131先行実験隊「ハルプ」では、エルフリーデ・シュライバーやヘルマ・レンナルツが搭乗した。なかでも後者は、弱冠13歳ながら試験飛行中に遭遇した大型ネウロイをMK108の大火力で瞬時に撃墜してMe262の公認初戦果を挙げ、このユニットの開発・配備の促進に大きく寄与している。
この他、テスト用にリベリオン空軍へ渡ったMe262A-1aの記録があり、詳細は不明ながらシャーロット・E・イェーガーが使用していた可能性があるとされる。
カールスラント空軍の、史上初となるロケットストライカーユニット。
ヴァルター機関によるロケット魔導エンジンを搭載した新鋭ストライカーユニットであり、飛行時間の短さなど数多の実用上の問題点を持ちながらも、欠点を補うに足る驚異的な性能を持つ局所迎撃ユニットとして着目され、開発・量産に至った。
Me163は、もともと先進的な機体の開発で知られるカールスラント流体力学の先駆者、A・M・リシュッピ博士を中心に研究が開始された新型ユニットである。リシュッピ博士は開発中にメッサーシャルフ社を離れたが、Me163となる機体の開発は以後も社内で続行された。
ノイエ・カールスラントに移ったメッサーシャルフ社では、カールスラント陥落前の研究成果をもとにロケット動力グライダーの研究を進めていた。このロケット動力開発に関与するウィッチ、ウルスラ・ハルトマンはもともと魔法力によるロケット推進の研究に熱心であり、研究の過程で知識を得たヴァルター機関をストライカーユニットに転用することとした。
開発されたヴァルター・ロケットモーターは噴射時間わずか3分ながら極端な上昇力と高速性を発揮し、迎撃用途でのロケットユニットの開発が開始される。軍部の注目は一時期ジェットストライカーに移ったものの、欧州で高速型ネウロイが出現するなか、時速1000kmに達する高速性は改めて注目を引くに値するものであり、Me163Aとなるプロトタイプを皮切りに試作が続けられた。
Me163に搭載された動力、ヴァルター機関はH・ヴァルターの発明になるもので、Me163にはなかでも高温魔法力式ヴァルター機関を用いたロケットモーターが搭載された。これはT液(圧縮エーテル水)とC液(魔導ハイドラジェン)の混合反応を利用するもので、発生する魔法力に燃料が吹き込まれて生み出される爆発的な燃焼反応による高温高圧のガスを推進力に用いている。
圧縮エーテル水は、魔法力伝達物質であるエーテルを高圧にすることで生成される。魔導ハイドラジェンは、この圧縮エーテル水をイクシール三重誘導体に反応させプリマ・マテリア化することで魔法力が溶け込むようになる原理を利用した物質で、新型魔法陣により長時間にわたり魔法力を維持させることで発明された。魔導ハイドラジェンの基礎原理は、賢者の石の研究に由縁のあるものである。
ヴァルター機関そのものは、二種の燃料を混合させるだけの単純で信頼性の高い構造といえるものの、この燃料はともに不安定な液体であり、保管や取扱には細心の注意を要する面倒なものであった。特にT液(圧縮エーテル水)は魔法力と接触すると高温を発して分解する性質から、ウィッチの被服などに使用される魔法繊維を溶解させてしまう事故が生じている。
プロトタイプは後にMe163Aと称されたが、量産性を度外視しており、ロケットモーターの噴射時間が極端に短いなど、実用上の問題点も多かった。
| 魔動機 | HWK 109-509A-2 | 公称呪力 | 14.71kM(最大) |
|---|---|---|---|
| 脚長 | 93.0cm | 自重 | 極秘 |
| 最大速度 | 900km/h(12,000m・標準的航空歩兵装着時) | 兵装 | MG42、MK108、MG151/20、他 |
| 『第五〇一統合戦闘航空団全記録参 第五集』所収 | |||
このMe163Aの経験をもとに機体構造を大きく改良した試作機に、より効率化したHWK 109-509A-2エンジン(1945年夏完成)を搭載したタイプがMe163Bである。飛行時間は延長されたとはいえわずかに7分半、水平飛行への転移時の燃料供給に問題があるなど欠点もあった。40機にのぼる試作のすえ、先行量産型B-0型は実戦投入可能と判断された。以後、実戦投入による問題を改善したうえでB-0が量産され、さらに改造型のB-1型(B-1a型)がつづいた。
初の実戦投入機であるV-41号機は、1946年初頭、第501統合戦闘航空団司令ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐により使用された。当時、ベルリンのネウロイの巣から発射されていたロケット型ネウロイが最大速度マッハ4に達する超高速型であり、対応できる高速ユニットが他に存在しなかったことによる、急な実戦投入であった。
カールスラント空軍では、ヴィルケ中佐の戦果報告を受けて高高度迎撃を専門とする第400戦闘航空団を設立してMe163B-1aを配備した。ブリタニア連邦も興味を示し、供与されたMe163B-1aをブリタニア空軍第241航空隊に配備して滑空試験を行ったものの、ブリタニア防空には不要と判断されたとされる。
創業したメッサーシャルフ社が最初に送り出した航空機で、軽飛行機では初となるアルプス越えによるカールスラント→ロマーニャ連絡飛行に成功した。
通常航空機。天空工場社との合併後、M18の発展型として開発された全金属製単葉単発旅客機である。
カールスラント航空から発注があったが、試作1号機の墜落・死亡事故によりキャンセルされ、同社が一時倒産に追い込まれる原因となった。再建後、M20bが座席数増加型として開発され、カールスラント航空の採用するところとなった。
ルッサー技師によるストライカーユニット型の設計に基づいてメッサーシャルフが設計し、Bf108Abとしてユニット型に半年遅れて初飛行を果たした。ユニット型同様、全金属セミモノコック構造を導入した低翼単葉複座航空機であり、改良を経てカールスラント空軍のみならず個人や航空会社にも導入された。
| 全長 | 8.64m | 全幅 | 11.08m |
|---|---|---|---|
| 全高 | 2.60m | 空虚重量 | 2,160kg |
| エンジン | DB601 Ns×1 | 出力 | 1,175HP |
| 最大速度 | 560km/h(5,000m) | 航続距離 | 800~1000km |
| 最大運用高度 | 10,500m | 武装 | 7.92mm機関銃×2 20mm機関銃×2 |
| 『第五〇二統合戦闘航空団全記録 第六集』所収 | |||
Bf109Tは、カールスラント軍の運用した艦上戦闘機である。なお、Bf109シリーズにはプロペラの回転が原因で機体が横向きになる現象があることで知られている。
原設計はBf109Eで、機体・主脚の強化、主翼延長・折り畳み機能と着艦フックの追加といった空母離着艦に必要な改造が施された。航続距離を延長するため主翼に増槽を搭載した機体も存在している。
もとは空母<グラーフ・ツェッペリン>への搭載用として開発されたが、同艦はカールスラント撤退作戦時に戦没している。カールスラント軍以外の機と共同運用される場合もあり、1945年のフレイアー作戦時は扶桑皇国海軍を中心とした“グリゴーリ空母部隊”からブリタニアのシーファイアと共に出撃している。
もともとBf109シリーズ全体の特性として存在した離着陸時の不安定さはBf109Tでも解消しえず、空母での運用に難があった。このため、以後のカールスラント軍艦上戦闘機はFw190が原型となっている。
Me321は大型グライダー、Me323はMe321を動力化した巨大輸送機。
いずれもアフリカ戦線への物資輸送に投入されている。
メッサーシャルフ社そのものの設定解説は『SW2』BD/DVD特典「全記録」第六集に「カールスラントのストライカーユニット・航空機メーカー」の一部として収録。
ストライカーユニットBf109については当該記事を参照のこと。
アニメ『ストライクウィッチーズ2』4話では、ゲルトルート・バルクホルンがMe262の試験を行った。『ストライクウィッチーズ劇場版』ではハイデマリー・W・シュナウファーがBf110G-4を使用し、『ストライクウィッチーズ Operation Victory Arrow』Vol.1「サン・トロンの雷鳴」ではバルクホルンとエーリカ・ハルトマンがMe262(U4型)を、ハイデマリーがやはりBf110G-4を使用している。『ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN』9話では、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケがMe163を使用している。この他、アニメ『ブレイブウィッチーズ』では通常航空機のBf109Tが登場した。
機種の設定解説・諸元は、『ストライクウィッチーズ2』特典全記録第六集、『ストライクウィッチーズ Operation Victory Arrow』Vol.1特典全記録(ともにMe262)、『ストライクウィッチーズ劇場版』特典全記録(Bf110)、『ブレイブウィッチーズ』特典全記録第六集(航空機型Bf109T)、『ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN』特典全記録第五集(Me163)に収録[2]。イラストコラム「ワールドウィッチーズ」でも、ハイデマリー回でBf110、ヘルマ・レンナルツ回、エルフリーデ・シュライバー回でMe262A-1aが紹介されている。
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最終更新:2025/12/11(木) 21:00
最終更新:2025/12/11(木) 20:00
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