香取(かとり)とは、ゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する香取型練習巡洋艦「香取」をモデルにしたキャラクターである。
慎吾ではない。名取でもない。線香は関係無い。戦闘機と武装合体もできない。
2015年2月に行われたイベント「迎撃!トラック泊地強襲」にて実装された、初の練習巡洋艦娘。
塾教師のような服装、眼鏡、手袋、巨乳、黒ストッキングという、好きな人にはたまらない格好をしている。
そこ!「夜のご指導お願いします!」とか言うんじゃない!憲兵が来るぞ!
また、その手には教鞭が握られている。文字通り教鞭を執っているのだろう。
ぜひ教鞭をふるってほしい、とドレッドノート級マゾ提督に大人気である。
ちなみに、中破絵を良く見るとピアスか何かをしているようだ。が、正直、言われなきゃわからないって・・・。
中破不知火の涙目並に認知されなそうである。
その性格は優しく真面目、そして提督LOVE勢。ただし優しいと言っても甘いわけではなく、おいたをする悪い提督には厳しい躾が待っている。ドM提督にはご褒美だが。
練習巡洋艦として、少なからず練習航海に自信を持っているようで、練習成果は裏切らないと考えている。
台詞から察するに、実戦に参加していた時期の記憶は薄れているのだろうか。改造前後で放置ボイスが変わったりするので聞き逃しのないよう。
どうでもいいが、心の底から香取を愛する人々の集い<香取ック教>なるものがあるらしい。
練習巡洋艦として、「編成に組み込んで演習を行うと取得経験値が増える」という能力を持っており、また彼女の練度が高いほど効果も上がる。
また、香取実装と同時期に西方海域の遠征メニューに「32.遠洋練習航海」が追加された。長らく空白のままだった32番目の遠征が、香取先生の指導を賜るための舞台となった。
LV5以上の香取を旗艦に、駆逐艦を2隻以上連れて行く遠征であり、資源があまり増えない代わりに家具箱(大)や開発資材、多量の経験値が手に入り、練度が低い駆逐艦などをまとめて育成したい場合に利用できる。ただ、この遠征は丸一日掛かるため、出撃で経験値稼ぎする方が効率が良い。レべリングに楽な道はないのだ…。
資源を貯めつつのレべリング、一日以上触れられない時の遠征、「俺は面倒が嫌いなんだ」という人向けレべリング等々に利用するのが良いだろう。
(検証中ではあるが、)編成する艦娘のレベルが低いほど取得経験値が増加する、とも言われている特殊な遠征でもある。ちなみに、何気にDという低い難度の遠征が新しく追加されてきたのはこの際ご愛嬌である。
なお、あくまで練習巡洋艦であり、軽巡や重巡でのルート固定や遠征には使えないので注意。
まあ、もしルート固定に代用できたとして、普通に軽巡や重巡を連れて行った方が性能的に良いのだが。
そんな香取先生は、現在は6-3のドロップで取得できる。
また、2015年9月末のアップデートで、駆逐艦秋雲と共に香取先生が建造可能となった。イベント先行実装艦の建 造実装は久しぶりとなる。通常建造と大型艦建造の両方で建造が報告されている。通常建造では、いわゆるレア駆逐艦レシピで、大型の方は最低値レシピでそれ ぞれ報告が上がっている。
とまぁ、ここまでの解説でおおよそ見当が付くと思うが、香取先生は初心者提督にとっては心強い裏方となるが、自分達の戦力が整ってくると、それと反比例するように必要性は下がっていってしまうという特性がある。
香取先生は低レベル艦を5隻をまとめて育成するときに最高の能力を発揮するのだが、中堅以上になると、そのような状況自体があまりない(レベリングするときは1隻か2隻を集中して育てる事が多い。また3-2-1レベリング、4-3レベリング、5-4レベリングなどの(香取先生を使う必要がない)レベリング手法もある程度確立されている)。
しかも、彼女の入手手段が上記の通りかなり限られているため、彼女を本当に必要としている初心者時代ではなく、ある程度戦力が整ってから入手して使い処に困るというパターンが多い・・・とされてきたが、
2015年11月のイベント『突入!海上輸送作戦』開始時のアップデートで演習時の経験値取得式が改訂し、旗艦以外の随伴艦としても効果が付与され(旗艦の方が効果は高いが以前と比較して格段に増加した)また妹の鹿島も同じ艦隊に組み込む事で更に効果が重複する大幅な改善が行われた(艦隊に入れない状態と比較で最大で20%の上昇。ケッコンカッコカリをすると更に引きあがる)
また、実戦でおいても4スロット持ちの艦としてソナーや爆雷等の対潜装備を満載できる数少ない存在(そもそも対潜は元の対潜値より装備の多寡が重要なので単純に多く乗せた方が強い。他だと軽巡大淀改・夕張改のみ)として潜水艦が多く出る1-5等の対潜重視のMAPで重宝される。特に、上記の秋イベントや翌年の16年冬『出撃!礼号作戦』に出現した潜水艦タイプのボス・潜水棲姫は高いHPと装甲を持つ為に、対潜装備を揃えてもなかなか倒せない。そんな中、対潜装備を4つガン積みできる香取先生の潜水艦キラーとしての強さは鹿島共々提督達に、こちらも再注目を浴びる事になる。
二次創作では、圧倒的に女教師ネタが多い。教鞭を手にしているスタイルからドSに描かれることが多く、同様にドSに定評があり、練習艦も経験している天龍型の怖い方と一緒に描かれることも多い。
また、香取先生の服装を「練習艦の制服」として、練習艦を経験してきた艦娘がコスプレしている絵が描かれることもある。
公式サイドからも2016年新春には晴れ着姿の限定グラフィックが実装、更に2016年3月からのローソンコラボ第2段としてローソン制服姿の香取がキャンペーンとして妹鹿島(ローソン鹿島)と共にグッズとして登場している。
元来、大日本帝国海軍では旧式化した巡洋艦を練習艦として使用していたが、昭和に入り、それまで使っていた装甲巡洋艦〈磐手(いわて)〉〈出雲〉の老朽化が進んできたために、1938年の昭和13年度計画で2隻の練習巡洋艦を建造することを決めた。この二隻が〈香取〉〈鹿島〉である。
〈香取〉は、練習巡洋艦第72号の仮称を与えられて1938年8月24日に三菱横浜造船所で起工、翌年3月31日に軍艦香取と命名、6月17日に進水し、1940年4月20日に竣工した。横須賀鎮守府に籍を置く。
艦名は千葉県香取市にある香取神宮に由来。 初めから練習巡洋艦として設計、建造されたのはこの香取型が初。
戦闘を度外視しているため、兵装は14cm連装砲2基、12.7cm連装高角砲1基、53cm連装発射管2基と必要最低限。訓練生のために、どの兵装も海軍で幅広く使われている代物が選ばれている。排水量は5900トンだが、その全長は秋月型駆逐艦と同程度の133メートル(ちなみに、その秋月型の排水量は2700トン。つまり秋月の二倍の重#この文章は香取先生に赤ペンチェックされました#)である。速力は18ノットとやや低速。
練習巡洋艦は、各兵学校を卒業した士官候補生たちを乗せ、今まで座学でのみ勉強してきた候補生に実物の兵装や機関を触れさせる言わば実習の場である。ここでノウハウを学び、やがて各々が配属される艦へと巣立っていくのである。
乗員の他、少尉候補生が375名が居住でき、外洋での航海性能を重視して安定した船体形状を採用。実習のために艦橋や居住区は大きく設計され、素人同然の士官候補生が船酔いにならないよう古鷹型に匹敵するほどの全幅を取り、安定性を増加させている。機関には蒸気タービンとディーゼル機関を組み合わせた推進形式を採用。
練習航海時に海外からの目があるため外観も威容のある設計が採られ、内装も外国航海の際に賓客をもてなすため立派な内装となっていた。さらに居住室や講義室、初任の軍医科士官専用の部屋も設けられ、艦橋まで大型化するなど艦内は快適そのものであった。
ただし、香取型2隻の建造の予算は660万円。1隻につき僅か330万という駆逐艦以下の予算(ちなみに、同時期に建造されていた陽炎型駆逐艦の予算は、1隻あたり968万円)しか下りなかった。その予算の大半は先述の内装に使われたため、コストダウンが随所に見られる。船体サイズは抑えられ、船体構造も安価な造りを採用。巡洋艦クラスでありながら、なんと装甲が無いのである。舷側装甲を持たずに生まれた巡洋艦は世界広しと言えでも帝國海軍のみである。日本の寒い懐事情が窺える。甲板も経費削減のため木製で、防御力は脆弱の一語に尽きた。ただ木製にしたのは経費削減以外にも、舞踏会が開けるように配慮したとの説がある。
結果、「天龍型並みの火力と前弩級戦艦並の速力」と、その能力は低くなってしまった。
ちなみにこの香取型練習巡洋艦は、翌年に3番艦〈香椎〉までが建造されたが、4番艦〈橿原〉は起工して艦名まで決まっていたものの、戦局によって建造中止となっている。
さて、〈香取〉の建造は三菱横浜造船に一任されたが、各種新兵器の搭載を望む用兵側と、戦闘には使用しないから極力安上がりにして欲しいとのたまう軍部に板挟みにされ、建造には大変苦労したそうな。
設計主務班長の大園大輔造船少佐はこの無茶な要求を見事満たしつつ6000トン程度の船体にまとめた事から、あの平賀先生からお褒めの言葉を頂いた。
ちなみに、〈香取〉と同級生 同年に竣工した艦は、〈瑞鳳〉や陽炎型駆逐艦達(〈黒潮〉~〈浦風〉)等が挙げられる、また、海の向こうではドイツの〈ビスマルク〉と〈プリンツ・オイゲン〉、イタリアの〈リットリオ〉もこの40年竣工組である。
さて、こうして建造された〈香取〉は、姉妹艦の〈鹿島〉共々竣工後すぐ練習艦隊に編入され、8月7日に昭和15年度の遠洋航海に出発する。当初の予定ではインド洋方面へ向かう事になっていたが1940年1月21日、千葉県野島崎灯台沖にて客船〈浅間丸〉が英巡洋艦〈リヴァプール〉によって臨検される事件が発生。これにより対英感情が悪化したことを考慮して、当時イギリスの勢力下にあったインド洋方面を取りやめ、東南アジア方面へ航路を改める運びとなった。
兵学校68期生288名、機関学校49期生80名、経理学校29期生30名、合わせて398名の各科候補生を乗せ、江田島を出港。大湊、大連、旅順、上海を巡航したが、この航海はそこで中止されてしまう。徐々に戦争の足音が聞こえ始め、国際情勢も厳しくなっていく時勢に、海軍士官の卵たちも呑まれてしまったのだった。9月28日、横須賀に到着。
ちなみに中止されなかった場合は10月1日よりマニラ、バンコク、バタビア、ダバオ、パラオ、トラックなどに寄港する予定だった。
練習航海中、低気圧の中心を突破する一幕もあったが船体強度や耐波性等に全く問題は無かったそうな。
その後は艦隊に編入され、結局練習巡洋艦としての活動はそれっきりであった。27年間続いた練習航海の歴史は、皮肉なことに専用の練習艦がようやく導入されたその初航海で幕を下ろす事となる。
練習航海に使われる事が無くなった上、後に潜水艦隊を率いる立場となった事から書類上では潜水母艦とされた。
1940年11月11日、横浜沖で行われた観艦式に参加。15日、潜水母艦〈大鯨〉、第1潜水隊、〈伊20〉とともに第1潜水戦隊を新編し、第6艦隊に編入される。〈香取〉は第6艦隊の旗艦を任される。
1941年1月16日、第6艦隊の旗艦を一時的に〈大鯨〉へ移動するも同日中に復帰する。2月2日、宿毛湾を出港し華南方面で行動、3月3日に台湾の高雄へ入港。5月24日、知多湾出港後、再び華南方面で行動、6月26日に有明湾へ帰投。11月28日、マニラ方面へ向かう輸送船5隻を護衛中に米軽巡洋艦〈ボイシー〉と遭遇する。この時はまだ開戦前だったため互いに発砲は無かった。
開戦の気運が高まる12月2日、トラックを経由してクェゼリンへ進出。ここで〈香取〉は運命の開戦を迎えた。
太平洋戦争では長らく第6艦隊の旗艦を務め、潜水艦・潜水母艦の指揮を行った。結局は先生か。
ミッドウェー海戦で〈伊168〉にヨークタウン追撃を命じ、その指揮を執ったのも〈香取〉である。
1942年2月1日、クェゼリンで米空母〈エンタープライズ〉が放った艦載機の攻撃を受ける。雷撃は全て外れたが至近弾と機銃掃射により〈香取〉は損傷、清水司令長官を含む約10名が死傷した。9日、損傷を直すためクェゼリンを出港。16日に横須賀へ入港し21日から3月5日まで横須賀工廠第五船渠に入渠する。18日、傷の癒えた〈香取〉は横須賀を出港し呉へと回航される。
4月16日、柱島泊地を出港しトラックに進出。5月3日、クェゼリンへ復帰を果たす。その後、ルオットに回航されるもすぐにクェゼリンへ戻っている。
その後は指揮を執る立場上、最前線に駆り出される事は無く、内地とトラック方面を行き来。1943年3月21日、トラックを出港し横須賀へ入港。4月16日から再び第五船渠で整備を受け、5月5日に横須賀出港。11日にトラックまで戻っている。
以降、年内はトラック泊地で過ごす。
1944年2月15日、第六艦隊から海上護衛総隊に編入。第6艦隊旗艦の座を特設潜水母艦〈平安丸〉へ譲った。
空襲を察知したため連合艦隊主力は既にパラオへ離脱しており、この時のトラック島には小型艦艇しか残っていなかった。トラック島に残留した艦艇の中で、〈香取〉は一番の大きさを持つ艦艇だった。
2月16日、トラック在住の邦人を内地へ引き揚げさせる第4215船団の護衛戦力として選ばれる。邦人を乗せた特設巡洋艦〈赤城丸〉、第4駆逐隊の〈野分〉〈舞風〉と共にトラック諸島から内地へ出発する予定だったのだが、〈赤城丸〉の荷役が遅れ、1日延期されることとなった。
その1日の延期で・・・
2月17日、一日遅れで出発しようとしていたその日、トラック泊地は米機動部隊の空襲を受ける。
そう、トラック島空襲である。
第4215船団は空襲警報下令をうけ、泊地北水道を通過しようとしたが、逃れることはできなかった。鈍足な特設巡洋艦を護衛していたため速度が出せず、虎口から逃げ遅れてしまったのだ。〈香取〉らの隣を高速で追い越して行った駆逐艦〈春雨〉〈時雨〉が水道を出たところで艦載機の襲撃を受け、〈香取〉にもその魔手が迫った。
〈ヨークタウン〉〈イントレピッド〉〈バンカー・ヒル〉〈カウペンス〉の艦載機が船団に襲いかかり、護衛の〈香取〉〈舞風〉〈野分〉が対空戦闘を開始する。まず〈赤城丸〉が餌食となった。〈香取〉も右舷機関室に魚雷1本を受け、航行不能となる。
爆撃、機銃掃射を受けてボロボロになりながらも、先に轟沈した〈赤城丸〉の船員の救助を行うが、度重なる爆雷撃に曝され遂には大炎上。しかしそのような状態でも魚雷、14cm砲、高角砲による反撃を止めなかったという。
とはいえ、そのような満身創痍ではどうすることもできず、最後はスプルーアンス大将率いる追撃部隊の戦艦〈アイオワ〉重巡洋艦〈ミネアポリス〉〈ニューオリンズ〉らの砲撃を受け転覆、艦尾から沈没していった。沈没する寸前まで砲撃を続け、魚雷も発射するという壮絶な最期だった。
沈みゆく〈香取〉から3隻の救命艇が脱出したが、米軍機の銃撃で全没。救助された〈赤城丸〉の船員を含め、生存者は0人であった。
同じくして〈舞風〉も轟沈し、第4215船団で生き延びたのは〈野分〉一隻のみであった。
1944年3月31日、トラック島空襲で沈没した〈阿賀野〉〈那珂〉〈舞風〉〈文月〉等と共に軍艦籍から除籍。
戦後に編成された海上自衛隊では、幹部候補生の演習航海に当初は護衛艦を使っていたが、やはり実戦に使う護衛艦を数ヶ月かかる演習航海に使うのは戦力維持の点からみても問題であり、なおかつ護衛艦では教育用の施設や居住施設が不足する、ということで昭和41年になって新しく練習艦を建造することになった。そしてその名には、かつての練習艦の名が受け継がれた。1951年竣工の練習艦TV-3501〈かとり〉の誕生である。
こちらの〈かとり〉は、平和になった海で実に24年もの間、練習航海に従事し、3537名の卒業生を送り出した。そしてその任務を後継艦に譲って1995年に練習艦を引退。1998年に除籍され解体された。なお、後継艦の艦名はかつての姉妹艦の名を受け継ぐTV-3508〈かしま〉である。
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最終更新:2025/01/08(水) 11:00
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