スルーオゴールド(Slew o'Gold)とは、1980年アメリカ生まれ・調教の競走馬・種牡馬である。
名前の意味はSlew of~に多くの、おびただしいなどの意味があるので「有り余るほどの黄金、富」と言った意味であろうか。
20世紀のアメリカ名馬100選では58位。アメリカ競馬殿堂馬(1992年選定)。
主な勝ち鞍
1983年:ウッドメモリアルS(G1)、ウッドワードS(G1)、ジョッキークラブゴールドカップ(G1)、ピーターパンS(G3)
1984年:ホイットニーH(G1)、ベルモントパーク・オータムチャンピオンシリーズ同一年完全制覇(ウッドワードS、マールボロCH、ジョッキークラブゴールドカップ、すべてG1)
父は安馬からの下剋上を成した無敗のアメリカ三冠馬シアトルスルー、母はスペクタキュラービッドの三冠阻止に成功したコースタルを産んだアルーヴィアル、母父はこの道のスペシャリスト・バックパサーという血統。
シアトルスルーの初年度産駒としては最高レベルの良血馬であり、生まれたときから期待される馬であった。
シドニー・ワッタースJr厩舎に入った彼は10月にアケダクト競馬場の未勝利戦でデビュー。セリで107万5000ドルの高額をつけたニジンスキー産駒・カウンタートレードと激突することになったがこれを2着に退け勝利。見事なデビュー勝ちを飾る。
デビューから8日後の一般競走でも快勝。アケダクト開催を代表する2歳G1の一つだったレムゼンSでG1初挑戦するもゲートのトラブルから出遅れたため勝負にならず6着完敗。2歳シーズンを終える。
3歳時は3月にフロリダ州タンパのタンパベイダウンズ競馬場で復帰するが2連敗。アケダクトに戻って出走した一般競走で前年からの連敗を3で止めると、東海岸のケンタッキーダービープレップとして最大のレースでよくG2落ちするウッドメモリアルSに出走。好位から最内ラチ沿いから抜け出しを図るも前をなかなか捕まえきれなかったが寸前で捉えて勝利。デビュー戦の鞍上アンヘル・コルデロJrを背にケンタッキーダービーに挑む。ちなみにコルデロJrはこのあとずっと継続騎乗となる。
そんな彼と対峙するのはサンタアニタダービー勝ちの1番人気マーファ、アーカンソーダービー馬2番人気サニーズヘイロー、前走でサニーズヘイローに完敗こそしたが2着してやってきた3番人気カヴィアト、ブルーグラスS勝ちの5番人気プレイフェローら揃ったメンバー。スルーオゴールドは4番人気であった。
雨が降る中行われたレースはハイペースの消耗戦となりついていけない奴から下がるレースとなったが、サニーズヘイローが内から力強く抜け出すと2馬身突き放して快勝。スルーオゴールドは2番手集団から少し遅れた4着。悪くはないが少し足りなさもある、そんな結果であった。
ディピューティドテスタモニーが突き抜けたプリークネスSは回避しピーターパンSに向かい、ここで兄コースタルが記録したレースレコードを更新する好タイムで後続を12馬身突き放す圧勝劇を見せベルモントSでは兄の実績も込みで1番人気で迎えるが、2番手から逃げ馬を潰して力強く先頭に立ったところでラチ沿いを強引に割って突き抜けたカヴィアトに突き放されてしまい3馬身半差の2着着に敗れた。
バラのレイも、兄の栄光も掴むことは結局のところ叶わなかった。
ベルモントSから少し開けて夏の名物レースハスケル招待ハンデ(現ハスケルS)から復帰。1番人気を背負うが、同じ斤量を背負うディピューティドテスタモニーが勝利する中、激しくマークされ不利を何重にも食らったためやる気を無くしたのか6着と久々の大敗を喫してしまう。
続くトラヴァーズSでも1番人気を背負うが、プレイフェローに敗れて2着。詰めの甘さを露呈する結果となった。
続くレースは当時ベルモントパーク競馬場でオータムチャンピオンシリーズの1戦目に位置づけられていたウッドワードS。ここには古馬となって覚醒し春先にG13連勝を飾ったサーアイヴァー産駒のベイツモーテルや後の大種牡馬デピュティミニスターなどが揃ったレースとなるも、ベイツモーテルとの叩き合いをハナ差制して勲章を勝ち取った。とはいえ当時のウッドワードSはハンデ戦の時代であり、ベイツモーテルから年齢差以上のハンデは貰っていた。
オータムチャンピオンシリーズ2戦目のマールボロCHでは早めに抜け出したところを捕まえに来たハイランドブレイドとベイツモーテルとスリーワイド横一線の激しい叩き合いになったがこらえきれずクビ差2着に敗れた。まあ3歳でありながらハイランドブレイドより重い斤量だったので僅差負けを恥じることはなかっただろう。
オータムチャンピオンシリーズ3戦目にしてBC創設前は秋最大のレースであるジョッキークラブゴールドカップではハイランドブレイド、プレイフェロー、ケンタッキーダービー2着のデザートワインといった既対戦組の他にも西海岸春の芝王エリンズアイル、二刀流の最強セン馬ジョンヘンリーら揃ったメンバーとなった。
ここまでやや詰めの甘さや競り合いへの脆さを見せていたが、12fのレースであったことが良かったのか前走敗れたハイランドブレイドを3馬身差つけて2着、他の強豪は更に後ろに置いてけぼりにしての圧勝劇を見せ3歳シーズンを終えた。
やや詰めの甘さは見せていたものの、秋の勝ちっぷりは大本命不在の年度代表馬争いにおいてもチャンスはあるかに思われたが、年度代表選考では凱旋門賞勝ちの後ロスマンズ国際・ターフクラシック招待・ワシントンDC国際を1ヶ月半の間にすべて決定的な差をつけて圧勝する凄まじいパフォーマンスを見せたオールアロングが上記3レースを同一年度に勝ったボーナス賞金ごと掻っ攫って行った。スルーオゴールドは当時の勢いはセクレタリアトと比較されるほどに傑出していた2歳・デヴィルズバッグにも敗れ3位であった。
最優秀3歳牡馬は三冠競走勝ち馬が不調や引退などもあって賞レースから消えたこと、対古馬成績でプレイフェローらを上回ったことを評価され獲得した。
三冠競走は敗れたものの東海岸最大シリーズであったベルモントパーク・オータムチャンピオンシリーズ2勝という勲章を勝ち取ったスルーオゴールドであったが、その代償も少なくなく蹄を痛めてしばらく休養を余儀なくされる。この間にジョン・ハートラー厩舎に移っている。
メトロポリタンハンデからの復帰予定であったがこれも流れ、結局7月の一般競走からの復帰。ここは貫禄勝ちを収め、夏の古馬ビッグレース・ホイットニーH(現ホイットニーS)に向かうが恐れをなして逃げ出した陣営が多く3頭立て。しかし遅れてきた3歳牡馬トラックバロン、5歳の実績馬サムサッカーと残ったメンバーはなかなかの強豪であった。
レースは3コーナー手前からトラックバロンとスルーオゴールドのマッチレースのような様相となったが最後まで相手の仕掛けを待つ余裕のあったスルーオゴールドが勝利。トップハンデであったがこれまた貫禄勝ちとなった。
秋の目標は今年もまたベルモントパーク・オータムチャンピオンシリーズであり1戦目のウッドワードSに出走。ここにはケルソ以来のニューヨークハンデ三冠を達成したフィットトゥファイトらが出走。骨のあるメンバーとなったが不良馬場を軽い斤量を活かし逃げ粘るシフティシークをラスト1ハロンで捕まえて半馬身差つけて快勝。ソードダンサー(ダマスカスの父)、ケルソ、フォアゴーに続いて史上4頭目になる連覇を達成した。
2戦目となるマールボロCHではぶっちぎりのトップハンデを課されてトラヴァーズSを勝つなど絶好調だった3歳・カードナスクラ、そのカードナスクラをペガサスHでぶっちぎったヘイルボールドキングやウッドワードSからの転戦組を迎え撃つ格好となったが、向こう正面で強気に先頭に立つとそのまま押し切ってカードナスクラに1馬身3/4差をつけ着差以上の圧勝。去年の雪辱を果たすともにオータムチャンピオンシリーズ完全制覇に王手をかけた。
3戦目のジョッキークラブゴールドカップは前年圧勝した舞台かつ定量戦と最早負ける要素のほうが少なく、相手もヘイルボールドキングやカナディアンファクターらハンデをあげて叩き潰した馬しかいなかった。これでは彼は止まらず、4コーナーでヘイルボールドキングを捕まえると強く追うこともなく9馬身3/4差をつけて大楽勝。史上初にして唯一のベルモントパーク・オータムチャンピオンシリーズ完全制覇を成し遂げ、達成賞金100万ドルを獲得。フォアゴーや父シアトルスルー、アファームド、スペクタキュラービッドらすら達成できなかった偉業を成し、スルーオゴールドの名声は頂点に達したのである。
……と、1983年まではオータムチャンピオンシリーズ制覇してシーズンはおしまい!だったのだが、1984年にはあるビッグイベントが満を持して、人気下落が囁かれたアメリカ競馬の救世主となるために始まることになった。ブリーダーズカップである。
2歳王者・女王決定戦ジュヴェナイル・ジュヴェナイルフィリーズ、短距離王者決定戦スプリント、芝マイル王決定戦マイル、ダート女王決定戦ディスタフ、芝クラシックディスタンス王者決定戦ターフ、そしてメインレースとなるダート10fのアメリカ最強馬決定戦クラシックの現在オリジナル7と呼ばれるレース群を擁し、しかもこの7つを1日で行うビッグイベントであり、賞金額も当時としては破格の金額を用意されたこのイベントのためにアメリカ各地から最強馬が第1回開催地となったハリウッドパーク競馬場に集結。スルーオゴールドも当然クラシック出走のために西海岸へ向かっていた。
しかし、マールボロCHあたりから古傷の蹄の状態が悪化の一途を辿っていた。調教用のものを転用したり軽さのあるグラスファイバー製のものを使うなど蹄鉄を工夫して凌いできたが、状態は上がってはおらず治療を施しながらとなり、初の西海岸遠征ということもありって最後まで出走意志を確たるものにはしなかったが結局出走。
相手は3歳からは二冠馬かつシアトルスルー2年目産駒のスウェイルこそベルモントSを勝った直後に急死していたが、プリークネスS勝ち馬ゲイトダンサー(2番人気)、後にBCスプリントを勝つことになる種無しスイカプレシジョニスト(4番人気)、ホイットニーHで激戦を繰り広げた後にヴォスバーグSを勝ったトラックバロン(5番人気)が出走。
同い年からは同厩のマガティー(ペースメーカー扱いでスルーオゴールドとカップリング1番人気)、西海岸で春にG1を3連勝するなどたくましくなったデザートワイン(3番人気)、オータムチャンピオンシリーズでボッコボコにしたカナディアンファクター(最下位7番人気)、そのカナディアンファクター相手に斤量利を活かしてG1で勝ったこともあるワイルドアゲイン(6番人気)の7頭が揃った。
奇しくも世代抗争の様相となったがスタートを切るとペースメーカーの役目を帯びたマガティー、プレシジョニストと逃げ馬のワイルドアゲインが激しいハナ争いを展開、それをデザートワインと見ながら4番手集団を追走。向こう正面でマガティーが脱落し、3コーナー前あたりでプレシジョニストが遅れ始めた頃に一気に動いてワイルドアゲインに並びかけに行くが……いつもの力強さがなくワイルドアゲインを捕まえきれずにまごついたところに外からゲイトダンサーが末脚を爆発させ強襲。3頭が並んでゴールになだれ込んだ。ワイルドアゲインが粘りきって1位入線、ゲイトダンサーはわずかに及ばず2位入線、スルーオゴールドは少し遅れて3位入線となった。
レース映像を見れば分かるが、外からゲイトダンサーが内に思いっきりぶっ刺さりながら突っ込んできており、ワイルドアゲインもラチ沿いに押し込まれるのを嫌って真っ直ぐを保つように動き続けたため、スルーオゴールドはこの2頭に挟まってロクに追えず、結構な不利を被っていた。
このため審議となり、もしかすると1位2位が降着になっての逆転勝利かとも思われたが……斜行が日常茶飯事で降着になった経験もあったゲイトダンサーこそ悪質と見なされ降着となったがワイルドアゲインはお咎めなしに終わり、1着ワイルドアゲイン、2着スルーオゴールド、3着ゲイトダンサーで確定となった。
第1回BCクラシックウイナーの称号は、人気薄の逃げ馬が掻っ攫っていったのだった……まあ斜行がなくても状態は良さそうではなかったため、勝ち切れたかは微妙な線ではあったが。
ちなみに第1回ブリーダーズカップデーはジュヴェナイル、マイル、スプリント、ディスタフは1番人気が順当に勝つ結果となったが、ジュヴェナイルフィリーズ(7番人気/11頭、1位入線馬10着降着繰り上げ)、ターフ(10番人気/11頭)とクラシックは人気薄決着となり大荒れとなった。
この敗戦が原因となったか、ブリーダーズカップ前はエクリプス賞の年度代表馬予想でも完全なベルモントパーク・オータムチャンピオンとなったスルーオゴールドが圧倒的優勢であったが、実際の選考では9歳にして芝のみではあるが「G14勝を挙げたジョンヘンリーこそ年度代表馬!」という意見が一気に席巻しそのまま年度代表馬になった。
最優秀古牡馬こそ獲得したが、史上唯一のオータムチャンピオンシリーズ完全制覇はもとよりホイットニーH・ウッドワードS・ジョッキークラブゴールドカップの同一年度三タテは"King Kelly"ことケルソ以来の偉業で、後に続いたのもイージーゴアくらいしか存在しないことを考えると年度代表馬最右翼という予想は全くもって妥当なものであり、たった1敗で黄金を失ったと言えようか……失意のままこの年限りで引退。種牡馬入りとなった。
その後、時は流れ1987年のレースを最後にリヴァリッジとセクレタリアトの同馬主保有の名馬対決のためにぶちあげられたマールボロCHは終焉し、ベルモントパーク・オータムチャンピオンシリーズは消滅。
ウッドワードSとジョッキークラブゴールドカップは条件を変えつつBCクラシックやダートマイルのプレップとして生きながらえているが、価値はBC発足前より下がってしまったのであった。
そしてシリーズ消滅に伴い完全制覇の価値も薄れ、恐らく知らない競馬ファンが大多数になってしまいスルーオゴールドの影も薄く……
種牡馬としては初年度からG1馬4頭を出すなかなかの好発進となったが尻すぼみとなっていった。
同じスリーチムニーズファームで父シアトルスルーがバリバリ現役だったためより尻すぼみが加速したような側面もあったが、最終的にはステークスウイナー28頭とずば抜けたものにはなりきれず、わずかに残った直系も後輩のエーピーインディに駆逐され現在ではほぼ残っていない。母系にはちょこちょこ見る血統ではある。
日本には初年度産駒で*サンデーサイレンスとも対戦経験のある*オウインスパイアリングが種牡馬として輸入されたが4世代のみを残して死亡したため活躍は出来なかった。母父としてインテリパワーを輩出するあたり同時期に日本導入されていた*ジャッジアンジェルーチよりは活躍できた可能性はあったが……
2002年に種牡馬を引退するとそのままスリーチムニーズファームで悠々自適の引退生活を送ったが、2007年10月に27歳で他界した。
| Seattle Slew 1974 黒鹿毛 |
Bold Reasoning 1968 黒鹿毛 |
Boldnesian | Bold Ruler |
| Alanesian | |||
| Reason to Earn | Hail to Reason | ||
| Sailing Home | |||
| My Charmer 1969 鹿毛 |
Poker | Round Table | |
| Glamour | |||
| Fair Charmer | Jet Action | ||
| Myrtle Charm | |||
| Alluvial 1969 栗毛 FNo.9-f |
Buckpasser 1963 鹿毛 |
Tom Fool | Menow |
| Gaga | |||
| Busanda | War Admiral | ||
| Businesslike | |||
| Bayou 1954 栗毛 |
Hill Prince | Princequillo | |
| Hildene | |||
| Bourtai | Stimulus | ||
| Escutcheon |
クロス:Princequillo 4×5(9.38%)、Bull Dog,Sir Gallahad 5×5(6.25%、全兄弟クロス)、Striking,Busher 5×5(6.25%、全姉妹クロス)、Nasrullah 5×5(6.25%)
アルーヴィアルの血統は綺羅星の如く活躍馬が揃っており、日本絡みに絞ってもエリザベス女王杯勝ちのエリモシック、函館巧者エリモハリアー、薄命の切れ者エリモダンディー、クラレント・リディル・レッドアリオン・サトノルパンらを重賞馬4頭を産んだエリモシックの全妹エリモピクシーの祖にあたるえりも農場の至宝*デプグリーフや
マルセリーナ・グランデッツァ姉弟を産んだ*マルバイユ、ノーザンテースト産駒最長距離砲スルーオダイナ、ジャパンカップに遠征してきたストラテジックチョイス、ステゴ最後の舞台で完璧な逃げを粉砕されたエクラールetc……とにかくすごい数の名馬が存在する。
ないんだな、これが
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最終更新:2025/12/30(火) 02:00
最終更新:2025/12/30(火) 01:00
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