トウカイテイオー 単語

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トウカイテイオー

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91年 日本ダービー
七冠プレッシャーに勝ったトウカイテイオー。
天才はいる。悔しいが。
 ―2011年日本ダービーCMより 

トウカイテイオー(1988年4月20日 - 2013年8月30日)とは、JRAの元競走馬である。

競走馬の一覧

な勝ち
1991年 皐月賞(GI)東京優駿(GI)
1992年 産経大阪杯(GII)ジャパンカップ(GI)
1993年 有馬記念(GI)

出自

シンボリルドルフ トウカイナチュラル ナイスダンサー

シンボリルドルフは、1984年三冠馬80年代最強とも言われている。
ルドルフの種付け権を得た内村氏は、オークストウカイローマンに種付けしようと考えていた。
トウカイの冠名で知られる内村氏はローマンの曾祖母であるトウカイクインを購入したのだが、この当時初のダービーであるヒサトモの血は同しか残っておらず、内村氏は血を調べて後、保護のためヒサトモの血を継ぐを次々と購入し血を保護していった。

の結果オークスになったローマンと、当時の絶対皇帝シンボリルドルフの配合とも思われた…

だが、トウカイローマン引退予定だった新潟大賞典で2着に健闘したため引退を延期。結局同年の京都大賞典を当時新人だった武豊を乗せて彼に初重賞勝利プレゼントして引退した。
引退を延期したためローマンにつけることができなくなった内村氏は、代打として半トウカイナチュラルに種付けを行った。

父と同じ道を辿る~皐月賞

安田行が跨り新馬戦を迎えたテイオー、4身差をつけて圧勝。その後も連勝を重ね若駒ステークスでは圧倒的な一番人気に応えここも2身差で快勝。皐月賞に駒を進めた。

皐月賞でのライバル阪神3歳ステークスレコードで勝ってGIになり、ステップレー弥生賞も勝ったイブキマイカグラだった。テイオーはそれでもあのルドルフということもあり1番人気となった。
結果は大外からの優勝である。イブキマイカグラは4着。
ちなみに2着に入ったシャコーグレイドはあのミスターシービー産駒である。因縁を感じざるを得ない。

安田騎手はテイオーのルドルフ騎手岡部幸雄がかつてしたように1本を掲げた。

三冠への第2ラウンド~東京優駿、そして挫折

次はクラシック三冠の二冠日本ダービーへ直行。当然のように1番人気であった。
皐月賞と同じく大外であったが、好位につけると最終コーナーで抜け出し、2着レオダーバンに3身つけて快勝。安田騎手は2本を掲げた。敗の二冠。子で三冠馬という期待の理からぬことである。

しかしレース後歩様に異常をきたし、診断の結果骨折が判明。全治6ヵの診断により菊花賞は出走できなくなった。
おこ菊花賞勝利したのがレオダーバンであり、出走出来たら三冠馬になってた可性は高いと思われる。以後骨折はテイオーを幾度となく苛むことになる。

それでも敗の二冠馬ということもあり年度代表馬と最優秀4歳に選ばれた。

天皇賞(春)~メジロマックイーンとの対決

翌年になり安田調教師転向をしたこと、将来的には海外遠征も考慮してルドルフ騎手だった岡部幸雄戦が変更された。初戦産経大阪杯岡部は持ったまま、なりで勝利
岡部はこのレース前、「地の果てまで走れそう」とテイオーを評価している。

次にすは天皇賞(春)である。ここには前年の覇者であるメジロマックイーン武豊が待ち構えていた。武は岡部の先述の発言を意識して、「あっちが地の果てならこっちはまで昇りますよ」と発言、世紀の対決イオVSマックイーンの様相を作り上げた。

イオーは3000m以上を走ったことはなかったにも関わらずマックイーンを抑えて1番人気となった。だがテイオーの伝説もここまで、マックイーンのロングスパートについていけずはるか後方の5着敗退。さらに後日また骨折が判明。は全休を余儀なくされた。

天皇賞(秋)~2頭の馬鹿

初戦は天皇賞(秋)となった。しかし風邪もあり調教的にギリギリでの本番を迎えていた。松元調教師も「背水の陣」といった感じで、万全ではなかった。

それでも取りは期待され1番人気。だがここには、後に有馬記念でも立ちはだかることになる馬鹿逃げコンビメジロパーマーダイタクヘリオスがいた。
馬鹿逃げコンビ1000m通過が57.5という狂気逃げというか暴走ペースで、テイオーはこの後ろにつけたためスタミナ切れを起こし、馬鹿コンビともども沈んでしまい7着惨敗。

ジャパンカップ~世界の強豪との対決

次走はジャパンカップ。同レースはこの年がGI競走となったため、多数の海外が集まった。

日本総大将選ばれたのはイオーだった。が流石に錚々たるメンツには人気を譲り、10倍の5番人気にまで転落した。なお日本勢には他に重賞3連勝のヒシマサル天皇賞(秋)を勝ったレッツゴーターキン、後にジャパンカップを制覇するレガシーワールドもいた。

イオーはいつも通りの中団につけると、最終コーナー手前で加速し始め、直線で抜け出し、ナチュラリズムを差し切って勝利岡部ガッツポーズ日本史上初のGI覇者子2代のジャパンカップ制覇、岡部は初のジャパンカップ2勝騎手になった。ちなみに日本勝利したのはルドルフ以来である。

有馬記念~しかしまたあのコンビが…

年末の有馬記念、当然のようにファン投票1位の1番人気。しかし岡部騎乗停止中だったので、代打田原成貴上となった。
だがテイオーは寄生虫駆除のため下剤投与で体重が減したのに加え筋肉痛まで抱えていた。

そしてまたあのメジロパーマーダイタクヘリオスがいたのである。またお前らか
結果、生涯一の2桁順位11着大惨敗。失速しなかったメジロパーマー優勝となった。

長期休養・そして奇跡の復活・引退

左中臀筋を痛めていたテイオーはそのまま休養に入る。宝塚記念を復帰戦とする予定だったがまた骨折が判明、出走を断念。結果復帰戦は有馬記念までずれこんだ。

その間に戦だった岡部ビワハヤヒデ戦になっており、武豊依頼しようとなったのだが彼も戦だったベガが出走するため拒否され、結局田原が2年連続で騎乗することになった。
流石に1年ぶりというのもあり4番人気まで落ちた。むしろ4番人気で止まるあたりが彼の人気が高かったという左であろう。

後方につけて徐々に加速、レースは終盤ビワハヤヒデが先に抜け出す。それをテイオーが追走する最後の直線。残り100mを切ったところでビワハヤヒデを差し切って優勝364日ぶりの勝利。しかもGI。この記録は最長間隔GI勝利として不滅の記録としてり継がれている。
フジアナぐみながら「トウカイテイオーだ、トウカイテイオーだ!トウカイテイオー!奇跡復活!一年ぶりのレースをっ、制しました!」と実況するのも理からぬドラマのような幕切れだった。

94年も現役続行の予定だったが、産経大阪杯筋肉痛で回避、また骨折が判明し天皇賞には間に合わないことが濃厚となったため引退となった。引退式には10万人をえる人が集まり、ターフを去る彼を見送ったという。
同日、最初に皐月賞で2着に破ったシャコーグレイドメイン競走で3年10カぶりに勝利。彼の引退を添えた。
通算12戦9勝。GIは4勝。特にメンバーがそろった92年JCと93年有馬記念を勝ったことは彼の才が非であったことを明するに余りある。

その他

トウカイテイオーは、その実もさることながら、容姿でも人気が高い。足関節が柔らかく、走るフォームが綺麗なため、その見たで惹きつけられるファンも多く、ニコニコ動画内でも「イケメンホース」として評されている。

プライドは結構高かったようで、仕事と割り切れば騎手の言うことは聞き、持ち前の切れ味と勝負根性をいかんなく発揮したが、引退騎手が会ったら冷めた対応で返したという。また心を許した相手には素直であった。この辺りも親父と似てる。
人気という意味ではルドルフより上であり、大負けしなかったとは違い負けるときは敗し(2着は1回もない)、挫折の度に劇的な勝利で飾る競走人生後半だった。

度重なる故障から立ち上がり、有終の美を飾りの名に恥じない競走生活を送った不屈の帝王種牡馬としてはそこそこの活躍をし、子そろって顕彰馬となり、25年の生涯を終えた。
ちなみに種牡馬として入った房は、その前まで父親の前に立ちはだかった三冠馬ミスターシービー房だったという。

有馬記念のエピソード

奇跡復活と称される有馬記念だが、戦った相手もメンバーっていた。

他、善戦マンその2ホワイトストーン、ネイチャと同じ名脇役マチカネタンホイザ等がいた。
オッズもビワハヤヒデは1番人気ながら3倍、レガシーワールドが4.9倍、ウイニングチケットは5.4倍と混戦気味であり、ちょっと離れてトウカイテイオーの9.4倍だった。

血統表

シンボリルドルフ
1981 鹿毛
パーソロン
1960 鹿毛
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Colonice
スイートルナ
1972 栗毛
スピードシンボリ ロイヤルチャレンジャー
スイートイン
ダンスタイム Palestine
Samaritaine
トウカイナチュラル
1982 鹿毛
ナイスダンサー
1969 黒鹿毛
ノーザンダンサー Nearctic
Natalma
Nice Princess Le Beau Prince
Happy Night
トウカミドリ
1975 鹿毛
ファバー Princely Gift
Spring Offensive
トウカイクイン アトランテイス
トツプリユウ F-No.19-b


Tokai Teioh(1988)←Symboli Rudolf(1981)Partholon(1960)Milesian(1953)←
My Babu(1945)←Djebel(1937)←Tourbillon(1928)←Ksar(1918)←Bruleur(1910)←
Chouberski(1902)←Gardefeu(1895)←Cambyse(1884)←Androcles(1870)←Dollar(1860)←
The Flying Dutchman(1846)←Bay Middleton(1833)←Sultan(1816)←Selim(1802)←
Buzzard(1787)←Woodpecker(1773)←Herod(1758)Tartar(1743)←Croft's Partner(1718)←Jigg(1701)←
Byerley Turk(1679)

代表産駒トウカイポイント去勢) ヤマニンシュクル) ストロングブラッド引退去勢
現在、トウカイテイオーをに持つ種牡馬は存在しないが、2018年5月8日までの時点で地方競馬で5勝の成績を残している現役競走馬クワイトファイン引退後は種牡馬となる方針で検討されている。

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