冬月(ふゆつき)とは、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘である。モデルは大日本帝国海軍に所属していた秋月型駆逐艦8番艦『冬月』。
イラストレーターはしずまよしのり[1]、CVは上坂すみれ[2]。
もちろん…そうだ、還って…来る。(概要)
2022年2月22日深夜(23日未明)より開催された2022年冬イベント【発令!「捷三号作戦警戒」】の後段作戦(3月6日実装)にて先行実装された駆逐艦娘。後段作戦最終海域(E-5)(防空埋護冬姫を旗艦とする最終ボスマスを斃し切る)の突破報酬として実装された。長年「お冬さん」と呼び艦隊編入を希っていた涼月が史実で進水した3月4日の翌日となる3月5日の実装(の予定だったが艦これ運営が平常運転でオンラインメンテ遅延が発生し6日未明に)というのはある意味3年半待ち続けた涼月に対するご褒美といったところか。冬月の実装により大和を旗艦とする天一号作戦第一遊撃部隊が全艦揃ったことになるとともに、当時の第四一駆逐隊が揃ったことになる。二代目41駆スタメンとしては初の実装艦。
担当絵師は、2022年冬頃から運営より「しずまよしのり氏と準備を進めている」と告知されていたこと、秋月型姉妹を手掛けていることからほぼ確定。担当声優については2月26日運営より「艦これスタート初期から駆逐艦を中心に多くの艦娘を担当するあの方」と告知があり、実装予告時点でのあるユーザーによるアンケート[3]では予想は拮抗するものの、提督イチオシは吹雪型姉妹のあの方…という予想が見事的中していたようだ[4]。
見た目は涼月改に基本的にそっくりだが高射装置の位置が異なり、垂らした髪の分け方が涼月の向かって左に対し冬月は向かって右になっている。ちょうど霞と同じ向きで分けているが、これは坊ノ岬沖海戦での配置で冬月が針路右舷、涼月が針路左舷に位置していたこと、また霞を介錯したのが冬月だったことなどが理由として挙げられる。なお、現状秋月型姉妹で一番の長髪。北九州の港で眠っていた時間が余りに長かったからなのだろうか。(イベント終了直後に実装された周年祝賀ボイスでは「北九州で眠ってた間に艦隊9周年か」などと…)
先行実装からほぼまる1年後の2023年春イベの前段最終(E-3)・後段第1(E-4)で追加邂逅が期間限定ながら追加配備(邂逅)が可能となった。特にE-4は駆逐艦冬月のデビュー戦とも言える伊号輸送作戦をモチーフとしており、特に後段E-4では当時の僚艦松・旗風・第4号海防艦等との邂逅も可能とアナウンスされている。
実装済みの艦娘で直接関わりのある相手は、長年「お冬さん」と呼び実装を待ち望んでいた「涼月」をはじめとして、就役直後の第十一水雷戦隊で共に訓練や輸送作戦を共にした「長良」「松」「清霜」「浦風」「朝雲」、護衛対象となった「大淀」[5]、坊ノ岬組の面々。
うち、冬月が言及する相手は「涼月」("涼"、または"涼月"呼び)、「大淀」「矢矧」「雪風」。涼月は何かと冬月の元に現れカボチャアイテムを差し入れたり冬月の書類仕事を手伝ったり。過保護すぎじゃないですかね涼月さん…。また、雪風は夕飯の差し入れにカレーを持ってくるが…冬月曰く雪風の食べっぷりは想像通りというかはしたない模様。また、雪風に関しては下記史実でも触れているとおり「昔意見がぶつかったこともあった」と秘書艦ボイスの1つで特に言及している。ほうじ茶推しのようだが、中の人つながりの浦波の推し茶でもある。
艦隊編入(未改造)時点では「第三十一戦隊」、改になると「第二水雷戦隊」所属を名乗る。今までの艦娘で改装状態で自称する史実所属部隊は時系列順になっていたのに対し、冬月の場合は「第十一水雷戦隊」→「第十戦隊」→「第二水雷戦隊」→「第三十一戦隊」が史実での所属部隊のため、その順序が逆になっている。考えられる理由としては、通常、艦隊戦力として育成すると「改」へ改装するのが常だが、天一号作戦参加時点での所属部隊を「改」で名乗らせることで、最後の二水戦の一員として艦隊で運用して欲しいという運営側の願いが込められているものと推測される。(なら、涼月も時報だけでなく改の編成ボイスも二水戦41駆に替えたらいいのにね…。立ち絵はちゃんと第41駆逐隊なんだから…涼月の担当声優はリアイベ常連のF提督なんだし…)
また、今回のイベントで実装された「梅」「玉波」は冬月に関わった士官に縁の艦でもある。初代冬月艦長の作間英邇中佐の前任は「玉波」艦長(その前職は「綾波」艦長)、後職は第43駆司令であり、「梅」座乗の43駆司令(戦没時の2代)の吉田正義大佐は2代41駆司令である。なお、終戦後に着任した5代冬月艦長は坊ノ岬沖海戦時に「涼月」艦長だった平山敏夫中佐であり、坊ノ岬沖海戦に参戦した時の冬月艦長(2代)は1943年7月5日の海戦においてキスカ沖で大破入渠となった後着任しレイテ沖海戦・礼号作戦・北号作戦完遂まで「霞」艦長だった山名寛雄中佐である。また、特に言及する相手の「雪風」だが、坊ノ岬沖海戦時に大和戦没後の対応で意見が対立したという史実のほか、冬月に将旗を掲げた初代41駆司令脇田司令は2代目雪風艦長であるという縁もある。(41駆と同時に創設された43駆の司令は雪風4代艦長の管間良吉大佐)
期間限定ボイスも折りに触れ実装されているが、涼月期間限定ボイスで言及のあった大掃除の件は雪風のところに行くためのものと判明。節分は涼月の同セリフのとおり鬼役として冬月の上官・矢矧を相手に豆を投擲しているといった内容となっている。
第二水雷戦隊 第41駆逐隊冬月、出る!各艦遅れるな!(艦歴概略)
秋月型防空駆逐艦、その八番艦、冬月だ。姉妹艦と第四一駆逐隊を編成、大型艦や艦隊の護衛を務めたな。
駆逐艦冬月は、マル急計画乙型一等駆逐艦第361号艦として舞鶴海軍工廠[6]で1943年(昭和18年)5月8日に起工され、同年10月1日に「冬月」と命名、秋月型駆逐艦に類別。1944年(昭和19年)1月20日に進水、同時に横須賀鎮守府籍に編入。臨時の艤装員長として横田保輝少佐[7]が着任したが、同年5月5日に艤装員長は作間英邇中佐[8]に交代し、5月25日に竣工。作間艦長のもと訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入した。11水戦では同時期に竣工した清霜や松らと輸送任務に従事し、7月11日横須賀から呉に移動した。
7月15日、第十戦隊隷下に第四一駆逐隊が「霜月」(秋月型7番艦。未実装)と冬月により編成され、隊司令の脇田喜一郎大佐[9]は冬月を司令駆逐艦に指定したが、引き続き11水戦指揮下にて沖縄方面への輸送作戦(「ろ号作戦」。長良、摩耶、鹿島、浦風、清霜、朝雲、竹、冬月)に警戒隊指揮艦として従事。
小笠原諸島や硫黄島への空襲への対処として雲龍を基幹とする対処部隊が編成され41駆はこの部隊に組み込まれ、シンガポール方面に展開中だった霜月と合流。東京湾で訓練に従事し米軍への急襲作戦の準備をしていたが結局出動する事態は発生しなかった。横須賀工廠で機銃増設工事を実施。9月下旬、雲龍を護衛し呉に移動。10月上旬、大淀の修理と整備が横須賀工廠で完了し、大淀の護衛のため呉から横須賀へ向かい大淀と合流後、小沢艦隊への合流のため10月12日大分に向かっていた。同日夕方、冬月は御前崎沖の遠州灘にて米潜トレパン(USS SS-412)の雷撃を受け艦首から18番フレームが折れ曲がってしまう。脇田司令は霜月に移乗し、冬月は呉工廠に入渠、修理を受けた。5日後の10月18日、61駆所属で後に僚艦となる涼月が米潜の雷撃により冬月同様に損傷し、呉で並んで修理を受けた。霜月や残る61駆は小沢艦隊に属してエンガノ岬沖海戦、更に残った若月(61駆最後の未実装艦)・霜月は多号作戦に参戦し戦没したが、呉で修理中の冬月・涼月はこれらに参加できぬまま生き別れとなる。
最後の出撃は、第二水雷戦隊の一翼として、涼月と共に大和の護衛に就いた。
11月15日、第一機動艦隊(第三艦隊)及び第十戦隊は解散され、61駆も解散された。41駆は第二水雷戦隊に編入され、61駆唯一の残存艦涼月(当時冬月の隣で修理中)も41駆に加えられた。冬月の修理が11月18日に完了。11月20日、第一水雷戦隊も解散され第二水雷戦隊に統合、一水戦木村昌福少将以下一水戦司令部が新たな二水戦司令部となる。11月23日、マニラへの「緊急輸送作戦」に従事する隼鷹を護衛して41駆(冬月・涼月)はマニラに進出した。その最中の11月25日、米潜による雷撃で損傷した五十鈴から第31戦隊旗艦を引き継いでいた霜月が戦没し、冬月修理のため霜月に移乗した脇田司令以下41駆司令部も霜月と共に戦死した。41駆、即ち稼働可能な秋月型駆逐艦は冬月・涼月の2隻のみとなった。
隼鷹隊は11月30日無事マニラに到着。軍需品を陸揚し、12月3日馬公に到着。ここで日本に戻る榛名・槇(松型,未実装[10])と合流。12月6日榛名艦長の指揮下で佐世保へ向かう。荒天により船体にシワが発生し、呉にて修理を受ける。また、機銃の増設や電探の交換も行われ、電探は22号1基・13号2基となった。この時期、作間艦長が酒に酔ったまま操艦し座礁する一幕もあったという。
1945年1月3日、第二水雷戦隊司令官は古村啓蔵少将(前職第一航空艦隊司令官)に交代。二水戦司令部(霞に座乗)は2月に北号作戦に参加、南西方面から日向・伊勢・大淀を連れ呉に帰投し将旗を矢矧に移した。3月1日、作間艦長が43駆司令に転出。後任の艦長として北号作戦にて二水戦司令部を連れ帰った霞の山名寛雄中佐が着任し、前年11月に戦死した脇田司令の後任として前43駆司令(開戦時風雲艤装員長)吉田正義大佐が着任し、吉田司令は冬月に将旗を掲げた。
4月、菊水作戦が発動され、冬月は第一航空戦隊戦艦大和を護衛する第二水雷戦隊(旗艦矢矧以下17駆、21駆、41駆)の一員として坊ノ岬沖海戦に参戦した。霞で数々の修羅場をくぐり抜けてきた山名艦長の操艦は朝潮型駆逐艦よりも大型の秋月型駆逐艦でも遺憾なく発揮された。が、慣れない大型駆逐艦でほぼぶっつけ本番であったためか無傷とはいかず、甲板上の機銃員や艦橋要員の一部に死傷者が出た。また、主砲発令所にもロケット弾を受け、対空統制射撃もできなくなった。が、艦橋の吉田司令・山名艦長は間一髪無事だった。
4月7日14時23分、大和は戦没し、二水戦旗艦矢矧もその10分前に沈没していた。残存艦艇士官のうち最先任の吉田司令座上の冬月は第一遊撃部隊の被害状況を日吉防空壕の司令部に報告[11]、残存艦に生存者救助を命令した。雪風の寺内艦長は生存者は見捨ててでも当初の打ち合わせ通り残存艦艇で沖縄に進軍すべき[12]と進言したが、冬月の吉田司令は生存者救助を再度命じた。17時ごろ、矢矧から漂流中の古村少将(二水戦司令官)は初霜に救助され、艦隊指揮権は冬月の吉田司令から初霜の古村少将に移った。古村少将も当初沖縄への進軍を諦めていなかった[13]が、直後司令部から作戦中止と生存者救助の命令を受けた。一方で冬月は搭載艇を降ろして森下信衛第二艦隊参謀長以下大和生存者を救助後、機関に被弾し航行不能となった霞に横付けし、霞生存者を冬月に移乗させた後、16時57分雷撃により霞を処分した。山名艦長にとっては、キスカでの損傷を受けて舞鶴での修理後北号作戦完遂まで約2年の間苦楽を共にした前任艦を自らの手で介錯したことになる。
救助活動を終えた冬月は、初霜(二水戦司令部)からの涼月護衛指示を受け佐世保に向かったが、船体前部に被弾し後進での必至の撤退を続ける涼月に出会うことができなかった。冬月通信室では涼月の安否を問う通信が何度となく発信されていたが、通信室にも被害を受けていた涼月に返信はおろか受信する能力は失われていた。初霜座乗の二水戦司令部からは「場合によっては涼月を処分しても差し支えない」との指示だったが、冬月側は僚艦の無事を信じ、関係部署へ涼月掩護を要請しつつ初霜・雪風と佐世保に帰投した。
4月20日、第二水雷戦隊は解散し、41駆は17駆とともに第31戦隊に編入された。41駆は関門海峡と対馬海峡の哨戒任務に従事した。41駆は新造の夏月・宵月を加えるが、米軍により機雷を投下され、冬月は門司で身動きが取れない状態で終戦を迎えた。8月20日、呉への回航を命じられた冬月だったが、門司港で接雷し、後部兵員室から後部を失い航行不能となった。9月20日付で第四予備艦、11月20日に除籍された。
そして今も、僚艦涼月と北九州の防波堤の一部として皆を護っている。
1946年(昭和21年)2月25日、特別輸送艦に指定されたが、復員輸送には従事せず、工作設備を搭載して工作艦となり、門司港にて掃海部隊に対する修理を担当した。1947年(昭和22年)秋頃、旧佐世保海軍工廠に回航され上部構造物の一部解体を受ける。門司・若松港の沈降防波堤として僚艦の涼月と桃型駆逐艦・柳とともに今もなお若松港に眠っている。
冬月の艦名は「ふゆづき」[14]として海上自衛隊2代目あきづき型護衛艦4番艦DD-118[15]に引き継がれた。三井造船玉野事業所で建造された唯一のあきづき型護衛艦である「ふゆづき」は初代冬月の故郷である舞鶴を母港として[16]第3護衛隊群第3護衛隊に所属。現在の3護隊僚艦はDDH-181ひゅうが、DDG-175みょうこう、DDG-177あたごである。
なお、第3護衛隊群は第3護衛隊(舞鶴)と第7護衛隊(大湊)の2護衛隊で編成されているが、ふゆづき(冬月)の実装で第3護衛隊群全艦の祖先に当たる艦娘が出揃ったことになる。(7護隊は昨春のイベントでまきなみ(巻波)とすずなみ(涼波)が実装されたことで祖先となる艦娘が揃っていた。なお、他の護衛隊群は海上自衛隊オリジナル艦名の護衛艦が含まれていたり、艦娘世代より前の軍艦の名を継いた護衛艦がいたりする関係で全艦を艦娘で‥という芸当は不可能である。[17])
関連動画
関連静画
冬月・涼月・柳(桃型二等駆逐艦)が今も眠る若松港と若松港を見下ろす丘に建つ慰霊碑
関連商品
「冬月」勤務経験者(を含む)の手記等
関連立体
関連コミュニティ
関連項目
- 艦隊これくしょん~艦これ~
- 駆逐艦(艦これ)
- 秋月型駆逐艦 / 秋月型姉妹
- 上坂すみれ / 上坂艦隊
- しずまよしのり / しずま艦隊
- 舞鶴っ娘(建造地) / 横須賀艦娘(艦籍)
- 第十戦隊(艦これ) / 第二水雷戦隊(艦これ) / 第三十一戦隊(艦これ)
- 坊ノ岬沖海戦 / 坊ノ岬組(艦これ)
- 第四一駆逐隊
- 特設工作艦(終戦後):北上(艦これ)
- 自衛艦これ
- 2022年冬イベント「発令!「捷三号作戦警戒」」
- 絶対防衛線!「小笠原兵団」救援(23年春イベ)
- お冬さん … 当記事へのリダイレクト。「涼月」がよく口にする。
- 防空埋護冬姫
秋月型姉妹 / 秋月型駆逐艦 |
1.秋月 - 2.照月 - 3.涼月 - 4.初月 - 5.新月 - 6.若月 7.霜月 - 8.冬月 - 9.春月 -10.宵月 -11.夏月 -(12.満月) -13.花月 |
脚注
- *今回のイベント実装艦の目玉としてしずまよしのり氏と準備中との事前告知としずま氏本人からの担当しましたツイート
あり。
- *C2機関1MYB全国ツアー大阪ライブ2022の2日目(3月10日開催)にて発表
- *2月28日~3月5日未明時点で141票。上坂すみれさんが34%、藤田咲さんが31.9%、日高里菜さんが20.6%、宮川若菜さんが13.5%。ちなみに、戦闘開始ボイスの最後「撃ち方よーい!」が浦波っぽい。
- *余談ながら、ほうじ茶推し繋がりか浦波にもイベント終了後浦波改二が実装され、その僚艦・磯波にも5月13日に改二が実装された。
- *大淀の護衛中に大破入渠することになるのだが…
- *当初の計画では三菱長崎造船所にて建造される予定だったが、船型変更と船表改定により舞鶴工廠での建造に変更された。
- *冬月臨時艤装員長の後職として駆逐艦「浦風」駆逐艦長となる。レイテ沖海戦後の退却時(1944年11月)に護衛対象の戦艦「金剛」共々米潜水艦シーライオンらに撃沈され、運命を共にする。
- *戦没した「綾波」艦長や夕雲型「玉波」(32駆。今回のイベントで実装)艦長等を歴任。
- *雪風第2代艦長、第二一駆逐隊司令等を歴任。
- *佐世保沖で米潜水艦に襲われ「かばう」を発動したが生き残る
- *報告文に「救助ノ後再起ヲ図ラントス」と吉田司令は書き加えさせた。元より吉田司令は本作戦に反対の立場であり、暗に司令部に対し作戦中止の判断を求めたものである。
- *ここまで強硬に沖縄進軍を主張したのも、不本意ながらも陸海軍兵曹はおろか(17駆谷風艦長経験者も沖縄根拠地隊司令部で戦死している)沖縄県民も総掛かりで米軍と死闘を繰り広げていた状況下、自艦で救助しても沖縄で死ぬなら他の救助艦により助けられたほうが生存者も生き残れるとの壮絶な判断があった。
- *救助の後作戦続行する旨の報告電文の作成を初霜の酒匂艦長に指示していた。
- *秋月型駆逐艦「冬月」は”ふゆつき”(清音)、あきづき型護衛艦「ふゆづき」は濁音、と微妙に違う
- *DD-118の先代はみねぐも型護衛艦「むらくも」。叢雲と言えば中の人が同じ吹雪型駆逐艦である。
- *「ふゆづき」初代艦長北御門裕二等海佐(当時)はふゆづき就役時、「「ふゆづき」が故郷(舞鶴)に帰ってきた。その名に恥じぬよう任務に励む。」とコメントしている。
- *第1護衛隊群第1護衛隊「いずも」、第2護衛隊群第2護衛隊「あさひ」、第4護衛隊群第8護衛隊「きりさめ」が該当
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