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涌井秀章(わくい ひであき、1986年6月21日-)とは、千葉県出身のプロ野球選手(投手)である。現在は中日ドラゴンズに所属。
概要
中日ドラゴンズ #20 | |
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涌井秀章 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県松戸市 |
生年月日 | 1986年6月21日 |
身長 体重 |
185cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2004年ドラフト1巡目 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2008年 |
WBC | 2009年、2013年 |
プロ野球選手テンプレート |
横浜高等学校では成瀬善久、荒波翔(1学年上)、石川雄洋とチームメイトだった。3年夏にエースとなり、夏の甲子園大会優勝に貢献した。
2004年ドラフトで1巡目指名を受け、西武ライオンズに入団。横浜高校時代は横浜高校の小倉部長をして「松坂(大輔)より我慢し辛い練習に耐えて乗り越えた」との評価を受けている。入団当時の背番号は16。
西武時代
2005年(1年目)は完成度の高さから高卒新人ながら13試合に先発するも、1勝6敗、防御率7.32とプロの洗礼を浴びる。
2006年、3月26日にルーキー炭谷銀仁朗とバッテリーを組み勝利、10代バッテリーの勝利は17年ぶり。結果、12勝8敗防御率3.24と戦力にならなかった前年からローテーション投手になる大成長を遂げる。シーズンオフにシュートを習得する。
2007年、チームが低迷する中で17勝10敗防御率2.79で最多勝に輝き松坂に変る若きエースへと変貌を遂げた。特に両リーグ最多の213投球回を投げ11完投をマークする高校時代から定評があったスタミナの評判をさらに上げた。シーズン終了後、北京オリンピックのアジア予選では初戦フィリピン戦に先発し6回無失点の好投で国際試合を経験。
2008年、試練のシーズンで開幕投手を務め140球を投げ8回2失点ながら敗戦投手に。四死球が増加し、10勝11敗防御率3.90と負け越した(北京オリンピックの影響も少なからずあったが)。それでもクライマックスシリーズでは2勝しMVP、日本シリーズは1勝1敗防御率3.31で西武を日本一に導き、アジアシリーズも冷や冷やながら台湾の統一ライオンズを破り日本勢のアジア王者陥落を阻止した。シーズンオフの契約更改では、前年より球団から打診されていた背番号の変更を悩んだ末に了承、新たな背番号は18となった。
2009年はWBC日本代表に選出され、中継ぎとして二連覇に貢献。シーズンでは2年連続で開幕投手を務める。抑えの切り札だったアレックス・グラマンが故障離脱し、先発した試合では完投を余儀なくされ、年間で3,555球も投げた。最終的に16勝6敗防御率2.30で沢村賞を受賞した。また炭谷銀仁朗と共に最優秀バッテリー賞も受賞した。
2010年は3年連続で開幕投手となり、先輩の成瀬善久と投げ合った。4月は不調だったが、交流戦で持ち直し、和田毅に次ぐ交流戦通算17勝を挙げる。また交流戦としてはパ・リーグの投手で初となる猛打賞を達成した。しかし夏以降は失速し、14勝8敗に終わった。
2011年は開幕投手を務める。好敵手・ダルビッシュ有を相手に勝ち星を挙げる上々の滑り出しだったが、その後は昨年後半からの不調を引きずり勝ち星から見放され、5月には一時二軍降格も経験する。このとき右肘の遊離軟骨が発見されるもそのまま復帰。この影響もあってかレギュラーシーズン中は期待を裏切ることが多く、5年続いていた2ケタ勝利も途絶えた(9勝12敗)。CSでの福岡ソフトバンクホークス戦では杉内俊哉を相手に9・2/3回を1失点の熱投で意地を見せるもチームは敗退した。
2012年は開幕投手を務めたが、不調から抜け出せず、3連敗した後、二軍に降格。一軍に復帰後は抑え投手を務める。しかし女性問題が発覚した後は1ヶ月謹慎。一軍復帰した後も抑えとして出場し、30セーブを挙げた。
2013年はWBC日本代表に選出された。背番号11。しかしその期間中に杉内俊哉と共に二度目の女性問題が発覚し、厳重注意処分を受ける。レギュラーシーズンでは統一球の調整もあり、岸孝之に開幕投手を譲る。レギュラーシーズンでは先発に復帰したが、精彩を欠き、中継ぎ、抑えと何度も配置転換される。先発として見限られた後は中継ぎに専念し、シーズン終盤は抑えを務める。
シーズンオフにFA宣言し、12月18日に地元球団でもある千葉ロッテマリーンズへの移籍が発表された。西武入団時監督だった伊東勤が現在指揮するロッテへの入団からか、背番号は西武入団時付けていた16。
ロッテ時代
2014年は開幕投手をエースの成瀬善久に譲ったが、開幕から先発ローテーション入りする。2連敗と幸先の悪いスタートを切ったが、4月15日の西武戦(県営大宮球場)で移籍後初勝利を挙げ、また「全球団から勝利」を達成。パ・リーグのみでこの記録を達成したのは涌井が初めて。
このシーズンは無援護に悩まされ、援護が得られるようになる時は炎上、という悪循環を繰り返すが、8月以降は成瀬共々帳尻合わせ復調し8勝12敗。貯金を作ることは出来なかったが近年の成績を見ても二桁勝利を逃した2011年に近い成績にまで復調し、規定投球回にも到達。先発起用を求めて移籍した意地を見せつけた格好となった。
ホーム(QVCマリンフィールド)での登板が最も多く、13試合に先発しているが、前述の通りムエンゴが祟りQVCマリンでは自責点を2以内に収めた試合が5試合あるにもかかわらず1勝6敗と全く勝つことができなかった。シーズン終盤の最終登板でようやく1勝し、お立ち台で「来年ここでは全部勝てるように」と決意表明をした。対照的にビジターで残りの7つの勝ち星すべてを上げており、近年のロッテが苦手としているコボスタ宮城も2勝1敗と勝ち越している。
2015年は開幕投手を務め、ソフトバンク相手に6回無失点の投球でシーズン初勝利を挙げる。その後は連勝と連敗を繰り返す日々だったが、後半戦からは安定感が増し、毎回最低6回は投げて試合を作る投球を続け、7月24日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で通算100勝を達成し、8月14日のオリックス・バファローズ戦で2年振りの二桁勝利を記録。
古巣である埼玉西武ライオンズとのCS争いが激化した9月にも黙々と投げ続けて勝利を重ね、10月6日の最終戦ではすでに15勝を挙げて最多勝を確定させていた大谷翔平に追いつくため、この時点で14勝だった涌井は9回が終わって3-3の同点の場面で自ら志願して10回裏を投げ、11回表に味方が一気に6点を勝ち越したことで見事15勝目を手にし、移籍してからは初めてとなる6年振りの最多勝利を挙げた。
最終成績はチームトップの188.2回を投げて15勝9敗、防御率3.39という成績を残した。
2016年は2年連続で開幕投手を任され、開幕戦では前年共に最多勝に輝いた大谷翔平との投げ合いとなり、7回を4安打無失点、7奪三振に抑える投球で見事最多勝対決に勝利した。3・4月は5勝無敗と活躍し、7年ぶりに月間MVPを獲得した。5月以降も先発の柱として奮闘するが、4月から一転して援護に恵まれない試合が続く。5月には2試合連続完投負け(しかも内容が2失点、1失点)を喫するなど壮絶な無援護に陥る。6月以降も無援護は続き、「チームは勝ったが涌井に勝ちがつかない」という試合も多々見られた。最終的には防御率は前年より好成績の3.09だったが勝ち星は10とぎりぎり2ケタに乗せるのが精いっぱいであった。一方投球回はチームトップの188.2回を投げた。オフにはかねてより交際が明らかになっていたモデルの押切もえと結婚を発表した。
2017年1月25日に3年の延長契約を結んだ。3年連続で開幕投手を任されたが、この年はチームと共に不調に苦しむことになる。ここ一番のピンチに粘り切れず致命的な失点を喫するシーンが目立ち、5月12日の北海道日本ハムファイターズ戦では1試合6被本塁打のパ・リーグワースト記録を打ち立てた。2000投球回、1500奪三振も達成したが、シーズン通しても防御率3.99と悪化し5勝11敗と負け越した。
オフには海外FA権を行使。メジャーリーグ挑戦を希望したがオファーがなく断念。ロッテ残留を決めた。これまでFA残留を認めなかったロッテにおいて初めてのFA残留となった。
2018年は4年連続で開幕投手を務める。この年も状態は上向かず、5月18日のソフトバンク戦で4勝目を挙げて以降8戦連続(2ヶ月)勝てなくなる。8月に移籍後初となる二軍降格となり、1か月の二軍調整を経験。9月には復帰するが、7勝9敗と2年連続で負け越した。オフに背番号を西武時代にも着けていた18に変更。
2019年、4月には9年ぶりとなる無四球完封勝利を挙げた試合もあったが、早いイニングで降板することが多く安定感に欠ける試合が多かった。7月には3試合連続でKOされ、2年連続の二軍調整となる。3勝7敗に終わり、移籍後最低の成績に終わった。
楽天時代
2019年オフに金銭トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した。背番号は16。
2020年は環境が変わったのが功を奏したのか、ここ数年の不調から復活。援護にも恵まれ、なんと開幕から9試合で8連勝を飾る。そのまま最多勝レース独走かと思われたが、その後は4試合連続援護0とピタッと流れが止まってしまい、以降の11試合では3勝4敗と勝ち星が伸び悩んだ。結果としてソフトバンクの千賀滉大と石川柊太に追いつかれたものの、最終的には11勝4敗、防御率3.60の成績で4度目の最多勝を獲得。3球団で最多勝を獲得したのはNPB史上初の記録となった。
2021年は10度目となる開幕投手を務めた。7回無失点で勝利投手となった。3球団で開幕投手勝利を挙げたのはNPB史上初となる。6月4日の広島東洋カープ戦で通算150勝を達成したが、それ以降は勝利投手になれなかった。21試合の登板で6勝8敗に留まった。
2022年は開幕を二軍で迎える。5月18日のロッテ戦で右手中指を負傷骨折し、8月10日に二軍戦で実戦復帰し、9月8日のソフトバンク戦で一軍に復帰した。そのため10試合の登板に留まった。
中日時代
2022年11月15日にトレードで中日ドラゴンズに移籍した。背番号は20。
2023年は打線の援護に恵まれず、開幕から3連敗を喫し、4月26日の広島戦で移籍後初勝利を挙げた。21試合の登板で5勝13敗だった。契約更改では若手選手にレギュラーを取りに行く姿勢が見えないと苦言を呈した。
2024年3月30日の東京ヤクルトスワローズ戦で通算2000奪三振を達成した。16試合の先発登板で3勝5敗だった。
プレースタイル
球種はスライダー・カーブ・シュート・カットボール・フォーク・チェンジアップ・パームなど多彩。
マウンド上でも(プライベートでも)感情をほとんど表に出さないポーカーフェイスで知られる。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
西武 | 応援歌のピコカキコ一覧 | 8585 |
成績
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | 西武 | 13 | 13 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | .143 | 55.1 | 23 | 57 | 45 | 45 | 7.32 |
2006年 | 26 | 26 | 8 | 1 | 12 | 8 | 0 | 0 | .600 | 178.0 | 53 | 136 | 79 | 64 | 3.24 | |
2007年 | 28 | 28 | 11 | 1 | 17 | 10 | 0 | 0 | .630 | 213.0 | 50 | 141 | 71 | 66 | 2.79 | |
2008年 | 25 | 25 | 5 | 0 | 10 | 11 | 0 | 0 | .476 | 173.0 | 51 | 122 | 80 | 75 | 3.90 | |
2009年 | 27 | 27 | 11 | 4 | 16 | 6 | 0 | 0 | .727 | 211.2 | 76 | 199 | 57 | 54 | 2.30 | |
2010年 | 27 | 27 | 6 | 2 | 14 | 8 | 0 | 0 | .636 | 196.1 | 54 | 154 | 85 | 80 | 3.67 | |
2011年 | 26 | 26 | 5 | 1 | 9 | 12 | 0 | 0 | .429 | 178.1 | 41 | 108 | 71 | 58 | 2.93 | |
2012年 | 55 | 3 | 0 | 0 | 1 | 5 | 30 | 3 | .167 | 63.0 | 22 | 40 | 27 | 26 | 3.71 | |
2013年 | 45 | 11 | 1 | 0 | 5 | 7 | 7 | 13 | .417 | 92.1 | 29 | 79 | 51 | 40 | 3.90 | |
2014年 | ロッテ | 26 | 26 | 1 | 0 | 8 | 12 | 0 | 0 | .400 | 164.2 | 63 | 116 | 81 | 77 | 4.21 |
2015年 | 28 | 28 | 1 | 0 | 15 | 9 | 0 | 0 | .625 | 188.2 | 57 | 117 | 79 | 71 | 3.39 | |
2016年 | 26 | 36 | 5 | 0 | 10 | 7 | 0 | 0 | .588 | 188.2 | 52 | 118 | 73 | 63 | 3.01 | |
2017年 | 25 | 25 | 1 | 1 | 5 | 11 | 0 | 0 | .313 | 158.0 | 53 | 115 | 74 | 70 | 3.99 | |
2018年 | 22 | 22 | 1 | 1 | 7 | 9 | 0 | 0 | .438 | 150.2 | 43 | 99 | 65 | 62 | 3.70 | |
2019年 | 18 | 17 | 2 | 1 | 3 | 7 | 0 | 0 | .300 | 104.0 | 27 | 87 | 58 | 52 | 4.50 | |
2020年 | 楽天 | 20 | 20 | 1 | 1 | 11 | 4 | 0 | 0 | .733 | 130.0 | 38 | 110 | 53 | 52 | 3.60 |
2021年 | 21 | 17 | 0 | 0 | 6 | 8 | 0 | 0 | .429 | 96.1 | 26 | 76 | 57 | 54 | 5.04 | |
2022年 | 10 | 10 | 1 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 56.0 | 10 | 35 | 23 | 22 | 3.54 | |
2023年 | 中日 | 21 | 21 | 0 | 0 | 5 | 13 | 0 | 0 | .278 | 111.0 | 30 | 89 | 53 | 49 | 3.97 |
2024年 | 16 | 16 | 0 | 0 | 3 | 5 | 0 | 0 | .375 | 85.0 | 23 | 46 | 31 | 29 | 3.07 | |
NPB:20年 | 505 | 414 | 60 | 13 | 162 | 161 | 37 | 16 | .502 | 2794.0 | 817 | 2044 | 1213 | 1109 | 3.57 |
通算守備成績
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 投手 | 505 | 151 | 522 | 26 | 35 | .963 |
記録
初登板 | 2005年3月29日 | 対北海道日本ハムファイターズ2回戦 | 札幌ドーム |
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初奪三振 | 対北海道日本ハムファイターズ2回戦 小田智之から |
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初勝利 | 2005年6月18日 | 対ヤクルトスワローズ6回戦 | 明治神宮球場 |
初完投 初完封 |
2006年4月23日 | 対東北楽天ゴールデンイーグルス5回戦 | フルキャストスタジアム宮城 |
1000投球回 | 2010年8月28日 | 対東北楽天ゴールデンイーグルス17回戦 | 西武ドーム |
初セーブ | 2012年5月13日 | 対北海道日本ハムファイターズ8回戦 | 函館市千代台公園野球場 |
初ホールド | 2012年6月22日 | 対オリックス・バファローズ5回戦 | 埼玉県営大宮球場 |
1000奪三振 | 2013年8月8日 | 対北海道日本ハムファイターズ17回戦 大引啓次から |
西武ドーム |
全球団から勝利 | 2014年4月15日 | 対埼玉西武ライオンズ3回戦 | 県営大宮球場 |
2000投球回 | 2017年7月7日 | 対オリックス・バファローズ12回戦 | ほっともっとフィールド神戸 |
1500奪三振 | 2017年9月24日 | 対北海道日本ハムファイターズ25回戦 松本剛から |
ZOZOマリンスタジアム |
2500投球回 | 2021年5月21日 | 対千葉ロッテマリーンズ10回戦 | ZOZOマリンスタジアム |
150勝 | 2021年6月4日 | 対広島東洋カープ1回戦 | MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 |
2000奪三振 | 2024年3月30日 | 対東京ヤクルトスワローズ2回戦 村上宗隆から |
明治神宮球場 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
---|---|---|
最多勝 | 4回 | 2007年、2009年、2015年、2020年 |
表彰 | ||
月間MVP | 4回 | 2006年7月、2009年7月、2016年4月、2020年6・7月 |
クライマックスシリーズMVP | 1回 | 2008年 |
ゴールデングラブ賞 | 4回 | 2009年、2010年、2015年、2016年 |
最優秀バッテリー賞 | 1回 | 2009年(炭谷銀仁朗) |
沢村賞 | 1回 | 2009年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 6回 | 2006年、2007年、2009年、2010年、2015年、2016年 |
開幕投手 | 10回 | 2008年-2012年、2015年-2018年、2021年 |
3球団で最多勝 | 史上初 | |
3球団で開幕投手 | 2リーグ制では史上2人目 |
関連動画
関連項目
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