アレックス・マルケスとは、スペイン・カタルーニャ州サルベラ出身のオートバイレーサーである。
1996年4月23日生まれ。2012年よりMotoGPへの参戦を始めた。2014年にMoto3クラスチャンピオン、2019年にMoto2クラスチャンピオンを獲得した。
2020年からレプソルホンダに加入して、兄のマルク・マルケスのチームメイトになる事が決まっている。
ゼッケン73番を使用している。
2014年まではMoto3クラスに在籍していてゼッケン12番を付けていた。2015年からMoto2クラスに在籍するようになったが、そこにはゼッケン12番を愛用するトーマス・ルティがいた。そこで、アレックスはゼッケン73番に変更した。
レーシングスーツは星のマークでおなじみのアルパインスターズと契約している。ヘルメットはSHOEIと契約している。
兄のマルク・マルケスが赤をイメージカラーとしているので、それに対応する形で、アレックスは青をイメージカラーにしている。この動画で両者が並んで走っている。
アレックス(Álex)が本名である。アレックス・リンスの本名はアレハンドロ(Alejandro)で、アレックス・バロスの本名はアレッシャンドレ(Alexandre)なのだが、アレックス・マルケスの本名は単にアレックス。
拳銃や、拳銃から発射された弾丸が、デザインとしてよく使われている。
2013年9月以前のある日、アレックスは友達と出かけ、冗談のつもりでカウボーイのコスプレをした。どうやらそのとき、その姿を写真に撮られて、ファンクラブの皆のところに回ってしまったらしい。いつの間にやら、カウボーイの姿と理念が、ファンクラブの皆のお気に入りになってしまった。
そして、ファンクラブが「the Blue Gunners(ブルー・ガンナーズ 青い狙撃手たち)」と名乗るようになった。ブルーはアレックスのイメージカラーで、カウボーイといえば拳銃(gun)なので狙撃手(gunners)と言い換えてもおかしくない。
アレックスは「僕は、本当のことをいうと、ヘルメットにカウボーイを描きたくなかった」と言っているのだが(記事)、ファンクラブの流れに逆らうことができなかった。2013年9月にはヘルメットの後頭部にカウボーイのシールを貼っているし(画像1、画像2)、マシンのお尻の部分にシールを貼っている(画像)。
2014年になると絵の上手い人がやってきて拳銃を模したキャラをデザインし、そのキャラの入ったシャツが売り出されるようになった(画像1、画像2)。アレックスはそれをマシンのお尻の部分に貼ったり(画像1)、ヘルメット後頭部に貼ったりしている(画像)。2014年11月のMoto3クラスチャンピオン確定時には、そのキャラを掲げている(画像1、画像2)。
そういうわけで、アレックスのファンクラブの周辺には、拳銃をイメージしたものがしょっちゅう出てくる。横断幕、旗、と色々挙げられる。
アレックスのファンクラブの集合写真の中には、カウボーイらしくテンガロンハットを被っている人が出てくる写真がいくつか見られる(画像1、画像2、画像3)。
2014年までのアレックスのヘルメットは、こんな感じに、スポンサー企業の広告が入った平穏なものだった。※ちなみにAra Lleidaとは、カタルーニャ州の観光案内企業である。
2015年のプレシーズンテストになると、例の拳銃キャラがヘルメットに入った(画像1、画像2)。
2015年シーズンになると、拳銃から飛びだした弾丸がガラスをぶち破るデザインがヘルメットに貼られるようになった(画像1、画像2)
2016年になると弾丸が血の色に似たオレンジ色になっている(画像1、画像2)。遠くからでもくっきり分かる(画像)。
2017年と2018年は弾丸が灰色や銀色になった(画像1、画像2、画像3)。
2019年は弾丸ヘルメットを止めて、真っ青なヘルメットになっている(画像1、画像2)。
2018年や2019年は、しばしば文字だけを書き込んだスペシャルヘルメットを使っている(画像1、画像2、画像3)。よく見ると「the Blue Gunners」と書いてあることが分かる。
この項目は長いです 時間のあるときに閲覧することをおすすめします |
マルク・マルケスは1993年2月17日に生まれたのだが、それから3年2ヶ月6日後の1996年4月23日に、アレックス・マルケスが生まれた。
マルケス一家は極貧でもなく裕福でもないという経済状況で、まさに普通の家だった。1997年頃に節約のため山間部の家に引っ越したという。
父親のジュリアと母親のロセルは、サルベラから西に20km離れたこの場所にあるサーキットの、セグレ・バイククラブの会員で、毎週のようにバイクレースのボランティアをしていた。母親ロセルはサンドイッチを作り、父親ジュリアはチケット係か旗振りをしていた。
そういう夫婦だったので、マルクはバイク大好きに育ち、1997年12月25日のクリスマスに小さなバイク(ヤマハPW50)を買い与えられ、それを乗り回すようになった。
マルクは天性の才能を発揮し、周囲の大人が「ウチのチームで走らないか。お金は我々が払うから」と誘うようになった。最初に声を掛けたのはジャウマ・クルコ(Jaume Curco)という人で、先述のセグレ・バイククラブの一員だが、この人が「ロードレースをやらないか、お金がかからないように取り計らうから」と言ってきたのでマルクはロードレース(舗装路面を走る競技)に転向した。その後はカルロス・カルダス(1990年MotoGP250ccクラスランキング2位。愛称はティリティ Tiriti)がマルクに声を掛けて、「お金は我々が出すから、我々のチームで走らないか」と誘ったので、マルクはプロカーブ(procurve)というチームに入団することにした。
カルロス・カルダスが声を掛けるまでのマルケス一家は、バイクレースの出費がかさんでいた。マルク1人を走らせるので精一杯で、アレックスを走らせるのは不可能だった。幼いアレックスは一家の経済状況を察知したのか「マルクのメカニック(車両整備員)になりたい」と言っていたのである。
カルロス・カルダスが声を掛けてマルクがプロカーブ(procurve)というチームに入団すると、マルケス一家はマルクにお金を注ぎ込まなくても済むようになった。このため、アレックスはマルクのお古で走るようになった。マルクもアレックスに「メカニックになりたいって言うけどさ、とりあえず走ってみれば?」と走ることを勧めた。
※この項の資料・・・マルク・マルケス物語―夢の彼方へ、マルク・マルケス ―Beyond the Smile
マルクは、2002年2月17日になって9歳になってから、プロカーブ(procurve)というチームに入団した。
だから、アレックスがマルクのお古で走るようになったのは、2002年以降のことである。つまり、アレックスは6歳になってからレースを始めたと考えてよい。
マルク・マルケスは2004年の暮れ頃にエミリオ・アルサモラという人物に声を掛けられ、エミリオの運営するチームで走ることになった。それ以来、エミリオはマルクのマネージャーとして全面的にレース活動を支援することになった。
アレックスも、自然の成り行きで、エミリオからマネージャーとして支援してもらうようになっていった。
2010年(アレックス14歳の年)になると、アレックスはエミリオ・アルサモラが運営するTeam Monlauに入団して、CEV(スペイン選手権)の125ccクラスを走るようになり、3回ポイントを獲得してランキング11位になっている。ちなみにこの年に1位になったのはマーヴェリック・ヴィニャーレスで、2位ミゲール・オリヴェイラ、3位アレックス・リンスであり、なかなか豪華なメンバーとなっている(順位表)。一方、兄のマルク・マルケスは、MotoGP125ccクラスでチャンピオンに輝いていた。
2011年(アレックス15歳の年)は引き続きTeam Monlauに在籍してCEVの125ccクラスを走り、2勝してランキング2位になっている。ランキング1位はアレックス・リンス。ランキング3位はフランチェスコ・バニャイア(順位表)。
2012年(アレックス16歳の年)は、それまで通りCEVの最軽排気量クラスに参戦し、2勝してしっかりチャンピオンに輝いている。
またこの年の4月23日になって16歳になったので、4月29日の第2戦スペインGPにMotoGP125ccクラスでスポット参戦することになった。これがアレックスのMotoGPデビューである。
2012年は、第2戦スペインGP、第3戦ポルトガルGP、第5戦カタルーニャGPでスポット参戦している。やっぱり、エミリオ・アルサモラの運営するTeam Monlauからの出走だった。この3戦とも、CEVで走ったことのあるサーキットで行われるレースなので、アレックスにとって走りやすかっただろう。
さらに第11戦インディアナポリスGPになると、アンブロジオ・レーシング(Ambrogio Racing)のシモーネ・グロツキーというライダーが解雇されて、出走枠が1つ余るようになった。シーズン後半戦になると解雇されるライダーが出てくるのがMotoGPの風物詩だが、まさにその通りの現象が起こった。そこで、エミリオ・アルサモラはその枠にアレックスをねじ込み、アレックスはシーズン後半の8戦を出走することができた。
2012年のアレックスは、マネージャーのエミリオ・アルサモラが辣腕を振るったおかげで、たっぷりと経験を積むことができた。こういう優秀なマネージャーが付いてくれると、ライダーにとってとても助かるのである。
ちなみに2012年は、兄のマルク・マルケスがMoto2クラスでチャンピオンに輝いている。
2013年(アレックス17歳の年)から、アレックスはMotoGPのMoto3クラスにフル参戦するようになった。所属するのは当然Team Monlauで、チームメイトは5ヶ月年上のアレックス・リンスである。
この年はアレックス・リンスがマーヴェリック・ヴィニャーレスやルイス・サロムとチャンピオン争いを繰り広げたが、僅差で敗れている。とくに、第17戦日本GPの大波乱は印象深いものがある。詳しくは、マーヴェリック・ヴィニャーレスの記事を参照のこと。
アレックスは、3人の争いを横目にしつつ、着実に成長していた。この年の成績表は以下の通り。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
4 | re | 23 | 5 | 5 | 4 | 5 | 5 | 2 | 5 | 3 | 3 | 3 | 4 | 4 | 1 | 4 |
フル参戦1年目でこの成績を挙げるのは、実に素晴らしい。このシーズンはランキング4位で終えた。
2014年のアレックスは、シーズン中盤から一気に流れに乗り、そのままチャンピオンを獲得した。
この年の成績表は以下の通り。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
2 | re | 2 | 7 | 5 | re | 1 | 1 | 4 | 6 | 4 | 2 | 2 | 2 | 1 | 2 | 5 | 3 |
2014年シーズンのMoto3クラスというのは、KTMとホンダの間で派手に開発競争が行われたことでも印象深い。Moto3クラスにおけるホンダワークスに近い存在のTeam Monlauは、ホンダの開発の後押しを受けたり、異様に高価なオーリンズ製サスペンションを使用したりしながら、KTMと戦っていた。詳しくは、KTMワークスの記事の「Moto3クラスにおけるホンダとの抗争」の項目を参照されたい。
この年の開幕戦から好調だったのは、実質的KTMワークスであるアジョ・モータースポーツに所属するジャック・ミラーだった。開幕2連勝を飾り、第6戦イタリアGPを終えた時点でジャックが104ポイントでランキング1位だった。
一方で、第6戦イタリアGPを終えた時点でのアレックスは60ポイントでランキング6位。2回も転倒しており、そのため首位と44ポイントも離されていた。
ところが第7戦のカタルーニャGPで一気に流れが変わった。このレースを3.2秒差でぶっちぎって優勝し、続くオランダGPも2.9秒差の圧勝を飾った。この2連勝からアレックスが安定し始めた。
一方のジャックはシーズン中盤戦で少し伸び悩み、じりじりとアレックスに差を詰められていく。そして、第14戦アラゴンGPでジャックが転倒してアレックスが2位に入り、ついにアレックスがランキングトップに立った。
第16戦オーストラリアGPを終えた時点で首位アレックスと2位ジャックの差は20ポイントとなり、かなり大きな差が開いた。
第17戦マレーシアGPと第18戦バレンシアGPにおいて、追い詰められたジャックはついに伝家の宝刀を抜いた。卓越したマシンコントロール能力を駆使しつつアレックスへの幅寄せを繰り返して、アレックスのミスを誘うという手段に出たのである。
しかしながら、アレックスはそうしたプレッシャーに負けず、最後の2戦を何とか走りきり、わずか2ポイント差でチャンピオンを獲得した。18歳でのMoto3クラスチャンピオン獲得はかなり若い部類に入る。
2014年シーズンの激闘はジャック・ミラーの記事にも詳細が書かれているので、そちらも参照していただきたい。
ちなみに2014年は、兄のマルク・マルケスも最大排気量クラスでチャンピオンを獲得している。兄弟そろってチャンピオンになるのはMotoGPの長い歴史の中でも初めての快挙だった。
さらに余談ながら、Moto2クラスではマルケス兄弟と非常に仲が良いティト・ラバトがチャンピオンに輝いている。ティトとアレックスとマルクは、マルケス一家のあるサルベラからすぐ近くのこの場所にあるルフェア・サーキットで顔を合わせてモトクロスのトレーニングに励んでいたので、「チーム・ルフェア」と呼ばれていた。2014年は、チーム・ルフェアが全員チャンピオンになるという、めでたい年になった(画像)。
2015年のアレックスはMoto2クラスに移動することになり、前年にティト・ラバトというチャンピオンを輩出した名門のMarcVDSに所属することになった。
アレックスが入団すると同時に、スペイン・ガリシア州のビール企業ヒホス・デ・リヴェラがMarcVDSのスポンサーとなり、Estrella Galicia0.0というノンアルコールビール銘柄をマシンのカウルに付けるようになった。アレックスがスポンサーを引き連れて入団したという格好になった。
チームメイトは前年Moto2クラスチャンピオンのティト・ラバト。アレックスにとっては、チャンピオンライダーの走行データやセッティング情報を好きなだけ閲覧できるという、極めて望ましい環境に身を置くことになった。
全てが揃ったはずの2015年シーズンだったが、19歳のアレックスはここで壁に当たってしまい、ランキング14位に終わってしまった。2015年シーズンの成績表は以下の通り。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
11 | 15 | 15 | 9 | re | 12 | 11 | 9 | 18 | 10 | 4 | 4 | re | re | 18 | 9 | re | 12 |
チームメイトのティト・ラバトは表彰台に10回上り、中盤まではチャンピオン争いに加わって、最終的にランキング3位を獲得するという活躍を見せていたので、なおさらアレックスの成績のイマイチさが強調された。
2016年になるとティト・ラバトが最大排気量クラスへ移動していき、代わりに1年4ヶ月年上のフランコ・モルビデリがチームメイトになった。フランコは第8戦オランダGPから一気に成績が良くなり、表彰台に8回上ってランキング4位になっていた。
フランコが順調に成長していく一方で、アレックスは相変わらず苦戦して、ランキング13位に低迷している。2016年の成績表は以下の通り。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
re | re | 11 | re | re | 16 | 18 | 8 | re | 6 | 5 | 25 | 10 | 2 | re | 欠 | 7 | re |
とにかくこの年のアレックスはフロントタイヤの感触をつかめずにいた。つまり、コーナーの進入が上手くいかず、コーナーの進入でフロントタイヤを滑らせてのスリップダウン転倒を繰り返していたのである。
2016年の6月頃、つまり第8戦オランダGPが開催される時期に、アレックスのマネージャーのエミリオ・アルサモラが、アレックスの移籍を検討していた。とにかく不振を極めていたので、チームを代えることを提案していたのである。ただ、アレックスは「MarcVDSに残ります」と主張しており、その主張が通ることになった。
※この項の資料・・・ミハエル・バルトレミーへのインタビュー記事(CTRLキーを押しつつFキーを押して、「management」で記事本文を検索すると、アレックスのマネージャーが移籍を検討していたことを語る部分が2ヶ所見つかる)
2年間の低迷を経て2017年になり、21歳になったアレックス。
この年になると急に成績が良くなった。若いライダーが何かを掴み、開眼して、急に成績を伸ばすことはしばしば起こるのだが、アレックスにもその現象が起こったようである。年間3勝を挙げ、ランキング4位にまで駆け上がった。
2017年の成績表は以下の通り。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
5 | 21 | 4 | 1 | 4 | 3 | 1 | 6 | re | 2 | 2 | 14 | 欠 | re | 1 | 6 | re | 5 |
この年は、チームメイトのフランコ・モルビデリが開幕3連勝を飾り、年間通じて8勝するなど成績を安定させ、見事チャンピオンに輝いている。また終盤の第16戦から第18戦まではKTMワークス所属のミゲール・オリヴェイラが3連勝を果たし、KTMの時代を予感させる速さを見せつけていた。開幕3連勝のライダーや終盤3連勝のライダーがいて、アレックスはちょっと陰に隠れたような形になったが、それでも年間3勝は強豪ライダーと呼ばれるにふさわしい成績である。
2018年になるとチームメイトは1年4ヶ月年下のジョアン・ミルになった。ジョアンはMoto2クラス1年目なので、アレックスはMarcVDSのエースとして手本を見せる立場になった。
開幕3戦で2回表彰台に上がり、まずまずの調子でヨーロッパラウンドへ乗り込んだアレックスだが、ここでなんと所属するMarcVDSに大騒動が発生してしまう。オーナーが、チーム監督を突如解任し、チーム監督を慕うスタッフも離脱したのである。この2018年5月騒動は、MarcVDSの記事に詳細が書かれているので参照していただきたい。
2018年はチームのゴタゴタがあり、集中力を保つのがちょっと難しいシーズンとなった。バイクレースというのは、精神面での安定がけっこう重要なので、チームのゴタゴタがあるとライダーの走りに響いてしまうのである。しかしながら、アレックスはしばしば表彰台を獲得し、ランキング4位を維持している。成績表は以下の通り。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
3 | 5 | 2 | re | 2 | 5 | 3 | 3 | 13 | re | re | 消 | 18 | 4 | re | 4 | 7 | 7 | 3 |
2019年になってアレックスは23歳になった。この年はMoto2クラスにとって大変革の年となった。ワンメイクのエンジンがホンダCBR600エンジンからトライアンフ製エンジンに変更されたのである。
4ストロークエンジンのマシンというのは、エンジンが走行を決める割合が7~8割ほどとされる(エンジンの記事で解説されている)。エンジンが変わると、何もかもが変わるのである。
全てが仕切り直しとなった2019年に、アレックスは連戦連勝を重ね、見事にMoto2クラスチャンピオンに輝いた。
また、この年はMarcVDSのチーム力も助けになった。第4戦スペインGPからダンロップが幅の広いリアタイヤを導入し、ライバルチームはその対応に苦しんでいた。トーマス・ルティも「タイヤ変更で何週間も苦労した」と語っている(記事)。一方、アレックスの所属するMarcVDSは上手く対応できたようで、第5戦フランスGPから一気に好成績を勝ち取っている。
2019年の成績表は以下の通り。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
7 | 3 | 5 | 24 | 1 | 1 | 1 | re | 1 | 1 | 2 | re | 3 | 3 | 5 | 6 | 8 | 2 | 30 |
第4戦スペインGPは予選2位で日曜朝のウォームアップ1番手と最高の状態だったが、目の前でレミー・ガードナーがいきなり転倒したのを避けきれず転倒、マシンを損傷してしまう。チームが必死に修復したが(動画1、動画2)間に合わず、再スタートのレースがピットスタートになったので24位になった。
第8戦オランダGPは残り2周の4コーナーの時点で先頭を走っていたが、ロレンツォ・バルダッサーリが無理矢理インに入ったと同時に転倒して、アレックスは巻き込まれてしまった。動画を見ても、狭っ苦しい4コーナーでロレンツォが無理に入りこんだことが分かる。
この2レースで好成績を挙げていれば、チャンピオン争いはもっとぶっちぎっていただろう。
第11戦オーストリアGPが終わった時点でランキング2位との差は43ポイント。これがこのシーズンにおける最大の差となった。第15戦から第17戦のアレックスはチャンピオンを意識して緊張したのか、3戦とも表彰台を逃し続けたが、これは御愛嬌というものだろう。
第18戦マレーシアGPでチャンピオン確定。ゴールの時には感極まって顔を覆う。この年は兄のマルク・マルケスがビリヤードのパフォーマンスをしていたので(動画1、動画2)、アレックスはダーツのパフォーマンスをすることになった(画像1、画像2、画像3)。パルクフェルメで胴上げされ(動画)、皆が盛り上がっていたが、アレックスは暑さのためヘロヘロになっていた(動画)。
ドルナが作った格好いいチャンピオン紹介動画はこちら。また、こちらは、第18戦マレーシアGPのドキュメント動画となっている。
G+の解説でおなじみの坂田和人さんは、「ランキング4位のライダーが、その次のシーズンでチャンピオンになるケースが非常に多い」としばしば指摘している。アレックス・マルケスは、2013年にランキング4位になってから翌年にチャンピオンになった。また、2018年もランキング4位で翌年にチャンピオンになっている。坂田さんの法則を見事に示す例となっている。
2019年8月13日に、アレックスはMarcVDSと契約を結び、2020年も同チームでMoto2クラスを走ることを決めていた(記事)。
最大排気量クラスの多くのライダーが「2019年と2020年の2年契約」を結んでおり、2020年の最大排気量クラスで空く席がなかった。このため、アレックスはもう1年Moto2クラスを走り、最大排気量クラスの席が空くのを待つことにした。
ところが2019年11月14日、レプソルホンダ所属のホルヘ・ロレンソが引退を発表してしまった(記事)。ホルヘはレプソルホンダと2020年の契約を結んでいたが、それをチームと合意しつつ破棄して、引退したのである。
レプソルホンダの席がいきなり空いたので「誰が代わりに入るんだろう、ヨハン・ザルコだろうか」などと噂されたが、最終的に、アレックスがレプソルホンダと契約することになった(記事)。これで、兄のマルク・マルケスと同じチームに入ることになった。MarcVDSには、おそらく、違約金を支払ったものと見られている。
単独走行をあまり苦にしないタイプで、決勝レースの中盤当たりから一気に抜け出して独走し、そのまま押し切ってゴールインすることが多い。Moto3クラスにいた2014年は、カタルーニャGPとオランダGPで2戦続けてぶっちぎりの独走で優勝している。
単独走行になると目の前の目標物がなくなるので、集中力を大きく問われる。アレックスは集中力が高いのだろう。
身長179cm体重64kgで大柄な部類に入る(※身長180cmとしている資料もある)。このため、最大排気量クラスの大きなバイクにも適応しやすいと思われる。
2018年までのMoto2クラスはホンダCBR600エンジンがワンメイクで供給されていたが、その時代のアレックスはランキング4位が最高で、チャンピオン争いに絡む立場ではなかった。
ところが、2019年になってMoto2クラスのワンメイクエンジンがトライアンフ製エンジンになった途端に、アレックスは勝ちまくるようになった。
トライアンフ製エンジンはトルクが強く、加速力が強い。2018年までのホンダCBR600エンジンと、2019年以降のトライアンフ製エンジンのどちらが最大排気量クラスの1000ccエンジンに近いかと問われると、やはりトライアンフエンジンの方が最大排気量クラス1000ccエンジンに近いと答える関係者は多い(記事)。
以上の要素から、アレックスは最大排気量クラスに向くライダーではないかという推論が導かれる。
ツインリンクもてぎでの成績がよく、3勝を挙げている。また、地元のカタルーニャサーキットでも3勝を挙げている。
MotoGPには接触上等の危険なパッシングを仕掛けるライダーがいるのだが、アレックスはクリーンなライダーの範疇に入る。アレックスが他の誰かに迷惑を掛けて転倒させたという例はあまり多くない。
性格は兄や父とよく似た感じで、よく笑い、よく怒るというタイプである。
2019年オランダGP決勝のアレックスは絶好調で先頭を走っていたのだが、残り2周の時点ですぐ後ろのロレンツォ・バルダッサーリに巻き込まれる感じで転倒してしまった。このときのロレンツォは狭っ苦しい4コーナーで抜こうとしており、かなり無理な行為だった。当然のごとくアレックスは激怒しており、レース後にロレンツォが謝りに来たときも、激おこの状態になっていた(動画)。
余談ながら、アレックスが人差し指で頭のこめかみをツンツンと指さしているジェスチャーは、「もっと頭を使え!」という意味である。ヨーロッパのライダーは、しばしばこのジェスチャーを使う。この動画の1分45秒あたりで、マーヴェリック・ヴィニャーレスも人差し指で頭ツンツンのジェスチャーをしている。
兄のマルク・マルケスと共にトレーニングをこなす姿がSNSにしばしばアップロードされる。
モトクロス(画像1、画像2、画像3)、ダートトラック(画像1、画像2、画像3)、自転車(画像1、画像2、画像3)、ジム通い(画像1、画像2、画像3)、スキー(画像1、画像2、画像3)、サッカー(画像1、画像2、画像3)、ジョギング(画像1、画像2、画像3)。
自転車は、アメリカ合衆国カリフォルニア州に本社を持つSpecialized(スペシャライズド)社の製品を好んでいる。Specializedという名の入った自転車がしばしばSNSに出てくる(画像1、画像2、画像3)。
ちなみに、Specialized社は、S-WORKS(スペシャライズドの作る高級ブランド)という名が入った自転車も作っているのだが、アレックスのSNSには出てこない。
バルセロナ郊外にあるCARサン・クガというトレーニング施設をしばしば利用しており、体力測定している(画像1、画像2)。
レース前は兄弟そろって柔軟体操にいそしむ(画像)。
兄のマルク・マルケスと共通するスポンサーが多いが、共通していないスポンサーがいくつかある。本項目では、兄と共通していないスポンサーを紹介する。
アメリカ合衆国発祥のエナジードリンク企業で、ニコニコ大百科にも記事がある(→モンスターエナジー)。MotoGPライダーの囲い込みに熱心で、レッドブルとライダーを奪い合っている。
兄のマルク・マルケスは2008年のMoto3クラスデビューの時からレッドブルの支援を受けていたが(画像)、弟のアレックスは2013年からモンスターエナジーの支援を受けるようになり(画像)、2018年までヘルメットの両端に黄色い縦線が入っていた(画像)。
ところが2019年のアレックスはモンスターエナジーの支援が外れている。ヘルメットの側面にもモンスターエナジーの模様が見られなくなっている(画像)。
2020年1月1日からアレックスはレプソルホンダに入団することになった。同チームはレッドブルの支援を受けているため、アレックスもレッドブル・ファミリーの一員になった(画像)。
スペイン・カタルーニャ州バルセロナのサングラスメーカー。ちなみに、兄のマルク・マルケスはoakleyの支援を受けている。
アレックスのイメージカラーは青なので、青っぽいサングラスを渡されている(画像1、画像2、画像3)。
青いサングラスでキリッとする姿は、映画の悪役っぽくてちょっと面白い(画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6)。
2018年4月23日はアレックスの誕生日だったのだが、その日に、Stich(スティッチ)という犬を飼い始めた(画像)。色は薄めの茶色で、栗色に近い。
アレックスのSNSにしばしば登場するようになった(画像1、画像2、画像3、画像4、画像5)。
Stichに芸を仕込むアレックス(動画)。
2019年6月20日に、アレックスはもう1匹の犬を飼い始めた(画像)。名前はShira(シラ)で、濃いめの茶色。
ShiraもアレックスのSNSに出てくるようになった(画像1、画像2)。
アレックスは、ヘルメット後頭部の右側に、愛犬のステッカーを貼っている。
飼っているのがStich1匹だけの時は、当然、Stich1匹だけが貼られていた(画像)。
飼っているのがStichとShiraの2匹になったら、それに呼応して、2匹のステッカーが貼られるようになった(画像)。左側の薄い茶色の犬がStich、右側の濃い茶色の犬がShira、と決まっている。
また、このステッカーは、レースごとに姿が変わっていて面白い。
2019年カタールGPのときは、砂漠の暑さをしのぐため、白いクーフィーヤを付けている(画像)。
2019年ドイツGPのときは、ビール大国ドイツらしく、ビールをそえてある(画像)。
2019年イギリスGPのときは、2匹とも帽子を被っている(画像)。シャーロックホームズだろうか?
2019年タイGPのときは、かぶり物をしている(画像)。左のStichはラーマキエンという民族物語で使われるお面を被っている。右のShiraが被っているのは、多分、ワットプラケオを模した帽子。
2019年日本GPのときは、またかぶり物をしている(画像)。左のStichは兜、右のShiraは頭巾を被っている。
これらのデザインを担当しているのはDave Designsという業者である。Twitterアカウントがある。
2017年頃からピットにマンガ絵が飾られるようになった(画像1、画像2)。この人が描いているらしい(画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6、画像7、画像8)。この絵は、こんな具合に横断幕として掲げられている。カウボーイが武士、テンガロンハットが兜、拳銃が火縄銃にアレンジされていて、ちょっと面白い。
日本GPに来たとき、たまに東京の観光をしていく。2019年は秋葉原(画像1、画像2、画像3)、2016年は後楽園・東京ドーム近くのビッグ・オー(画像)、2013年は浅草の五重塔(画像)。
FCバルセロナのファンで、しばしば本拠地のカンプ・ノウを訪れている(画像1、画像2)。
プレステを手にするアレックス(画像)。
SNSには、しばしば子どもの頃の写真がアップロードされている(画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6、画像7、画像8、画像9)。
2018年カタールGPではリアブレーキに故障が発生し、走行中にリアブレーキが赤熱した(画像1、画像2)。
2019年日本GPの土曜日練習走行で、マシンから振り落とされそうになりつつもしがみついて、奇跡的に転倒を回避している(動画)。マルク・マルケスもこれに感心している(記事)。
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最終更新:2024/04/25(木) 02:00
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