モンキー・パンチとは、日本の漫画家である。本名:加藤一彦(かとうかずひこ)。
1937年5月26日北海道厚岸郡浜中町生れ。
アメコミ雑誌「MAD」の影響から漫画に興味を持ち、画風もモダンチックなタッチとなっている。このことから双葉社で編集長を務めていた清水文人が「作者も国籍不明にしよう」と思いつき、1966年に「モンキー・パンチ」というペンネームを名付けられた。当初は実弟の加藤輝彦と共同執筆していたが、現在は一彦が単独で執筆している。1967年、青年週刊誌アクションに『ルパン三世』を2年間連載、後にアニメ化され、自身の代表作となった。
2019年4月11日、肺炎のため死去。81歳没。訃報を受けて、19日の金曜ロードSHOW!が『名探偵コナン 天空の難破船』から『ルパン三世 ルパンVS複製人間』に変更された。
昭和40年代のアニメの描写に批判的だったパンチはルパン三世のアニメ化に当初は反対していたが、パイロットフィルム版を見て各キャラクターのリアルな描写に感動し、アニメ化に賛成した。
その後、ルパンのアニメは人気を博し、山田康雄等メインキャストと交友を深めていった。しかし、『ルパン三世 風魔一族の陰謀』でメインキャストを一新する際に、前もって山田達旧来の声優陣と話をするようにスタッフと釘を刺したにもかかわらず、話が伝わっていなかった山田に不平不満の電話を掛けられ、結果として山田と仲違いとなってしまった。また、キャスト一新の件を山田達に伝えていなかった事を制作陣に問い合わせしようとしたところ、既に解散した後でありパンチはこれをきっかけにアニメ業界に不信感を抱いた。なお、山田には一応の謝罪はしたものの誤解が解けたかわからないまま山田は亡くなり、自身にとっては一番の心残りとなった。
1996年に公開された『ルパン三世 DEAD OR ALIVE』では初めてアニメ監督に挑戦したが、ルパンのキャラクター設定はアニメでの印象が根強い故に「敵を後ろから刺す」というシーンの提案に対し「ルパンはそんなキャラじゃない」とディレクターに反対され却下されるという作者としての苦労もあった。
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最終更新:2024/12/22(日) 14:00
最終更新:2024/12/22(日) 13:00
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