詳しい生い立ちなどについてはニコニコチャンネル内のBUICHIチャンネルも参照。
1976年に手塚プロダクションに寄稿した事がきっかけで漫画を手塚治虫に師事。この際に手塚プロの面接試験に落ちるも、手塚が寺沢の描いた絵を見て「どうしてこんなすごい絵を描ける人を落とすんだ」という鶴の一声で採用が決まったのは有名な話。手塚プロでは漫画部スタッフとして研鑽を積み、翌1977年に読み切り『コブラ』でデビュー、翌年に週刊少年ジャンプにて連載版が開始。
7年間のロングヒットとなった本作はハードボイルドとスペースSFを融合させた人気作となり、1982年にアニメ化もされた寺沢のライフワークとなった。女性の下半身を大きく映すパースがあったら、それはまぎれもなくヤツの作風である。
以後も『BLACK KNIGHT バット』『ゴクウ』『NINJAカブト』などの連載を青年誌などで掲載。1987年に寺沢プロダクションを設立、代表取締役に就任した。
それ以上に寺沢は漫画のデジタル化を持ち込んだ人物であり、バットでは彩色にPC-9801を導入。1992年に連載された『武 TAKERU』は世界初のフルCG漫画としてその名を刻んでいる。コブラ連載終了後も度々新作を発表していたが、こちらも大半がそれらによるものである。
健康面でを脳腫瘍を患っており、三度の手術と後遺症によるリハビリを経て仕事に復帰するなどコブラにも劣らぬ生命力を見せていたが、2023年9月8日、心筋梗塞にて死去。68歳没。
晩年は公の場に車いす姿で登壇することが多く、体調面の不安が度々書き込まれていた。
2020年のコロナ禍でも、フォロワーの読者にエールを送るなどしていた。2020年7月12日にはリハビリ施設に入っていることもツイートしていたが、7月23日の呟きを最後にTwitterは更新されなくなった。
また、2019年4月ごろにはTwitterで元アシスタントと名乗る者からの嫌がらせなどのトラブルにも巻き込まれたりと、その生き方もコブラのような破天荒さがあった。この影響で本人のTwitterアカウントは非公開(鍵垢)となっている。
2019年にCOMIC Huで連載されたコブラの新作『OVER THE RAINBOW』(未完)が遺作となった。
「見ろよ ここは天国だぜ!!」
COBRA OVER THE RAINBOW #06 21ページ 2コマ目より
ラスベガスのカジノ街を前に美女シークレット、ドロシーの二人を連れて…
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掲示板
38 ななしのよっしん
2023/09/13(水) 22:08:15 ID: gWqynYg6s+
燃えるお兄さんでどんな話か忘れたがケンイチが漫画を探して色々本屋渡り歩いて、本屋の親父にお勧めの漫画があると照会されたのがゴクウだったて話があった気がする
ゴクウの表紙みると本当にデジタル着色だなて感じがする
猿渡哲也もどこかデジタルぽい所あったけどそれより更に先にデジタルに着目してたのは凄い
39 ななしのよっしん
2023/10/20(金) 04:07:09 ID: 4ouhJetS8m
亡くなってるの今知ったわ…
ポプテピピックの作者に一度怒りつつもその後コラボtシャツ発売させてくれたり
オタクのノリに難色示しつつもセリフのコラに便乗してくれたりと
相手に不快感を持っても大人の対応で歩み寄ってくれる方だったなと思いました
ご冥福をお祈りします
40 ななしのよっしん
2024/01/06(土) 19:09:31 ID: GHRZL9Be4+
ネット社会で感覚狂った人らに当たり前のことを当たり前に怒ってくれる大人だったな
また未映像化エピソードのアニメ化してほしいわ
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最終更新:2025/05/15(木) 03:00
最終更新:2025/05/15(木) 03:00
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