浅井三姉妹とは、浅井長政とお市の方の間に生まれた、三人の女性(茶々・初・江)である。
戦国屈指の美女にして、乱世に翻弄されて悲劇的な最期を遂げた母・お市の方と共に、浅井三姉妹は戦国時代を語るには欠かせない存在であり、母にも劣らぬ波瀾万丈の生涯を送った。当時の女性としては歴史的史料が比較的多く残っており、小説やドラマでも取り上げられることが多い。
政略結婚とは言え、夫婦仲がむつまじかった長政・お市夫婦だったが、初が生まれた前後に浅井家がお市の兄・織田信長を裏切ったことから事態は急変。江が生まれて間もなく、長政はお市達を信長の元に送り返し、自らは命を絶つ。お市は娘達を養育しながら、兄にして夫の仇となった信長の庇護を受けるが、信長が本能寺の変で明智光秀に討たれたころにより織田家は分裂。お市は重臣・柴田勝家と再婚し、三姉妹も母と共に勝家の居城・北ノ庄城に移り住む。
しかしそのわずか7ヶ月後、勝家は賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れ、お市は勝家と城を枕に自害した。炎上する北ノ庄城から逃れ、両親の仇である秀吉に引き取られた三姉妹は、三者三様の、母以上に数奇な運命をたどることとなる。
永禄12年? - 慶長20年 / 1569? - 1615(生年は永禄10年説もあり)。
豊臣秀吉の側室で、豊臣秀頼の生母。秀吉から淀城を与えられたことから、一般的には淀殿の名で知られている。かつては淀君と呼ばれることが多かったが、こちらは江戸時代に付けられた蔑称であり、最近はあまり使われない。但し、淀殿という呼称も当時の記録にはなく、正式には淀の方などと呼ばれていたらしい。
妹たちが政略結婚で嫁がされていく中、最後まで残った茶々は、皮肉にも両親の仇である秀吉の寵愛を受けた。1589年に長男・鶴松を出産し、この直前に先述の淀城を与えられる。鶴松はわずか2年後に早世するが、1593年には秀頼(幼名・拾)を産む。実子に恵まれなかった秀吉にとって待望の跡継ぎ誕生となり、淀殿は正室・北政所(ねね)に次ぐ地位を手にする。
しかし豊臣政権を自らの絶対的権力とカリスマで統治した秀吉が死ぬと、徳川家康の台頭に伴い、淀殿・秀頼母子の立場は急速に揺らいでいく。結局、家康との武力衝突を選択した淀殿は、大坂夏の陣において秀頼と共に自害して果てた。父を失った小谷・母を失った北ノ庄に続く三度目の落城で、彼女は母・お市と同じ最期を迎えたのである。
浅井三姉妹の中でダントツの知名度を誇る淀殿だが、結果的に豊臣家を滅ぼしてしまったことから、その一般的評価は低い。また、秀頼を跡継ぎにしたいために、後継者のライバルだった秀吉の甥・豊臣秀次を一族皆殺しに追い込んだ元凶と描かれたり、北政所と派閥対立を起こして家康がつけいる隙を作ったり、石田三成や大野治長と密通したなどの悪評ばかり残る。しかしこれらの多くは後世の創作という見方が強く、実際には北政所との仲も比較的良好だったようである。
永禄13年? - 寛永10年 / 1570? - 1633(生年は永禄12年説もあり)。
室町幕府から続く名門・京極家の当主・京極高次の正室。高次の死後、出家して常高院と号した。高次が秀吉や秀忠に比べ、歴史的活躍や功績に乏しいことから脚光を浴びることが少ないが、彼女自身は姉妹に劣らぬ活躍を果たした。
1587年、秀吉の命令で高次と結婚。高次の母でキリシタンだった京極マリアは長政の姉にあたるため、高次は従兄でもある。本能寺の変では光秀に味方しながらも、初を正室に迎え、姉・竜子が秀吉の側室となったことから、高次は一族の七光りという蔑みも含んで「蛍大名」と揶揄された。
しかし、関ヶ原の合戦では家康に味方して大津城に籠城、立花宗茂を迎え撃つ。初は夫と共に立て籠もったが、敵の砲撃に竜子があわや巻き込まれそうになる程の激戦だったという。高次は降伏して高野山に入ったが、開城したのは関ヶ原の合戦当日。九州屈指の名将・宗茂の猛攻を食い止めて本戦に間に合わせなかった功績により、高次は越前小浜を与えられて京極家を江戸時代まで存続させることができた。
初が歴史の表舞台の登場するのは高次の死後、常高院となってからである。妹・江の長女・千姫が豊臣秀頼に嫁ぐ際には、これを引き合わせる。この時、淀殿・常高院・江の浅井三姉妹は十数年ぶりに再会を果たすが、これが三人全員が揃った最後の対面となった。
やがて大坂冬の陣が起こると、常高院は大坂城に残り、織田有楽斎と共に和睦を実現。しかし、大坂城の堀埋立問題などにより交渉は決裂。生き残りと逃げ足の早さに定評のある有楽斎も出奔し、徳川家との再戦を最後まで回避させようとしたが徒労に終わり、夏の陣では姉の最期を無念の内に見届けることとなった。
三姉妹の中で最も長生きしたが、晩年は継子の京極忠高とその正室で江の四女・初姫の不仲に悩まされるなど、苦悩が絶えなかったようだ。
名称は他にも、小督・お江与などがあり、ドラマや小説でも作品によって呼び名が異なっている。死後、崇源院と諡を与えられた。1584年頃、秀吉の命令でお市の姉妹・お犬の方の子である佐治一成(つまり江の従兄)と政略結婚するが、一成が当時秀吉と対立していた徳川家康に属したことから、すぐに離縁された。但し、この政略結婚は不透明な箇所も多く、実際には行われなかったという説もある。
その後、再び秀吉の政略結婚によって、豊臣秀勝(秀吉の甥で、秀次の弟)と再婚。この結婚時期もよくわかっていないが、秀勝との間には一人娘の完子(さだこ)をもうけた。しかし、この前後に朝鮮出兵に出陣していた秀勝は異国の地で病死。完子は姉・淀殿に引き取られた後、徳川家と朝廷の仲介役として活躍した関白・九条忠栄(幸家)に嫁いだ。
彼女の運命が大きく転換したのは、徳川秀忠との三度目の政略結婚である。1595年に結婚した時、江は数え23歳、秀忠は17歳と6歳年上の姉さん女房だった。江は辛い記憶の残る京を後にして秀忠と江戸に下り、死ぬまでこの地で安住した。
姉二人とは対照的に、秀忠の間だけでも2男5女の子宝に恵まれた。当初、男子がなかなか産まれなかったことから、家光や忠長は江と秀忠の子ではないという俗説もあるが、後に家光と忠長が対立したり、家光が秀忠を嫌って家康を崇拝していたなどの歴史的背景から生まれた作り話に過ぎない。秀忠が家光に将軍職を譲り大御所となると、江は夫と共に江戸城西の丸に移り住んだ。秀忠と家光が上洛している最中に病が篤くなり、千姫や常高院に看取られながら江戸城西の丸でその生涯を閉じた。
秀吉の政治の道具として不遇だった前半生に比べ、(江の子供達に後継者問題が起きたり、末娘の和子を除く娘が夫との死別や不仲などがあったものの)江本人は将軍・秀忠の正室として君臨する栄光に満ち、穏やかな後半生を送った。
淀殿ほどではないが、江も物語などでは忠長を偏愛し、家光の乳母・春日局と対立するなどマイナスイメージが強い。こちらも、春日局が光秀の家臣・斉藤利三の娘である関係や、忠長の末路から考えられた俗説である。
また、秀忠は大変な恐妻家としても知られており、秀忠は侍女との間に生まれた保科正之が、江の勘気に触れることを恐れて養子に出し、江の生前はその目をはばかって対面しなかった。正之が歴史の表舞台に立つのは、江の死後のことである。同時に秀忠は愛妻家でもあったようで、亡くなる時も家康のように神格化されることを拒み、江の眠る増上寺に葬られた(墓も江と二人仲良く並び立つように建てられている)。
生涯を通して正室ただ一人だった著名な戦国武将は、秀忠の他には山内一豊くらいしかおらず、その点においても当時では希有な例に入ると思われる(他にも愛妻家として知られる毛利元就は、正室・妙玖の死後3人の側室をもっている)。なお、遺骨の調査によると、大柄であった両親に似ず、小柄で華奢な人物であったらしい。
多くの子に恵まれたため、現在伝わっている浅井家の血筋はほとんどが江の系統である。徳川秀忠の男系が途中で途切れてしまったため、徳川宗家に江の血筋は伝わっていないが、前田家、天皇家などに江の血筋が今も残っており、昭和天皇ならびに天皇陛下父子も江の子孫にあたる。
その他にも、第34・38・39代内閣総理大臣・近衛文麿、その孫で第79代内閣総理大臣・細川護煕も江の血筋である。
名前 | 生没年 | 備考 |
---|---|---|
完子 | 1592 - 1658 | 豊臣秀勝との間に生まれた一人娘で、伯母・淀殿の養女。 関白・九条忠栄の正室となる。貞明皇后(大正天皇の皇后)の祖先。 |
千姫 | 1597 - 1666 | 徳川秀忠との間に生まれた長女。豊臣秀頼、本多忠刻の正室。 |
珠姫 | 1599 - 1622 | 同次女。前田利常の正室。母に先立って、若くして病没。 |
勝姫 | 1601 - 1672 | 同三女。松平忠直の正室。夫の改易に伴い離縁。 |
初姫 | 1602 - 1630 | 同四女、伯母・常高院の養女。京極忠高の正室。 |
徳川家光 | 1604 - 1651 | 同長男。江戸幕府第3代将軍。 |
徳川忠長 | 1606 - 1634 | 同次男。駿府城主となるが、兄・家光により改易され、後に自害。 |
東福門院和子 | 1607 - 1678 | 同五女。後水尾天皇の女御(後に中宮)、明正天皇の生母。 |
大河ドラマでは、淀殿を筆頭に登場する機会が多い。2011年の「江〜姫たちの戦国〜」で、三姉妹の中でも江が初の主人公となっているが、それ以外にも「春日局」や「葵徳川三代」では浅井三姉妹が物語の中核をなす準主役級の扱いを受けている。
比較として、お市を演じた女優も掲載する。但し、成人した浅井三姉妹が登場しない作品は挙げていない。
番組名 | 放送年 | 出演 |
---|---|---|
太閤記 | 1965 | 淀君:三田佳子、はつ:二木てるみ /お市:岸惠子 |
春の坂道 | 1971 | 淀の方:岸田今日子、お江与:岩崎加根子 |
黄金の日日 | 1978 | 淀君:藤村志保 /お市:小林かおり |
おんな太閤記 | 1981 | 淀殿:池上季実子、初:奈良富士子、小督:五十嵐淳子 /お市:夏目雅子 |
徳川家康 | 1983 | 淀君:夏目雅子、常高院:三浦真弓、小督:白都真理 /お市:眞野あずさ |
独眼竜政宗 | 1987 | 淀君:樋口可南子 |
春日局 | 1989 | 茶々:大空眞弓、お初:松原智恵子・宮沢りえ(子役)、お江与:長山藍子 |
秀吉 | 1996 | 淀:松たか子、お初:湯原麻利絵、小督:濱松恵 /お市:頼近美津子 |
葵徳川三代 | 2000 | 淀殿:小川眞由美、お初:波乃久里子、お江:岩下志麻 |
利家とまつ | 2002 | 淀:瀬戸朝香、初:阿井莉沙、江:垣内彩未 /市:田中美里 |
武蔵 MUSASHI | 2003 | 淀殿:若尾文子、常高院:姿晴香 |
功名が辻 | 2006 | 淀:永作博美、初:吉川麻衣子、江:新穂えりか /市:大地真央 |
天地人 | 2009 | 淀:深田恭子 |
江〜姫たちの戦国〜 | 2011 | 淀:宮沢りえ・芦田愛菜(子役)、初:水川あさみ、江:上野樹里 /市:鈴木保奈美 |
軍師官兵衛 | 2014 | 茶々:二階堂ふみ /市:内田恭子 |
真田丸 | 2016 | 茶々:竹内結子、初:はいだしょうこ、江:新妻聖子 |
SEGAのアーケードカードゲーム「戦国大戦」にも三姉妹揃って登場している。設定年が1570年で江は生まれていない?こまけぇこたぁいいんだよ!
「必死に戦わないと、許さぬぞ」
長女の茶々は2/4魅力の弓足軽、計略「激励舞踊」は味方の士気上昇速度を飛躍的に上げ、普段連発出来ない大型計略をバンバン使えるようになる。こちらほどではないが、敵の士気上昇速度も上がってしまうのが欠点。イラストもセリフも実にツンツンしている。
「さっさとお家に帰って!」
次女の初は2/4魅力の槍足軽、計略「撹乱の呪い」は範囲内の敵味方全ての統率を激減させる計略。統率が下がると相手はこちらを押し込めなくなり、更に妨害・ダメージ計略に異様に弱くなるため、後続に繋げる事も出来る。わざと流転采配を持つ武将を外してから流転するというコンボも良好。ゲーム内グラフィックが江より幼く見えるのは気のせい。後3人で唯一SRじゃない。
「えへー、楽しいなー♪」
三女の江は1/5魅力防柵の弓足軽。計略「岩石落とし」は従来の「山津波の計」と比較して範囲が正方形、士気が1軽い6といった特徴がある。士気が軽い分ダメージも少なめだが、彼女の統率を上げて初が撹乱の呪いで統率を下げるという姉妹コンボも可能。声も見た目もかわいいのに計略が物騒だとか、中の人の関係で一部でまゆしぃ扱いされるなどアイドルカードの割にネタにされてるけど仕方ないね!
なお戦国数奇枠での三姉妹は、担当絵師が椎名高志氏ということで絶対可憐チルドレンの三人になっている。この三姉妹はスペックが茶々が江、江が初、初が茶々の能力になっている。ちなみにSS茶々が明石薫、SS初が野上葵、そしてSS江が三宮紫穂に対応しており、そのうち本家の中の人を用いているのは茶々だけだったりする。
「悪いけど、頂くわね!」
Ver2.0にてキャッツ愛とのコラボで戦国数奇として江が1枚追加された。5/4魅力の騎馬隊とそれなりの能力だが計略の「愛の眼差し」が独特である。「逆計」なのだがこの計略は相手が使用した士気を吸収する。あれこんな奴昔三国志大戦に…
この計略は発動した時に使用した士気の4が戻ってきて更に士気が増えて更に自身の兵力が回復して移動速度が上がるという異色の計略になっている。ただし武力は上がらないし、士気が増えるだけなので別に計略を用意しないと有効活用は出来ない。また本人は浅井・朝倉勢力なので、士気の放出先に意外と悩むのが間接的な難点。
掲示板
95 ななしのよっしん
2023/05/04(木) 13:20:38 ID: uBzOoeZw8V
この人は秀吉や豊臣家に対してどう思ってたんかな
浅井家は伯父の信長が滅ぼした
母と柴田家は秀吉(名目上は多分、従兄弟の信雄)が滅ぼした
まぁ戦国の習いで一応は受け入れてた。納得はしてたとは思うけど
そんで秀吉の子(大野治長説あり)産んで天下人の側室、次期天下人予定の秀頼の母になって一時は権勢も凄かったろうに
豊臣家を実質手に入れてもやっぱ滅ぼしたかったのか、豊臣家を自分の血筋を中心にして関白家として君臨したかったのかね
96 ななしのよっしん
2023/05/25(木) 15:52:37 ID: VnCXrZGCEX
秀吉は親の仇ではあるけど、茶々にとっては秀吉に奪われてあまりにもリターンがデカかったのは事実で、花見の話とか見てるとむしろ豊臣の第一人者を目指して権力争いしていた感がある
というか秀吉の政治悪行には子が出来ない茶々の権力争いの意向が入っている事もままあって、なんなら君側の奸は三成ではなく彼女だったのかもしれない…
つまり茶々は人権ではなく力で支配する世の中に生まれて、力に人生を翻弄され、力を誰よりも欲した女
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最終更新:2024/04/26(金) 15:00
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