自助論(サミュエル・スマイルズ)とは、英国人サミュエル・スマイルズが著述した自己啓発本のことである。
「自助の精神を持つことが大事である」という論理については自助論の記事を参照のこと。
自助論とは、サミュエル・スマイルズが著述して1859年にジョン・マレー社
から出版した書籍である。英語の書名はSelf-Helpという。
発売直後から英国でよく売れて、ビクトリア朝時代の英国に大きな影響を与えた。
1866年に江戸幕府留学生として渡英した中村正直(中村敬宇)が自助論を持ち帰り、1870年に『西国立志編』という題名で邦訳して出版した。西国立志編は明治の日本におけるベストセラーとなった。
新自由主義や株主資本主義の信奉者の一部が絶賛する書籍として知られている。竹中平蔵、小泉純一郎、マーガレット・サッチャー、渡部昇一といった人たちが自助論を賞賛している[1]。
自助論を著述したサミュエル・スマイルズ
は、1812年12月23日にスコットランド・ハーディントン
で生まれた英国人である。
11人のきょうだいがいる家庭の中で育った。1829年にエディンバラ大学へ入って医学を学び始めたが、1832年に一家の大黒柱である父親がコレラで他界してしまう。そのあと、母親が雑貨屋の主人となって猛烈に働き、一家を支えた。母親の働きによってサミュエル・スマイルズは医学の勉強を続けることができた。
エディンバラ大学に通っているときから政治に関して興味があった。故郷近くのエディンバラで医院を開業した後に新聞記者に転向した。1859年に発表した自助論で一気に有名になり、作家としての活動が増え、伝記作品を多く発表した。
1904年4月16日に91歳で他界した。彼のひ孫の1人は、ディスカバリーチャンネルの番組で体を張っているベア・グリルスである。
21世紀の日本には自己啓発本が溢れかえっているが、本書はそうした自己啓発本の先駆けと言うべき存在である。「たゆまぬ努力を重ねることや、意志を強く持って勤勉に過ごすことが何よりも大事」と説く。
「幼少期に馬鹿にされていた人がコツコツと努力して早熟な天才を追い抜くことがある」と説いて[2]、努力の蓄積を奨める。
また、「悪い誘惑を拒み、浪費や借金をせずに生きるべきだ。かといって吝嗇(ケチ)もいけない」などと論じていて[3]、初歩的な道徳を説く書物となっている。
意志を強く持って努力を重ねることの重要性を強調するあまり、やや現実離れした表現も出てくる。
向上意欲の前にカベはない!
「意志のあるところ、道は開ける」――この古いことわざは、まさしく真理そのものである。何かを成そうと決意した人間は、まさにその決意によって幾多の障害を乗り越え、目標に到達する。できると考えさえすれば、十中八九それが達成できる。いいかえれば、決心さえ固めたなら、それはすでに現実に目標を達成したも同じことだ。この意味で、心からの決意は全能の神ほどの力を持っているといえよう。
アップ系ドラッグの覚醒剤を使用すると、自分がスーパーマンになったかのような感覚になり、「自分は何でも思い通りに動くことができる」という感覚になるという。「意志があれば何でもできる」というサミュエル・スマイルズの感覚は、覚醒剤使用者の感覚とよく似ている。
サミュエル・スマイルズの『自助論』はとにかく勤勉の大切さを強調する書物であり、「働け!努力しろ!時間を惜しんで己を高めろ!」とひたすら主張する。
その反面で、働き過ぎによる害悪を警戒する文章は全く見られない。「働き過ぎによる精神崩壊や過労死や事故が発生してはならない」という主張が見られないし、「仕事中毒(ワーカホリック)による家庭崩壊が発生してはならない」という主張も見られない。
後述するようにサミュエル・スマイルズは「不幸から目を背けて楽天的な気分に包まれることは良いことだ」と語っているような人なので、過労死や「過労を原因とした事故死」や仕事中毒(ワーカホリック)の事例を目撃してもきれいさっぱり忘れているのかもしれない。
「艱難汝を玉にす」「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉があるが、サミュエル・スマイルズもまさにそうした思想の持ち主である。苦労や困難によって人は成長するという思想を本書で何度も披露している。
人間をつくるのは安楽ではなく努力――便利さではなくて困難である。もちろん人生の途上に横たわる困難は、成功へのはっきりした手だてが得られて初めて克服できる。しかしながら、失敗がわれわれの最良の経験となるように、こうした困難もわれわれには最良の教師となる。
(中略)
偉大な思想や発見、発明はこうした苦しみの中ではぐくまれ、悲しみの中で熟考され、困難を経てようやく成し遂げられてきた。
「敗北は勝利にもまして将軍を鍛え上げる」とよくいわれるが、これは真理をついた名言だ。
(中略)
困窮は、きびしいけれど最良の教師である。逆境に置かれたり苦難を体験したりするのは、考えただけでもゾッとする話だ。だが実際に逆境と向き合うハメになったら、勇猛果敢に闘わねばならない。むしろ逆境の中でこそ、われわれの力は発揮される。
(中略)
逆境は、貧困に打ち勝ち障害を乗り越える勇気を与えてくれる。成功や繁栄のほうが、むしろ人間にとっては危険なワナとなる場合が多い。
(中略)
困難に直面する必要がなければ、人生はもっと楽になるだろう。だが、安逸な人生を送る人間など一文の値打ちもない。苦しい試練こそが人格を鍛え上げ、自助の精神と有意義な自己修養の機会を与えてくれるのである。
人生という闘いにおいては、われわれには苦戦の連続だ。だが、つらい努力もなしに得られた勝利など名誉でも何でもない。困難のないところに成功はなく、目標がなければ何ものも得られない。
(中略)
困難を征服しながら、われわれは学んでいく。一つの困難を克服すると、それが新たな困難に立ち向かう助けとなる。困難に立ち向かわなくてもすむようになるのは、人生が終わり、修養の必要もなくなった時だけだ。それまで、われわれの勉学と努力は限りなく続けられる。
「安逸な人生を送る人間など一文の値打ちもない。」という一文にはサミュエル・スマイルズの人間観が如実に表れている。サミュエル・スマイルズは、困難と闘うストイックな人間を理想視しているのである。
さらにサミュエル・スマイルズは、「貧困によって労働意欲が刺激されて人が成長し、豊かさによって労働意欲が消滅して人を堕落させる」と説き、貧困を賞賛して富を非難するのである。
きわめて貧しい境遇にもかかわらず最高の地位に上りつめた人物の例を見れば、どんなにきびしく克服しがたいような困難でさえ、人間が成功する上での障害とはならないと、はっきりわかる。多くの場合、このような困難は逆に人を助ける。つまり、貧苦に耐えて働こうという意欲も起こるし、困難に直面しなければ眠ったままになっていたかもしれない可能性も呼びさまされるからだ。
彼らはみな幼少のころの逆境にもめげずに、生まれながらの天分を発揮して確固たる永遠の名声をつかんだ。このような名声は、世界中の富をすべて集めても手には入らないだろう。富は、貧困よりもむしろ人間の成長にとって障害となるほうが多い。
いつの時代もわれわれの社会は、貧困から身を起こした人々から大きな恩恵を受けてきた。その点を考えれば、人間の最高の教育には富や安定が不可欠だなどという説がまちがっていることは一目瞭然だ。
安楽で贅沢三昧の生活は、苦難を乗り越える力を与えてはくれない。むしろ、このようなハリのない生活にひたっていれば、活力に満ちた実り多い人生を送ろうという意欲さえ失ってしまうだろう。
この意味で、貧苦は決して不幸ではない。強い自助の精神さえあれば、貧しさはかえって人間にとっての恵みに変わる。
貧苦は人間を立ち上がらせ、社会との戦いに駆り立てる。社会には、安楽を得ようとした結果、自分を堕落させる者もいる。だが、真摯で誠実な心を失わない人間は、勇気と自信を得て大きな勝利を収めるにちがいない。
(中略)
富は、安逸で勝手気ままな生活へと人間を強く誘惑する。しかもわれわれ人間は、生まれつきこのような誘惑にはめっぽう弱い。
一般的にいって、あまりに平板で順調な人生は人間をダメにする。身辺に何一つ不自由なく寝食にも困らないような暮らしより、必要に迫られて一生懸命働き、質素な生活を送るほうがむしろ好ましい。かなり苦しい境遇から人生が始まれば、それだけ労働意欲はかき立てられる。その意味で、貧困は人生における成功の必須条件の一つともいえる。
だいたいにおいて、金の力は過大評価されている。世に役立つ偉大な業績の多くは、金持ちや寄付金番付に名を連ねた人間ではなく、財政的には恵まれない人間によって成し遂げられてきた。偉大な思想家や探検家、発明家、そして芸術家に大金持ちはいないし、むしろその多くは、世間的な境遇の面からいえば貧しい生活を強いられてきた。
富は、行動を刺激するよりむしろ行動を妨げる。多くの場合、富は幸運を呼ぶと同時に不幸の種ともなる。大きな財産を相続した若者は、安易な生活に流されがちだ。望むものが何でも手に入るため、かえって生活にあきあきしはじめる。戦い取るような特別の目標もないから、手もちぶさたの毎日を持て余すようになる。彼のモラルや精神力は、いつまでも眠りからさめることがない。それは、まるで波にもてあそばれるイソギンチャクそのものの生活だ。
もちろん、金持ちにも正しい精神を持った人間はいる。そのような人は、怠惰をめめしいものとして一蹴するだろう。富や財産につきまとうそれなりの責任を自覚すれば、もっと立派な仕事をめざすようになるかもしれない。だが、いかんせんこうした例はほとんどないのが世の常だ。
世の中にはさまざまな企業経営者がいるが、その中には、従業員へ与える給与をできる限り減らすことで利益を稼ぎ出そうとする種類の経営者がいる。つまりブラック企業の経営者である。そういう経営者にとって、サミュエル・スマイルズのこうした文章はとても都合が良いだろう。
貧困に耐えて努力を積み重ねたことで成功者になった人物の伝記が、本書において何度も繰り返し紹介されている[5]。
本書は、偉人の伝記を寄せ集めたもので、「Aという人物は、困難にめげず努力を積み重ねて成功者になったから偉い」という文章が次々と出現する。
その一方で「Aという人物は、困っている人を助けたから偉い」という文章は、皆無というわけではないが、かなり少ない。
三笠書房・知的生き方文庫の『自助論』は11ページから本文が始まっている。読み進んでも「人助けをしたから、あの人は偉い」というような文章がなかなか出てこない。113ページから117ページにかけて「キリスト教伝道者のフランシスコ・ザビエルは人助けをした」という内容の文章がやっと出てくる。
その他に本書で見られる「偉人が人助けをするエピソード」は、ファウエル・バクストン
の奴隷解放、ポーツマスの靴職人ジョン・パウンズ
による貧困子女への無償教育、アディジェ川が氾濫を起こしたときにスポルベリーニ伯爵の前で人助けした農民、ぐらいであろうか[6]。11ページから始まり291ページで終わる本なのだが、偉人の人助けを紹介する文章が少ない。
天然痘のワクチンを開発したエドワード・ジェンナーという人物が本書で紹介されているのだが、「天然痘ワクチンを開発して人助けをしたから偉い」という論調ではなく、「周囲の嘲笑にめげずに努力を重ねて成功したから偉い」という論調である[7]。
われわれは、幸福でさえ習慣として身につけられる。世の中には、ものごとの明るい面を見ようとする性格の人もいれば、暗い面ばかりに目を向ける人もいる。ジョンソンによれば、ものごとのよい面を見る人間は年収1000ポンドの金持ちよりも価値があるそうだ。
人間は、幸福と進歩を生み出すものに考えを向けるだけの意志力をもっている。反対に、不幸や退廃からは目をそむける力もあるはずだ。他の習慣と同じように、ものごとを楽天的に考える習慣もこの意志力から生まれてくる。楽天性を育て上げる教育は、知識や素養をめいっぱい詰め込むよりはるかに重要な教育といえるだろう。
人助けを重視する人なら、不幸や退廃から目をそむけずにしっかりと直視して情報を集め、人々がなぜ不幸や退廃に陥っているか原因を分析し、そうした上で行動を起こしていく。
つまり人助けを重視する人なら「不幸や退廃から目をそむけて、幸福感に満ちあふれた楽天的な性格になり、得をしよう」というような発言をしないのである。
サミュエル・スマイルズは人助けをあまり重視しない人なのだろう、という推測が成り立つ。
「困難に挑戦して己を鍛え上げろ」と勇ましいことを言っていたサミュエル・スマイルズだが、「不幸や退廃を直視する」という困難に対しては挑戦しようとしない。
また、サミュエル・スマイルズは、次のようなことも書いている。
快活さを失わず仕事に打ちこんだ人の話は、有意義であり影響力も大きい。快活さは、人間の精神に弾力性を与える。元気で働いていれば恐怖心は消え去り、どんな困難に直面してもヤケを起こしたりしない。それは希望が心の支えになるためで、希望に満ちた精神は成功のチャンスを決して逃しはしないのだ。希望に燃えている人の心は、健全で幸福そのものである。自分が快活に仕事に励むと同時に、他人の意欲をもかき立てる。
(中略)
哲学者ヒュームは、「常に快活さを失わず、ものごとの明るい面ばかりを見ていたい。いくら年収1万ポンドの大地主になっても、憂うつな気持ちで暮らすのはまっぴらだ」と口ぐせのように語っていた。
この文章は「ものごとの明るい面だけを見て、希望に満ちた快活な性格になり、得をしよう」という意味になるが、先述の「不幸や退廃から目をそむけて、幸福感に満ちあふれた楽天的な性格になり、得をしよう」という内容とほぼ一致する。
本書の出だしには「他人からの援助は人を弱くする」と主張する文章がある。
外部からの援助は人間を弱くする。自分で自分を助けようとする精神こそ、その人間をいつまでも励まし元気づける。人のために良かれと思って援助の手を差し伸べても、相手はかえって自立の気持ちを失い、その必要性を忘れるだろう。保護や抑制も度が過ぎると、役に立たない無力な人間を生み出すのがオチである。
いかにすぐれた制度をこしらえても、それで人間を救えるわけではない。
いちばんよいのは何もしないで放っておくことかもしれない。そうすれば、人は自らの力で自己を発展させ、自分の置かれた状況を改善していくだろう。
その一方で、本書には「他人からの援助は重要である」と主張する文章がある。
人間の業績や名声は、その人自身の活力や勤勉に負うところが大きい。だが同時に、人生という旅の途上では他人からの援助も実に重要な意味を持つ。
(中略)
われわれはみな、幼少のころから老年にいたるまで何らかの形で他人に育てられ、その教えを受けている。そして立派で有能な人ほど、自分が他人から助けられたことを認めるのにやぶさかではない。
(中略)
トクビルは「自分の力を信頼し、精力的に働くこと、これが人間にとって不可欠なものだ」という考えをしっかりと身につけていた。また一方では、他人からの援助や支えがどれほど貴重であるかも誰よりも深く認めていた。人間は、多かれ少なかれ、他人の援助や支え無しでは生きていけないのだ。
他人からの援助をどのように扱うかについて、2つの大きく異なった考えを述べている。統一性・一貫性がない書物である。
詩人のムーアがメルボーンに「息子に対して援助をお願いしたい」と依頼したときにメルボーンが「若者に援助をすると若者が努力しなくなる」といったことを紹介し[8]、「他人からの援助は人を弱くする」という思想を披露している。
その一方で、ファウエル・バクストンを紹介するところでは、ガーニー家からの援助がバクストンを成長させたと述べていて[9]、「他人からの援助は重要である」と主張している。
野球の投手が速球とスローカーブを投げ分けて打者を翻弄するのと同じように、サミュエル・スマイルズも「他人からの援助は人を弱くする」という思想と「他人からの援助は重要である」という思想を書いて、読者を翻弄している。
サミュエル・スマイルズは法律・制度に対して期待感を持っておらず、「法律や制度で勤勉な人間を作り出すことができない」と主張している。
いかにすぐれた制度をこしらえても、それで人間を救えるわけではない。 (中略) だが、いつの時代にも人は、幸福や繁栄が自分の行動によって得られるものとは考えず、制度の力によるものだと信じたがる。だから「法律を作れば人間は進歩していく」などという過大評価が当たり前のようにまかり通ってきた。確かに、法律がうまく施行されれば、人は個人的な犠牲をさほど払わずにそれぞれの労働(精神労働や肉体労働)の果実を楽しむことができる。だが、どんなに厳格な法律を定めたところで、怠け者が働き者に変わったり、浪費家が倹約に励みはじめたり、酔っぱらいが酒を断ったりするはずがない。自らの怠惰を反省し、節約の意味を知り、酒におぼれた生活を否定して初めて人間は変わっていく。われわれ一人一人がよりすぐれた生活態度を身につけない限り、どんなに正しい法律を制定したところで人間の変革などできはしないだろう。
(中略)
政治の力だけで国民を救えるというのは実に危険な幻想なのだが、このような考えはいつの時代にもはびこりやすい。しかも、多大な犠牲を払って国の変革が成し遂げられようと、国民の心が変わらなければ、その変革はほとんど功を奏さないだろう。
すぐれた道路行政・交通行政の制度をこしらえれば、悲惨な交通事故を減らして人間を救うことができるのだが、そうした例はサミュエル・スマイルズの脳裏に浮かばなかったようである。
自助論というのは偉人の伝記を集めた書物だが、「あの人は、こういう優れた制度を作り出したから偉い」という文章はほとんど出てこない。ファウエル・バクストン
について「イギリス植民地における奴隷の完全解放に取り組んだ」と紹介している程度である[10]。
このためサミュエル・スマイルズは、人々が「法律・制度を変えよう」と主張して政治に口出しすることに対し、冷淡な態度を取っている。「そういう政治的主張をするのは怠けている証拠だ」といわんばかりの態度になる。
だが実際には、稼いだ金を飲み食いに使いはたしてどうにも身動きがとれなくなり、倹約家のお情けにすがろうとする連中がずいぶん多い。 (中略) しかも彼らは、税金のような社会制度上の問題にばかり目を向け、克己心や自助の精神の重要性などはほとんど顧みない。真の自立を勝ち取るには、個々人が倹約と将来への備えに励むことがいちばん大切なのに、誰もその点に関心を払おうとはしないのだ。 (中略) しかしながら世間の人は、自分の悪習をわずかでも改めるより、国家や教会を改めるほうが簡単だと思い込みがちだ。一般的にいって、人は自らの非を直すより隣人の非をあげつらうほうが、よほど好みに合っているようである。
自助論というのは偉人の伝記を集めた書物だが、「あの人は、『法律・制度を変えよう』と主張して政治に口出ししたから偉い」という文章は、まったく出てこない。
国民が国政に参加する方法は3通りあるとされ、直接的参政権の行使(憲法改正の国民投票、被選挙権など公職に就く権利の行使)、間接的参政権の行使(選挙権など公職者を任免する権利の行使)、インフォーマルな国政参加(憲法第16条
に基づく請願や、行政や立法に影響を与える目的で行う表現)が挙げられる[11]。
サミュエル・スマイルズは、インフォーマルな国政参加をあまり重視しない人のようである。
民衆によるインフォーマルな国政参加を許可することは民情を深く把握することの基礎となるので、為政者にとって有益である。日本の江戸時代では民間人のインフォーマルな国政参加がたびたび行われ、為政者たちはその言葉に耳を傾けたという(記事
)。こうした政治形態とサミュエル・スマイルズの考え方は、対極に位置する。
サミュエル・スマイルズは学校教育に対してあまり期待感を持っていないようであり、「学校教育よりも、学校以外で得られる経験の方がずっと役に立つ」と繰り返し論じている。
エネルギッシュに活動する人間は、他人の生活や行動に強い影響を与えずにはおかない。それにこそ最も実践的な教育の姿がある。学校などは、それに比べれば教育のほんの初歩を教えてくれるにすぎない。生活に即した教育は、むしろはるかに効果が高い。家庭や路上で、店や工場や農家で、そして人の集まるところならどこでも、毎日の生活教育は実践されている。
これが社会の一員となるための教育の仕上げなのである。それを、ドイツの劇作家シラーは「人類の教育」と呼んでいる。
実際の仕事を学びながら人間性をみがき、克己心を養うことができれば、人は正しい規律を身につけ、自らの義務や仕事をうまくこなしていけるようになる。このような教育は書物から学べず、学校の単純な授業からも得られない。
人は誰でも、多かれ少なかれ、耳より目を通してものごとを学ぶ。現実に見たものは、それがどんなにささいなものであっても、単に読んだり聞いたりしたものよりはるかに印象が深い。
とくに幼少時代はこの傾向が強く、「目は知識の専用の入口だ」といっても過言ではない。子供は、見たことを何でも無意識に模倣する。昆虫の体が、常食にしている草の色に似るように、子供もいつの間にか周囲の人間と似かよってくる。
家庭教育が重要だといわれるゆえんはそこにある。いくら学校教育が有益だとしても、家庭で示される手本のほうが子供の性格形成にははるかに大きな影響を与える。家庭は社会の結晶であり、国民性の核を成している。われわれの公私の生活を支配する習慣や信条、主義主張は、それが清いものであれ汚れたものであれ、家庭の中で培われる。国家は子供部屋から生まれる。世論の大部分は家庭から育っていく。そして最高の人間愛も、家々の炉端ではぐくまれるのだ。
学校教育を軽くみる内容の発言は、他にもいくつかの場所で散見される[12]。その一方で、学校教育を重視するような発言は全くといっていいほど見られない。
サミュエル・スマイルズは学校教育を完全否定しているわけではないが、学校教育に対してまったく期待感を持っていない。そして、職場教育や家庭教育に対して大きな期待感を持っている。
サミュエル・スマイルズの文章を繰り返し読む人は、「学校教育に対する政府予算を削減してしまおう」という思想を持つことになる可能性がある。
自助論という書物では「人は自らの決意・心がけ・信念によって成長する。人は自らの意識によって自らを鍛え上げ、成長していく」という思想が繰り返し語られている。
その一方で、「人は他者からの要求によって鍛えられる。他者から浴びせられる厳しい要求に対して必死に対応しようとすることで人は成長していく」という思想は全くと言っていいほど見られない。
世の中には軍需産業という業種がある。軍隊から「もっと良い兵器を作ってくれ。さもないと仮想敵国に後れを取ってしまう」という厳しい要求を浴びせられている業種である。そういう厳しい要求に対して必死に対応しようとした結果、軍需産業は高い技術を持つようになった。軍需産業が持つ軍用技術が民間に転用されていくスピンオフという現象が起こることも数多い。このように、「他者からの厳しい要求を受け続けることにより成長していく人」というのは確かに存在する。
しかし、サミュエル・スマイルズの自助論には「他者からの厳しい要求を受け続けることにより成長していく人」を紹介する文章が見当たらない。
サミュエル・スマイルズは、「人の行動はそれ以外の人にとって手本となる。人はお互いに手本を見せ合い、相互に影響している」と主張している。
手本とは、無言でわれわれを教え導く名教師だ。ことわざや格言も、確かにわれわれの進むべき道を示してはくれる。だが実際に人間を導くのは、ものいわぬ無数の手本であり、生活を取り巻く現実の規範なのだ。よい忠告にはそれなりの重みがあるが、よい手本が伴わなければ結局のところあまり効果はない。
以上のように人間の言動は、あとあとまで何らかの形で他人に波及していく。これは打ち消しがたい厳粛な事実だ。どんな人間でも、われわれの生活に多少とも感化を及ぼし、知らずしらずのうちに影響を与えている。
立派な言動や言葉は、それが結局は実を結ばないものであっても、いつまでも人の心に生きつづける。悪しき行動や言葉の場合も同じだ。まったく取るに足りない人間でさえ、その言動はよい手本と悪い手本のいずれかに分類される。
(中略)
社会の中では、人は必ず互いに持ちつ持たれつの関係にあり、各人の行動の善し悪しが、現在はおろか将来の社会全体の幸福や繁栄を左右していく。
(中略)
これまで述べたように、われわれの見聞きする行いや言葉はもとより、われわれ自身の言動も大きな影響力を持っている。その力は、自分の将来のみならず社会全体の方向をさえ左右しかねない。
そしてサミュエル・スマイルズは、「人というのは影響されやすい生き物であるから、模範となる人物を友人に選ぶべきであり、人格者との交際をすることが大切である」と主張するに至るのである。
人格教育の成否は、誰を模範にするかによって決まる。われわれの人格は、周囲の人間の性格や態度、習慣、意見などによって無意識のうちに形づくられる。 (中略) したがって、とくに若いうちはよく注意して友人を選ばなくてはならない。若者には相互に引きつけ合う力があり、付き合っているといつの間にか性格や人柄が似通っていく。 (中略) 同じように、堕落した人間と付き合っていると自分自身も必ずそれに染まり、品性を落としていくハメになる。
若者は常によき友を探し求め、自らをいっそう高めようと努力すべきだ。 (中略) よき友と付き合えば必ずよい感化を受ける。野辺を行く旅人の衣に草花の香りがしみつくように、よい交際はすばらしい恩恵を手みやげに与えてくれる。 (中略) すぐれた人格者は、このようにいつも周囲の人間に働きかける。われわれは彼の力によって無意識のうちに高められ、ものの感じ方や見方も彼に似通ってくる。精神相互の作用と反作用は、かくも大きな力を発揮するのだ。
芸術家も、自分よりすぐれた才能の持ち主に触発されて才能を高めていく。 (中略) 真の芸術家はまた、互いの偉大さを率直に認め合う。
つまり、「エリート同士で集団を作って仲良くしろ。怠惰で意識が低く堕落した者とは関わりを持たず意見の交流をするな」といっている。
これは階級社会の考え方で、いわゆるエリート主義である。世の中の人々を「勤勉階級」と「怠惰階級」に分割し、「勤勉階級」の人だけで群れて意見交換しようというものである。
19世紀以降の世界各国は国民主権の原理を取り入れ、「階級社会を否定して国家を無階級社会に近づけ、誰とでも分け隔てなく話をして色んな立場の人から意見を集め、民間の事情を広く把握し、国家のすべての階層から意見を吸い上げて民意を確認し、そうしてから政治を決めていこう」という考え方が主流となった。そうした考えと、自助論におけるサミュエル・スマイルズの「模範となる人格者とだけ交際しろ」という考えは、大きく食い違うものである。
19世紀以降の国民主権の原理を取り入れた国は民主主義(デモクラシー)であるのに対し、サミュエル・スマイルズの考え方を徹底すると貴族制(アリストクラシー)に近くなっていく。
先述のようにサミュエル・スマイルズは「不幸や退廃から目をそむけて、幸福感に満ちあふれた楽天的な性格になり、得をしよう」という趣旨の発言をしている。そういう発言と「勤勉な人格者たちとだけ交際しろ」という階級社会志向の考えは軌を一にしている。勤勉な人格者というのは経済的に成功していることが多く、不幸や退廃から遠く離れた存在だからである。
『自助論(Self-Help)』という題名の書物なのに「優秀な人と交流してその影響を受けて成長しよう」と主張しており、あまり自立心を感じられず、むしろ優秀な人に対する依存心を感じさせる。
サミュエル・スマイルズは「職業に貴賎はない」と述べていて、職業によって人を差別しないようにしている。
職業には、貴賤の区別などない。土を耕す仕事も道具作りも、機織りも店員も、みな立派な職業だ。 (中略) たとえ世間から低く見られるような職業に就いていたとしても、そこから身を起こして大成したのであれば、何ら恥ずかしい思いをする必要はない。むしろ、困難を乗り越えて現在の地位に達したことを誇りにすべきだ。
熱意をこめて働けば、どんなに平凡な職業でも尊敬に値するものになる。自信の持ちようで仕事の出来映えは違ってくる。心から喜んで働けば、それが手仕事であれ精神労働であれ、有意義な結果を生まずにはおけない。
また、偉人と呼ばれる人の中でも多くの人が生計を得るため商売をしていたと指摘し、さまざまな例を挙げている[13]。
このようにサミュエル・スマイルズは、職業によって階級を作って人を差別することを明確に否定している。
ところが先述の通り、「勤勉か、それとも怠惰か」という人の性質で階級を作って人を差別することに対しては、ほとんど抵抗心を持っておらず、わりと平気で行っている。
にて、竹中平蔵が「小泉純一郎にとって一番好きな本のうちの1つが『自助論』である」と証言している。また、竹中平蔵も『自助論』が好きで、「ゼミの学生に経済学の本よりも先に『自助論』を読ませる」と語っている。また、渡部昇一も『歴史の鉄則』などの自著で『自助論』を絶賛していた。マーガレット・サッチャーも『自助論』を愛読し、「英国の全ての小学生に『自助論』を贈りたい」と発言したという(記事
)。ちなみに竹中平蔵と渡部昇一とマーガレット・サッチャーはいずれも商店を実家としており、両親が商店の経営者だった。『自助論』の著者サミュエル・スマイルズの実家も商店で、両親が商店の経営者だった。こうした共通点も注目すべきところである。
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