基礎データ | |
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正式名称 | 北マケドニア共和国 Republic of North Macedonia Република Северна Македонија |
国旗 | ![]() |
国歌 | 北マケドニア共和国国歌![]() |
公用語 | マケドニア語 (自治体によってはセルビア語、トルコ語、アルーマニア語、アルバニア語、ロマ語も) |
首都 | スコピエ |
面積 | 25,333 km²(世界第148位) |
人口(’08) | 約204万人(世界第142位) |
通貨 | マケドニア・デナール(MKD) |
北マケドニア(北マケドニア共和国[Republic of North Macedonia]とは、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する国家である。首都はスコピエ。
概要
位置はバルカン半島中央部、ギリシャの北方。内陸国。山がちな土地ではあるが、中央を流れるヴァルダル川沿いの渓谷は暖かく首都スコピエも川沿いにある。
主要民族はスラブ系のマケドニア人で主要言語は南スラブ語のマケドニア語。ユーゴスラビアの構成国だったが、1991年9月8日に「マケドニア共和国」として独立を宣言。
しかし、国名に「マケドニア」の名称を使用したことに隣国ギリシャが猛反発、報復として経済制裁を初めとした様々な妨害を受けたため、「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」で国連に加盟せざるを得なかった。
周辺国とはギリシャとの間に国家名称問題、下火だがブルガリアとの併合(大ブルガリア)問題等を抱えている。特に前者に関してはEU、NATOへは国名問題が解決しなければ加入を認めないとされ、長らく加入手続きは足踏み状態であった。
ユーゴスラビア政府が資金を投入がなくなった独立以後、もともとの低開発に加えて港であるギリシャによる経済制裁、周辺国の不安定、セルビアへの経済制裁で大打撃を受けた。現在は回復はしているが当時根付いたアングラ経済が今だに国の経済を見えない形で支えているとされ、この国がバルカンの裏社会のイメージの少なくない部分を支えている。
マケドニアの歴史と北マケドニア共和国とマケドニア人の歴史
古くは古代ギリシア人がマケドニア王国を形成しており、アレクサンドロス(アレキサンダー)大王の遠征による大帝国の建設は世界史上あまりにも有名。……とはいえアレクサンドロスのマケドニア王国とはほぼ無関係である。
現在の北マケドニア共和国の国土は、およそローマ帝国時代やオスマン帝国時代にマケドニアの一部とされた地域である。北マケドニア共和国のマケドニア率が一番高い時代でも全マケドニアの4割弱にしかすぎない。
この地域は古くはパエオニア人やトラキア人が住みパエオニア王国があったところで、現在の北マケドニア共和国の地域はマケドニア王国の支配下には入ってもごく一部を除きマケドニアではなかった。その後没落したアンティゴノス朝マケドニア王国がローマ帝国に組み込まれたときに、マケドニアとマケドニアを含む最後まで残っいていたマケドニア王国の領域がマケドニア属州となる。
民族で見ると、現在の住人の原型は5世紀ごろに侵入したアヴァール人や南スラブ人とブルガリア帝国によって形成されたと言える。ブルガリア帝国が周辺国に対し劣勢になるとブルガリアは現在のブルガリア地域を失い、現在の北マケドニア共和国の地域がブルガリアの中心地となった。これが東ローマ帝国の"ブルガリア人殺し"バシレイオス2世の手で完全に併合されることで、東ローマ帝国の行政区分としてマケドニアは現在のブルガリアの一部を、ブルガリアは現在のマケドニア周辺を指す言葉になった。
時代が下るにつれ第二次ブルガリア帝国、東ローマ、セルビア王国(中世)などが支配者となり、オスマン帝国の支配下のセルビア公国の一部やルメリ・ベイリルベイ領[1](後ルメリ・エレヤト/ルメリ州)となる。ここでブルガリアのブルガリア人とオスマン帝国ルメリのブルガリア人の分断が始まる。以下執筆中...
このため、ギリシャ民族の流れを汲む現在のギリシャ共和国は、現在の北マケドニア共和国(独立直後の名称はマケドニア共和国)が「マケドニア」の呼称を用いることに対して反対の姿勢を崩していなかった。
一方のマケドニア共和国側も「マケドニア」の名を使用することは主権国家としての当然の権利としてこれを譲らず、長らく国名問題で両国は対立関係にあった。
国名問題の解決
しかし、2017年にマケドニア共和国でゾラン・ザエフ政権が発足すると、状況に変化が現れる。
EU、NATOへ加盟を目指すためにマケドニア側が国名を変更する姿勢を示すと、ギリシャ側も従来の強硬姿勢を軟化させ、2018年6月12日には「マケドニア共和国」から「北マケドニア共和国」へ変更することでギリシャとマケドニアが合意。
その後、両国内では野党や国民による反対や抗議デモが行われるが、最終的にマケドニアの国名改称が承認され、2019年2月12日に改名が成立。翌13日には「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」から「北マケドニア共和国」に改名したことを国連へ通知し、長らくこの地域での懸念点だったマケドニア国名論争に終止符が打たれた。
ネットサブカルチャーにおけるマケドニア
上記のとおり東ヨーロッパの一国家であるマケドニアだが、日本のインターネット・サブカルチャーでは特殊な意味を持つ。
画像投稿サイト「ふたばちゃんねる」の有名キャラクターであるマジレスの顔写真の背景に、いつからかマケドニア国旗を彷彿とさせる黄色と赤の旭日旗のような模様が用いられるようになり、マケドニアは彼らにとってマジレスの裏の代名詞のような扱いを受けることとなり、「マケドニア」がそのような背景を指す呼称として通用するようになった。
現在ではふたばにおける定番ネタの1つとなってマジレス関連以外でも広く用いられている。サムネイルを一覧表示するカタログモードではマケドニア国旗風背景を背負った画像がいつでもどこかに見受けられる状態である。
当該事項の経緯等については、マジレスの項目等に詳しいのでそちらも参照されたい。
関連動画
関連項目
- 国の一覧
- 世界史
- ヨーロッパ
- 東欧
- 東欧の歴史
- アレクサンドロス大王(アレキサンダー大王)
- 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)
- オスマン帝国
- ユーゴスラビア
- ヴェルギナの太陽
- ふたばちゃんねる
- マジレス
- うま味紳士
- 絶対に許さないよ
- 絶対許早苗
- ミクダヨー
脚注
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- なし
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- アイスランド
- アイルランド
- アルバニア共和国
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- ギリシャ
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