多砲塔戦車とは、第一次世界大戦の後から第二次世界大戦の前(いわゆる戦間期)に世界各国で作られた「1つの車台に2つ以上の"砲塔"を持つ戦車」のことである。
M3中戦車やルノーB1など「1つの車台に2つ以上の"砲"をもつ戦車」はこれに含まれない。
概要
第一次世界大戦で初めて登場した新兵器の一つとして挙げられるものに戦車がある。これは兵力の消耗が非常に激しい塹壕での戦いを打開するために、強力な主砲に銃弾を通さない装甲、そしてキャタピラによる優れた踏破力をもって塹壕を突破することを目的として開発されたものである。多砲塔戦車はこの概念をさらに拡大発展させたもので、複数の戦車による連携や歩兵の支援を受けることなく単独にて塹壕突破を行うものとして開発が進められた。
特徴は何と言っても文字通りに「複数の砲塔を持つこと」に他ならない。これは対戦車戦闘や機関銃座への攻撃を目的とした大口径砲を搭載する「主砲塔」とは別に、肉薄する歩兵を掃討するための機銃や小口径火砲を搭載した「副砲塔」を設けることであらゆる方角からの敵に対応しようという構想であった。
問題点
戦車の新たなジャンルを築き上げるとして大きな期待を寄せられた多砲塔戦車だが、いざ完成してみればたちまち多くの欠点が明らかになった。
- 機動力の低下
- 多くの砲塔を搭載するということは、その分だけ重量が増すということになる。
- 重量が増せば当然ながら速度は低下し、橋梁通過における制限にも抵触する恐れがある。
- 防御力の低下
- 増加した重量の中で機動力を補うには足回りやエンジンの改良が必要だったが当時の技術ではまだ困難なものであり、最終手段である「装甲の軽量化」を取らざるを得なかった。
- 例えばソ連のT-28の最大装甲厚は35mmで、防御に難ありと言われたドイツのIV号戦車D型と同様である。
- 車体の大型化
- 砲塔を載せればそれを駆動するための設備や戦闘室も必要になり、そういったものを詰め込むには車体そのものを大型化せざるを得ない。
- 大型化するということは被弾率が上がる、つまり「的が大きくなる」といっても過言ではない。
- 戦闘能力の低下
- 多方向の敵に対応するというコンセプトでありながら、それぞれの砲塔が持つ射界はごく限られていた。
- 例えば左側面から敵が来ても右側面の砲塔では反対側の砲塔が邪魔となって射撃ができない。さらに戦闘によって破壊された場合は、完全に死角となって対応できず手も足も出なくなる。
- 指揮系統の混乱
- 砲塔にそれぞれ乗員を配置すれば、それらに指示を出す車長の指揮は非常に煩雑なものとなる。
- それぞれの砲塔に方角の指向や砲撃のタイミングを一つ一つ伝達せねばならず、それが一刻を争う戦場においてはたちまち混乱を招くことになる。
- 整備性の悪化
- 大型化したとはいえ、それは装備を付けるための最小限のものであり居住空間はごく限られていたものであった。これは戦闘に支障が出ると同時に修理なども難しいものとした。
- また多くの種類の弾薬が必要となるため、補給も簡単には行えなかった。
- 生産価格の高騰
- 大きな車体に複数の設備を取り付ければ、そのために必要となる費用もかさむ。
- 1929年には「世界恐慌」が発生し、実用性の低さもあり本ジャンルの存在価値に疑問の声があがった。
結末
このように車体規模の割に実戦運用に難があるため、5か年計画で工業分野が発展しつつあったソ連以外では本格的な量産は行われなかった。
ただし戦争中のプロパガンダにおいてはその巨体を利用した国民の士気高揚に一役買うこととなった。特にドイツでは工場の中に配置していかにも量産しているかのように思わせて、連合軍側を欺くことに成功している。
多砲塔戦車一覧
イギリス
- Mk.III中戦車(A6)
- ヴィッカース社で製作された車両。多砲塔戦車の中でも最も速い、最高速度48km/hの快足を誇る。
- 試作車2両と増加試作車3両の合計5両のみ生産だったが、その後「巡航戦車Mk.I」に発展することになる。
- A1E1インディペンデント重戦車
- ヴィッカース社で製作された車両で、その後の多砲塔戦車の流行につながった。この時ソ連が購入を打診していたものの、イギリス政府はこれ拒否した。
- 軟鋼製試作車1両の完成をもって開発は中止された。
- 巡航戦車Mk.I(A9)
- 機動力を重視したジャンルである「巡航戦車」の最初期の車両。多砲塔以外の特徴として、世界初の「動力旋回砲塔」の搭載があげられる。足回りの構造はバレンタイン歩兵戦車にも採用された。
- 125両が完成し初期ヨーロッパ戦線および北アフリカ戦線に投入された。
ソビエト
- T-28中戦車
- T-35と同時期に製作された車両。設計はイギリスのMk.III中戦車が参考になっている。多砲塔戦車というジャンルにおいては世界最多である503両が生産された。
- 詳しくは当該記事参照。
- T-35重戦車
- インディペンデント重戦車の購入に失敗したため、その外見のみを模して自国で独自に組み上げた車両。
- 多くの戦闘を経験するも、ドイツ軍の電撃戦やフィンランド軍の巧みな戦術には太刀打ちできなかった。
- 詳しくは当該記事参照。
- SMK重戦車
- T-35の後継車両として製作された。SMKとは本車が製造された「第100キーロフ工場」の顕彰名称の元となっているセルゲイ・ミローノヴィッチ・キーロフ(Sergei Mironovich Kirov)のイニシャルである。
- 1両のみが生産されたが、後に本車を小型化しつつ装甲を強化し単砲塔化した「KV重戦車」へと発展する。
- T-100重戦車
- SMK重戦車と競作になっていた車両。設計は全く異なるが外見はSMKによく似ている。
- SMKから発展したKV重戦車の採用の見込みが立ったため、試作車両2両のみの生産に終わった。
ドイツ
- Nb.Fz.中戦車
- ドイツ軍で開発された車両。「Nb.Fz.(Neubaufahrzeug、ノイバウファールツォイク)」とは「新式車両」という意味である。砲塔はラインメタル社製とクルップ社製で形状や砲の配置が異なる。
- 5両が生産され、このうち増加試作型の3両は戦車不足のため独ソ戦初期まで前線に赴いた。
- ラーテ
- 「陸上巡洋艦 P1000」の秘匿名称で開発された車両。主砲にはシャルンホルスト級巡洋戦艦の「28cm SK L/54.5」を改造したものを、副砲にヤークトティーガーと同様の「12.8cm KwK 44」を搭載するという驚天動地の発想に驚かされる車両である。
- 詳しくは当該記事参照。
日本
- 九一式重戦車
- 八九式中戦車との競作に敗れた試製1号戦車を改良し「試製2号戦車」として完成。
- 後に中国やソ連での戦いにおいて本車は有用でないことが明らかとなったため、1両のみの生産に終わった。
- 九五式重戦車
- 九一式重戦車の改良型。砲兵装が強化された他に、装甲の増圧も行われた。本車は日本本土や満州で行われた各種実用試験においても満足な評価を得られたため、制式採用されたが、機動戦を重視した大陸での戦いでは有用性は低いとみなされ、4両生産されたところで中止になってしまった。
- オイ車
- 1942年に三菱重工で開発が開始された車両。「オイ」の名は「大型イ号車(イ号車=イロハのイで1号車)」に由来する。用途は対戦車兵器ではなく、重トーチカ群の突破用兵器であった。
- 最大装甲が150mm(なんと、砲塔全周及び車体前面の厚さ)と、日本軍のみならず世界各国の多砲塔戦車と比べても破格の重装甲であり、搭載砲も150mm級の巨砲であった。1943年に車体の試作のみが完成した。
- 詳しくは当該記事参照。
フランス
- FCM 2C重戦車
- フランスで開発された車両で、またの名を「シャール2C」という。開発完了は第1次世界大戦の末期で、多砲塔戦車の先祖と言えるものである。
- 10両が生産され第2次世界大戦から実戦に投入されるも、列車輸送中にドイツ空軍の攻撃を受けてほとんどが大破してしまった。
フィクションにおける多砲塔戦車
- 「宮崎駿の雑想ノート」の一編「多砲塔の出番」に登場する「悪役1号」および「VSB-2超重戦車」。特に悪役1号はアニメ化前提の企画で、実際にアニメが制作されかけたことがある。その後模型化が行われた。詳しくは関連商品を参照。
- 「機神兵団」(山田正紀のSF小説)で、渤海の孤島「姑娘島」の異種知性体(エイリアン)基地を攻略する機神兵団に対する異種知性体の最後の切り札として登場。中国大陸で鹵獲した多数の大砲を用いて作られた。…だが、絶海の孤島である姑娘島で多砲塔戦車を使う意義はあまりなく、大して活躍しないうちに海に落下してそれきりになってしまった。何しにきたんだろう…
- ところが、上記のコミカライズである「機神兵団」(作画:岡昌平)では原作をはるかに上回るスケールで登場。その姿はもはや陸上戦艦、動く要塞である。しかも水に浮き、更にその状態から戦車なら瞬時に蒸発しかねない程の凄まじい熱線砲を発射する。また強力なバリアを持ち、戦艦主砲程度ではびくともしない防御力を誇る。機神兵団は三体の巨大ロボット・機神と800mm砲「轟神」(元はドイツから日本に譲渡された80cm列車砲3号機)、超重爆撃機・富嶽と20t爆弾「愚乱怒素羅武」でこれに立ち向かう。
余談
先述のスターリンの「百貨店」発言だが、この百貨店は便宜的に訳されたもので実際はモスクワにある帝政ロシア時代に「ミュールとメリリズ」と呼ばれた店舗を指していた。これは現在の「中央百貨店ツム」である。
この百貨店は首都モスクワの北およそ1kmのところにある。
南西には劇場が並び、東には連邦保安局がある。最寄駅はモスクワ地下鉄の「クズネスキー・モスト駅」である。
関連作品
動画
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関連商品
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- 1/72 悪役1号 隊員集合セット [TG-2] | アスカモデル
- プラッツ 夢の多砲塔戦車 1/72 悪役1号 短砲身 [SPG-1]|プラッツ(PLATZ)
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関連項目
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