山城(艦これ)とは、艦隊これくしょん~艦これ~に登場する、日本海軍の戦艦「山城」をモチーフとした艦娘である。
扶桑型戦艦姉妹、妹のほう、山城です
戦艦系艦娘であり、巫女服を大幅にアレンジしたような着衣と艶やかな黒髪が特徴で、ストレートロングの扶桑に対し、山城はショートカット。背中の背負い物(主砲塔)も姉と同様、ひときわ目を引く巨大なものになっている。そして、『不幸姉妹』の由来にもなっているパラメータ “ 運:5 ” もまた、姉と同じ。
いかにもお淑やかな大和撫子然とした姉に比べ、山城は全般的にハキハキとした感があり、砲戦時をはじめその口調には若干の気の強さも伺える。また、姉や他の戦艦に負けず劣らないくらいグラマーなスタイルを誇り胸部装甲も立派なモノをお持ちで、中破してしまった時の姿がじつに目や股間に良くない。
姉との違いとして、髪が短めというのが対照的。
その一方、下記史実にあるように欠陥戦艦だ予備役だと不遇続きであったためか、基本的にやさぐれたセリフが多く、小破を食らった時や改造・改修時、はたまた戦績表示を開いたとき等々、もはや口癖と呼べるレベルでやたら「不幸」という単語を使うあたり、病みキャラ・自虐キャラとしての側面は姉より強いかもしれない。
景気よく遠征艦隊を送り出そうとしているまさにその時に、ぼそりと「不幸だわ…」とつぶやくのは縁起が悪いので本当にやめてくださいしんでしまいます(震え声)[1]
そんな不幸な彼女だが、入手時やMVPを取ったときに真っ先に姉を呼ぶセリフなどにあるように、とにかくいつもひたすら姉のことを思っている実に良い妹(強調)である。「姉さま!?・・・なんだ、提督か」という母港台詞にはじめ、(提督が信頼されてないわけではないらしいが)提督と扶桑への当たり方がまるで違う。他の姉妹艦以上に重度のシスコンで、時に姉とのキャッキャウフフな妄想に耽っていると思わしき場面も・・・
さらには、以下のような時期限定の台詞などを見ても姉の事を盲目的と呼べるくらいに慕っている事がわかる。
- 姉様、私達、二周年みたいです!扶桑型姉妹も二周年です・・・ふふふ、うふふ、ふふふふふ・・・。(艦これ2周年)
- 姉様、今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。・・・え、提督? はい、よろしくです・・・(2016正月)
- 姉様、この山城、チョコレートを差し上げます!提督?仕方ないですね。はい、これ。(バレンタインデー)
- 姉様、山城、姉さまにこぉんなにクッキー焼いたんです!・・・え、何です、それ?・・・うわ(ホワイトデー)
- 姉様、姉さま。今日は特別な、大切な日です!あれ、姉様? ・・・提督、姉さまはどこ・・・?(艦これ3周年)
台詞によっては開口一番に姉さまを呼んだり提督や扶桑以外の艦娘が二の次に扱われたりもするため、その姉への執着心や独占欲は時にシスコンどころかヤンデレと呼ばれる事すらある。特に2周年の時は「山城が笑った!?」「ますます危なくなった(拗らせた)」等と評判を呼んだ程。またバレンタインデーの時には扶桑にチョコレートを用意した一方で提督に対しては申し訳程度のチョコレートを渡していると思われる事も「これはこれで山城らしい」と話題になったが、扶桑に渡したのと同じ物を提督にも渡した(けど態度が違うだけ)、とする説もある。
(想像図)
総括すると姉と姉以外の話題で、感情の浮き沈みが激しいらしい。黙っていれば美人、とも。
改二にしたから……たぶん行けるはず……
来たるべき2014年秋イベントを前にして、戦艦の改二実装が予告された。スリガオ海峡に消えた戦艦は2隻、そのいずれであるかが注目されたが、「戦艦姉妹の改二実装を現在実装準備中です。ネームシップから順に改装実装予定です。」とされたことから2隻ともに改二が実装されたことが確定し、10月24日にまず扶桑改二が実装されたのである。山城については「今秋中の改二実装を予定しています」とされていたのだが……それは突然やってきた。
約100年前の今日【11/20】は、その約30年後の秋の夜、西村艦隊旗艦としてスリガオ海峡に突入、「扶桑」「最上」「時雨」そして第四駆逐隊と共にレイテ湾を目指した、扶桑型戦艦二番艦「山城」が起工された日です。#艦これ
本日【11/20】夜、扶桑型戦艦二番艦「山城」のさらなる改装(改二改装)を、実装予定です。本実装は、サービスを継続したまま実施する予定です。全サーバ群に実装完了しましたら、再度お知らせ致します。※全サーバ群共に、本日日付中の作業完了を予定しています。 #艦これ
ほとんどの提督が予期していなかったであろうイベント中のオンメンテによる実装であった。かくて、姉と同じレベル80にて、改装設計図を消費して山城を改二にすることが可能であったのである。まず装備についてであるが、主砲の試製41cm3連装砲&41cm連装砲、艦載機の瑞雲12型は共通であり、姉とは異なり探照灯を搭載している。また、ステータス的には扶桑の方が火力・対空が1高く、山城の方が運・装甲が1高い。扶桑型改二の性能については姉のページを参照のこと。なお、改二に伴い見事な横乳・尻出しは修正されました。
改二に伴い、各種ボイスも新装されている。山城と言えばケッコンオコトワリ勢の一人として知られているが、改二まで長く付き合っている提督のことも少しは認めてくれているようになり、ケッコンカッコカリを済ませると……しかしながら、基本的には相変わらず姉様のことで頭がいっぱいのようである。
「邪魔だ・・・どけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
2017年秋イベント『捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)』において事実上の主人公であり、西村艦隊の旗艦として奮戦する山城の雄姿が見られた。
上記の科白は砲撃戦時のもので藤田咲氏の凄まじいまでの咆哮からもそれまでのネガティブな面が目立った山城のイメージが一変、僚艦である西村艦隊の仲間たちに声を掛け奮い立たせる旗艦に相応しい立ち回りを披露した。その怒声からも「どけ城さん」なる異名も。同作戦のエンディング(作戦完了)にて扶桑と共に「西村艦隊、成し遂げました」と締めくくった(後日家具アイテムとして実装)
史実 ……不幸の史実かしら
→扶桑(艦これ)も参照
建造は横須賀海軍工廠。大正2年(1913年)11月起工、大正6年(1917年)3月就役。「山城」は京都御所の所在地であり、1000年にわたって皇都の所在地だった山城国に由来する。
扶桑型戦艦の二番艦として建造された「山城」であるが、実は設計段階で既に「扶桑」の欠点が明るみになっており、製造訓令が発令されていた二番艦の「山城」・三番艦の「伊勢」および四番艦の「日向」は、設計の変更が検討された。しかし実際に変更されたのは「伊勢」「日向」のみであり、「山城」は「扶桑」で指摘されていた欠点を抱えたまま扶桑型戦艦として建造・完成された。
「山城」が変更されなかった確かな理由は不明だが、当時超弩級戦艦の整備で日本は遅れをとっていたため、多少の問題には目をつぶって就役を優先させたという説や艦隊を運用する上で戦隊を組む際、2隻以上の同型艦で構成するのが望ましいため、「扶桑」を単体にしてしまうより、あえて同型艦を製造したのではないかという説などが存在している。
このため、「山城」は出来た当初から、“欠陥戦艦”のレッテルを貼られることになってしまった。不幸だわ…
欠陥を立て直すべく改装を重ねられ、時に“違法建築”とも揶揄される巨大な前檣楼が特徴となった「山城」と「扶桑」を見分ける部分のひとつが、まさにその前檣楼で、「扶桑」は砲塔を置くスペースのために、艦橋背面の下側が「くの字」にえぐれているように見えるのに対し、「山城」は補強フレームが入っているため、普通の高層ビルのように見える点である。
もうひとつの明確な相違点は、前檣楼と煙突の間にある第三砲塔の向きが、「扶桑」は前向き、「山城」は後向きになっているところであろう。
「ドックに入っている方が長い」と言われた「山城」の艦歴として、あまり知られていないことだが、昭和3年12月から昭和4年11月の約一年間、連合艦隊の旗艦となっている。
当時の連合艦隊司令長官は海軍大将・谷口尚真(たにぐち・なおみ)。「日米不戦」の考えの持ち主で、この後就任した海軍軍令部長のとき、ロンドン海軍軍縮条約の成立に尽力。陸軍が起こした満洲事変に反対し、これに便乗した海軍軍拡の動きを押しとどめるなど、海軍の「良識派」を代表する提督だったが、強硬派のボス・東郷平八郎元帥に嫌われ、面と向かって罵倒されたこともある。そして昭和8年、強硬派が主導権を握った海軍から「予備役入り」という形で事実上追放されてしまう。やっぱり不幸だわ…
※公式四コマで「山城」の連合艦隊旗艦ネタが登場したので、常設化以後の連合艦隊旗艦一覧
艦名 | 旗艦指定日 |
---|---|
長門 | 大正11年(1922)12月1日 |
陸奥 | 大正13年(1924)12月1日 |
長門 | 大正14年(1925)12月1日 |
山城 | 昭和3年(1928)12月10日 |
伊勢 | 昭和4年(1929)11月30日 |
長門 | 昭和5年(1930)12月1日 |
金剛 | 昭和6年(1931)12月1日 |
陸奥 | 昭和7年(1932)12月1日 |
金剛 | 昭和8年(1933)11月15日 |
榛名 | 昭和9年(1934)11月15日 |
長門 | 昭和10年(1935)11月15日 |
陸奥 | 昭和12年(1937)12月1日 |
長門 | 昭和13年(1938)12月15日 |
大和 | 昭和17年(1942)4月10日 |
武蔵 | 昭和18年(1943)4月1日 |
大淀 (軽巡洋艦) | 昭和19年(1944)4月1日 |
※四コマでは扶桑姉さまが連合艦隊旗艦未経験というので [壁]oT) ゴゴゴ していたが、「扶桑」が第一艦隊の旗艦だった時期(大正4年12月~6年12月、大正8年12月~9年12月)は、連合艦隊が常設の組織ではなかったという事情がある。おそらく大正5年・6年・9年の定期演習で連合艦隊が編成された際は、第一艦隊旗艦の「扶桑」が、そのまま連合艦隊旗艦になっていたはずである。
もうひとつの変わったエピソードとして、航空機の発艦実験がある。大正11年(1922年)、「山城」の2番砲塔の上に滑走台を取り付けてここから航空機を飛ばす実験が行われ、これは成功した。気を良くしたのか、その後いくつかの軽巡洋艦に滑走台が取り付けられたが、やはり危なっかしいと不評で、その後カタパルトが開発されると滑走台方式は使用されなくなった。
各艦は私に構わず前進して!敵を撃滅してくださぁーい!
太平洋戦争開戦時は第一艦隊第2戦隊所属。真珠湾攻撃を皮切りに、南雲艦隊をはじめとする日米の空母機動部隊が太平洋の戦いを席捲するなか、「山城」その他の戦艦群はほとんどの期間日本本土にあり、出撃らしい出撃といえばミッドウェー海戦で、南雲機動部隊の後ろをついていったことや「伊勢」と共に行った輸送任務くらいである。
そのミッドウェー海戦で、「赤城」をはじめとする正規空母4隻を一気に喪失した穴を埋めるため航空戦艦への改装が検討されたが、資材と時間がなく、最終的に「伊勢」「日向」のみが改装された(ゲーム中で航空戦艦に改造できるのは、これを踏まえてのもの)。
戦局が悪化の一途をたどる昭和19年(1944年)になると、空母の速力についていけない低速戦艦とはいえ内地で練習艦に使っておくわけにもいかなくなり、横須賀工廠で最後の改装を受けて出撃準備を整える。この改装は本来、フィリピンではなくサイパン島へ特攻をかけるためのものだったというが、結局9月に西村祥治中将指揮下の部隊(=「栗田艦隊」こと第一遊撃部隊の第三支隊)へ「扶桑」とともに配属され、レイテ沖海戦に臨むことになる。
【第一遊撃部隊(第二艦隊)第三群】
司令官:西村祥治 中将 旗艦:戦艦「山城」
艦これの「山城」中破時のセリフは、スリガオ海峡の戦いで旗艦「山城」から最後に出された、西村司令官の命令電に由来する。魚雷攻撃を受けて1番・2番以外の主砲塔が使用不能となった状態で、米艦隊と激しい砲雷撃戦を繰り広げた「山城」は大破・炎上。昭和19年10月25日午前4時19分、「山城」はフィリピンの海に沈んでいった。あの巨大な前檣楼が、炎の中崩れ落ちていったという目撃証言がある。生存者は10名足らず。
スリガオ海峡で乱戦になった際、「扶桑」は魚雷4本が命中して大破、大爆発を起こす。しかしその後に「山城」から麾下艦隊に突撃命令が出され、西村司令官から栗田艦隊へ送られた緊急電でも「扶桑」の被雷について記されていない点から、「山城」は「扶桑」の状況を把握できない(もしくは後続の「最上」を「扶桑」と誤認した)まま、戦闘続行していたのではないかと言われている。
へっ?私の関連動画?ウソ、そんな……ホント?姉さま、見ててくれた!?
関連静画発見!閲覧、用意して!
姉さま?ツーショット静画ができたみたい
姉さま…西村艦隊、必ず帰ってきます…
あの、関連項目、見ませんでした?
脚注
- *2014年6月6日のアップデートにより、遠征出撃時には秘書艦ではなく遠征に向かう艦隊の旗艦がひとことしゃべるよう仕様変更されたので、山城秘書艦時にこのタイミングでこのセリフを聴けることはなくなった。
しかし、あの性格の彼女のことである。今日も遠征出撃時には、提督の耳に入らないところでぼそりと「不幸だわ…」とつぶやいているに違いない…。
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