長妻昭(ながつまあきら)とは、日本の政治家である。衆議院議員(東京7区)、民主党幹事長代行、民進党選挙対策・東京都連会長、厚生労働大臣を務めた。
1960年東京都練馬区生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、NECでコンピュータ販売の営業をしていたが数年で退職。その後、日経新聞系列の日経BPに転職し、数年間にわたり雑誌記者。
その後政治家を目指し、1995年から国政選挙に挑戦するも数度落選。2000年に衆議院に初当選。
第48回衆議院議員選挙では、民進党の分裂騒動を受け、立憲民主党に移籍。東京7区・東京ブロックから出馬。同じ選挙区では、自民党の松本文明と希望の党の荒木章博を下し、当選。得票数は117,118票 得票率は50.5%であった[1] 。
野党時代
「質問主意書」は主に野党の議員が政府見解を問うために文書で質問をする制度。通常は憲法解釈や政府の将来にわたる国家政策の見解を問うための制度なのだが、長妻はこの制度を利用し、政府に関する様々なデータ調査を行った。
これに関しては、「政府の不透明な行政運営の実態が明らかになった」等の評価する声もあるものの、一方で「自らの選挙運動や著作活動のために、膨大なコストをかけて政府に調査を行わせ、その調査費用を国民の血税である国費で負担させている」「長妻の質問主意書の乱発で行政活動が停滞し、本来行うべき政策立案機能に支障が出ている」との批判も出た。
例えば、彼の主意書の代表例としてしばしば挙げられる「キャリア官僚のエリート度に関する質問主意書」は、中央省庁の20代、30代職員の部下の数を多い順にランキングにせよ、との調査要求であった。このような要求に対しては、全省庁及びその出向先である地方公共団体、自衛隊などの全現業部門に対し一斉に調査が行われ、多くの関係職員が対応に時間を割く必要が生じるが、こうした調査がそもそも「エリート度」のような定義が不明確な概念を主軸に質問を行うなど、彼が標榜する国民のための行政改革に資するのかとの疑問も呈された。結局、調査結果は自衛隊の部隊長や市役所出向中の総務省職員などが上位を占める結果となり、彼が意図していたような「税務署などでのキャリア官僚のいわゆる”バカ殿修行”がまだ続いているのではないか」との推測(期待とも言えるが)を立証するような結果とはならなかった。
なお、質問主意書制度は、議員立法等の本来の議員としての業務に資するために設けられている制度であるとも言えるが、長妻は数百にわたる質問主意書を提出し、国費として調査のために膨大なコストが各府省で費やされたにもかかわらず、彼が現実に議員立法に携わった案件数はわずか5件であるとという。
このような活動に対し、2004年8月5日には、当時官房長官だった細田博之が記者会見において、長妻の主意書を手に取り、長妻の質問主意書によって行政が停滞している窮状を説明。この結果、議院運営委員会において与野党協議を踏まえた質問主意書への事前審査が行われるようになり、長妻の質問主意書乱発は沈静化した。(ただし、その後も「資料要求」に形式を変更し、同種の膨大な調査を中央省庁に要求し続けた。)
彼の転機となったのは2006年ごろから発生した年金記録問題。この問題の追及で、一躍メディアの注目を浴びるようになり、「ミスター年金」として名を馳せた。
上記のように厳しい行政批判、公務員批判を繰り返しているが、意外なことに長妻の実父は世田谷警察署長を務めた元・警察官(地方公務員)。長妻は天下り糾弾も繰り返し行なってきたが、実父は警察官を退職後、小田急建設の専門部長に再就職している。(この事は2008年7月18日の週刊ポストでも取り上げられ、取材に対し長妻本人も事実を認めている。)
また、2001年5月17日には、長妻の当時の第一公設秘書が、駐車違反に関する身代わり出頭に関与したとして、犯人隠避教唆の容疑で東京地方検察庁に逮捕されている。
なお、真相は不明だが、2004年3月には週刊文春で「秘書給与詐欺を行っている」と報道された。
厚生労働大臣
2009年の民主党への政権交代に際し、鳩山内閣の厚生労働大臣に任命される。(なお、余談となるが、長妻が大臣となって約2ヵ月後に、実父が勲五等瑞宝双光章の勲章を受けている。瑞宝章は警察官・消防官等の現業公務員を長年勤め上げた退職者の中から対象者の選抜が行われるのが通例だが、このタイミングでの受勲は情実受勲(要するにコネ勲章)と疑われかねず、疑問の残るところである。)
厚生労働大臣の役職は、当然ながら彼が得意分野とする年金ばかりでなく、医療・健保・薬品安全・食品安全・公衆衛生・障害者福祉・保育・雇用失業問題など極めて幅広い国民生活に責任を負うポストであるが、長妻は就任当初から、山積する懸案の多くについて記者会見で対処方針を聞かれても「検討中」としばしば答えたため、ミスター年金の異名をもじって「ミスター検討中」とメディアやネットで揶揄された。
また、2009年10月には記者会見を突然キャンセルし、記者に見つからずに帰宅する目的で、貨物用エレベーターを使って厚生労働省庁舎を脱出したことから、「ミスターお荷物」との辛辣なあだ名もネット等で散見された。
”長妻流”の組織経営
以下、長妻の厚生労働省内における組織経営について、メディアでの言及例を紹介する。
- 就任当初、閣議に遅刻して会見で深く謝罪(2009年9月18日、産経ほか各メディア)
- 「幹部を集めての昼食会、それぞれの趣味などを語らせる。弁当代500円は自腹とし、各職員から徴収」(2009年10月21日、毎日)
- 「藤井財務相(当時)がオフレコで『ダメな大臣の名前を挙げよう。長妻だ』と名指して指摘」(2009年10月30日、ゲンダイ)
- 「仕分けの結果に不満を募らせ、局長を集めて『みなさんは説明能力が低すぎる。私は大臣として恥ずかしい』と罵倒」「省に寄せられた苦情への回答を命じ、内容によっては謝罪文を出させる」(2009年11月28日、読売)(※苦情への対応は、一見すると良い方針にも見えるが、中央省庁に寄せられる苦情には見当はずれな、いわゆる”モンスターペアレント”的な要求や、統合失調症をはじめとする精神疾患と見られるような妄想に基づく苦情もかなり多く含まれている点を考慮すると、全ての苦情に誠意ある丁寧な対応を行うことは、対応コストの浪費などのデメリットが極めて大きくなる可能性がある。その上、妄想型の精神疾患患者の訴えに対して過度に誠意ある対応、ましてや謝罪を行うということは、患者からしてみれば「自分の妄想内容が国・政府から認められた」ということになり、患者の妄想世界をより強固なものにすることは疑う余地がない。このような長妻の方針が、精神疾患患型クレーマーの治療に極めて重大な悪影響をあたえかねない危険なものであることはお分かりいただけるかと思う。)
- 「大臣はメールを世論と勘違いしている。本来以外の業務が増え、厚労省が進める”ライフワークバランス”が実現出来ているのは、夕方いち早く家に帰宅する長妻大臣だけ」「業務上のストレスを部下にぶつけている」(同上、読売新聞)
- 「ある職員に、部下の目の前で『こんなこともできないならあなた、すぐに代わってください』と面罵」「ミスをした職員に『オレが批判されるのが楽しいんだろう』と言い放つ」(2009年11月22日、毎日)
- 「大臣の文書での指示が就任後約半年で1000件を突破。中には重箱の隅を突付くようなものもあり、『経費節減のため残業をするな』と大臣が指示するが、残業を増やしているのは大臣自身、と省内では揶揄」(2010年2月8日、共同通信)
- 「政権発足から半年経っても存在感を発揮できない」「政権全体の方向性を読めずに空回りすることが多く、官僚とのぎくしゃくした関係も相変わらず」(2010年3月15日、読売)
- 「省内に出す指示が『細かすぎる』と職員から不満が噴出」「期日までに達成できないと”反省文”を課すケースもあり、職員からは『小学生ではあるまいし』と恨み節も聞こえ始めている」「主な指示内容は『年金機構の職員は大きな声でいらっしゃいませとあいさつするように』『SAM(元TRFのダンサー)のポスターを大臣室に掲示せよ』など細かいものばかり」「取材を受けたときは内容を報告するよう指示するなど、報道監視も実施」「政官の溝が深まっている」(2010年3月17日、産経)
- 「視察先で幼児に泣かれた大臣が『(視察中に)子どもに泣かれないする方策を考えよ』という指示書を出した」「国会内で秘書官と食事をする際にも割り勘。省内では『クリーンさが売り物だった菅財務相でさえ、厚相時代は食事くらいおごってくれた』との囁きが漏れる」(2010年3月23日、読売)
- 「大臣室に局長らを集めた際、机の書類が床に落ちた。『上に立つ大臣は取っちゃいけない。君たちが拾わなきゃいけないんだよ』『本当は私とあなた方はそういう関係です』とみなにクギを刺した」「国会答弁のストレスで後頭部に湿疹」(2010年4月18日、毎日)
- 「全職員に『驕りは事実を見る目を曇らせる』『驕りは現場に運ぶ足を重くする』などとメールを送信」「厚労相に就任して以来、職員とのコミュニケーション不足」(2010年4月24日、読売)
メディアでの取り上げられ方としては、極めて民主党政権寄りとされている毎日新聞ですら、社説で長妻を取り上げ、「党内基盤が脆弱で、小沢氏の新年会にも呼ばれなかった一匹狼」「野党時代に質問主意書を連発した手法をそのまま大臣室に持ち込んだかのよう」「相手の失策を突く野党時代の手法から脱却できていない」(2010年2月25日)と極めて辛辣な評価を下しているのが興味深い。
大臣退任へ(2010年9月)
2010年9月において菅直人と小沢一郎が争った民主党代表選では、いち早く菅支持に回ったものの、菅勝利後の論功行賞人事となった内閣改造ではその功が報われることはなく、厚生労働大臣の職を解かれることとなった。(同じく菅全面支持に回り論功行賞により留任した蓮舫などとは対照的である。)
この解任劇については、マスメディアでは
- 「代表選では首相支持を明言したが、改造で待ち受けていたのは事実上の降格。官邸側から指導力に疑問符がつけられた格好」「『もし留任したら暴動が起きる』(厚生労働省幹部)とささやかれるほど省内では不人気」(2010年9月18日、東京新聞)
- 「内閣府の意見募集には長妻氏の悪評が山のように届いた」「仙谷氏(官房長官)は周辺に『長妻君の職員からの評判はすこぶる悪い。かと言って、交代させると、ダメという烙印(らくいん)を押すことになる』と悩みを打ち明けた。」(2010年9月18日、読売新聞)
などと、最後まで散々な酷評をされる形で、民主党政権の閣僚の座を追われた。
大臣退任後
菅政権退陣後の2011年8月に行われた民主党代表選では、存在感アピールのためか、代表候補たちに社会保障と財源に関する政策を聞くための「意見交換会」を主催した。
しかしながら、2011年8月24日に産経新聞が報じ たところによれば、民主党両院議員全員にこの会合の 開催告知をしたにもかかわらず、参加者は少ないとき で10人にも満たなかった。ある議員は「これじゃ、 来ても意味がなかった」と吐き捨てて、この長妻の会合を中座したという。
なお、この代表選は野田佳彦が制し政権の座に付いたが、2011年9月5日に発表された党役員人事で は、彼に主要ポストは割り当てられず、13名いる「政調副会長」の1人に列せられるにとどまった。(閣僚退任後の菅の人事では「筆頭副幹事長」であったこと から、事実上の降格人事と言わざるを得ない。)
このように、大臣を退任した後の長妻は、かつて 「ミスター年金」として名を馳せた頃に比して、党内 や政界における影響力の急速な低下が指摘・懸念され ている。
「政権交代の立役者」の今後の展望
ニコニコ動画や2ちゃんねるにおいては、野党時代は長妻を絶賛する評価も多かったが、政権交代後はネットからの民主政権批判もあいまって、長妻への評価も、上記のように非常に辛辣なものとなりつつある。
厚生労働大臣として在任中の業績への評価が必ずしも芳しくなかった長妻にとって、これからが政治家としての正念場かもしれない。
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関連項目
脚注
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