アーセナル(Arsenal)とは、以下のことを表す。
アーセナルFC
アーセナルFC(Arsenal F.C.)とはロンドン北部を本拠地とするサッカーのクラブチームである。
愛称はガナーズ(The Gunners)。ホームスタジアムはエミレーツ・スタジアム。
概要
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アーセナルというチーム名は、地名ではなく上述のとおり英語で「武器庫」を意味するものであり、1886年に軍需工場の労働者のクラブとして創設されたチームである。チームのエンブレムには大砲が描かれており、クラブの愛称がガナーズ(Gunners)なのもチーム名のアーセナル(Arsenal、兵器廠)に由来したものである。
リーグ優勝13度、2003-2004シーズンには無敗優勝を達成したイングランド屈指の強豪である、クラブカラーは赤と白。1990年代以前のチームは強豪ではあったが、守備的で退屈なチームと揶揄されていた。1996年にアーセン・ヴェンゲルが監督に就任して以降22年の長期政権を築いた間に攻撃的で魅力的なフットボールのチームへと変貌し、国外にも多くのファンを持つ人気チームに成長。また、チームに若手が多く、また若手を積極的に起用することも大きな特徴である。
同じ北ロンドン地方に本拠地を置くトッテナム・ホットスパーとは激しいライバル関係にあり、両クラブの試合はノース・ロンドン・ダービーと言われ非常に盛り上がる。サポーター同士のいがみ合いも多く、2001年にトッテナムからソル・キャンベルを引き抜いた際は、スパーズのサポーターからの猛バッシングを浴びた。近年はチェルシーFCとの試合もダービーマッチとして考えられており、両クラブの対戦はビッグロンドン・ダービーと呼ばれている。またダービー名こそないが、マンチェスター・ユナイテッドともライバル関係にある。
健全な経営をするクラブとして有名だが、逆にトップクラスの選手をあまり獲得をしないためサポーターなどから批判を受けていた。特に近年はエミレーツ・スタジアムの莫大な建設費もあって補強がままならなかったが、2013年に約4500万ポンドでレアル・マドリーの主力であったメスト・エジルを獲得するなど、徐々に回復の兆しが見え始めている。ただし、他のビッグクラブと比べると潤沢な資金を準備できるわけではないため、近年は優勝争いはおろかトップ4入りも果たせないシーズンが続いている。
レディースチームも系列で所有しており、リーグ戦を11度、カップ戦を10度、UEFA女子カップを1度、それぞれ制覇している。
ヴェンゲルが以前はJリーグの名古屋グランパスエイトで監督を務めていた縁もあり、日本でもっともファンの多い海外チームの一つである。また、チームは1968年に来日しており、日本代表と3試合対戦し、3試合とも勝利を収めた。なお日本人選手としては過去に稲本潤一と宮市亮が所属していたが、いずれも出場機会を得られないままチームを去っていた。2021年より冨安健洋が所属しており、ミケル・アルテタ監督が大きな信頼を寄せる右サイドバックとして活躍している。
歴史
1886年、ロンドン南東部ウーリッジ地区にあった王立兵器廠(ロイヤル・アーセナル)の労働者がダイアル・スクエア(Dial Square)のチーム名で設立。その後、しばらくしてロイヤル・アーセナルと名称を変更し、1891年にプロ化を果たすとともにウーリッジ・アーセナルへと改称。1913年、チームをロンドン北部のハイベリー地区にあったアーセナル・スタジアムに移転させると、1914年に名称から「ウーリッジ」が外され、現在の名称となった。
1920年までは2部リーグへの降格と1部リーグへの昇格を繰り返していたが、1925年にハーバード・チャップマンが監督に就任してからクラブは強豪チームへと成長していく。1930年にクラブ初タイトルとなるFAカップ優勝、1931年にはフットボールリーグを初優勝。チャップマンは成績だけでなくクラブの近代化にも着手しており、1930年代には3連覇を含む5度のリーグ優勝と2度のFAカップ優勝という黄金時代を築くに至った。
第二次世界大戦によるリーグの中断を経た後もアーセナルは成長を続け、1948年と1952年に2度リーグ優勝、1950年にFAカップを優勝しており、安定して結果を残せるクラブとなっていた。その後しばらくの間タイトルから遠ざかるが、1969-1970シーズンにUEFAカップの前身であるインターシティーズ・フェアーズカップに優勝し、クラブ創設以来初となるヨーロッパでのタイトルを獲得する。1970-71シーズンにはクラブ史上二度目となるリーグとFAカップのシーズンダブルを達成。
だが、1970年代に入るとシーズンダブルを達成したメンバーが次々とチームを離れ、タイトルから遠ざかるようになる。毎年優勝争いに顔は出してはいたが、ボブ・ペイズリー監督のもとで黄金時代を築いたリヴァプールを上回ることができず、シルバーコレクターと化していた。1978-79シーズンにFAカップを制したものの、1980年代半ばまでリヴァプールのタイトル獲得を眺めるだけになっていた。
1986年にクラブOBであるジョージ・グラハムが監督に就任すると、就任1年目で8シーズンぶりのタイトルとなるEFLカップを制すると、1987年にレスター・シティで活躍していたアラン・スミスを獲得。1988ー89シーズンはそのアラン・スミスが得点王となる23得点の活躍を見せ、チームに18年ぶりとなるリーグ制覇をもたらす。1990-91シーズンもスミスの活躍によってリーグ優勝を果たす。1991年にはイアン・ライトが加入し、スミスとの強力な2トップによって1992ー93シーズンに国内カップ戦ダブルを達成。1993-94シーズンにはUEFAカップウィナーズカップに優勝。もっともアーセナルのサッカーは伝統的に守備的なスタイルで、グラハムの志向するサッカーは、「フェイマス4」と呼ばれた鉄壁の守備陣を擁し、拍車をかけて退屈なものと批判されており、「1-0の退屈なチーム」などと嘲笑されることも多かった。
グラハムが選手獲得の際の不正が発覚してチームを追われた後の1996年、それまで日本で監督を務めていたフランス人のアーセン・ヴェンゲルが監督に就任。世界的はまだ無名であったヴェンゲルの就任に当初メディアやサポーターは手腕を疑問視していたが、ヴェンゲルは独自の戦術トレーニング法や食事制限、禁酒の徹底、そして有望な外国人選手のスカウトでチームを大改革。退屈と揶揄されたアーセナルのサッカーは攻撃型でスペクタクルなものへと生まれ変わる。そしてヴェンゲルの就任2年目となった1997-98シーズンには、デニス・ベルカンプを中心とした華麗なパスワーク主体の圧倒的な攻撃力によってプレミアリーグとFAカップを制するシーズンダブルを達成。当初は懐疑的な英国人もヴェンゲルの手腕を認めるしかなかった。
その後、ヴェンゲルはパトリック・ヴィエラやティエリ・アンリといった才能豊かな若手を自ら連れてきてチームの中心に育てあげ、2000年代初頭にさらなる快進撃を見せる。特にヴェンゲルがニュータイプのFWとして左ウイングからセンターFWにコンバートしたアンリの覚醒は凄まじく、2001-02シーズンに24得点で得点王を獲得し、チームは史上三度目となるプレミアリーグとFAカップのシーズンダブルを達成。そして、2003-04シーズンには、イングランドでは115年ぶりとなる無敗優勝という快挙を成し遂げる。監督のヴェンゲルを筆頭に絶対的主将としてチームを牽引したヴィエラ、華麗なプレーで多くのファンを魅了したベルカンプ、そして30得点を達成したエースのアンリを擁したこのときのチームは、「インビシブルズ(無敵のチーム)」として讃えられ、今日に至るまで伝説のチームとして語り継がれている。
2006年6月、93年間ホームスタジアムとして使用してきたハイベリーに別れを告げ、エミレーツ・スタジアムに移転する。しかし、新スタジアム建設のための負債はクラブの財政を圧迫させ、緊縮財政を余儀なくされる。その結果、タイトル獲得やより高い報酬を求めてクラブを去る主力選手が後を絶たなくなる。無敗優勝時代のメンバーが次々といなくなり、急速に世代交代を進めることになる。ヴェンゲルは若手を育成しながら何とか毎年トップ4を死守し、セスク・ファブレガスやロビン・ファン・ペルシのような新たなスター選手も台頭する。しかし、彼らもよりタイトルを獲得できるチームへと去っていき、2004-05シーズンのFAカップ優勝を最後に9年間無冠の時代が続くことになる。2011年8月28日のマンチェスター・ユナイテッド戦で2-8で大敗した試合はアーセナルの弱体化を象徴する試合となった。
2013年頃になると負債が減ったこともあり、メスト・エジルやサンティ・カソルラ、アレクシス・サンチェスの補強に成功する。特にエジルとカソルラは高い技術でチームを牽引し、2013-14シーズンにFAカップを制し、およそ9年ぶりにタイトルを獲得する。さらに2014-15シーズンではFAカップの連覇を果たす。だが、この頃から急激に近代化し始めたプレミアリーグの戦術の中でヴェンゲルの戦術そのものは無敗優勝の頃からアップデートされておらず、時代から取り残されたことは否めなかった。2016-17シーズンは史上最多となる13回目のFAカップ優勝を果たしたが、プレミアリーグでは5位で終え19年間守ってきたCL出場権を逃すこととなった。危機感を覚えたチームは2017-18シーズンにフロントの大刷新をおこなうが、結果は2年連続でCL出場権を逃してしまい、22年間監督を務めてきたヴェンゲルが退任することになる。
アーセナルの22年ぶりの新監督に選ばれたのはウナイ・エメリだった。就任1年目で後一歩でCL出場権獲得、UEFAヨーロッパリーグ準優勝と惜しいところまではいったが、就任2年目は成績が低迷するようになり、選手やサポーターからのエメリに対する支持率は日増しに低下するようになる。そして、2019年11月にELでアイントラハト・フランクフルトに敗れると、エメリは1年半で解任となる。
2019年12月からクラブOBのミケル・アルテタが監督に就任。ジョゼップ・グアルディオラの元でアシスタントを務めていたアルテタは、このとき学んだノウハウをチームに取り入れて名門復活へ乗り出す。就任1年目でFAカップ優勝を果たすが、チーム状況は思うように好転せず、2020-21シーズンは25シーズンぶりに欧州カップ戦への出場権を失うことになる。
2021-22シーズンは開幕戦で昇格組のブレントフォードに敗れると、続くチェルシーとマンチェスター・シティにも敗れ開幕3連敗。特にシティ戦はなすすべなく0-5で大敗を喫した。ここでアルテタ監督は若手起用に舵を切り、獲得したばかりのアーロン・ラムズデールやベン・ホワイト、冨安健洋を積極的に起用するようになる。すると成績は徐々に好転していったが、オーバメヤンが規律違反で主将の座を剥奪され、バルセロナへと放出される。浮き沈みの激しいシーズンになったが、結果は5位に終わり、EL出場権は何とか確保した。
2022-23シーズン、長年主力FWとして活躍したラカゼットが退団し、後釜としてマンチェスター・シティからブラジル代表のガブリエウ・ジェズスを獲得。するとあっという間にエースの座につき、チームは開幕から好調を維持。ワールドカップによる中断前の時点で12勝1分1敗の勝ち点37で首位につけていた。ワールドカップ後も快進撃は続き、第20節でチェルシー相手に勝利したときはあの無敗優勝の時代を超えるハイペースで勝ち点を積み上げ、首位を走り続けていた。しかし、追走するマンチェスター・シティとの直接対決に敗れると、CBのウィリアン・サリバが負傷で離脱。さらにはメンバーを固定してきた影響で主力に疲労が見えるようになり、下位チーム相手の取りこぼしが増えるようになる。そして二度目のシティとの天王山では1-4と大敗すると、事実上プレミアリーグの覇権はシティのものとなっていた。勢いで上回るシティに首位を奪われると、もはや抗うことはできず、19年ぶりの優勝は夢に終わる。それでも、シーズン2位でシーズンを終え、7年ぶりにCL出場権を獲得する。
デクラン・ライス、カイ・ハフェルツ、ユリアン・ティンバーを獲得する大型補強に打って出た2023-24シーズン。開幕戦でティンバーが長期離脱、退団したジャカの穴をハフェルツで埋めきれないという問題が発生しながらも勝ち点を積み上げ、前半戦を折り返した時点で首位争いを演じる順位につける。2024年に入るとハフェルツを最前線にシフトし、ライスをインサイドハーフに固定したことで攻守両面でのクオリティが大幅にアップ。マンチェスター・シティ、リヴァプールとの三つ巴となった優勝争いを繰り広げる中、終盤戦は怪我で離脱していた冨安、トーマス・パーティが復帰したことで理想的なスカッドが完成。最後の6試合を6連勝で乗り切るが、最終節で首位に立ったシティに勝ち点わずか2届かず、あと一歩のところで優勝を逃す。かつて監督だったウナイ・エメリが率いるアストン・ヴィラにシーズンダブルを喰らったのが響く形となった。一方、7シーズンぶりの出場となったCLではグループステージを首位で突破し、ベスト8まで勝ち進むが、バイエルン・ミュンヘンに敗れている。
タイトル
国内タイトル
- フットボールリーグ/プレミアリーグ 13回
1930-31, 1932-33, 1933-34, 1934-35, 1937-38, 1947-48, 1952-53, 1970-71, 1988-89, 1990-91,1997-98, 2001-02, 2003-04 - FAカップ 14回
1929-30, 1935-36, 1949-50, 1970-71, 1978-79, 1992-93, 1997-98, 2001-02, 2002-03, 2004-05, 2013-14, 2014-15, 2016-17, 2019-20 - EFLカップ 2回
1986-87, 1992-93 - FAコミュニティ・シールド 17回
1930, 1931, 1933, 1934, 1938, 1948, 1953, 1991, 1998, 1999, 2002, 2004, 2014, 2015, 2017,2020 ,2023
国際タイトル
現所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | ミケル・アルテタ | 1982.3.26 | 2019 | マンチェスター・C(コーチ) | |
2 | DF | ウィリアン・サリバ | 1999.1.23 | 2019 | マルセイユ | |
3 | DF | キーラン・ティアニー | 1997.6.5 | 2019 | レアル・ソシエダ | |
4 | DF | ベン・ホワイト | 1997.10.8 | 2021 | ブライトン | |
5 | MF | トーマス・パーティ | 1993.6.13 | 2020 | アトレティコ・マドリード | |
6 | DF | ガブリエウ・マガリャインス | 1997.12.19 | 2020 | リール | |
7 | MF | ブカヨ・サカ | 2001.9.5 | 2018 | アーセナルユース | |
8 | MF | マルティン・ウーデゴール(C) | 1998.12.17 | 2021 | レアル・マドリード | |
9 | FW | ガブリエウ・ジェズス | 1997.4.3 | 2022 | マンチェスター・C | |
11 | FW | ガブリエウ・マルティネッリ | 1997.4.3 | 2022 | マンチェスター・C | |
12 | DF | ユリエン・ティンバー | 2001.6.17 | 2023 | アヤックス | |
15 | DF | ヤクブ・キヴィオル | 2000.2.15 | 2023 | スペツィア | |
17 | DF | オレクサンドル・ジンチェンコ | 1996.12.15 | 2022 | マンチェスター・C | |
18 | DF | 冨安健洋 | 1998.11.5 | 2021 | ボローニャ | |
19 | FW | レアンドロ・トロサール | 1994.12.4 | 2023 | ボルトン | |
20 | MF | ジョルジーニョ | 1991.12.20 | 2023 | チェルシー | |
22 | GK | ダビド・ラヤ | 1995.9.15 | 2023 | ブレントフォード | |
23 | MF | ミケル・メリーノ | 1996.6.22 | 2024 | レアル・ソシエダ | |
29 | MF | カイ・ハフェルツ | 1999.6.1 | 2023 | チェルシー | |
30 | FW | ラヒーム・スターリング | 1994.12.8 | 2024 | チェルシー | |
32 | GK | ネト | 1989.7.19 | 2024 | ボーンマス | |
33 | DF | リッカルド・カラフィオーリ | 2002.5.19 | 2024 | ボローニャ | |
36 | GK | トミー・セットフォード | 2006.3.13 | 2024 | アヤックスユース | |
41 | MF | デクラン・ライス | 1999.1.14 | 2023 | ウェストハム | |
46 | FW | イスミール・カビア ※ | 2005.12.10 | 2024 | アーセナルユース | |
47 | DF | マルティーニ・カクリ ※ | 2005.10.4 | 2024 | アーセナルユース | |
49 | MF | マイルズ・ルイス=スケリー ※ | 2006.9.26 | 2024 | アーセナルユース | |
51 | DF | ジョルジュ・ニコルス ※ | 2006.7.26 | 2024 | アーセナルユース | |
53 | MF | イーサン・ヌワネリ ※ | 2007.3.21 | 2022 | アーセナルユース | |
92 | GK | ジャック・ポーター ※ | 2008.7.15 | 2024 | アーセナルユース |
過去に所属した主な選手
歴代監督
- トーマス・ミッチェル(1897年3月 - 1898年3月)
- ウィリアム・エルコート(1898年4月 - 1899年2月)
- アーサー・ケネディ(1899年2月 - 1899年4月)※暫定監督
- ハリー・ブラッドショー(1899年8月 - 1904年5月)
- フィル・ケルソー(1904年5月 - 1908年2月)
- ジョージ・モレル(1908年2月 - 1915年4月)
- ジェームズ・マキューエン(1915年5月 - 1919年5月)※正式な監督ではない
- レスリー・ナイトン(1919年5月 - 1925年5月)
- ハーバート・チャップマン(1925年6月 - 1934年1月)
- ジョー・ショー(1934年1月 - 1934年5月)※暫定監督
- ジョージ・アリソン(1934年5月 - 1947年5月)
- トム・ウィットトーカー(1947年6月 - 1956年10月)
- ジャック・クレイトン(1956年10月 - 1958年5月)
- ジョージ・スウィンディン(1958年6月 - 1962年5月)
- ビリー・ライト(1962年5月 - 1966年6月)
- バーティー・ミー(1966年6月 - 1976年5月)
- テリー・ニール(1976年7月 - 1983年12月)
- ドン・ホーウィー(1983年12月 - 1986年5月)
- スティーブ・バーテンショー(1986年3月 - 1986年5月)
- ジョージ・グラハム(1986.5月 - 1995年2月)
- スチュワート・ヒューストン(1995年2月 - 1995年6月)※暫定監督
- ブルース・リオッホ(1995年6月 - 1996年8月)
- スチュワート・ヒューストン(1996年8月 - 1996年9月)※暫定監督
- パット・ライス(1996年9月)※暫定監督
- アーセン・ヴェンゲル(1996年9月 - 2018年5月)
- ウナイ・エメリ(2018年5月 - 2019年11月)
- フレドリック・ユングベリ(2019年11月 - 2019年12月)※暫定監督
- ミケル・アルテタ(2019年12月 - )
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関連項目
外部リンク
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