J・R・R・トールキンとは、イギリスの言語学者である。「指輪物語」、「ホビットの冒険」といった作品で知られる。ネット上での愛称は束教授。
概要
J・R・R・トールキンは1892年、オレンジ自由国(現在の南アフリカ)にて生まれる。父が病死したことによって彼は両親の故郷であるイギリスで育つこととなった。母とともにローマ・カトリックに改宗したことで親戚からの援助が打ち切られ、その母もまもなく亡くなって司祭に育てられるなど苦労の多い少年時代だったが、イギリスの片田舎で育った彼は古き良きイングランドを謳歌することができた。
成長した彼は遙か昔の言語で書かれた「赤表紙本」の写本を発見、これを翻訳することに生涯をかけることとなる。トールキンによって現代英語に翻訳された赤表紙本の物語は「ホビットの冒険」「指輪物語」として発表され、ベストセラーとなる。
*この時彼が発見した写本はセイン・ペレグリンがエレスサール王に献上した「ミナス・ティリスのセイン本」が下になっていると考えられている。その証拠として他の写本では伝わっていない「アラゴルンとアルウェンの物語が載せられている。
その後もオックスフォード大学の教授職のかたわらエルフ語研究を続け、エルフ語研究の第一人者として世界的に有名となった。
…という設定で自身の物語を発表した作家がJ・R・R・トールキンである。
本当の概要
生い立ちは上記に同じ。
青年 時代
トールキンは子供のころから「言語」に対して強い興味を持っており、暇を見ては独自の架空言語を作ることに熱中していた。トールキンの創造した架空言語(シンダリンとクウェンヤ)が形をとり始めると、今度は「何故そのような言語が使われるようになったか」という物語を考えるようになった。
生涯の伴侶となるエディスと結婚し、オックスフォード大学を優秀な成績で卒業したトールキンだったが、第一次世界大戦が勃発するとこれに従軍し戦場に赴いた。この大戦で彼は多くの友人を喪い、自身も塹壕熱を患って療養することとなったが、この過程で後のシルマリルの物語のプロトタイプとなる「失われし物語の書」の構想が固まったと言われる。
作家としての成功
大戦が終わるとトールキンはオックスフォード大学の教授となった。学者としての名声を得ていったトールキンだが、ある日大学の答案用紙にふと思いついて次のような文を書いた。
トールキンはこの一文を基に物語を膨らませ、自分の子供達に読ませる目的で「ホビットの冒険」を執筆した。しかし「ホビットの冒険」は成り行きから本として出版され、ヒット作となる。
「ホビットの冒険」のヒットを受けてトールキンは続編の執筆を依頼されたが、続編の執筆はなかなか進まなかった。トールキンは自分がこれまで作り上げてきた神話体系に物語をより深くリンクさせ、それに比例して物語も難解で、重々しい内容となっていった。
執筆の多くは第二次世界大戦の戦禍のなかで行われ、1954年から1955年にかけてようやく「指輪物語」は発表された。「指輪物語」は瞬く間にヒット作となり、アメリカでは社会現象にすらなった。
晩年・死後
トールキンは「指輪物語」のバックグラウンドとなった自身の神話体系を「シルマリルの物語」として発表するために執筆を続けたが、惜しくもシルマリルの完成前に世を去った。
教授は妻エディスと同じ墓地に葬られ、夫妻の墓にはそれぞれ「ベレン」「ルーシエン」と刻まれた。これはトールキンの創作した恋物語の主人公とヒロインの名前である。
教授の死後も指輪物語の読者は増えていき、指輪物語は20世紀でもっとも人気な小説の一つとなった。指輪物語の人気はファンタジー小説という分野を花開かせ、多大な影響を与えた。
人物・逸話
- 学者としての専門は語源学(古英語の成立過程)、古典英文学。特に英雄譚「ベオウルフ」研究の第一人者として知られた(「オーク」など、トールキン作品の言葉の中には「ベオウルフ」から拝借したものがいくつかある)。「ベオウルフ」の現代英語完訳にも取り組んでおり、没後に出版されている。表紙はタイトルよりトールキンの名前の方が大きく書かれ、まるで彼の創作物の一つのように見える
- 完璧主義な所のある性格だったらしく、シルマリルの物語が生前未完となったのもその性格のためと言われる。究極の設定厨と言われたりも。
- 上記に関連して自身の作品の二次創作に大変厳しかったらしく、外国語訳の挿絵の多くを酷評している。またウォルト・ディズニーの作風を嫌っており、作品を映像化するにあたっては「将来にわたり、ディズニー・スタジオやその影響下にあるもの全ての手が及ばないよう忠告しておかねばならない」との書簡まで残っている。ロード・オブ・ザ・リングも鑑賞したら批評しまくったかも…
- 「木」に対する強い思い入れがあり、それはロスローリエンやエントの描写からも察せられる。トールキンの「木」「創作」への思いは 短編「ニグルの木の葉」で昇華されている。
- 作中にしばしば巨大な蜘蛛が登場するのは、南アフリカにいた頃タランチュラに噛みつかれたためと言われる。
- 物語が寓意を持つこと(つまり教訓話にしてしまうこと)に否定的であり、「指輪は核兵器の比喩か?」という問いに対し強い否定の言葉を返している。
- 作中に登場するエルフ語に関するファンからの手紙の質問に一つ一つ返事を出しており、この書簡集もエルフ語研究の重要な資料となっている。手紙返してもらった人羨ましいなぁ
- 上述の通り教授は赤表紙本を翻訳したという設定で「ホビットの冒険」「指輪物語」を発表したが、それを利用して初版の「ホビットの冒険」と指輪物語の内容の違いを「ビルボが指輪の所有権を主張するため指輪関連の記述を変えたのだ」と後付けしたりしてる。
- トールキン教授は四人の子供達が幼い頃、「サンタ・クロースからの手紙」として毎年クリスマスに子供達にクリスマス・レターを送っていた。このクリスマス・レターは非常に凝った造りになっていて、トールキンの子供達への強い愛情が伺える。
- 上記のクリスマス・レターに最後まで返事を出し、父に最も懐いていたのが三男のクリストファ・トールキン氏である。「シルマリルの物語」「中つ国の歴史」はトールキン教授に親しく、かつその世界観に対する深い理解があったクリストファ氏だからこそまとめられたものである。
- 古い北欧言語からほとんど変わっていないアイスランド語を習得していたため、サガ、エッダといった北欧古典をそのまま読めたという。トールキンの物語世界「ミドルアース(中つ国)」は、古英語の「ミッドガルド」からとられており、北欧神話の「ミズガルズ」と同源である。
- 自身の作品にはイニシャルのJ・R・R・Tを図案化したエンブレムをつけていた。Tの縦棒をJの形に曲げ、Rと反転したRをその左右にくっつけたものだが、これが漢字の「束」に見えるというのがネットの「束教授」の呼び名の由来である。
関連動画
関連商品
原書。ちなみにここであげた本は全てトールキンがデザインした表紙を使っている。
教授の伝記。重度のトールキンファンとしては一冊持っておかねばなるまい。
関連コミュニティ
関連項目
子記事
兄弟記事
- なし
- 6
- 0pt