山本寛(やまもとゆたか)は大阪府出身の日本のアニメーション演出家・アニメーション監督・評論家である。株式会社山本寛事務所代表取締役社長。1974年9月1日生まれ。血液型O型。ラーメンが大好き。心の師はアニメ監督の宮崎駿。
なお、同姓同名だが読みが(やまもとひろし)という人物が著名人では3人いる(俳優、野球選手、経営学者)ほか、活躍年代は合わないが制作進行でも同名がいる。
京都アニメーションでアニメ制作に携わり、巧みな演出でアニメファンたちの注目を浴び、話題作となった『涼宮ハルヒの憂鬱(2006)』で知名度を上げた。
2007年の『らき☆すた』で初監督を務めるが、4話目で突如監督を降板。下記の声明が京アニから発せられ、この件は大いに話題となり憶測が飛び交った。
『らき☆すた』監督の山本寛は、監督において、まだ、その域に達していないと弊社は判断し、交代いたしました。
放送第5話から新監督武本康弘のもとスタッフ一丸となって作品制作をしていきます。 引き続きよろしくお願いいたします。
アニメーションDoを退社後は『かんなぎ』『フラクタル』『Wake Up,Girls!』等で監督を務める。
氏のアダ名、愛称である「ヤマカン」の由来は、「寛」を「ゆたか」と読んでもらえず、「かん」と呼ぶ人が多かったため、やけになり「もう自分でも使ってやる」ということになったという。山本の通称ということで定着している。
その歯に衣着せぬ物言いは、本記事の掲示板を参照すれば分かるとおり何かと注目を浴び話題となっている。
当初はネット言論には自身で映像サークルのサイトと掲示板を設置していたことから好意的ではあったが、アニメらき☆すた監督交代騒動以降売りスレ民やそれを纏めたまとめブログの住民などによりターゲットにされ、歯に衣着せぬ物言いの発言も相まって攻撃に被害を続けおり(一部まとめブログに対しては開示請求も行った)、年々態度を硬化させていたが、SNSを休止していた際のWUG監督交代騒動で決定的となった。
作品等のファンは必要だが、作品や制作者を攻撃するオタクはいらないと公言している。
京都大学文学部卒業。同級生では音楽家の神前暁や山本と京都アニメーションに就職し、脚本や制作進行を務めた村元克彦がおり、大学時代自主制作映画『怨念戦隊ルサンチマン』などを左記の3人やスタッフなどで制作・出演をしていた。(山本はヒーローに倒される役兼企画・監督・編集、神前はコムーロ大帝役兼音楽担当、村元はメーキング制作兼造形担当)
神前とは京都アニメーション(アニメーションDo)を山本が退社する前も退社後も山本とアニメーション作品においてしばしば(『涼宮ハルヒの憂鬱』『らき☆すた』『かんなぎ』『私の優しくない先輩』『フラクタル(楽曲提供のみ)』『Wake Up,Girls!』)タッグを組んでいる。
1998年に京都アニメーションに入社後は初配属は撮影部署であり初仕事はデジタル制作。その後OJT的に撮影や制作進行の後に演出助手をしていたが、2001年ごろ本格的に演出を手がけるようになる。木上益治に師事。演出デビュー作は『POWER STONE』。その後、『週刊ストーリーランド』『あたしンち』『ジャングルはいつもハレのちグゥ』シリーズなどに合計数十話を演出として参加。
京都アニメーション大阪スタジオが分社されるに伴いアニメーションDoに転籍。『AIR』『フルメタル・パニック?ふもっふ』『フルメタル・パニック! The Second Raid』など京都アニメーション元請作品に参加。2006年の『涼宮ハルヒの憂鬱』においてシリーズ演出に就任し、劇中歌の『恋のミクル伝説』の作詞やエンディングの演出も担当する。この通称「ハルヒダンス」はブームとなった。
その後、『kanon』の演出を手がけたのち、『らき☆すた』の監督を務めるも、第4話において京都アニメーションから上記にある「監督として、その域に達していない」との声明と共に監督降板となり、その約2ヵ月後の2007年6月にはアニメーションDoを退社する。
2007年秋ごろ山本はアニメ制作会社Ordetを設立し代表取締役に就任する。山本が辞めるほぼ同時期に京都アニメーション・アニメーションDoをやめたスタッフ(吉岡忍、松雄祐輔、門脇聡、袈裟丸絵美など)が合流した。ちなみに辛矢凡名義で作詞も手がけている。
2009年、『かんなぎ』の未放映話や『となりの801ちゃんR(単行本4巻限定版)』オープニングの監督を務め、『ブラック★ロックシューター』(監督:吉岡忍)の監修も手がけた。また2010年には実写映画作品『私の優しくない先輩』の監督を務め、2010年度の「TAMA映画賞最優秀新進監督賞」を受賞。
2011年1月からフジテレビのノイタミナ枠で放送されるオリジナルアニメ『フラクタル』を監督。作家活動もしている批評家、東浩紀がストーリー原作を手がけ、シリーズ構成は岡田麿里が担当した。山本はこの作品が失敗したら引退と宣言し(失敗の基準・基準は山本自身が決めており明らかにするつもりはない様子)、終了後「監督業はしばらく廃業」と雑誌インタビューで語っている(フジのノイタミナプロデューサーも山本が仕事を断っていたと明らかにしている)。
2011年は『フラクタル』以外表立った活動は行なっておらず、ツイッターでファンやフォロワーを相手につぶやくのが日課となっていたが、7月15日のツイート
で
とつぶやいた。ちなみに同年8月にOrdetが株式会社ウルトラスーパーピクチャーズ(略称USP)の傘下となっており、以降USPのグループ会社との共同で下請けや元請けを受けることが多くなる。
なお、主に文字メディアでのトゲのある発言が注目を集めるが、神前暁によると山本は外弁慶であるらしい。『フラクタル』制作後の2011年7月現在、かつてアニメには評論が必要だという持論を声高に叫んでいたが、現在の風潮(業界・ライター等)に失望し取り下げている。
2012年には、吹奏楽雑誌『アインザッツ』上で、小説『アインザッツ2(ツバイテ)』を連載、ブシロードのしよ子CM第4弾「お花見編」の監督を務め、東日本大震災チャリティーアニメプロジェクト『Blossom』の監督を務める。
2013年には『戦勇。』第1期・第2期と『宮河家の空腹』の監督を務めている。
2014年から、主催は何度か変更があるもののトークイベント『ヤマカンナイト』を平均年2回開催している。
2014年には劇場版とテレビアニメが同時放送という仕掛けから開始した、山本にとってはオリジナル第2作品目監督であるアイドルアニメ作品『Wake Up,Girls!』を手がけ、2015年には劇場版第2作前後編が公開された。
法務省が発行する公文書である登記簿によると、2015年10月30日付けでウルトラスーパーピクチャーズ取締役を辞任、翌2016年3月25日付でOrdet代表取締役を辞任。
Ordetの公式サイト上でも代表取締役社長の名は変更された(2016年10月15日閲覧)、ウルトラスーパーピクチャーズ上の公式サイトでは取締役の異動や辞任等は確認できていない(そもそも代表取締役以外の一般役員の記述がない)。
2016年5月31日に体調不良を理由に無期限休養をツイッターにて宣言した。その後、同年8月18日に今度は新規開設したブログにて復帰を宣言し、活動を広げるため芸能事務所の文化人として所属している。とは言うものの該当する芸能事務所(アグア)のHPには山本寛の名は見当たらず、その後当人のブログから当該するエントリーは削除されたが、同年に違う芸能事務所であるカロスエンターテイメントに所属していることが確認され、2017年にはネプリーグや楽天TVなどの番組にゲスト出演した。
2016年11月16日、講師派遣サイト(スピーカーズ.jp)に登録していることが確認された。その後、今度はまた別の芸能事務所(カロスエンターテイメント)に所属したことが確認され、楽天の通販番組(ネット配信のみ)に出演していた。
2016年12月24日にニコニコ生放送『 山本寛✕岡田斗司夫公開トークイベント~僕たちのクリスマスナイト~』において新作を準備していることを明かし、キービジュアルを発表した。翌年2月のニコニコ生放送にて正式作品タイトルの『薄暮』と、制作資金を調達するクラウドファンディングを開始することを発表している。
薄暮を制作するためのスタジオ「Twilight Studio」は山本寛事務所の一事業部門として設立予定とツイキャスで明かされたが、後に独立会社形態に変更して2017年6月に設立され、元Ordetの広報・制作進行でである伊藤を代表取締役社長に据え、山本は取締役CCOに就任した。
2019年3月4日付で、山本寛本人の個人財産についての破産手続開始決定がなされた。ウルトラスーパーピクチャーズが債権者として破産手続開始の申立を行ったこと(債権者申立破産)、今回の債権者破産について、Twilight Studioが主催してクラウドファンディングを集めて制作する、劇場アニメ『薄暮』の制作には影響は無いことが代理人弁護士より説明されている。[1]※公式サイト(当時)や本人の説明は外部リンクに記載
2019年6月21日に劇場アニメ『薄暮』が公開され1年に渡り断続的に公開された。
2019年9月、新作アニメプロジェクト『魔法少女たち(仮)』のパイロットフィルムを作るためのクラウドファンディングを実施。その後、コロナ禍により予算超過の危険性が出てきたとして、追加予算を集めるクラウドファンディングを2020年7月から8月にかけて実施している。[2]
ほぼ山本が監督かそれに準じる役職にのみ携わった時に作詞している。また、アニメ挿入歌か主題歌でしか携わらず、それ以外では提供はしていない。
読み方は「からや・ぼん」。元ネタは山本が好きな指揮者のカラヤンより。使い始めた当初から監督の山本寛とは別人扱いとなっており、別名義というのは2017年になって明言された。ほぼ作詞名義で使われる事が多いが、ただし本名名義でも作詞を行うことがあるので注意が必要である。
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最終更新:2025/03/11(火) 08:00
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