セルヒオ・ブスケツ単語

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セルヒオブスケツ
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セルヒオ・ブスケツ(Sergio Busquets Burgos, 1988年7月16日 - )とは、スペイン出身のサッカー選手である。
アメリカMLSインテル・マイアミCF所属。元サッカースペイン代表

ポジションMF189cm76kg。利き足は右足。

概要

スペインバルセロナ県のサバディ出身。父親1990年代FCバルセロナGKとして在籍していたカルレス・ブスケツ。

さはないものの、「バルセロナ心臓」と称されるほどチームには欠かせないキープレイヤーであり、ポゼッションサッカーにおいて重要なビルドアップの場面で優れた戦術眼と高い技術を発揮している。

成年代をFCバルセロナの下部組織(カンテラ)で育ち、トップチームに昇格後はバルセロナ不動のピボーテ(アンカー)として活躍。シャビアンドレス・イニエスタと共に歴代最高とも言われる中盤を構成し、ラ・リーガ優勝8回、UEFAチャンピオンズリーグ3回、FIFAクラブワールドカップ2回とタイトルを総なめにし、バルセロナ黄金時代を支えた。2021-22シーズンからはキャプテンを務めている。

スペイン代表としては2009年デビューし、2010 FIFAワールドカップEURO2012優勝に貢献。代表においても黄金時代の中心選手として活躍している。

称は「ブシ」「ブスケ」など。なお、日本メディア媒体によっては「ブスケッツ」とも表記される。

経歴

生い立ち

ドリームチームと呼ばれた90年代FCバルセロナで控えGKだったカルレス・ブスケツの次男として誕生。が元プロサッカー選手であったことから幼少の頃よりと共にサッカーを始め、カルレスも自分の息子たちに将来プロサッカー選手になることを強く望んでいた。

幼い頃から好きなチームは当然父親が所属していたバルセロナ人生で初めてサインを貰った選手はルイス・フィーゴであり、レアル・マドリードに移籍するまでは彼が憧れの選手だった。

7歳になった1995年に地元のクラブのバディアに入り、本格的にサッカーを始める。サッカーを始めた頃のポジションはFWだった。1年後の1996年にはバルベラ・アンダルシアというクラブに移る。

1999年カルレスバルセロナからUEリュイダへ移籍したことに伴い、リュイダの下部組織でプレーすることになる。この頃にはすでに同年代の子供よりもワンランク上の実を発揮するようになっており、育成年代の大会で優勝に貢献するなど、才が開しつつあった。父親2002年に現役を引退すると、翌年にリュイダを離れ、ハバク・テラサへ移籍し2年間プレーする。ポジションがFWから現在のピボーテに変わったのもこの頃だった。

バルセロナ

17歳となった2005年父親がキャリアの大半を過ごしたクラブでもあるFCバルセロナからスカウトをされ、下部組織(カンテラ)へ入団。最初はフニベルA(U-19)に所属し、2006-07シーズンには26試合に出場し7得点記録。当時のチームにはボージャン・クルキッチやジョバニ・ドス・サントスといったスター補生が在籍しており、当時のブスケツは彼らとべると名の存在であった。

2007-08シーズンになると、ジョゼップ・グアルディオラ監督を務めるバルセロナBでプレーする。チームとして32試合に出場し、テルセーラ・ディビジオン(4部)に所属していたチームをセグンダ・ディビジオンB(3部)に昇格させる。そして、この1年間で現役時代に同じポジションだったグアルディオラから導を受け、才を認められたことが後のキャリアにおいての大きな転機となった。

2008-09シーズンも最初はバルセロナBの一員としてスタートするが、トップチーム監督となったグアルディオラから招集され、2008年9月13日のラシンサンタンデール戦でプリメーラ・ディビジオン(1部)でのデビューを果たす。10月22日にはUEFAチャンピオンズリーグ グループステージ第3節バーゼル戦でトップチームでの初ゴール記録。当時チームのピボーテには実者であるヤヤ・トゥーレがレギュラーを務めていたが、前年にブスケツを始動したグアルディオラは少しずつトップリーグの強度に慣らすように起用し、シーズン後半戦になるとブスケツを積極的に起用するようになる。12月22日にはバルセロナプロ契約を交わし、2009年3月7日アスレティック・ビルバオ戦ではラ・リーガでの初ゴール記録5月27日CL決勝マンチェスター・ユナイテッド戦でもフル出場し、ビッグイヤー獲得に貢献。1年間で3部から一気に1部で欧州チャンピオンになる。さらにはプロ1年にしてラ・リーガ、コパ・デルレイCL三冠獲得に貢献。2009年欧州若手最優秀選手賞に該当するブラヴォー賞を受賞する。

2009-10シーズンからは背番号が16になる。すでにチームでの序列はヤヤ・トゥーレよりも上になっており、ピボーテのレギュラーを手中に収めていた。シーズン前半はアンドレス・イニエスタの欠場が多かったこともあってIHで起用されたり、試合もあったが、高い技術で与えられた役割をこなし、もはやバルサの中盤の一に名を連ねることに異論を挟むものはいなくなっていた。CL準決勝2nd legのインテル戦ではチアゴ・モッタに顔をかれたことでモッタが退場となる。しかし、その際に顔を覆った手の隙間から審の判定を覗き見していたことが明らかになり、大げさに倒れたのではないかとして議論を醸す。この試合でチームは敗れCL連覇は逃したが、ラ・リーガでは圧倒的な強さで連覇を達成している。

2010-11シーズンバルセロナは、グアルディオラ体制3年ということもあって完成度がさらに増し、特にカンテラの先輩でもあるシャビイニエスタと共に形成した中盤は史上最高レベルとまで評され、驚異的なポゼッションを発揮して他チームを圧倒する。この年チームにはハビエル・マスチェラーノが加入したが、ゲームメイクの面で差があったためファーストチョイスの座は揺るがず、マスチェラーノCBとして起用されるようになる。プロ3年ながらも大ベテランのような落ち着いたプレーで攻撃チームを攻守両面で支え続け、ラ・リーガ3連覇とCL優勝に貢献。世界最強と言われた当時のバルサにあって欠かせないプレイヤーとなっていた。

2011-12シーズンは、グアルディオラ監督が攻撃の3-1-3-3を採用したことで守備の負担が増えるが、それでも粛々とタスクをこなす仕事人ぶりを発揮。ジェラール・ピケが負傷離脱したラ・リーガレアル・ソシエダ戦とCL準々決勝のACミラン戦ではセンターバックとしてプレーしている。恩師グアルディオラの最後のシーズンとなった中、公式戦52試合に出場しクラブワールドカップとコパ・デルレイ優勝に貢献。

2012-13シーズンから就任したティト・ビラノバ監督の下でも変わらず大きな信頼を受け、ペップ時代よりも前の位置取りをし、以前よりもゴールに近い場所でパスを捌くことを要される。全体的にも重心が前がかりになったバルサは、この年リーガ史上最多記録となる勝ち点100115得点記録し2シーズンぶりにラ・リーガタイトルを取り戻している。また、この年にバルセロナでの公式戦200試合出場を達成している。

2013-14シーズンあたりから、徐々にバルセロナのポゼッションの精度に陰りが見られるようになり、前線と最終ラインが間延びし、ゲームコントロールと守備の低下を招く戦術面の課題を丸投げされる形になり、中盤の底に位置するブスケツへの依存度と負担がより増すようになる。チームシーズン終盤になって調子を落とし、自身にとってはキャリアで初となるシーズン冠に終わる。

2014-15シーズンから引退したカルレス・プジョル背番号を引き継ぐ形で5番を背負うことになる。この年監督に就任したルイス・エンリケはシーズン途中からリオネル・メッシネイマールルイス・スアレスMSNトリオ爆発的な攻撃を前面に出したスタイルを切り、それによって前年と同じように全体が間延びしやすくなるという問題をチームは抱えていたが、イニエスタやイバン・ラキティッチと共にバランスを取り、前輪駆動チームを縁の下で支える。MSNトリオ問答用の火力によってバルサリーガCL、コパ・デルレイ三冠を獲得。MSNが脚を浴びたが、この年の栄冠にブスケツの必要不可欠なものとなっていった。そして、この年をバルサ黄金時代終焉へと向かうのだった。

2015-16シーズンMSNトリオ爆発的な攻撃チームに勝ち点をもたらす中、ボールだけでなく、スペース、時間配分など、ゲームの全てをコントロールできる世界NO.1のピボーテとして中盤で簡単にパスカットし、より磨きがかかった展開で分厚い攻撃を後方から演出。彼がピッチの中央にいるかいないかでチームパフォーマンスが大きく変わることが、存在の大きさを物語っていた。チームシーズン終盤に突然調子を落としたが、最後は逃げ切りでラ・リーガ連覇を達成。

2016-17シーズンは、MSNトリオ依存したチーム作りが一気に噴出したかのようなシーズンとなり、イニエスタが負傷離脱を繰り返してシーズンの半分ほどしか稼働できなかったことで中盤の構成の低下に拍がかかってしまう。流石のブスケツも負担の大きさと過密日程による疲労によってコンディションを落とし、本来のパフォーマンスがなかなか発揮できなくなっていた。

2017-18シーズンは、新監督エルネストバルベルデが自身への過剰な負担を減らすように中盤のバランスを考えたチーム構成を採用したことで本来のパフォーマンスが発揮できるようになる。ネイマールが退団しMSNトリオは崩壊したが、中盤をフラットにした4-4-2が基本フォーメーションとなったことで微妙に役割は変化したが、安定したゲームコントロールと中盤での守備によってバルセロナ心臓たる所以を発揮。熟練度を増した玄人好みのプレーで2シーズンぶりのリーガ優勝に貢献。一方、CL準々決勝2nd legではASローマしいプレッシングによって思ったようなゲームメイクができず、大逆転を許してしまっている。

2018-19シーズン2015年シャビに続いてイニエスタチームを去り、黄金期を支えた中盤の最後の一人となる。2018年9月27日契約2023年まで延長し、契約解除は5億ユーロに設定される。12月11日CLグループステージ第6節トッテナム戦ではCL100試合出場を達成。よりメッシへの依存度が高くなったバルセロナにあって、この年大車輪の活躍を見せたメッシを中盤からサポートし、ラ・リーガ連覇に貢献。CLでも4シーズンぶりにベスト4まで勝ち抜くが、準決勝のリヴァプール戦では前年と同じく相手のプレッシングによる包囲網によって苦しみ、チーム1st legの3点のリードをひっくり返されてまたも大逆転を許しての敗戦となる。

2019-20シーズンは、開幕前に負傷したことに加え、長年の勤続疲労年齢によるスピードの低下もあって以前よりもパフォーマンスレベルの低下が見られ、い時間帯に交代になったり、スタメンを外れる試合が増えてくる。特に2019年12月19日レアル・マドリードとのエル・クラシコでスタメンを外れたのは印的なものとなった。シーズン後半戦はやや持ち直したものの、以前のような抜群の安定感が失われたことは否めなかった。

2020-21シーズンは、さらに不調が著しくなり失点に絡むミス立ったことでいよいよアンタッチャブルだった不動のピボーテの立場が揺らぐようになる。この年監督に就任したロナルドクーマンビルドアップを重視せず、縦への意識を持たせようとしたことがさらに存在感を薄める結果に繋がっていた。また、クーマンもブスケツより同じオランダ人のフレンキー・デ・ヨングや17歳ペドリを重宝しており、メディアからも限界説が囁かれるようになる。代えの効かない存在として出場機会が劇的に減ることはかったが、それでも不要論や批判を払拭するだけのパフォーマンスは見せられなかった。

2021-22シーズンの開幕前にチームの顔だったメッシが退団したことでキャプテンに任命される。EURO2020で再評価されたが、11節のラージョ・バジェカーノ戦で失点に絡むミスを犯すなど、衰えを摘するは絶えなかった。しかし、クーマンが解任となり11月6日にかつてチームメイトだったシャビ監督に就任すると、きを取り戻すようになり、再びブスケツの重要性がクローズアップされるようになる。重鎮として中盤の底に構え、若いペドリやガビを後方からリードし、チームの復調に貢献。リーガ第34節のマジルカ戦では、チームホームでの公式戦連敗を止める重なゴラッソを決める。

2022-23シーズンもピボーテとして若い中盤を後方から支えるが、チームCLで2シーズン連続グループステージ敗退となってしまう。また、ジェラール・ピケが2022年11月をもって現役を引退したため、ペップ時代のではいよいよ最後の一人となってしまう。さらには自身も退団の報道が流れるようにもなる。2023年1月12日に行われたスーペルコパ・デ・エスパーニャ準決勝、ベティス戦に後半途中から出場したことで、バルセロナでの通算700試合出場を果たす。これにより、メッシシャビに次ぐバルセロナでの公式通算700試合を達成した3人の選手となる。さらに、3月19日に行われた第26節のレアル・マドリード戦にスタメンで出場し、エル・クラシコ歴史の中で最も多く出場した選手となる。堅守チームとなったバルサの中でも中盤の底のファーストチョイスとして自身にとって9回となるリーガ優勝を経験。
2023年5月10日契約満了により18年間過ごしたFCバルセロナを退団することが発表される。

インテル・マイアミ

2023年6月23日アメリカMLSインテル・マイアミCFへの移籍が発表され、再びメッシチームメイトになる。加入まもなく中盤の底でゲームメイクで貢献し、リーグスカップ優勝を果たす。

スペイン代表

2008年10月11日UEFA U-21欧州選手権のプレーオフ第1戦、スイス戦でU-21スペイン代表デビューし、17分には得点記録。しかしその後すぐにフル代表に呼ばれるようになったためU-21代表でのプレーは3試合にとどまった。

2009年2月に初めてスペイン代表に招集され、4月1日2010 FIFAワールドカップ欧州予選のトルコ戦でダビド・シルバとの交代で出場し、フル代表でのデビューを飾る。当時最強チームだったバルセロナで評価を高めていたこともあり、次第に出場機会を増やしレギュラーに定着するようになる。当時の中盤の軸がシャビアンドレス・イニエスタバルセロナコンビを組んでいる選手であることが追いとなり、代表でもすんなりとを発揮できていた。

2010年6月には、南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップメンバーに選出される。グループリーグ3試合ではバルセロナと同じくピボーテの位置を任され、決勝トーナメントに入ってからはシャビ・アロンソとのドブレピボーテとしてプレーバルセロナのときと同じようにシャビイニエスタダビド・シルバシャビ・アロンソと共に圧倒的なポゼッションを記録した最強の中盤を構成し、全試合にスタメンで出場。スペインワールドカップ優勝に貢献し、21歳にしてCL優勝ワールドカップ優勝を経験することになる。

ワールドカップ優勝をもたらしたこともあり、スペイン代表でも不動のピボーテとしての地位を築くようになる。2012年6月には、UEFA EURO2012に出場。ダビド・ビジャが怪で欠場したこともあって引いた相手を崩すのに苦戦することもあったが、ワールドカップのときと同じように中盤での圧倒的なポゼッションで試合を支配する。結局、決勝までの全6試合にフル出場を果たし、スペインEURO連覇に貢献。大会の優秀選手にも選ばれている。

2014年6月ブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップに出場。しかし、グループリーグ初戦のオランダ戦、第2戦のチリ戦ともに相手のスペイン包囲網ともいえる厳しいマークに苦しめられ、まさかの連敗。2試合でグループリーグ敗退が決まる屈辱的な結果に終わり、第3戦のオーストラリア戦では出場機会がかった。大会後、シャビが代表引退を表明し、スペイン代表の黄金期終焉を遂げるのであった。

2014年9月8日EURO2016予選マケドニア戦で代表初ゴール記録。また、クラブと同じように代表での背番号も5を付けるようになる。今予選では11月15日ベラルーシ戦でもゴールを決めており、ワールドカップで失意を味わったスペインは圧倒的な強さで予選突破を決めている。2016年6月にはフランスで開催されたUEFA EURO2016に出場。グループリーグでは2連勝と好スタートを切るが、ラウンド16のイタリア戦では守備に追われて攻撃をオーガナイズできないまま敗。4試合全てにフル出場したが、不完全燃焼のまま3連覇を逃した。

EURO2016後にビセンテ・デルボス監督が退任するが、引き続き不動のピボーテとして君臨。2017年10月9日2018 FIFAワールドカップ欧州予選のイスラエル戦で代表通算100試合出場を果たす。2018年6月には、ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップメンバーに選出されるが、大会前にフレン・ロペテギ監督突然退任になる緊急事態が起こり、チーム混乱戦錬磨のベテランとしてチームを牽引し、グループリーグは何とか突破するが、ラウンド16で開催ロシアPK戦で敗れる。全4試合にフル出場したが、チームコンセプトが不明確になったチームの中で持ち味を十分に出せなかった。

大会後、長年栄の時代を築いたイニエスタダビド・シルバが代表を引退。新たなサイクルに入った代表に残るが、バルセロナで不調に陥っていたこととロドリの台頭もあり不要論が聞かれるようにもなっていた。それでも、バルセロナ時代に共に戦ったルイス・エンリケ監督は若手を多く抜しながらも経験豊富なブスケツを代表に選び続けていた。

2021年6月に開催されたUEFA EURO2020のメンバーに選出され、キャプテンにも任命される。しかし、大会直前に新型コロナウィルスに感染したこともあり最初の2試合を欠場。グループリーグ第3戦のスロバキア戦でようやく出場すると、高い技術と戦術眼でチームオーガナイズムし、中盤のクオリティらせる。試合のMOMにも選出され、グループリーグ突破に貢献。決勝トーナメントに入ってからもペドリと共に中盤を握し、スペインのパスワークを支える。準決勝で惜しくもイタリアPK戦で敗れるが、大会前の限界説を払拭するパフォーマンスを見せた。

2022年11月2022 FIFAワールドカップカタール大会では、衰えを摘するもある中でルイス・エンリケ監督からの信頼は厚く、若いペドリ、ガビと共に中盤を構成。スペインボール保持の重要な役割を担うことになる。4試合全てにスタメンで出場し、ラウンド16のモロッコ戦では120分間を戦い抜くが、PK戦では他の2人と共にヤシン・ブヌにセーブされてしまい敗退が決まる。大会後、代表からの引退を表明する。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2007ー08 バルセロナB テルセーラ 23 2
2008ー09 バルセロナB セグンダB 2 0
バルセロナ ラ・リーガ 24 1
2009-10 バルセロナ ラ・リーガ 33 0
2010-11 バルセロナ ラ・リーガ 28 1
2011-12 バルセロナ ラ・リーガ 31 1
2012-13 バルセロナ ラ・リーガ 31 1
2013-14 バルセロナ ラ・リーガ 32 1
2014-15 バルセロナ ラ・リーガ 33 1
2015-16 バルセロナ ラ・リーガ 35 0
2016-17 バルセロナ ラ・リーガ 33 0
2017-18 バルセロナ ラ・リーガ 31 1
2018-19 バルセロナ ラ・リーガ 35 0
2019-20 バルセロナ ラ・リーガ 33 2
2020-21 バルセロナ ラ・リーガ 36 0
2022-23 バルセロナ ラ・リーガ 30 0
2023-24 インテル・マイアミ MLS 11 0

プレースタイル

バルセロナ心臓」と称され、ピッチの幅と行きを常に把握できる世界最高のピボーテ(アンカー)。シャビイニエスタと共にバルセロナスペイン代表の黄金期に欠かせなかったプレイヤーであり、中盤の底でパスを的確に散らして数的優位をつくり、ときにはDFラインまで下がってビルドアップをサポートする攻守の要。その最高レベルポジショニングによってバルサらしさを演出している。

ビルドアップ時はセンターポジションに構えながら、ポジショニングによってビルドアップスペースを確保する。相手のプレッシング時の枚数によってバックラインに入って3バックを形成するのか、最終ラインと2列の間に位置するのかを的確に判断する。相手チームバルセロナと対戦するときはまずブスケツをいかに封じるかが重要となっているが、自らがマークされているときはポジションをずらすことで相手を動かし、後方から別の選手へのパスコースを作り出す。

手なテクニックを使うわけではないが、「ボールを受け、出す」という単純なプレーにおいて、そのスピードと精度は世界最高レベルにあり、プレッシングによって時間とスペースが削られた状況であっても他の追随を許さないパス出しの速さと優れたビジョンによってそれを掻い潜り、味方をかせる事ができる。また、狭いエリアで囲まれてもターンによって相手をいなす技術に優れているため、味方は安心してブスケツにボールを預けることができる。

スピードはさほどなく、長身であるものの細身であるため特別フィジカルレベルが高いわけでもないが、守備時には読みポジショニング、そして技術によって相手からボールを奪うことができる。危機察知も高く、危険なスペースをすぐに見つけてカバーに入る。DFラインの戻りが遅れているときや引っり出されたときには自らバックラインまで下がってを埋める。いわば第3センターバック的な役割もこなしている。

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