めざせ、世界のNo.1
アンバーシャダイとは、1977年生まれの日本の競走馬・種牡馬である。
ノーザンテースト産駒の最高傑作とも言われる名馬にして名種牡馬。丈夫で成長力に富むという産駒の「三度変わる」という評価を根付かせた馬であった。
主な勝ち鞍
1981年:有馬記念(八大競走)、目黒記念(秋)
1982年:アメリカジョッキークラブカップ
1983年:天皇賞(春)(八大競走)、アメリカジョッキークラブカップ
父ノーザンテースト、母クリアアンバー、母父Ambiopoise。父はノーザンダンサーの直仔で、80年代の日本を席巻した大種牡馬。アンバーシャダイは初年度産駒だった。母は特に言うこともない3勝馬。母父はアメリカで45戦10勝。書いてはみたが、いいのか悪いのかよくわからない血統である。ちなみにクリアアンバーの牝駒は繁殖馬として成功しており、近親にサクラバクシンオーやファストタテヤマがいたりする。
さてこの馬。シャダイの冠名の通り社台グループの総帥である吉田善哉氏の所有馬だが、出生当初は別の馬主に売却される予定だった。しかし当歳時、離乳の際に暴れて右膝にケガをし、それがもとで購買をキャンセルされてしまう。仕方ないので吉田善哉が自ら所有したが、怪我が治ってからも1年近くは調教を施されることもなく放牧地でほったらかしにされていたという。これは存在を無視されていたのではなく、怪我の完治に思いのほか時間がかかったかららしいが。
取りあえず3歳(旧表記。以下原則同じ)になり厩舎も決まったが、所属する予定だった厩舎の調教師が急死してしまう。紆余曲折を経て吉田と親しかった名門の二本柳俊夫厩舎に入ったが、当初なかなか担当厩務員が決まらなかった。最後に太田英二という厩務員が志願して担当になったのだが、第一印象は「ドブから出てきた馬」。なんせ元々薄っぺらで見栄えのしない馬体、その上入厩した時は痩せこけて冬毛ボーボー。最初に担当厩務員が決まらなかったのは、故障歴に加えこの馬体のせいもあるらしい。要するにてんで期待できない馬だったのである。
デビューは遅れて4歳1月。初戦は3着だったが、折り返しの新馬戦で初勝利を挙げる。が、この年は12戦して3勝。何故か出走できたダービーは9着。要はしょっぱい条件馬にすぎなかった。
しかし、後に「3度変わる」と言われるほどの成長力を誇ったノーザンテースト産駒のアンバーシャダイ。彼は古馬になってからじわりじわりと成長していく。
翌年春、1勝を積んで臨んだダイヤモンドS(当時は春開催)で3着に善戦し、続く条件戦をレコード勝ち。すんごい根性で勝ちを積み重ねる。この頃になると吉田善哉も「ノーザンテーストの代表産駒になるかも」と期待を寄せるようになる。その期待に応えるように休養後の秋初戦を勝つと、超豪華メンバーの毎日王冠で2着。モンテプリンスやハギノトップレディに先着する。ついでにオペックホースにも。勢いに乗って挑んだ天皇賞(秋)では同厩の先輩ホウヨウボーイの4着。続く目黒記念(秋)を制し、念願の重賞制覇を果たして有馬記念に乗り込む。
この有馬記念、1番人気はこのレースで引退が決まっていたホウヨウボーイ。2番人気は天皇賞(秋)でホウヨウボーイと死闘を繰り広げた、実はアンバーと同期の太陽の王子てつをモンテプリンス。アンバーシャダイは3番人気だった。この時陣営は厩舎のエースだったホウヨウボーイを勝たせてやりたいと考えており、厩舎の主戦だった加藤和宏はホウヨウボーイに騎乗させ、アンバーシャダイは「代打屋」東信二に任せた。その東もホウヨウボーイが勝つことを念頭に、2着狙いの騎乗を考えていた。
そして本番。「日の丸特攻隊」サクラシンゲキが逃げを打ち、モンテプリンスとアンバーシャダイは中団。ホウヨウボーイはその後方につける。レースは3角まではそれほど動かずに流れたが、3角でホウヨウボーイが自ら前を潰しにかかったことで一気に厳しい流れになる。モンテプリンスはホウヨウボーイに合わせて動こうとしたが4角でバテたサクラシンゲキに前をカットされてしまう。
直線、ホウヨウボーイが堂々と先頭。どうにか馬群を抜け出したモンテプリンスは一歩遅れて内から伸びる。
・・・そしてその間をとんでもない手応えで飛んでくる黄と黒の勝負服。ほかならぬアンバーシャダイだった。天皇賞、JCと使い詰めた上、早めに動いたことで、ホウヨウボーイにもう余力は残っていなかった。アンバーシャダイは先行勢が動く中でもじっと自分のペースを守り、ロスのない位置取りで末脚を温存していたのである。
結局アンバーシャダイはホウヨウボーイを2馬身半ちぎり捨てて勝利。鞍上の東も八大競走初勝利。しかし前述の通りホウヨウボーイを勝たせる気だった東はかわした瞬間「うわぁ、勝っちゃったよ」と思い、2頭の調教師の二本柳は「ホウヨウボーイに花道を飾らせてやりたかったが、そうはいかなかった」と語ったという。なんだかアンバーが悪者みたいだが、後続を2馬身半もちぎってるんだからフロックの勝利ではないだろう。映像を見ればわかるが普通にやっても勝ったんじゃないかと思うようなすげえ脚を使っている。
翌年はAJC杯を勝ったが、その後未勝利。しかしアルゼンチン共和国杯では60kgを背負いながらハナ差2着、天皇賞(春)や有馬記念も2着と惜しい競馬は続いていた。なにせ相手はモンテプリンスにキョウエイプロミス、メジロティターン、ヒカリデユール、ミナガワマンナ、あとオペックホース。ホウヨウボーイ1頭がいなくなったところでそれがどうした、ってくらいの群雄割拠の時代だったのである。そんな中に飛び込んで善戦を続けたのだからたいした馬である(他の馬は勝つ一方で惨敗もやらかしている)。有馬記念なんかは前年のような半ば出し抜けではなく3番手から直線半ばで先頭に立つ正攻法の競馬で勝利寸前だったが、今度は自分が最後方にいたはずのヒカリデユールに出し抜けを食らいハナ差2着に敗れたレース。競馬の内容は完全にアンバーが上だったのである。この年に関しては運がなかったとしか言いようがない。
アンバーシャダイは7歳(現6歳)となった翌1983年も現役を続行。初戦のAJC杯を勝ち連覇を果たすと、続くアルゼンチン共和国杯は酷量を背負いながら凄まじい根性でミナガワマンナ、前年の菊花賞馬ホリスキーを相手に一歩も引かず、ミナガワマンナのハナ差2着。3着ホリスキーともハナ差の大接戦であった。この年1番と言われた名勝負から挑んだ天皇賞(春)。本命で迎えたこのレースでアンバーシャダイは出遅れてしまう。巻き返して中団に押し上げ、ヒカリデユールを目標にレースを進めるがなんと2角でヒカリデユールは競走中止。そこで今度はミナガワマンナに照準を定める。3角、そのミナガワの手応えが鈍いと見るや加藤和宏は早めに先行勢を捕まえにいき、直線入り口で早くも先頭に立つ。しかしそこに猛然と突っ込んできたのがホリスキー。アンバーを徹底マークしていたホリスキー鞍上の菅原泰夫は、アンバーの仕掛けを待ってホリスキーにゴーサインを出したのである。残り100mでホリスキーはアンバーを差し切る。手応えは完全にホリスキーに分があり、菅原の作戦成功…のはずだった。
が、アンバーシャダイはそこからさらにギアを上げ、ホリスキーを差し返す。ホリスキーの手応えは一切衰えていなかったが、アンバーはそれを上回る脚で競る。結局半馬身差でアンバーシャダイに軍配が上がった。鞍上の加藤は「出遅れに早仕掛け、最低の騎乗。今日は馬に勝たせてもらった」とレースを振り返った。まさしくアンバーシャダイがド根性で掴んだ天皇盾だった。
その後アンバーシャダイは天皇賞(秋)3着、JC6着、有馬記念3着で引退。通算34戦11勝、GI級競走は2勝だから決して抜きんでた名馬ではないが、先差自在のレース運びと驚異的な根性で勝ち取った栄光は、単なるGI馬という評価だけでは足らない。そして何より、アンバーシャダイは丸3年近く第一線で走り続けた。単にレースに出るのみならず、数多くの名馬の挑戦を王者として受けて立ち、常に好勝負を見せ続けた。こんな馬は他にメジロマックイーンくらいのものである。
アンバーシャダイの主戦騎手だった加藤和宏とホリスキーでアンバーに挑んだ菅原泰夫が、揃って「アンバーシャダイは偉大なチャンピオンだった」と振り返っている理由もそんなところにあるのだろう。
総額3億6000万円のシンジケートが組まれ、アロースタッドで種牡馬入り。社台グループ初のグランプリホースなのにやっぱり社台スタリオンには入れてもらえなかったが、多くの重賞馬を輩出しトウショウボーイらと内国産種牡馬の中心を担った。代表産駒はメジロライアン、カミノクレッセなど。なんか父に似たのか善戦マンが多い気がするのは気のせいだろうか。後継種牡馬もメジロライアンが頑張ったが、メジロブライトの失敗もありすでに父系は断絶している。
アンバーシャダイ自身は2002年の種牡馬引退後もアロースタッドで余生を送り、2007年に31歳(現30歳)で大往生を遂げた。ライバルたちの中ではかなり長命だったが、1歳後輩のミナガワマンナには先立っての死であった。そのミナガワマンナも、アンバーの死から僅か8か月後に後を追うようにこの世を去る。ミスターシービーとシンボリルドルフが競馬界に旋風を巻き起こす前夜、覇を競った群雄たちの時代は静かに終わったのである。この時代の名馬で父系を存続できた馬はおらず、まさしく時代の終焉というべき時期であった。
*ノーザンテースト Northern Taste 1971 栗毛 |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma | Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
Lady Victoria 1962 黒鹿毛 |
Victoria Park | Chop Chop | |
Victoriana | |||
Lady Angela | Hyperion | ||
Sister Sarah | |||
*クリアアンバー Clear Amber 1967 黒鹿毛 FNo.4-m |
Ambiopoise 1958 鹿毛 |
Ambiorix | Tourbillion |
Lavendula | |||
Bull Poise | Bull Lea | ||
Alpoise | |||
One Clear Call 1960 鹿毛 |
Gallant Man | Migoli | |
Majideh | |||
Europa | Bull Lea | ||
Sicily | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Lady Angela 4×3(18.75%)、Bull Lea 4×4(12.50%)、Mahmoud 5×5(6.25%)、Pharos 5×5(6.25%)
優駿賞特別賞 | |
優駿賞時代 | 1973 ハイセイコー(大衆賞) | 1978 テンポイント(マスコミ賞) | 1982 モンテプリンス(ドリーム賞) | 1983 アンバーシャダイ |
---|---|
JRA賞時代 | 1989 オグリキャップ | 1993 トウカイテイオー | 1995 ライスシャワー | 1998 サイレンススズカ | 1999 グラスワンダー、スペシャルウィーク | 2001 ステイゴールド | 2004 コスモバルク(特別敢闘賞) | 2007 ウオッカ、メイショウサムソン | 2009 カンパニー | 2016 モーリス | 2020 クロノジェネシス |
競馬テンプレート |
掲示板
6 ななしのよっしん
2021/12/13(月) 19:20:24 ID: cG4vzRDJYi
玄孫のグローリーヴェイズの勝利おめ
アンバーと対戦した馬で末裔がG1に顔出してるのはティターンくらいか?
7 ななしのよっしん
2022/09/17(土) 07:12:55 ID: +TtE97MW5e
この馬、一度も宝塚記念出てないんだよね。81年までは条件馬だったから分かるけど、82、3年共に春は天皇賞終わったら休養してる。やっぱり天皇賞重視だったんだろうか
8 ななしのよっしん
2023/12/31(日) 13:05:49 ID: a2quJLNXOo
2歳下に同父・同生産者・同馬主・同厩舎・同主戦騎手のシャダイアイバー(オークス馬、エアジハードの母母)がいてややこしい
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最終更新:2024/04/25(木) 13:00
最終更新:2024/04/25(木) 13:00
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